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第一章
主君と兄と
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琰城は今日も、人々が忙しく動き回っている。それでも騒々しさがあまり感じられないのは、城内の誰もがあのぴんと伸びた背中に憧れているからだ。
その背はいつも見事なまでにまっすぐで、だらしなく丸まっているところを誰も見たことがなかった。しっとりとなめらかな黒髪がはらりと流れている凛とした背中は、皆の規範となっていたのだ。だからこそ琰の民たちは、どれほど忙しくてもバタバタと騒がしくすることはなかった。
しかし、当の本人は自らが城内どころか国じゅうから羨望の眼差しで見られていることなど露知らず。今日もクムラの隣で相談事に頭を悩ませているのだった。
クムラはよく城へと人を招き、外交や商いを行い、また普通の民草までもを直接相手にして話を聞いたりしている。時折自ら下町や田畑に赴くことさえあるのだ。よってクムラにはあまり暇がない。ひっきりなしにやってくる客の対応で予定は常に埋まっている。
やってくる客の層に合わせたもてなしをして、誰に対しても親身になって向き合う。かつては国の主としてふさわしくないと眉をひそめる者も少なくなかったが、それが民の生活の安定、ひいては国の安定に繋がっていると、この数年ですっかりと認められたために、文句を言う者はいなくなった。
来客者の殆どは、何か生活や今後について悩みや問題を抱えていることが大半である。
今日もつい先程までクムラの元に来ていた、城から少し離れた西の外れの村から来た民らが賊に困っているとの話を受け、クムラとシュナは揃って対策を考えている。
「賊の情報は、私にも届いております。春になり、件数は少し減っているものの……季節柄、田畑を今後荒らされるのは避けたいですから、無視はできませんね」
シュナはシュナで、自らの部下に各地を巡らせ、独自の情報網を持っていた。そこでの情報を合わせると、より詳しい被害の状況や件数、時期などが見えてくる。
今の季節は作付けの時期である。これまでは何も植えられていない畑を踏み荒らされるだけで済んでいたが、これから実る作物を荒らされては生活が立ち行かない。
「して、配置はどうする」
クムラの中には既に、静観する選択肢はない。それはシュナも同じであり、理解していることだった。側から見れば突飛な会話に聞こえても、二人の中ではしっかりと順序良く話が進んでいる、ということも少なくない。
「北との睨み合いが続いている現状、あまり多くの兵を城から連れ出すのは得策ではありません。また、賊は北の沁軍を追われた元将兵や罪人たちであるとの情報がありますから、賊程度の相手…と侮ることもできません」
「なんと、北からの脱走兵ということか?」
「恐らくは、何らかの理由により追放された者や逃げ出した者たちです。沁と琰の関係を考慮し、我らが城を避け、東側からぐるりと大きくまわり、この通り道の村々を……という流れでしょう。よく動けますし、判断も良い。賊というよりは小隊と思った方がよろしいかと」
二人の前に広げた地図を指でなぞり、シュナが報告にあった賊の動きを示す。被害を受けた町や村には黒い石がぽつぽつと置かれていて、移動した経路がわかる。
「まず殿は城に残っていただきます。よって護衛のコト将軍とアクル将軍も」
「ええ~」
「私は出陣しますので、殿のおそばにはムカイ殿に居てもらいましょう。城はこれで」
「まあ、万全の状態よな」
クムラは元々王族でも貴族でもない。よって戦だというときに本陣で大人しくしておけというのは、どうにも落ち着かないのだった。不満そうな声をあげるクムラを一瞥しそのまま話を続ければ、その隙のなさに納得するしかないと口を閉ざすのでシュナはつい笑ってしまう。
「賊にあたるのはオチ将軍が適任でしょう。彼の兵から親しまれる魅力はこういったときに大きな武器になる」
「ほう、ではやはり討伐ではなく懐柔すると」
「ええ、今は少しでも戦力が欲しい。北の内情を知る者たちであるなら尚更、まずは武器を構えず説得を。あとは……コハク将軍を連れて行きたいと考えておりますが、如何でしょう」
そのシュナの言葉で、クムラはぴくりと眉を動かし反応する。そしてにやりと笑う。シュナはクムラがそういう反応をするであろうとわかっていたのだが、いざされると少し困ったような、恥じらったような顔をした。
「珍しいものよな、お前が如何でしょう、などと」
「クムラ様たちにとっては馴染みの御仁ですが、一応は新参の将になるのですから、ご意見を伺うのは当然でしょう」
「それだけか~?」
「他意はございません」
表情の乏しいシュナだが、クムラにだけは表情が和らいだり、困ったり怒ったり、喜んだりする顔を隠さなかった。クムラにとっては、それが嬉しくもあり、ちょっとした優越感を覚えることなので、ついこうしてからかったりしてしまう。
「彼らが盗みや略奪を行うのは単純に食うに困ったからでしょう。噂では、北で何やら不当な理由をつけ追い出される者らが増えているとか。であれば、根っからの悪党や凶悪な罪人というわけではありますまい。客将ではありましたがかつて同じ軍にいたコハク殿が我が軍で厚遇されていると知れば、彼らの信頼も得られるかもしれません。説得が容易くなります」
「うむ、そうだな。そういう意味でもコハクは適任であろう。奴は口下手だからな、説得できるかはわからんが、そこはお前とオチで何とか上手くやれるだろうさ」
「お任せください」
シュナがひとつ頭を下げて見せ、そこで話はひと段落したと息をつく間も無く、次々と話し合わなければならないことは山積みだった。二人は次の話題へとすばやく切り替えていく。兵の動かし方から金のやりくり、民への触書きへの助言にいたるまで、クムラはシュナの知恵を借りその手で行なっていた。
本来であれば、指示を出し許可を下すまでが君主の務めであり、末端の仕事や許可が下りる段階までは臣下の務めであるというのが普通である。
クムラがやりたがる分には好きにさせればよいと始めはシュナも考えていたが、国が大きく強くなるにつれ、仕事の量は何倍にも膨れ上がっている。既に常人にこなせる範囲からは大幅にはみ出ているのだ。
この問題も、早急に解決せねば、とシュナはよく回る頭の片隅で考えていた。順調に育っている琰であるが、それゆえの問題が多々あるのだった。
「それは、おまえも同じだと思うけれどね」
呆れた様子でそう言うのは、先ほどのクムラとの話にも出てきた、ムカイという男だった。
「だから私はこうして、兄上に協力をしてもらっているではないですか?」
「そんなのはクムラ様にとってのおまえが、おまえにとっての私になっただけでしょうに。どちらにとっても、少なくともあと三人は必要だよ」
ムカイはシュナの兄であり、同僚であり、よき相談相手である。シュナとムカイは母の違う兄弟であったが、容姿はよく似ていた。髪や瞳の色はムカイのほうが幾分色素が薄く、柔らかな茶に近い黒髪をゆるく結い上げ、いつもゆったりとした服装を好んでしている。表情がわかりづらく近寄り難さのあるシュナとは違い、いつもにこにこと笑みを絶やさず、柔和な顔立ちにおっとりとした口調と性格が親しみやすさを漂わせている。背丈も幾分低かった。しかし、その物腰と外見の柔らかさとは裏腹に、物怖じせず自分の意見をはっきりと言うところがあり、シュナよりもよほど気が強い。そこがクムラには気に入られているようだった。
そんな兄の心配ごとといえば、弟が働き者すぎることであった。ムカイ自身は無理をせず何事も適度にこなせばよい、という考えの持ち主なのだが、どうにもなんでも抱え込みがちな弟を前にすると、手を貸さずにはいられない性分であるのもまたムカイである。今も山ほど持ち帰られた仕事の分担について相談していたのだった。
「細かな隊の配備はこちらで考えておきます、いくつか案を出しますから、それから話し合いましょう。農地の新規開墾や農具の調達はうちよりもあなたの部下に得意な者がいましたね。触書きは文言だけ簡単に考えて伝えて清書はジョシにでもやらせておけば喜んで書きますよ」
ムカイの担当は軍事に関することであり、シュナの担当は、本来であれば外交や人事に関することである。軍の動かし方や策略を考える者は琰には多く居るが、政務に明るくシュナが頼れる者はまだ少ない。であれば、シュナが自身にしかできないことに集中させるべきなのだ。
「ありがとうございます。しかしこの度は兄上にこの農地の開墾についてご相談があるのです」
そう言ってシュナがひとつ取り上げた書簡は、城と町の間の土地を開き農地へと変える計画書だった。
「屯田制、ですか」
「ええ、お聞きになられていましたか。戦のない間は兵たちには畑を任せ仕事を与えようというものです」
屯田制は兵糧の安定維持と兵の強化訓練などを目的としたクムラの提案であった。上手くやれば国力は更に安定を見込めるが、琰においてはまだ前例がなく、上手くいくかどうかわからぬことに関しては兵たちの意欲を向上させることは難しい。
「まずは試験的に軍屯を行なって結果を出してみるのが早いでしょう。志願者を募ったほうがよいかとも思いましたが……」
「それではあまり兵たちの意欲に働きかけるには効果が薄いでしょうね。ひとつの隊に一度任せてみるのがよいでしょう」
「やはりそうですか」
制度に賛成する者たちにやらせるだけでは、兵らに必要性や有用性を浸透させるには効果が薄いとムカイは判断した。それはシュナも同様であった。
「そして、新規に拓く田畑の件も軍屯の一部にしてしまえば一石二鳥なのではないかとクムラ様が」
「ですね。あと、任せる隊はそれなりに上位の隊がよいでしょう。将軍が手本となり率いれば効果も高まるはずです」
そうして二人はどんどんと考えるべきことを解決していく。シュナがムカイを頼ることを覚えてくれたのは、ムカイにとってはひとつの安心材料だった。弟には、少し手を抜くことを教えてあげなくてはならないな、とムカイはしみじみと思っていた。
「して、おまえが前線に出るというのは、本当に必要なのかい?」
話はクムラとも相談していた、国の西側の賊討伐についてだった。
「ええ、此度は説得が目的ですから。オチ将軍は人当たりが良く頼りになりますが、決して話術に長けているというわけではありませんし」
「戦闘になったらどうするつもりだい。わざわざおまえが危険に身を晒すのは、私は賛成できないね」
ムカイはずっとシュナのそばにいた。当然、シュナが軍師でありながら戦場において『異能』が使えないことを知っている。使えなくなるに至った当時も近くにいたというのに、何もしてやれなかった自分を悔いてさえいる。ゆえに、力を使えぬまま戦場に立つという弟の心配を、せずにはいられない。
「……戦えはせずとも、身を守ることくらいはできるつもりです。ご心配には及びません」
そう言って、行儀よく膝の上に乗せられていた白い手を、ぎゅっと握ったシュナ。それを見たムカイは、仕方がないというように小さく溜息をつく。
「……おまえは頑固ですからね。ならば精一杯、励みなさい。賛成はしないが、応援はしているよ」
「ええ、兄上。ありがとうございます」
複雑な兄の心境を前に、そう言ってくれることが嬉しく思うシュナは柔らかく微笑んだ。その儚げな美しさに、心を揺らがせないでいられるのもまた、ムカイだけである。ただこの頑張りすぎる弟が、心安らげるようにと願うばかりだった。
その背はいつも見事なまでにまっすぐで、だらしなく丸まっているところを誰も見たことがなかった。しっとりとなめらかな黒髪がはらりと流れている凛とした背中は、皆の規範となっていたのだ。だからこそ琰の民たちは、どれほど忙しくてもバタバタと騒がしくすることはなかった。
しかし、当の本人は自らが城内どころか国じゅうから羨望の眼差しで見られていることなど露知らず。今日もクムラの隣で相談事に頭を悩ませているのだった。
クムラはよく城へと人を招き、外交や商いを行い、また普通の民草までもを直接相手にして話を聞いたりしている。時折自ら下町や田畑に赴くことさえあるのだ。よってクムラにはあまり暇がない。ひっきりなしにやってくる客の対応で予定は常に埋まっている。
やってくる客の層に合わせたもてなしをして、誰に対しても親身になって向き合う。かつては国の主としてふさわしくないと眉をひそめる者も少なくなかったが、それが民の生活の安定、ひいては国の安定に繋がっていると、この数年ですっかりと認められたために、文句を言う者はいなくなった。
来客者の殆どは、何か生活や今後について悩みや問題を抱えていることが大半である。
今日もつい先程までクムラの元に来ていた、城から少し離れた西の外れの村から来た民らが賊に困っているとの話を受け、クムラとシュナは揃って対策を考えている。
「賊の情報は、私にも届いております。春になり、件数は少し減っているものの……季節柄、田畑を今後荒らされるのは避けたいですから、無視はできませんね」
シュナはシュナで、自らの部下に各地を巡らせ、独自の情報網を持っていた。そこでの情報を合わせると、より詳しい被害の状況や件数、時期などが見えてくる。
今の季節は作付けの時期である。これまでは何も植えられていない畑を踏み荒らされるだけで済んでいたが、これから実る作物を荒らされては生活が立ち行かない。
「して、配置はどうする」
クムラの中には既に、静観する選択肢はない。それはシュナも同じであり、理解していることだった。側から見れば突飛な会話に聞こえても、二人の中ではしっかりと順序良く話が進んでいる、ということも少なくない。
「北との睨み合いが続いている現状、あまり多くの兵を城から連れ出すのは得策ではありません。また、賊は北の沁軍を追われた元将兵や罪人たちであるとの情報がありますから、賊程度の相手…と侮ることもできません」
「なんと、北からの脱走兵ということか?」
「恐らくは、何らかの理由により追放された者や逃げ出した者たちです。沁と琰の関係を考慮し、我らが城を避け、東側からぐるりと大きくまわり、この通り道の村々を……という流れでしょう。よく動けますし、判断も良い。賊というよりは小隊と思った方がよろしいかと」
二人の前に広げた地図を指でなぞり、シュナが報告にあった賊の動きを示す。被害を受けた町や村には黒い石がぽつぽつと置かれていて、移動した経路がわかる。
「まず殿は城に残っていただきます。よって護衛のコト将軍とアクル将軍も」
「ええ~」
「私は出陣しますので、殿のおそばにはムカイ殿に居てもらいましょう。城はこれで」
「まあ、万全の状態よな」
クムラは元々王族でも貴族でもない。よって戦だというときに本陣で大人しくしておけというのは、どうにも落ち着かないのだった。不満そうな声をあげるクムラを一瞥しそのまま話を続ければ、その隙のなさに納得するしかないと口を閉ざすのでシュナはつい笑ってしまう。
「賊にあたるのはオチ将軍が適任でしょう。彼の兵から親しまれる魅力はこういったときに大きな武器になる」
「ほう、ではやはり討伐ではなく懐柔すると」
「ええ、今は少しでも戦力が欲しい。北の内情を知る者たちであるなら尚更、まずは武器を構えず説得を。あとは……コハク将軍を連れて行きたいと考えておりますが、如何でしょう」
そのシュナの言葉で、クムラはぴくりと眉を動かし反応する。そしてにやりと笑う。シュナはクムラがそういう反応をするであろうとわかっていたのだが、いざされると少し困ったような、恥じらったような顔をした。
「珍しいものよな、お前が如何でしょう、などと」
「クムラ様たちにとっては馴染みの御仁ですが、一応は新参の将になるのですから、ご意見を伺うのは当然でしょう」
「それだけか~?」
「他意はございません」
表情の乏しいシュナだが、クムラにだけは表情が和らいだり、困ったり怒ったり、喜んだりする顔を隠さなかった。クムラにとっては、それが嬉しくもあり、ちょっとした優越感を覚えることなので、ついこうしてからかったりしてしまう。
「彼らが盗みや略奪を行うのは単純に食うに困ったからでしょう。噂では、北で何やら不当な理由をつけ追い出される者らが増えているとか。であれば、根っからの悪党や凶悪な罪人というわけではありますまい。客将ではありましたがかつて同じ軍にいたコハク殿が我が軍で厚遇されていると知れば、彼らの信頼も得られるかもしれません。説得が容易くなります」
「うむ、そうだな。そういう意味でもコハクは適任であろう。奴は口下手だからな、説得できるかはわからんが、そこはお前とオチで何とか上手くやれるだろうさ」
「お任せください」
シュナがひとつ頭を下げて見せ、そこで話はひと段落したと息をつく間も無く、次々と話し合わなければならないことは山積みだった。二人は次の話題へとすばやく切り替えていく。兵の動かし方から金のやりくり、民への触書きへの助言にいたるまで、クムラはシュナの知恵を借りその手で行なっていた。
本来であれば、指示を出し許可を下すまでが君主の務めであり、末端の仕事や許可が下りる段階までは臣下の務めであるというのが普通である。
クムラがやりたがる分には好きにさせればよいと始めはシュナも考えていたが、国が大きく強くなるにつれ、仕事の量は何倍にも膨れ上がっている。既に常人にこなせる範囲からは大幅にはみ出ているのだ。
この問題も、早急に解決せねば、とシュナはよく回る頭の片隅で考えていた。順調に育っている琰であるが、それゆえの問題が多々あるのだった。
「それは、おまえも同じだと思うけれどね」
呆れた様子でそう言うのは、先ほどのクムラとの話にも出てきた、ムカイという男だった。
「だから私はこうして、兄上に協力をしてもらっているではないですか?」
「そんなのはクムラ様にとってのおまえが、おまえにとっての私になっただけでしょうに。どちらにとっても、少なくともあと三人は必要だよ」
ムカイはシュナの兄であり、同僚であり、よき相談相手である。シュナとムカイは母の違う兄弟であったが、容姿はよく似ていた。髪や瞳の色はムカイのほうが幾分色素が薄く、柔らかな茶に近い黒髪をゆるく結い上げ、いつもゆったりとした服装を好んでしている。表情がわかりづらく近寄り難さのあるシュナとは違い、いつもにこにこと笑みを絶やさず、柔和な顔立ちにおっとりとした口調と性格が親しみやすさを漂わせている。背丈も幾分低かった。しかし、その物腰と外見の柔らかさとは裏腹に、物怖じせず自分の意見をはっきりと言うところがあり、シュナよりもよほど気が強い。そこがクムラには気に入られているようだった。
そんな兄の心配ごとといえば、弟が働き者すぎることであった。ムカイ自身は無理をせず何事も適度にこなせばよい、という考えの持ち主なのだが、どうにもなんでも抱え込みがちな弟を前にすると、手を貸さずにはいられない性分であるのもまたムカイである。今も山ほど持ち帰られた仕事の分担について相談していたのだった。
「細かな隊の配備はこちらで考えておきます、いくつか案を出しますから、それから話し合いましょう。農地の新規開墾や農具の調達はうちよりもあなたの部下に得意な者がいましたね。触書きは文言だけ簡単に考えて伝えて清書はジョシにでもやらせておけば喜んで書きますよ」
ムカイの担当は軍事に関することであり、シュナの担当は、本来であれば外交や人事に関することである。軍の動かし方や策略を考える者は琰には多く居るが、政務に明るくシュナが頼れる者はまだ少ない。であれば、シュナが自身にしかできないことに集中させるべきなのだ。
「ありがとうございます。しかしこの度は兄上にこの農地の開墾についてご相談があるのです」
そう言ってシュナがひとつ取り上げた書簡は、城と町の間の土地を開き農地へと変える計画書だった。
「屯田制、ですか」
「ええ、お聞きになられていましたか。戦のない間は兵たちには畑を任せ仕事を与えようというものです」
屯田制は兵糧の安定維持と兵の強化訓練などを目的としたクムラの提案であった。上手くやれば国力は更に安定を見込めるが、琰においてはまだ前例がなく、上手くいくかどうかわからぬことに関しては兵たちの意欲を向上させることは難しい。
「まずは試験的に軍屯を行なって結果を出してみるのが早いでしょう。志願者を募ったほうがよいかとも思いましたが……」
「それではあまり兵たちの意欲に働きかけるには効果が薄いでしょうね。ひとつの隊に一度任せてみるのがよいでしょう」
「やはりそうですか」
制度に賛成する者たちにやらせるだけでは、兵らに必要性や有用性を浸透させるには効果が薄いとムカイは判断した。それはシュナも同様であった。
「そして、新規に拓く田畑の件も軍屯の一部にしてしまえば一石二鳥なのではないかとクムラ様が」
「ですね。あと、任せる隊はそれなりに上位の隊がよいでしょう。将軍が手本となり率いれば効果も高まるはずです」
そうして二人はどんどんと考えるべきことを解決していく。シュナがムカイを頼ることを覚えてくれたのは、ムカイにとってはひとつの安心材料だった。弟には、少し手を抜くことを教えてあげなくてはならないな、とムカイはしみじみと思っていた。
「して、おまえが前線に出るというのは、本当に必要なのかい?」
話はクムラとも相談していた、国の西側の賊討伐についてだった。
「ええ、此度は説得が目的ですから。オチ将軍は人当たりが良く頼りになりますが、決して話術に長けているというわけではありませんし」
「戦闘になったらどうするつもりだい。わざわざおまえが危険に身を晒すのは、私は賛成できないね」
ムカイはずっとシュナのそばにいた。当然、シュナが軍師でありながら戦場において『異能』が使えないことを知っている。使えなくなるに至った当時も近くにいたというのに、何もしてやれなかった自分を悔いてさえいる。ゆえに、力を使えぬまま戦場に立つという弟の心配を、せずにはいられない。
「……戦えはせずとも、身を守ることくらいはできるつもりです。ご心配には及びません」
そう言って、行儀よく膝の上に乗せられていた白い手を、ぎゅっと握ったシュナ。それを見たムカイは、仕方がないというように小さく溜息をつく。
「……おまえは頑固ですからね。ならば精一杯、励みなさい。賛成はしないが、応援はしているよ」
「ええ、兄上。ありがとうございます」
複雑な兄の心境を前に、そう言ってくれることが嬉しく思うシュナは柔らかく微笑んだ。その儚げな美しさに、心を揺らがせないでいられるのもまた、ムカイだけである。ただこの頑張りすぎる弟が、心安らげるようにと願うばかりだった。
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