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 その後、黒部は何もせずに帰って行った。俺としては嬉しい限りだ。金森は藍澤と黒部とは違い、複数人での乱交を好まないらしい。

「金森って潔癖?」
「違うよ」

 今までの記憶ではそんなこともなかった気がするが。俺は他のアルファに犯される危険が減ったわけで大いにありがたい。

「なんか意外」
「まあ、あいつらは誰にでも股開くからね。潔癖にはならないでしょ」

 あいつら、とはオメガ達のことなのだろう。

「俺も一応オメガだけど」
「君は俺だけがいいんでしょ」

 けろりと金森は言った。オナホの意思などどうでもいいと気にしないかと思っていた。他のオメガとは違い、金森だけがいいという気持ちを汲み取ってくれていたなんて思わなくて、少し嬉しい。

「ほら、そんなことより集中して」






 待っている時間を図書館で過ごして、講義終了の時間前に校門の前で待つ。先程まではなんともなかったのに、ちょっと前から吐き気と頭痛があり鎮痛剤を飲んでいた。今も少し痛いが、薬が効けば分からなくなるはずだ。

 最近襲われる体調不良を検索したら、妊娠の可能性とあったが、それはない。金森は徹底したセーフティーセックスをしている。オナホを妊娠させるなんてヘマ金森はしないはずだ。

「小林さん!」
「お疲れ」
「お待たせしました」

 講義を終えた豪くんが走って来た。

「急がなくていいのに」
「これくらい走るに入りませんよ」

 俺ならぜーぜー荒い息を吐いているだろうが、豪くんは息も上げていない。何個もバイトを掛け持ちしているだけあって、体力があるんだろう。

「豪くんって筋肉凄いついてるよね」
「そうですかね。体質的に何もしなくてもつく方ではあります」
「羨ましい」
「いや、暑苦しいだけですよ」

 軽い談笑をしていると、豪くんがそう言えばと声を弾ませて俺を見た。途端に周りの女性のひとりが悲鳴を上げる。美形の満面の笑みにやられたのか。何となく視線を感じていたが、やはり豪くんのファンは結構いるらしい。

「エマ監督の最新作、見る予定ありますか?」

 エマ監督は俺が一番好きな映画、この前金森に見せた映画の監督兼プロデューサーだ。豪くんも映画鑑賞が趣味で、エマ監督の作品は全部見ていると話していた。そして、来月に3年ぶりのエマ監督の映画が公開される。

「勿論見るよ。なんなら、公開初日に見に行くし」
「ですよね!あ、でも公開初日かぁ」

 俺の言葉で一瞬喜んだのも束の間、悔しそうにする豪くんにもしやと思う。もしかして誘おうしているのだろうか。ボッチの俺を?豪くんなら誘ったら喜んでついてくる友達なんて沢山いるだろうに。
 自意識過剰かとも思ったが、恐る恐る声をかけてみる。

「正直、日にこだわりはないんだけど。……一緒に行く?」
「いいんですか!?」

 眩しい。笑顔が眩しいよ、豪くん。

「俺、バイトのシフト的に公開初日は難しいんですけど、それでも良ければ是非!」
「いいよ、行こう。あんま良い感想とか期待しないでね」
「いえ、俺も大したこと言えないんで」

 スマホを取り出してスケジュールを確認する豪くんを待っていると、目を引く赤いイタリア産高級車が反対車線に止まったのが見えた。

「再来週の木曜日はどうですか?」
「あ、うん」

 豪くんとは違い、バイトを詰めていない上に友達もいない俺に行けない日はない。じゃあ、その日にとスケジュール張に書き込んでいる中、何となくあの車が気になって見ていると中から金森が出てきた。

 金森、あんな車も持ってるのか。

 俺が乗せて貰った車と違うから、他に何台も車を所有しているんだろう。流石、金持ちは違う。何をしているんだろう。こんなところにいるなんて珍しい。呼ばれた時以外は他人のふりだが、今なら物珍しさに見ていたって構わないはずだ。

「それで……小林さん?」
「あ、うん」

 つい夢中で見ていると、豪くんに話しかけられてハッとした。

「ああ、あの人ですか」

 俺の目線の先を追って行った豪くんは、呆れたように言った。その口調は豪くんらしからぬ、強い非難を浴びていてドキリとする。

「あはは、ごめん。駄目だよな、こんなミーハーで」
「あ、違います!小林さんじゃなくて!」

 美形の不機嫌に分かりやすくキョドった俺に、豪くんは慌てて訂正を入れた。

「あの人です」
「あの、って。あの外車の?」
「はい。金森財閥の次男らしいんですけど正直苦手で」
「金森を?優しそうじゃない?」

 金森を苦手という人がいたことが衝撃で、つい聞いてしまった。金森の外面は完璧だ。噂に疎い俺だって金森の良い人ぶりは聞こえてきたし、金森を悪く言う人は一人もいない。

「うーん。優しい……優しそうではありますけど、本性は違うと思います」
「話したことあるの?」
「まあ、何回か。勘ではあるんですが、あまり近寄りたくはない人だな、と。俺の知っている最低な奴となんか似てるんですよね。雰囲気とか」
「へぇ」
「それに見てれば分かるんですけど……」

 そう言って豪くんはまた視線を金森に移す。

 金森は昼間の駅に似合わない派手な格好をした美人二人を連れて、車に乗りこんだ。きっと二人は金森のセフレの内の誰かだ。

「めちゃくちゃ女癖が悪いです」
「確かに」
「まあ、関わることはないとは思うんですが」
「そりゃそうだよ」

 実は俺も金森のセフレの中の一人です、なんて口が裂けても言えない。豪くんはまさか俺が金森と関わりがあるなんて思いもしてないのだろう。普通そうだ。俺みたいなベータもどき、本当は話すことさえ恐れ多いんだ。

「すみません。嫌な話して。せっかくだから楽しい話の方がいいですよね」

 表情を明るく変えた豪くんは話題を戻し、気を取り直して歩き出した。とことん良い子だ。

 金森とは違う系統の美形で、好青年で働き者。好きになる要素しかないのに、俺は豪くんじゃなくて金森が好きで。豪くんを好きになればきっと幸せになれるんじゃないか。豪くんにも好みはあるから、結ばれることはないけどきっと優しくしてくれるはずだ。

 そもそも無類の美形好きなのだから、豪くんを好きになれればよかった。つい、美しい顔をじっと観察していれば、ぱちっと目があった。
 豪くんは目を瞬かせたあと、思いっきり目を逸らす。

 じろじろ見たことを謝るべきか。でも、ずっと見ていたとバレていないのであれば、余計なことを言ったことになる。慌てていたら豪くんが口を開いた。

「あの」
「あ、ごめん。つい見過ぎた」
「いえ…….あの小林さんって最近香水つけてますよね。時々甘い香りがして」
「香水? つけてないけど」
「じゃあ、柔軟剤とかコンディショナー変えました?」
「それも変えてないな」

 本当になんの心当たりもない。香水なんておしゃれなもの、興味はあってもつけたこともない。不思議だったが臭いよりはマシだろうか。

「今、嗅いでもいいですか」
「いいよ」

 豪くんの方が10センチ以上身長が高く、屈んで俺の首元に鼻を近づけてきた。思った以上に近くて、パーソナルスペースが広い俺は後退りそうになるのを我慢して待つ。

 汗臭くないかだけが不安だ。

「無臭ですね……」
「だろ」

 おかしいな、と訝しげな豪くんを早く歩こうと促して駅へ進む。今頃、金森はセフレと何をしているんだろうか。もうセックスをしているのか。あの美人たちなら俺より何倍も満たされるかもしれない。

 急に襲いかかる不安を無理やり意識の外に捨てる。金森が俺を好きになることはない。俺は捨てられるその日まで金森のそばにいれればそれでいい。


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