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君を幸せにはーー

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「君を幸せにはできないんだ。すまない」

薄々予想してはいたが、聞きたくなかった言葉が王子の口から飛び出し、アンリーナは硬直した。
物音一つ立たない静かすぎる状況で、唇をわななかせながら掠れた声を漏らす。

「……私と、婚約破棄なさるのですか?」
「ああ。本当にすまないと思っている。父上にはもう話を通してあるんだ。かなり悩んでしまったが、致し方ない」

アンリーナは俯いた。
持っていた紅茶のカップは温かいのに、アンリーナの指先は冷え切っている。
納得はしているのだ。
しかし、あまりにもそれは辛すぎた。

「すまない。もっと私に力があればよかった」
「……あなたのせいではありません。どうか、ご自分を責めないでください」

無理やりにでも微笑んで、アンリーナは立ち上がった。
このまま無様な泣き顔を王子に見せたくはない。

「すみません、用事を思い出しましたの」
「……ああ」
「最後に。今までありがとうございました。私、アンリーナは、あなたの婚約者でいられたことをとても光栄に思っております」

淑女の鏡とも呼べる礼をして、アンリーナは部屋を後にする。
王子と会うから、とメイドがつけてくれたアクセサリーが酷く重い。
眩暈がして城の壁に寄りかかると、仕事中であろう使用人が慌ててこちらに駆け寄ってくる。

「アンリーナ様、具合が優れないのですか?」
「いいえ、平気です。すみません」

心配する使用人に気を使う余裕もなかった。
ふらふらと王宮の外に出れば、待機していた馬車と、執事のミヤが目に入る。
ミヤは戻ってきたアンリーナの顔色があまりに悪かったので、動揺して声をかけた。

「お、お嬢様!? どうなさりました……?」
「……リュシエル殿下に、婚約破棄を言い渡されました」

ミヤがぐっと表情を硬くした。
とにかく、王宮の前に突っ立っているわけにはいかないので、素早く二人は馬車に乗り込んだ。
馬車が動き出して屋敷に戻る中、アンリーナの瞳から涙が溢れる。

「わかってました。わかってましたの……こうなることぐらい」
「お嬢様」
「ごめんなさい。情けない姿を見せて。でも、今だけは許してちょうだい」

自らの顔を覆って泣き続けるアンリーナに、ミヤは自身も泣きそうな顔をした。
煩わしい馬車の揺れが気にならないほど、ひたすら胸が痛かった。

◆ ◆ ◆

アンリーナが王太子であるリュシエルの婚約者になったのは、僅か4歳の頃である。
魔力量が多く、幼いながらに優秀であったアンリーナは婚約者として歓迎された。
その日から王太子妃としての教育が始まり、辛いことを山ほどこなしてきた。
不満はあれど、これは義務なのだと必死になって耐えてきた。
アンリーナとリュシエルは決して想い合うような間柄ではなかったけれど、生涯連れそうパートナーとして、上手くやってきたのだ。
事件が起こったのは一週間前。
アンリーナの魔力が突如として消失した。
これには屋敷中が火がついたような大騒ぎとなり、この知らせはすぐにリュシエルや、彼の父である王に伝わった。
アンリーナ達の国は魔法大国として知られており、他の国との貿易も魔道具や魔法に関わるものを売り出している。
国の象徴ーー王になるリュシエルの婚約者のアンリーナに魔力がないのは、非常に致命的なことであった。
魔力が消えた原因もわからず、不安を抱えたままリュシエルと会い、本日婚約破棄を言い渡された。
屋敷に戻ると、使用人達が仕切りにアンリーナを気遣ってくれる。

「アンリーナ様! お疲れですか。よろしければ、気分が落ち着くハーブティーでも」
「ごめんなさい。今は、ちょっと」
「アンリーナ様。でしたら、ケーキはどうでしょうか」
「……何も食べたくないの」

そのままアンリーナは、自分の部屋のドアを力なく開けて入っていってしまった。
最後に見た後ろ姿は弱々しいもので、どれほどアンリーナが傷ついているかは一目でわかる。
ギリ、とミヤが力一杯拳を握りしめた。

「酷い……酷すぎる。お嬢様のせいじゃないのに。あんなに、あんなに頑張ってきたのに」
「ミヤ君……」
「ミヤ君、まさか、お嬢様は」
「婚約破棄だよっ! リュシエル殿下にっ、婚約破棄されたんだっ!」

血の滲むような声で吐き捨てたミヤに、使用人達に緊張が走る。
婚約破棄されたということは、アンリーナはの令嬢になったということだ。
社交場で馬鹿にされるかもしれないし、結婚相手すらいなくなる可能性もある。

「酷いよ……! お嬢様が、何したっていうんだよ……! こんな、こんなことって」

何度も言葉を詰まらせ、ミヤは瞳に涙を滲ませた。

「リュシエルの野郎……お嬢様を守るって、言ったじゃんか……」

ミヤも理解できていないわけではない。
国の面子やプライドもあるし、他の国に下に見られることもされてはならない。
かといって、あまりに急すぎやしないか。
アンリーナに口だけの謝罪ではなく、もっと何かなかったのか。
一人の少女の人生を奪ったも同然の行為に、ミヤは怒りと悔しさを抑えきれない。

「ちくしょう、運命なんて大っ嫌いだ!」





一方、アンリーナは部屋に篭った後、着替えることもせずベッドに沈み込んだ。
もう何もしたくない。
黙って枕に顔を埋めていれば、さまざまなことが思い浮かぶ。

「……どうすればいいんだろう」

アンリーナは、王太子妃以外の生き方を知らない。
王太子妃としてしか生きていけないはずだった。
これからのアンリーナは、普通の令嬢よりもよほど過酷な状況に身を置かれることになる。
傷モノになった上に、魔力がない。
もしかしたら、一生屋敷に閉じこもっているほうがいいのかもしれない。

「う……うぅ」

リュシエルのことが好きだったわけではない。しかし、これまでの努力が水の泡になったと考えると堪らなく悔しかった。
施したメイクが崩れるのも気にせずに、アンリーナは再び泣きじゃくった。
明日からまた、伯爵令嬢アンリーナとして頑張るから、今日は泣かせて欲しい。
泣きすぎて頭痛がする中、アンリーナはそのまま眠りについた。

◆ ◆ ◆

朝日が窓から差し込み、アンリーナは目覚めた。
どれだけ悲しくても朝はやってくるもので、腫れぼったくなった目は赤くなっている。
昨日無下にしてしまった使用人達に謝罪せねばならない。
アンリーナはベッドから起き上がると、ドアを開けて廊下へと出た。

「……?」

何やら外が騒がしい。
使用人達も窓から外を見つめては困惑しているようだ。

「どうしました?」
「あっ、アンリーナ様」

窓際にいたメイドに話しかけると、メイドは眉を下げてその場から一歩退いた。

「その、外に……」

歯切れの悪いメイドを不思議に思いつつ、アンリーナは窓を開けて外を覗いた。
そこには、信じられないものがいた。

「うわぁあああああああっ!! アンリーナ!! 頼むっ、俺を捨てないでくれぇえええええ!!」

ーー幻覚だろうか。
なぜリュシエルが屋敷の門にへばりついているのだろう。
すると、どこからかミヤがやってきて、遠い目をしてアンリーナに尋ねた。

「お嬢様。なんてもの連れてきたんですか」
「え、いや、私は何も……」
「アンリーーナーーーー!!」

リュシエルの雄叫びに、ミヤはぼそりと呟いた。

「タタリ神の亜種かよ」

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