狂い咲く花、散る木犀

伊藤納豆

文字の大きさ
上 下
90 / 173
6章 こちら側の世界

89話 ベーカリー

しおりを挟む

あれからというもの暫く琳太郎は晴柊にべったりとなり大変だった。仕事から帰るなり晴柊晴柊と密着し、寝るときは勿論風呂のときもテレビを見ているときも晴柊が料理をしているときも、片時も離れようとしないのであった。


「じゃぁ仕事行ってくる。良い子にしてろよ。」

「はーい。いってらっしゃい。」


喧嘩から数日が経ち、2人の関係はすっかり元通りになっていた。今日もまた、晴柊は琳太郎を玄関で見送っていた。時刻は10時。そろそろ散歩の時間である。


アルバイトの件は、一旦保留ということになった。琳太郎は晴柊の気持ちを汲み取ったが、やはり不安があるらしい。働く場所にもよると、もう少し慎重に考えることになった。しかし、晴柊は1歩前進したと明るい気持ちであった。確かに、働くなら琳太郎にとってもできるかぎり安心できるようなところがいいであろう。


晴柊はどこがいいかなぁと考えながら、シルバのリードを取り付けた。今日の当番は榊である。


「なんか最近二人とも一段とラブラブだよねぇ。」


機嫌良さそうにコートに袖を通す晴柊に、榊はにやにやとからかい半分で伝えてきた。


「そ、そんなことないよ。」


晴柊は照れたように答える。


「ふーん。喧嘩して仲が深まったのかな~?」


ニヤニヤと榊が晴柊の顔を覗き込んできた。もう揶揄わないで、と、晴柊は榊の顔に手を当てそっぽを向かせる。早く行こうと紛らわすように晴柊はシルバを連れ散歩を始めた。1月も終わったが季節はまだまだ冬である。晴柊は少しの寒さを感じながらも、もう直ぐやってくる春を待ち遠しく感じていた。


「あっ、またいる。」


公園の入り口で、榊はうげぇっと気に食わないと言いたげな表情を浮かべた。そこに居たのは黒いポメラニアンのラムちゃんを散歩している生駒がいた。


「生駒くんだ。」

「晴柊!」


生駒は晴柊に気付くなりパタパタと近寄る。シルバもラムちゃんに大分慣れたようでまるで会話するように近づいていた。


「お前さぁ、ストーカーなの?いっつもいるなぁ。」

「はは、たまたまですよ。会ってない日の方が多いですって。」


琳太郎含め側近たちも生駒のことはあまり良くは思っていなかった。ある程度身辺情報は調べさせてもらったが、見事にクリーン。堅気の人間である。晴柊に悪意をもって近寄っているとも思えない。その綺麗さ純粋さが逆に気に食わないのであった。琳太郎は生駒には会ったことは無いのだが、あまり良くは思っていない。


生駒はいつも代わる代わる誰か大人の男の人と散歩する晴柊のことを気にはなっていたが、あえて深入りしないでいた。その気遣いは晴柊にとっては心地が良いもので、晴柊が生駒のことを敵対視しない理由の1つであった。


「大学は?今日はお休み?」

「今日は午後からの日!」

「いいなぁ。楽しそうだね。」


晴柊はニコニコしながら楽しそうに生駒と会話している。榊は面白くない、と、生駒とは反対側を、晴柊を挟むようにして歩いた。叩けば叩くほど、なんの問題もない真っ当な人間であるのが、榊たち裏社会の人間をイラつかせるのだ。晴柊を取られる、どこか本能でそう思うのだった。


「晴柊も今度おいでよ。大学は出入り自由なんだよ。」

「へぇそうなんだ!いつか行ってみたいなぁ。」

「晴柊は忙しいの?ゲイノウジンとか?いつもお兄さん引き連れてるもんね。マネージャー?」

「あ~えっと……芸能人ではないけど……まぁ、マネージャーというか…うーん…」


晴柊が答えに困っていると、榊がすかさずフォローに入る。


「プライベートについてはお答えできかねます~。お前何なの。何でそんな構ってくるんだよ。」

「晴柊と仲良くなりたいからっすね!」


生駒の目はきらっきらである。榊は鬱陶しいと思うのだった。琳太郎にも不用意に近づけるなと言われているのだった。榊は威嚇するトラのように牙を向いていた。晴柊はよしよしとさりげなく背中をさすって落ち着かせる。

ふと、生駒が持っているビニール袋が気になった。いつも生駒は散歩のときは手ぶらである。ウエストポーチに散歩グッズを終い、手にはリードだけ。そのため、晴柊は目に付いたのだった。


「あ、これ?さっきパン屋寄ってきてさ。この公園の近くにすんごい美味しいパン屋さんあるんだ。」

「パン屋さん…!」

「晴柊、パン好き?」

「うん!」

「なぁなぁ、じゃぁ今からパン屋行こうよ。本当にここから近くだから、いいだろ?」


生駒は榊に聞く。晴柊はパンが大好きなのである。それを知らないはずなのだが、生駒が晴柊が興味を惹かれる話題を出してきたことに、榊はマズいと思った。何故なら、晴柊の目がもう期待でキラキラしているのである。


「パン屋……ねえ、トラくん。ダメかな…行きたい…少し寄るだけ。」


これをダメと言えば晴柊は少なからず残念がるだろう。また面倒な提案をしてくれたなと榊は生駒に不満を募らせる。


「でもさぁ、組ちょ……琳太郎さんがさぁ…」

「僕が怒られるからさ。トラ君は俺に付き合ってくれただけだって言う。お願い!」


晴柊がまっすぐな目で榊にお願いした。晴柊がこんなに何かを求めることは珍しいのだ。榊は琳太郎の陰と目の前の晴柊の気持ちを天秤にかけ、後者をとることにした。


「も~…少しだけだよ?買ったらすぐ帰るからね。」

「うん!ありがとう!」

「やったなぁ、晴柊。さ、行こう!あっちだ!」


生駒が笑顔を浮かべ晴柊の手を引いた。榊は触るなとしっかり間に入って牽制する。このことは琳太郎に報告しなければならない。また琳太郎が拗らせなければいいが。榊はそれでも、目の前の楽しそうな晴柊を見るとどうも止めることはできなかったのだった。


生駒のいうパン屋は本当に公園からすぐ近くのところにあった。こじんまりとしていて、さほど混んでもいなさそうだ。外から店内の様子もばっちり見える。


「じゃぁ、トラ君はシルバとラムちゃん見ててね!生駒くんと行ってくる!」


晴柊が榊にリードを渡す。榊は思わず待て待て!と晴柊の肩を掴む。


「だ、だめ!俺が行く。俺はハルちゃんの傍から片時も離れるわけにはいかないの!」

「でもさ、シルバの面倒任せられるのはトラ君だけだもん。ね?お願い。」


シルバは大型犬である。もしも万が一、何かあったときに制御できるのは榊だけであった。大事な愛犬を任せるのなら、榊のほうが適任であると晴柊は判断したのであった。榊は先ほどから晴柊にたじたじである。


「…10分以内に戻ってきて。」

「ありがとう!!!すぐ戻る!」


榊は晴柊にそう言うと、生駒のラムちゃんを繋ぐリードを取り、大型犬1匹小型犬1匹を連れ歩道のフェンスに腰掛けてパン屋の目の前で待った。楽しそうに生駒と2人で店に入る晴柊を見て、榊は拗ねたような気分になる。理由があったとはいえ、自分よりあの青年を優先されたような気がして嫌だったのだ。


犬を連れた髪が長く色も派手な男が、パン屋の前で待っている異様な光景に、誰もが榊にすれ違いざま目をやった。どうみても堅気のない人間の出で立ちだが、足元のもふもふ2匹が榊の存在を緩和させているようだった。


その人通りの奥の店で、晴柊が生駒と楽しそうにパンを選ぶ様子が見える。正直、お似合いだった。あれが世間的に見れば「クリーン」な人たちなのであろう。晴柊が自分たちの籠の中から飛び立ってしまいそうな感覚になる。


晴柊は、自分たちにとって光の様な存在なのである。琳太郎だけでなく、榊だって他の側近だって、彼に無意識のうちに、依存し始めていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

そちらから縁を切ったのですから、今更頼らないでください。

木山楽斗
恋愛
伯爵家の令嬢であるアルシエラは、高慢な妹とそんな妹ばかり溺愛する両親に嫌気が差していた。 ある時、彼女は父親から縁を切ることを言い渡される。アルシエラのとある行動が気に食わなかった妹が、父親にそう進言したのだ。 不安はあったが、アルシエラはそれを受け入れた。 ある程度の年齢に達した時から、彼女は実家に見切りをつけるべきだと思っていた。丁度いい機会だったので、それを実行することにしたのだ。 伯爵家を追い出された彼女は、商人としての生活を送っていた。 偶然にも人脈に恵まれた彼女は、着々と力を付けていき、見事成功を収めたのである。 そんな彼女の元に、実家から申し出があった。 事情があって窮地に立たされた伯爵家が、支援を求めてきたのだ。 しかしながら、そんな義理がある訳がなかった。 アルシエラは、両親や妹からの申し出をきっぱりと断ったのである。 ※8話からの登場人物の名前を変更しました。1話の登場人物とは別人です。(バーキントン→ラナキンス)

虐げられた落ちこぼれ令嬢は、若き天才王子様に溺愛される~才能ある姉と比べられ無能扱いされていた私ですが、前世の記憶を思い出して覚醒しました~

日之影ソラ
恋愛
異能の強さで人間としての価値が決まる世界。国内でも有数の貴族に生まれた双子は、姉は才能あふれる天才で、妹は無能力者の役立たずだった。幼いころから比べられ、虐げられてきた妹リアリスは、いつしか何にも期待しないようになった。 十五歳の誕生日に突然強大な力に目覚めたリアリスだったが、前世の記憶とこれまでの経験を経て、力を隠して平穏に生きることにする。 さらに時がたち、十七歳になったリアリスは、変わらず両親や姉からは罵倒され惨めな扱いを受けていた。それでも平穏に暮らせるならと、気にしないでいた彼女だったが、とあるパーティーで運命の出会いを果たす。 異能の大天才、第六王子に力がばれてしまったリアリス。彼女の人生はどうなってしまうのか。

運命の選択が見えるのですが、どちらを選べば幸せになれますか? ~私の人生はバッドエンド率99.99%らしいです~

日之影ソラ
恋愛
第六王女として生を受けたアイリスには運命の選択肢が見える。選んだ選択肢で未来が大きく変わり、最悪の場合は死へ繋がってしまうのだが……彼女は何度も選択を間違え、死んではやり直してを繰り返していた。 女神様曰く、彼女の先祖が大罪を犯したせいで末代まで呪われてしまっているらしい。その呪いによって彼女の未来は、99.99%がバッドエンドに設定されていた。 婚約破棄、暗殺、病気、仲たがい。 あらゆる不幸が彼女を襲う。 果たしてアイリスは幸福な未来にたどり着けるのか? 選択肢を見る力を駆使して運命を切り開け!

地味で冴えない俺の最高なポディション。

どらやき
BL
前髪は目までかかり、身長は160cm台。 オマケに丸い伊達メガネ。 高校2年生になった今でも俺は立派な陰キャとしてクラスの片隅にいる。 そして、今日も相変わらずクラスのイケメン男子達は尊い。 あぁ。やばい。イケメン×イケメンって最高。 俺のポディションは片隅に限るな。

【完結】25妹は、私のものを欲しがるので、全部あげます。

華蓮
恋愛
妹は私のものを欲しがる。両親もお姉ちゃんだから我慢しなさいという。 私は、妹思いの良い姉を演じている。

巣作りΩと優しいα

伊達きよ
BL
αとΩの結婚が国によって推奨されている時代。Ωの進は自分の夢を叶えるために、流行りの「愛なしお見合い結婚」をする事にした。相手は、穏やかで優しい杵崎というαの男。好きになるつもりなんてなかったのに、気が付けば杵崎に惹かれていた進。しかし「愛なし結婚」ゆえにその気持ちを伝えられない。 そんなある日、Ωの本能行為である「巣作り」を杵崎に見られてしまい……

私はあなたの母ではありませんよ

れもんぴーる
恋愛
クラリスの夫アルマンには結婚する前からの愛人がいた。アルマンは、その愛人は恩人の娘であり切り捨てることはできないが、今後は決して関係を持つことなく支援のみすると約束した。クラリスに娘が生まれて幸せに暮らしていたが、アルマンには約束を違えたどころか隠し子がいた。おまけに娘のユマまでが愛人に懐いていることが判明し絶望する。そんなある日、クラリスは殺される。 クラリスがいなくなった屋敷には愛人と隠し子がやってくる。母を失い悲しみに打ちのめされていたユマは、使用人たちの冷ややかな視線に気づきもせず父の愛人をお母さまと縋り、アルマンは子供を任せられると愛人を屋敷に滞在させた。 アルマンと愛人はクラリス殺しを疑われ、人がどんどん離れて行っていた。そんな時、クラリスそっくりの夫人が社交界に現れた。 ユマもアルマンもクラリスの両親も彼女にクラリスを重ねるが、彼女は辺境の地にある次期ルロワ侯爵夫人オフェリーであった。アルマンやクラリスの両親は他人だとあきらめたがユマはあきらめがつかず、オフェリーに執着し続ける。 クラリスの関係者はこの先どのような未来を歩むのか。 *恋愛ジャンルですが親子関係もキーワード……というかそちらの要素が強いかも。 *めずらしく全編通してシリアスです。 *今後ほかのサイトにも投稿する予定です。

虐待され続けた公爵令嬢は身代わり花嫁にされました。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。  カチュアは返事しなかった。  いや、返事することができなかった。  下手に返事すれば、歯や鼻の骨が折れるほどなぐられるのだ。  その表現も正しくはない。  返事をしなくて殴られる。  何をどうしようと、何もしなくても、殴る蹴るの暴行を受けるのだ。  マクリンナット公爵家の長女カチュアは、両親から激しい虐待を受けて育った。  とは言っても、母親は血のつながった実の母親ではない。  今の母親は後妻で、公爵ルイスを誑かし、カチュアの実母ミレーナを毒殺して、公爵夫人の座を手に入れていた。  そんな極悪非道なネーラが後妻に入って、カチュアが殺されずにすんでいるのは、ネーラの加虐心を満たすためだけだった。  食事を与えずに餓えで苛み、使用人以下の乞食のような服しか与えずに使用人と共に嘲笑い、躾という言い訳の元に死ぬ直前まで暴行を繰り返していた。  王宮などに連れて行かなければいけない場合だけ、治癒魔法で体裁を整え、屋敷に戻ればまた死の直前まで暴行を加えていた。  無限地獄のような生活が、ネーラが後妻に入ってから続いていた。  何度か自殺を図ったが、死ぬことも許されなかった。  そんな虐待を、実の父親であるマクリンナット公爵ルイスは、酒を飲みながらニタニタと笑いながら見ていた。  だがそんあ生き地獄も終わるときがやってきた。  マクリンナット公爵家どころか、リングストン王国全体を圧迫する獣人の強国ウィントン大公国が、リングストン王国一の美女マクリンナット公爵令嬢アメリアを嫁によこせと言ってきたのだ。  だが極悪非道なネーラが、そのような条件を受け入れるはずがなかった。  カチュアとは真逆に、舐めるように可愛がり、好き勝手我儘放題に育てた、ネーラそっくりの極悪非道に育った実の娘、アメリアを手放すはずがなかったのだ。  ネーラはカチュアを身代わりに送り込むことにした。  絶対にカチュアであることを明かせないように、いや、何のしゃべれないように、舌を切り取ってしまったのだ。

処理中です...