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接近 3
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「ところで……」
雪為は初音の全身をまじまじと見る。
「お前はどうしていつも同じ着物なんだ? 使用人に頼んで、衣服はたくさん用意したはずだ。和服も洋装も」
初音は自身の朱赤の着物に視線を落としつつ、ためらいがちに答える。
「雪為さまからいただいた異国の着物は素敵ですが……どうにも着慣れなくて」
「ではお前はなにが欲しい? あまりに慎ましすぎるのも、東見の奥方としては問題があるぞ」
もっともらしいことを言っているけれど、ようするに雪為は初音になにかしてやりたいのだ。
朴念仁だった男の変化を、私は日々楽しく観察している。本人に自覚がないのが、またおもしろいところだ。
初音は難問に頭を悩ませているようだ。
「欲しいものと言われましても」
「では、今から探しに行こう」
雪為は初音の手を引いて、屋敷の外へ繰り出していく。
エドからトウキョウと名を変えたこの町は、この数十年で大きな変貌を遂げていた。
西洋風の建物が目立つようになり、以前は表に出ることのなかった上流階級の婦人たちがドレスを着て闊歩している。
「うわぁ、豪華絢爛ですねぇ」
「にぎやかな場所は嫌いだったが、お前がいれば静かだからな」
雪為はふっと笑む。人間はうるさいが、寄ってくる異形がいないだけで彼にとってはずいぶんと快適なのだろう。
「ほら、欲しいものを探せ」
女性がよろこぶ物言いを知らぬ彼は、そんなふうに言って、また初音の表情を曇らせる。
「それが本当に……わからないのです」
「食べ物でもなんでもいいぞ。なにが好きだ?」
初音は恥じるように身を小さくして、ぽつりとこぼす。
「好きも嫌いもわかりません。私が幸せになる方法は死ぬことだと……そう言われて育ちました。冬になって風邪をこじらせたときなど、これで幸福が訪れるのかと期待するのですが……困ったことにこの身体はずいぶんと丈夫でして」
雪為の眉間に深いシワが刻まれ、黒い瞳の奥に静かな怒りが揺らめき立つ。
初音といるときにはあまり表に出てこないが、雪為の本質は情け容赦のない冷たい男だ。
ぞっとするほど冷酷な声で彼は言う。
「跡形もなく消し去ってやろうか」
「え?」
「お前が望むなら、紫道家などグチャグチャに踏みつぶしてやってもいい」
初音はきょとんとしている。目をパチクリさせている彼女に、雪為は決断を迫った。
「どうする? 望むか、望まないか」
初音は迷うそぶりすら見せずに、すっぱりと返事をする。
「望まないです、まったく」
皮肉めいた笑みを浮かべ、雪為は吐き捨てた。
「いい子ちゃんだな」
「だって、あの家が不幸になって、私になんの利があるのです? それで幸福になれるわけでもあるまいし」
彼女は本気で不思議がっている。
私は……このときばかりは彼女に同情した。
初音は、好きも嫌いも憎いも……人間が自然に持つべき感情を知らずに育ったのだろう。
ただただ死を待つだけの、空虚な人生。
雪為も同じことに思い至ったようだ。苦しげに顔をゆがめ、唇をきつくかみ締める。
「俺もな、どちらかと言えばお前と同類の人間で……偉そうなことは言えぬが、見て心がときめくもの。それを好きと言うんだ」
教えをこう生徒のように、初音は神妙な顔でうなずいた。
「見て、心がときめく……」
「あぁ。探してみろ」
初音の瞳がゆっくりと動く。
帝都トウキョウが、そして雪為が、彼女の瞳に映し出される。
そうして、初音はふわりと花がほころぶような笑みをこぼした。
「見つけました、ひとつ!」
かすかに目を見開く雪為に、初音は歌うような声音で告げる。
「この景色。雪為さまの隣で見る景色が、私が初めて好きになったものです!」
雪為は初音の全身をまじまじと見る。
「お前はどうしていつも同じ着物なんだ? 使用人に頼んで、衣服はたくさん用意したはずだ。和服も洋装も」
初音は自身の朱赤の着物に視線を落としつつ、ためらいがちに答える。
「雪為さまからいただいた異国の着物は素敵ですが……どうにも着慣れなくて」
「ではお前はなにが欲しい? あまりに慎ましすぎるのも、東見の奥方としては問題があるぞ」
もっともらしいことを言っているけれど、ようするに雪為は初音になにかしてやりたいのだ。
朴念仁だった男の変化を、私は日々楽しく観察している。本人に自覚がないのが、またおもしろいところだ。
初音は難問に頭を悩ませているようだ。
「欲しいものと言われましても」
「では、今から探しに行こう」
雪為は初音の手を引いて、屋敷の外へ繰り出していく。
エドからトウキョウと名を変えたこの町は、この数十年で大きな変貌を遂げていた。
西洋風の建物が目立つようになり、以前は表に出ることのなかった上流階級の婦人たちがドレスを着て闊歩している。
「うわぁ、豪華絢爛ですねぇ」
「にぎやかな場所は嫌いだったが、お前がいれば静かだからな」
雪為はふっと笑む。人間はうるさいが、寄ってくる異形がいないだけで彼にとってはずいぶんと快適なのだろう。
「ほら、欲しいものを探せ」
女性がよろこぶ物言いを知らぬ彼は、そんなふうに言って、また初音の表情を曇らせる。
「それが本当に……わからないのです」
「食べ物でもなんでもいいぞ。なにが好きだ?」
初音は恥じるように身を小さくして、ぽつりとこぼす。
「好きも嫌いもわかりません。私が幸せになる方法は死ぬことだと……そう言われて育ちました。冬になって風邪をこじらせたときなど、これで幸福が訪れるのかと期待するのですが……困ったことにこの身体はずいぶんと丈夫でして」
雪為の眉間に深いシワが刻まれ、黒い瞳の奥に静かな怒りが揺らめき立つ。
初音といるときにはあまり表に出てこないが、雪為の本質は情け容赦のない冷たい男だ。
ぞっとするほど冷酷な声で彼は言う。
「跡形もなく消し去ってやろうか」
「え?」
「お前が望むなら、紫道家などグチャグチャに踏みつぶしてやってもいい」
初音はきょとんとしている。目をパチクリさせている彼女に、雪為は決断を迫った。
「どうする? 望むか、望まないか」
初音は迷うそぶりすら見せずに、すっぱりと返事をする。
「望まないです、まったく」
皮肉めいた笑みを浮かべ、雪為は吐き捨てた。
「いい子ちゃんだな」
「だって、あの家が不幸になって、私になんの利があるのです? それで幸福になれるわけでもあるまいし」
彼女は本気で不思議がっている。
私は……このときばかりは彼女に同情した。
初音は、好きも嫌いも憎いも……人間が自然に持つべき感情を知らずに育ったのだろう。
ただただ死を待つだけの、空虚な人生。
雪為も同じことに思い至ったようだ。苦しげに顔をゆがめ、唇をきつくかみ締める。
「俺もな、どちらかと言えばお前と同類の人間で……偉そうなことは言えぬが、見て心がときめくもの。それを好きと言うんだ」
教えをこう生徒のように、初音は神妙な顔でうなずいた。
「見て、心がときめく……」
「あぁ。探してみろ」
初音の瞳がゆっくりと動く。
帝都トウキョウが、そして雪為が、彼女の瞳に映し出される。
そうして、初音はふわりと花がほころぶような笑みをこぼした。
「見つけました、ひとつ!」
かすかに目を見開く雪為に、初音は歌うような声音で告げる。
「この景色。雪為さまの隣で見る景色が、私が初めて好きになったものです!」
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