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本編
7.律儀な人
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その次の日、出勤前に東はあることに気付く。
「ポストの名前……言われてみればそりゃそうだなあ」
東と例の彼の家は隣同士である。部屋番号がわかるのだから、当然ポストの位置もわかる。部屋の前の表札に名前を出さない人も多いが、郵便物の誤投函を避けるためポストには苗字だけ書いている人がほとんどだ。
東の名前の上にある、【蓜島】の文字。次に会った時にこそ名前を聞こうと意気込んでいたところに、ふと目にしてしまったそれ。彼の名前を知れたことはなんとなく嬉しいが、なんだか隣の特権を使って不正をしたような気持ちになった。
さらに翌日の帰宅後、東の家のインターホンが鳴った。夜遅くの来訪、いつもであれば不審に思い居留守を使ったりもしたかもしれないが、そのときは出てみることにした。
「はーい……あれ?
『夜分遅くに申し訳ありません、隣の蓜島です』
モニターホンに映ったのは、隣人の彼、蓜島だった。
「どうしました……って、とりあえず開けますね」
『はい』
扉を開けると、相変わらず無表情の蓜島が立っていた。
「こんばんは、どうされました?」
「すみません、突然押しかけてしまって。この前お借りしたタオルをお返しに参りました」
蓜島の手には、綺麗な紙袋がひとつ。この前の雨の日に渡したタオルをわざわざこんな風に包んで返しに来てくれたというのだ。
「わあ、わざわざありがとうございます」
「いえ、お礼をするのはこちらの方です。その節は大変お世話になりました、助かりました」
「……ふふ、」
「…? なんです?」
「いえ、すみません。あんまりにも、なんだか……取引先みたいに話されるものだから」
「あ……確かに」
東に笑われた蓜島は、はっと気付いたような顔をして、思わず口元をおさえる。その仕草に東は余計に笑ってしまう。
「嫌なわけではないですよ、ただ真面目そうなイメージ通りだなって」
「…お恥ずかしい限りです。普段あまり、親しく話すような相手も居ないもので……」
「えっ? そうなんですか?」
蓜島の言葉に東は思わず驚いた声をあげてしまう。東はあの毎週のたくさんのケーキを、きっと誰かと食べているのだろうと思っていたからだ。
「はい、いつも会社と家の往復くらいしかできていませんから……意外でしょうか」
「あ、いえ……詮索するつもりはないんですけど、いつもたくさん買って行かれるので、その…」
「あっ……そ、そうですよね」
すらすらと言葉を紡ぐ蓜島が、言葉を詰まらせた。
そのときの東の動揺と言ったらなかった。無表情で淡々とした蓜島からは想像のつかない、少し頬が赤く染まった、なんとも恥ずかしそうな表情。
「……あれは、全部自分用でして」
「全部?」
「は、はい。甘いものが好きで……東さんの作られるお菓子が、大好きなんです」
「……!」
それはなんだか、まるで愛の告白のようで。知るほどに興味がわいてきてしまう蓜島という男から出てくる言葉としては、殺し文句に近いと、東は思った。
けれど、ちゃんとわかっている。蓜島が大好きだと言ったのはあくまで東の作った菓子のことであって、東自身ではない。
「あ、ありがとうございます……」
それでも、菓子作りに全てを費やしていると言っても過言ではないような東にとって、自分の作ったものは自分の一部も同然だった。だから、嬉しかったり、照れてしまったりと忙しない様子になってしまい、そう返すので手一杯だった。
「こちらこそ、いつもありがとうございます。週末の楽しみに、癒されています」
「そういえば、名前……はいしまさん、でいいんですよね」
「ああ、申し訳ありません……私、こういう者です」
そう言って蓜島は胸ポケットから名刺入れを取り出し、そこから一枚、東に手渡した。とても自宅の玄関先でするやりとりとは到底思えず、しかし蓜島は至って大真面目である。そのシュールさに東は笑いを堪える。
蓜島通成、と書いて、はいしまみちなり。丁寧にふりがなまでついているから名刺というのは便利だ。ここから電車で一本で行ける有名企業の、課長クラスのエリートらしい。さっきまでのギャップに比べて、それはすごくイメージ通りだと東は思った。
「僕は東聡介といいます」
「はい、よろしくお願い致します」
多分自分のことは知られているのだろうと思っていた東だったが、とりあえず名乗った。蓜島は知っているというように軽く頷き、やっぱり取引先相手のように綺麗なお辞儀をされたので、東もそれに倣った。
「ポストの名前……言われてみればそりゃそうだなあ」
東と例の彼の家は隣同士である。部屋番号がわかるのだから、当然ポストの位置もわかる。部屋の前の表札に名前を出さない人も多いが、郵便物の誤投函を避けるためポストには苗字だけ書いている人がほとんどだ。
東の名前の上にある、【蓜島】の文字。次に会った時にこそ名前を聞こうと意気込んでいたところに、ふと目にしてしまったそれ。彼の名前を知れたことはなんとなく嬉しいが、なんだか隣の特権を使って不正をしたような気持ちになった。
さらに翌日の帰宅後、東の家のインターホンが鳴った。夜遅くの来訪、いつもであれば不審に思い居留守を使ったりもしたかもしれないが、そのときは出てみることにした。
「はーい……あれ?
『夜分遅くに申し訳ありません、隣の蓜島です』
モニターホンに映ったのは、隣人の彼、蓜島だった。
「どうしました……って、とりあえず開けますね」
『はい』
扉を開けると、相変わらず無表情の蓜島が立っていた。
「こんばんは、どうされました?」
「すみません、突然押しかけてしまって。この前お借りしたタオルをお返しに参りました」
蓜島の手には、綺麗な紙袋がひとつ。この前の雨の日に渡したタオルをわざわざこんな風に包んで返しに来てくれたというのだ。
「わあ、わざわざありがとうございます」
「いえ、お礼をするのはこちらの方です。その節は大変お世話になりました、助かりました」
「……ふふ、」
「…? なんです?」
「いえ、すみません。あんまりにも、なんだか……取引先みたいに話されるものだから」
「あ……確かに」
東に笑われた蓜島は、はっと気付いたような顔をして、思わず口元をおさえる。その仕草に東は余計に笑ってしまう。
「嫌なわけではないですよ、ただ真面目そうなイメージ通りだなって」
「…お恥ずかしい限りです。普段あまり、親しく話すような相手も居ないもので……」
「えっ? そうなんですか?」
蓜島の言葉に東は思わず驚いた声をあげてしまう。東はあの毎週のたくさんのケーキを、きっと誰かと食べているのだろうと思っていたからだ。
「はい、いつも会社と家の往復くらいしかできていませんから……意外でしょうか」
「あ、いえ……詮索するつもりはないんですけど、いつもたくさん買って行かれるので、その…」
「あっ……そ、そうですよね」
すらすらと言葉を紡ぐ蓜島が、言葉を詰まらせた。
そのときの東の動揺と言ったらなかった。無表情で淡々とした蓜島からは想像のつかない、少し頬が赤く染まった、なんとも恥ずかしそうな表情。
「……あれは、全部自分用でして」
「全部?」
「は、はい。甘いものが好きで……東さんの作られるお菓子が、大好きなんです」
「……!」
それはなんだか、まるで愛の告白のようで。知るほどに興味がわいてきてしまう蓜島という男から出てくる言葉としては、殺し文句に近いと、東は思った。
けれど、ちゃんとわかっている。蓜島が大好きだと言ったのはあくまで東の作った菓子のことであって、東自身ではない。
「あ、ありがとうございます……」
それでも、菓子作りに全てを費やしていると言っても過言ではないような東にとって、自分の作ったものは自分の一部も同然だった。だから、嬉しかったり、照れてしまったりと忙しない様子になってしまい、そう返すので手一杯だった。
「こちらこそ、いつもありがとうございます。週末の楽しみに、癒されています」
「そういえば、名前……はいしまさん、でいいんですよね」
「ああ、申し訳ありません……私、こういう者です」
そう言って蓜島は胸ポケットから名刺入れを取り出し、そこから一枚、東に手渡した。とても自宅の玄関先でするやりとりとは到底思えず、しかし蓜島は至って大真面目である。そのシュールさに東は笑いを堪える。
蓜島通成、と書いて、はいしまみちなり。丁寧にふりがなまでついているから名刺というのは便利だ。ここから電車で一本で行ける有名企業の、課長クラスのエリートらしい。さっきまでのギャップに比べて、それはすごくイメージ通りだと東は思った。
「僕は東聡介といいます」
「はい、よろしくお願い致します」
多分自分のことは知られているのだろうと思っていた東だったが、とりあえず名乗った。蓜島は知っているというように軽く頷き、やっぱり取引先相手のように綺麗なお辞儀をされたので、東もそれに倣った。
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