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幸福 1
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それからまた一年が過ぎ、春。
東見の屋敷に新しい風が吹く。
そう。春は死の季節であると同時に、誕生の季節でもある。
「ふぎゃ、ふぎゃ~」
ふたりがいつも並んで座る縁側に、赤子の泣き声が響き渡る。
飾り棚の上で惰眠をむさぼっていた私も、そこではっと目を覚ます。
スヤスヤ眠っていたはずなのに、唐突に叫び出した我が子に、雪為も初音もオロオロするばかりだ。
命姫を得た雪為は、本来持っていた強靭な生命力を取り戻していた。顔の色艶もよく、男前に磨きがかかっている。
「成匡はなぜ泣くんだ? なにか不快か」
「お乳はさっき飲んだばかりだし、どうしたんでしょう」
すっかり弱りきっているふたりに、私は助け船を出してやることにした。
立派な名をもらった赤子の前にストンとおり立ち、コロコロ転がったり尻尾を振ってみせたりする。
興味を引かれた成匡はぴたりと泣き止み、私の姿を凝視している。
「おぉ、ネコのおかげだ。助かった」
「成匡は猫ちゃんが好きなんですね! 覚えておこう」
すっかりご機嫌になった成匡を腕に抱き、初音は柔らかな母の笑みを見せる。
「子どもって、かわいいものなんですねぇ。初めて知りました」
「あぁ、俺も知らなかった」
「この屋敷に来てからは、初めてのことだらけです」
「そうか」
初音に向ける雪為の眼差しは甘く、優しい。
「押し花という形で花の美しさをとどめておけることを知りましたし、亜米利加から渡ってきたお菓子はおいしい! カステラもキャラメルもチョコレイトも絶品です」
もう数えきれぬほどの〝好きなもの〟を見つけたと、初音はニコニコと雪為に報告する。
「カステラは南蛮菓子だから、先の時代からあったぞ。ドレスは好きじゃないのか? 着物も似合うが、快活な洋装は初音に合うと思うんだがな」
ドレスをプレゼントしたい。
そう素直に言えないところが雪為らしいところだ。
初音は身を包む朱赤の着物をじっと見て、照れたように笑う。
「この着物は雪為さまからの初めての贈り物だから……無意識にこればかり選んでしまうんです」
雪為は苦笑する。
「同じものばかり着ていると、擦り切れるぞ。わかった、ドレスでなく初音の好みそうな赤い着物をまた買ってやる」
穏やかで優しい空気が、ふたりを包み込む。
幸福を絵に描いたら、きっとこんな感じに仕上がることだろう。
コホコホと、初音が乾いた咳をするのに、雪為は眉をひそめる。
「産後の不調がまだ取れぬようだな。滋養のあるものをきちんと食べているか?」
「はい、食事はいつもおいしいですよ」
初音はにこりとするが、肌からも髪からもすっかり潤いが抜けていた。
「無理せず、養生しろ」
「ありがとうございます」
言って、初音はいたずらっぽく目を輝かせた。
「初めて会ったときは、人間離れして見えて……正直怖かったんですが、雪為さまはとても優しい方でした。命姫とやらのことは、今もよくわかっていませんが、雪為さまの妻となれた私は幸運です」
「そうか」
満更でもなさそうな顔で雪為はうなずく。
見つめ合うふたりの顔がどちらからともなく、ゆっくりと近づく。そっと唇が重なり合い、ふたりは同時に目を閉じた。
ぬくもりが離れると、初音がクスクスと童女のように笑い出した。
「なんだ?」
「口づけなんて……初めてしましたね。褥のなかでも、したことないのに」
「はて、そうだったか」
本当に自覚していないのか、白を切りとおそうとしているのか。
だが、初音は情け容赦なく追い打ちをかける。
「そうですよ。初めての夜、雪為さまは『子を成すのに必要のないこと』とおっしゃいました」
雪為はなんとも言えない複雑な表情で、自身の顎を撫でている。
「たしかに、子を成す目的のためには必要のない行為だ」
初音はかすかに肩を震わせ、意を決したように彼を見る。
「では、今の口づけは……なにかに必要だったのでしょうか」
雪為はむっつりと押し黙る。それから、もったいぶるほどでもない答えを返す。
「さぁ……わからぬ」
期待した言葉ではなかったようだが、ふいと顔を背けた彼の耳が赤く染まっているのをみとめて、初音はうれしそうにコロコロと笑った。
その初音の笑顔をチラチラと盗み見ながら、雪為は言う。
「……同じだ」
「ん?」
聞き取れなかったのか、初音は彼の顔をのぞくように首を傾ける。ふいうちで近づいた彼女の気配に、雪為はますます顔を紅潮させる。
それでも、はっきりとした口調で言った。
「俺も、妻となったのがお前で……幸運だったと思っている」
私は全身の毛がぞわりと逆立つのを感じた。
あまりにも甘酸っぱくて、とても見ていられない。
「フギャ―」と抗議の声をあげて、縁の下に逃げ込んだ。
東見の屋敷に新しい風が吹く。
そう。春は死の季節であると同時に、誕生の季節でもある。
「ふぎゃ、ふぎゃ~」
ふたりがいつも並んで座る縁側に、赤子の泣き声が響き渡る。
飾り棚の上で惰眠をむさぼっていた私も、そこではっと目を覚ます。
スヤスヤ眠っていたはずなのに、唐突に叫び出した我が子に、雪為も初音もオロオロするばかりだ。
命姫を得た雪為は、本来持っていた強靭な生命力を取り戻していた。顔の色艶もよく、男前に磨きがかかっている。
「成匡はなぜ泣くんだ? なにか不快か」
「お乳はさっき飲んだばかりだし、どうしたんでしょう」
すっかり弱りきっているふたりに、私は助け船を出してやることにした。
立派な名をもらった赤子の前にストンとおり立ち、コロコロ転がったり尻尾を振ってみせたりする。
興味を引かれた成匡はぴたりと泣き止み、私の姿を凝視している。
「おぉ、ネコのおかげだ。助かった」
「成匡は猫ちゃんが好きなんですね! 覚えておこう」
すっかりご機嫌になった成匡を腕に抱き、初音は柔らかな母の笑みを見せる。
「子どもって、かわいいものなんですねぇ。初めて知りました」
「あぁ、俺も知らなかった」
「この屋敷に来てからは、初めてのことだらけです」
「そうか」
初音に向ける雪為の眼差しは甘く、優しい。
「押し花という形で花の美しさをとどめておけることを知りましたし、亜米利加から渡ってきたお菓子はおいしい! カステラもキャラメルもチョコレイトも絶品です」
もう数えきれぬほどの〝好きなもの〟を見つけたと、初音はニコニコと雪為に報告する。
「カステラは南蛮菓子だから、先の時代からあったぞ。ドレスは好きじゃないのか? 着物も似合うが、快活な洋装は初音に合うと思うんだがな」
ドレスをプレゼントしたい。
そう素直に言えないところが雪為らしいところだ。
初音は身を包む朱赤の着物をじっと見て、照れたように笑う。
「この着物は雪為さまからの初めての贈り物だから……無意識にこればかり選んでしまうんです」
雪為は苦笑する。
「同じものばかり着ていると、擦り切れるぞ。わかった、ドレスでなく初音の好みそうな赤い着物をまた買ってやる」
穏やかで優しい空気が、ふたりを包み込む。
幸福を絵に描いたら、きっとこんな感じに仕上がることだろう。
コホコホと、初音が乾いた咳をするのに、雪為は眉をひそめる。
「産後の不調がまだ取れぬようだな。滋養のあるものをきちんと食べているか?」
「はい、食事はいつもおいしいですよ」
初音はにこりとするが、肌からも髪からもすっかり潤いが抜けていた。
「無理せず、養生しろ」
「ありがとうございます」
言って、初音はいたずらっぽく目を輝かせた。
「初めて会ったときは、人間離れして見えて……正直怖かったんですが、雪為さまはとても優しい方でした。命姫とやらのことは、今もよくわかっていませんが、雪為さまの妻となれた私は幸運です」
「そうか」
満更でもなさそうな顔で雪為はうなずく。
見つめ合うふたりの顔がどちらからともなく、ゆっくりと近づく。そっと唇が重なり合い、ふたりは同時に目を閉じた。
ぬくもりが離れると、初音がクスクスと童女のように笑い出した。
「なんだ?」
「口づけなんて……初めてしましたね。褥のなかでも、したことないのに」
「はて、そうだったか」
本当に自覚していないのか、白を切りとおそうとしているのか。
だが、初音は情け容赦なく追い打ちをかける。
「そうですよ。初めての夜、雪為さまは『子を成すのに必要のないこと』とおっしゃいました」
雪為はなんとも言えない複雑な表情で、自身の顎を撫でている。
「たしかに、子を成す目的のためには必要のない行為だ」
初音はかすかに肩を震わせ、意を決したように彼を見る。
「では、今の口づけは……なにかに必要だったのでしょうか」
雪為はむっつりと押し黙る。それから、もったいぶるほどでもない答えを返す。
「さぁ……わからぬ」
期待した言葉ではなかったようだが、ふいと顔を背けた彼の耳が赤く染まっているのをみとめて、初音はうれしそうにコロコロと笑った。
その初音の笑顔をチラチラと盗み見ながら、雪為は言う。
「……同じだ」
「ん?」
聞き取れなかったのか、初音は彼の顔をのぞくように首を傾ける。ふいうちで近づいた彼女の気配に、雪為はますます顔を紅潮させる。
それでも、はっきりとした口調で言った。
「俺も、妻となったのがお前で……幸運だったと思っている」
私は全身の毛がぞわりと逆立つのを感じた。
あまりにも甘酸っぱくて、とても見ていられない。
「フギャ―」と抗議の声をあげて、縁の下に逃げ込んだ。
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