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4章 アラサー女子、年下宇宙男子に祈る
4-2 重力からの淫らな解放 ※R
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あの男からの電話。
着信を見て、なぜ私はこの男の番号を拒否設定しなかったのか悔やんだ。
が、たかが電話だ。嫌になったら切ればいい。
覚悟を決めて『応答』をタップする。
「丞司だ。那津美か?」
相変わらず、荒本さんの声は、電話のスピーカー越しでもよく響く。
「本当は土下座すべきだろうが、お前は二度と俺なんかに会いたくないだろ?」
「二度とあのようなことをしなければ結構です」
「安心しろ。俺は、宇関を出る」
耳を疑った。
「北の島でリゾート開発をやるんで、そっちに転勤だ」
ミツハは全国に支店を持つ企業だ。転勤があってもおかしくない。
が、この男は、宇関に愛着があったはずだ。
「お前はずっと妹だったよ。だからだな、お前と最後までやるのは抵抗あった。俺と別れてもお前は男を作らなかったな。俺に惚れてたんだって、悪い気はしなかった」
今ならわかる。彼への思いから完全に抜け出せた今だから、認められる。
私は、別れてからもずっとお兄ちゃんが忘れられなかった。憎いほど好きだった。
「お前に七年前フラれてから、家でも自治会でも風当たりが強くてな。大学や鉄道誘致を成功させても完全には認められなかった。素芦が潰れたのはお前のせい、ってな」
フラれたのは、他の人と子どもを作ったからではないか。
「お前が会合に出た途端、晴れるようになった。月祭りで久しぶりにウサギさまに会えた。宮司は素芦を残すべきだっていう、じゃ、残すのは俺しかないだろ?」
宮司の発想が理解できない。素芦家を続けるも潰すも、そしてその相手も、私が決めることなのに。
「違うな……素芦の復活とか古い連中に認めさせたいとかどうでもよくて、妹のお前に男ができた途端、惜しくなっただけだよ」
「私は荒本さんを許すつもりはありませんよ」
「当然だな」
低く響く声が、優しく聞こえる。
「お前の男には笑わせてもらったよ。政府がバック? なんとか粒子だっけ? 俺にはさっぱりだが、よくスラスラ出るな。感心したよ」
荒本さん、流斗君のハッタリ、わかってたのね。
電話の向こうの声は、横暴に私を手に入れようとした男のそれではなかった。
「荒本さん、いつ北の島に転勤するんです?」
「さ来週だ。支店の売上にはだいぶ貢献したが、はは……ちょっと女関係で、やっちゃってな」
泣きそうな声を聞いてると、こちらが情けなくなっている。
女は抱けば言うことを聞くと豪語していたこの男、セクハラで訴えられたのだろうか? もう、そこは聞く必要はない。
「急ですね。真理恵さんとお子さんは?」
彼の妻の名を出してみる。
「はは、あいつは、子どもが友だちと別れるのは可哀相だから、こっちに残るって……甘かったな、あいつだけは何をしても着いてくると思ってたんだがな」
本当に泣いているようだ。
自業自得とはいえ、真理恵さんに見捨てられたのが一番堪えたようだ。
私の中にあったかつての婚約者に対する気持ちには、恨みも執着も恋もない。可哀そうな人。それだけだった。
少し彼の罪悪感を減らしたくなった。
「荒本さん、父が死んだのはあなたのせいではありません」
一呼吸おいて、私は幼なじみに告げた。
「父は、私のせいで死んだの」
クリーニングが終わった女物の着物を、宇関の資料館、かつて私が暮らした古民家に届けた。
一階の広間に入り、私は目を閉じた。
ずっと忘れていた光景が、思い出される。
父が死んだ夜まで、それはこの部屋で毎日繰り返されていた。
**************************
「お父さん、何でアパート管理人の仕事辞めちゃったの」
「あんなん、やってられっか!」
父は、食堂で酒の一升瓶をかかえて寝転んでいた。
「那津美、もう一度、丞司とやり直すんだ。そしたら荒本が僕らを何とかしてくれる」
「無理よ! 真理恵さん、赤ちゃんできたのよ!」
「妾の一人や二人囲うぐらい我慢しろ。お前は正妻として構えてりゃいい。昔の女はな、旦那の妾やその子どもの面倒もちゃんと見たんだぞ」
それは戦争前か革命前の世界じゃないか!
娘に父親としてあり得ないことを要求する父に呆れ、私は声を荒げる。
「それ、いつの時代! それより私とお父さんの二人でがんばろうよ。私の給料だけじゃ、この家、支えられないの、ねえ見て!」
私は、役場から届いた家屋や土地にかかる税金の通知書を見せる。
「こんなの払えないよ、お父さん! こんな家、売って引っ越そう! 二人で2DKのアパートで暮らそうよ」
「ふざけんな!」
父が一升瓶を振り回す。
「痛いって! こんなのあるからおかしくなるのよ!」
足元がふらついてる父から酒瓶を取り上げ、私はキッチンの流しに液体を捨てた。
「なつみー!! なにしやがる! 返せ!」
「いや! 私の給料、みんなお父さんがお酒にしちゃうんだもの! 叔母様に頭下げて給料前借りしてなんとかやってるのよ!」
「悪かった悪かった。もうお父さん酒やめるから、最後に一本だけ飲ませてくれ」
父が足元にすがりつく。
「それ何度も聞いた! でもいつも最後にならないよね。もう充分最後のお酒飲んだでしょ!」
「返せ!」
父に何度も殴りつけられる。痛い痛い痛い。
死ぬのは私じゃない! この酒浸りの老人が先! こいつがいなくなればいい!
だめだ、それだけは言っちゃいけない。人として言っちゃいけない。
私は叫んだ。痛みの中、私は精一杯葛藤して。
翌朝、父の死体が近くの宇鬼川中流から発見された。
『月に行く』とメモを車に残して。
**************************
荒本さんは、電話の向こうで叫んでいた。
『違う! それは絶対違う! 何があったか知らんが、お前のせいじゃない。大体、親父さんが死んだとき、お前は、そこにいなかったじゃないか!』
父が亡くなった時、私は宇関にいなかった。それは多くの人が証明している。だからこそ、私のせいで父は死んだのだ。
父が屋敷から出たのは、私が言ってはいけないことばを告げたからだ。
だから『月に行く』しかなかったのだ。
「どしたの、那津美さん、月行くんでしょ?」
流斗君の声ではっと我に返る。
あの夜から一週間、今夜は流斗君の部屋で過ごす。
ベランダに置かれた望遠鏡が、月に向けられている。下弦の月が昇ったばかり。
私が知っている細長い望遠鏡とは形が違う。直径と長さがあまり変わらず、円柱形というよりお茶の缶を巨大にしたみたいな形だ。
レンズに何か装置が取り付けられている。
パソコンにはVRゴーグルが接続されている。
「これで見てごらん」
ひょいと流斗君が私にVRゴーグルを被せた。
「え、うわ、すごい!」
月面の映像だ。
この前ホテルで見せてくれたアプリのようには、くっきりとしていない。焚火で揺れる空気のようにゆらゆらしている。
今まさにあの望遠鏡を通して見ている映像なのだ。
そして画面に、月の地名がポワンポワンと浮かんできた。
「本当、月に行けるんだね!」
ゴーグルを外して思わずそんなことを言ってしまった。
「じゃ、こっちで直接見てみる?」
流斗君が望遠鏡のレンズに着けた装置を外す。私はそのまま覗き込んだ。
今度は、黒い円の中に月のクレーターが浮かんでいる。
「ちょっとモーター止めるね」
彼のことばと共に、月面がふわーっとじわじわ右へ動き出した。
止めたのに動く? ああ、そうか!
「地球って回ってるのね!」
地球は自転する。だから、太陽も月も星も東から西へ移動する。
大きな倍率の望遠鏡だと、東から西に動く様子がはっきり見えるのだ。
「うん。この望遠鏡は自動的に自転に合わせて動くけど、僕は時々、モーターをわざと止めるのが好きなんだ」
私はもう一度、レンズを覗いた。
「ねえ流斗君、月が消えちゃうよ」
「このハンドルで調節して」
再び月が戻ってくる。私は何度もハンドルを回した。
「そうか。だからモーターが必要なのね」
「安い望遠鏡だと、上下左右にしか動かせないしモーターもないから、絶えず調節しないといけないし、長時間露光が必要な天体写真は撮れない。じゃスイッチ入れるね」
レンズの奥には、元のように固定された月面があった。
不意に首筋をなめられた。
「ちょ、ちょっと」
ラピスラズリのネックレスがチリチリとなる。彼が外国で買ってきてくれた青い石。彼と会う時に身に着ける石。
手が私の胸元に滑り込む。
「だ、だめ」
「月に行こうよ」
「も、もう行ったから、危ないって……」
私はそれ以上立っていられず、ベランダで崩れ落ちる。
「ここ、外から見えちゃう」
「仕方ないな」
彼が私の身体を押すように、部屋の中に戻す。
カーテンがシャーっと閉じた。
立ったまま彼が背中越しに抱きしめ、シャツの裾から手を入れて、背筋をツツっとさする。
その手は器用に私のブラジャーのホックを外した。後ろから両手で乳首をつままれる。
「ああ、や……こんなところで」
こみ上げてくる快楽をこらえきれず、立っていられない。私はカーテンを掴んで身体を支える。
胸に触れたまま、彼の舌が私の耳たぶ、そして耳の奥を嘗め回す。
そのままシャツとブラジャーを外され、私の首にはラピスラズリの青が揺れている。
反射的に私は胸を覆い隠すが、彼に後ろから両腕を掴まれた。
「月には色んな方法で行くことできるんだ」
「月は、さっき行った……」
「月の重力は6分の1だよ」
私は自身の身体をそれ以上支えることはできず、床に崩れ落ち、両手を床に着いた。
四つん這いになった私の背中に、彼は舌を這わせてきた。
「恥ずかしいよ……」
スカートの中に手が伸び、私の一番敏感なところを優しく刺激してくる。
「すごい濡れてる」
「やだ、く、うう、言わないで」
そのままショーツを脱がされる。腰を持ち上げられすっかり濡れている私の中心に舌が伸びてくる。
「や、やめて、そこ汚い」
執拗に襞を舐められ、甘い刺激が全身を満たし淫らな声を抑えることができない。
私は耐え切れず懇願する。「お願い……して……」
「このままでいい?」
私は大きくうなずいた。そのままの彼が欲しい。彼の分身を宿したい。
腰を一層高く持ち上げられ、後ろから楔が撃ち込まれた。
「ああ、そんな奥に」
熱い杭が私の中に侵入し、前後に激しく動きだす。
リビングに、肉と肉がぶつかり合う音、ラピスラズリがチラチラ揺れる音、そして私と彼が激しく息を切らす淫らな音が響く。
互いに果てるその一瞬、地球の重力から解放された。
服の乱れもそのまま、放心状態で天井を見る。ここは新しいマンションだから、天上はただの白い壁紙。銀河の渦巻きは見えない。
流斗君は短パンを履いて、ベランダに出た。
大きな望遠鏡を抱えた彼が戻ってきた。
私は望遠鏡のことをすっかり忘れていたが、彼にとっては大事な望遠鏡だ。
三脚も重量がありそうだ。短パンをはいただけの恰好で、難しい装置を扱う姿がなんともおかしい。
「手伝おうか?」
「いい。それよりシャワー浴びてきなよ」
バスルームに入る私に、望遠鏡を抱えた彼が声かける。
「ねえ、重力、6分の1Gだった?」
「わからないって!」
そのまま、シャワー室に入った。浴槽にはすでにお湯が張ってある。この辺りマメだなあ。シャワーで身も心も洗い流した。
お湯に浸かっていると、カラカラとドアが開いて彼が入ってきた。ささっとシャワーで体を洗い流した彼が、バスタブに入ってきた。彼の膝に抱えられるように重なる。
「お風呂の中って6分の1Gぐらいかな?」
抱えられている格好が恥ずかしくて、そんな質問をする。
「なに、また、したいんだ? 本当に那津美さん、好きだよね」
狭いバスタブで自ら身体を回し、彼の正面に向き直った。
「……さっき、キスしてくれなかった」
「ごめん、忘れてた」
「ひどい」
彼に唇をふさがれ何度も食まれる。侵入した舌が私の歯肉を嘗め回す。
「こ、こんなにエッチなキスじゃなくても……あ、ああ」
「じゃ、那津美さん、お手本見せて」
流斗君が笑っている。恥ずかしさをこらえ、私はそっと唇を重ねた。
「それだけでいいの?」
「意地悪!」
火照りを鎮めたはずの身体が、また熱を帯びてきた。
自分の意志とは関係なく発する乱れた声が、バスルームに響いた。
着信を見て、なぜ私はこの男の番号を拒否設定しなかったのか悔やんだ。
が、たかが電話だ。嫌になったら切ればいい。
覚悟を決めて『応答』をタップする。
「丞司だ。那津美か?」
相変わらず、荒本さんの声は、電話のスピーカー越しでもよく響く。
「本当は土下座すべきだろうが、お前は二度と俺なんかに会いたくないだろ?」
「二度とあのようなことをしなければ結構です」
「安心しろ。俺は、宇関を出る」
耳を疑った。
「北の島でリゾート開発をやるんで、そっちに転勤だ」
ミツハは全国に支店を持つ企業だ。転勤があってもおかしくない。
が、この男は、宇関に愛着があったはずだ。
「お前はずっと妹だったよ。だからだな、お前と最後までやるのは抵抗あった。俺と別れてもお前は男を作らなかったな。俺に惚れてたんだって、悪い気はしなかった」
今ならわかる。彼への思いから完全に抜け出せた今だから、認められる。
私は、別れてからもずっとお兄ちゃんが忘れられなかった。憎いほど好きだった。
「お前に七年前フラれてから、家でも自治会でも風当たりが強くてな。大学や鉄道誘致を成功させても完全には認められなかった。素芦が潰れたのはお前のせい、ってな」
フラれたのは、他の人と子どもを作ったからではないか。
「お前が会合に出た途端、晴れるようになった。月祭りで久しぶりにウサギさまに会えた。宮司は素芦を残すべきだっていう、じゃ、残すのは俺しかないだろ?」
宮司の発想が理解できない。素芦家を続けるも潰すも、そしてその相手も、私が決めることなのに。
「違うな……素芦の復活とか古い連中に認めさせたいとかどうでもよくて、妹のお前に男ができた途端、惜しくなっただけだよ」
「私は荒本さんを許すつもりはありませんよ」
「当然だな」
低く響く声が、優しく聞こえる。
「お前の男には笑わせてもらったよ。政府がバック? なんとか粒子だっけ? 俺にはさっぱりだが、よくスラスラ出るな。感心したよ」
荒本さん、流斗君のハッタリ、わかってたのね。
電話の向こうの声は、横暴に私を手に入れようとした男のそれではなかった。
「荒本さん、いつ北の島に転勤するんです?」
「さ来週だ。支店の売上にはだいぶ貢献したが、はは……ちょっと女関係で、やっちゃってな」
泣きそうな声を聞いてると、こちらが情けなくなっている。
女は抱けば言うことを聞くと豪語していたこの男、セクハラで訴えられたのだろうか? もう、そこは聞く必要はない。
「急ですね。真理恵さんとお子さんは?」
彼の妻の名を出してみる。
「はは、あいつは、子どもが友だちと別れるのは可哀相だから、こっちに残るって……甘かったな、あいつだけは何をしても着いてくると思ってたんだがな」
本当に泣いているようだ。
自業自得とはいえ、真理恵さんに見捨てられたのが一番堪えたようだ。
私の中にあったかつての婚約者に対する気持ちには、恨みも執着も恋もない。可哀そうな人。それだけだった。
少し彼の罪悪感を減らしたくなった。
「荒本さん、父が死んだのはあなたのせいではありません」
一呼吸おいて、私は幼なじみに告げた。
「父は、私のせいで死んだの」
クリーニングが終わった女物の着物を、宇関の資料館、かつて私が暮らした古民家に届けた。
一階の広間に入り、私は目を閉じた。
ずっと忘れていた光景が、思い出される。
父が死んだ夜まで、それはこの部屋で毎日繰り返されていた。
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「お父さん、何でアパート管理人の仕事辞めちゃったの」
「あんなん、やってられっか!」
父は、食堂で酒の一升瓶をかかえて寝転んでいた。
「那津美、もう一度、丞司とやり直すんだ。そしたら荒本が僕らを何とかしてくれる」
「無理よ! 真理恵さん、赤ちゃんできたのよ!」
「妾の一人や二人囲うぐらい我慢しろ。お前は正妻として構えてりゃいい。昔の女はな、旦那の妾やその子どもの面倒もちゃんと見たんだぞ」
それは戦争前か革命前の世界じゃないか!
娘に父親としてあり得ないことを要求する父に呆れ、私は声を荒げる。
「それ、いつの時代! それより私とお父さんの二人でがんばろうよ。私の給料だけじゃ、この家、支えられないの、ねえ見て!」
私は、役場から届いた家屋や土地にかかる税金の通知書を見せる。
「こんなの払えないよ、お父さん! こんな家、売って引っ越そう! 二人で2DKのアパートで暮らそうよ」
「ふざけんな!」
父が一升瓶を振り回す。
「痛いって! こんなのあるからおかしくなるのよ!」
足元がふらついてる父から酒瓶を取り上げ、私はキッチンの流しに液体を捨てた。
「なつみー!! なにしやがる! 返せ!」
「いや! 私の給料、みんなお父さんがお酒にしちゃうんだもの! 叔母様に頭下げて給料前借りしてなんとかやってるのよ!」
「悪かった悪かった。もうお父さん酒やめるから、最後に一本だけ飲ませてくれ」
父が足元にすがりつく。
「それ何度も聞いた! でもいつも最後にならないよね。もう充分最後のお酒飲んだでしょ!」
「返せ!」
父に何度も殴りつけられる。痛い痛い痛い。
死ぬのは私じゃない! この酒浸りの老人が先! こいつがいなくなればいい!
だめだ、それだけは言っちゃいけない。人として言っちゃいけない。
私は叫んだ。痛みの中、私は精一杯葛藤して。
翌朝、父の死体が近くの宇鬼川中流から発見された。
『月に行く』とメモを車に残して。
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荒本さんは、電話の向こうで叫んでいた。
『違う! それは絶対違う! 何があったか知らんが、お前のせいじゃない。大体、親父さんが死んだとき、お前は、そこにいなかったじゃないか!』
父が亡くなった時、私は宇関にいなかった。それは多くの人が証明している。だからこそ、私のせいで父は死んだのだ。
父が屋敷から出たのは、私が言ってはいけないことばを告げたからだ。
だから『月に行く』しかなかったのだ。
「どしたの、那津美さん、月行くんでしょ?」
流斗君の声ではっと我に返る。
あの夜から一週間、今夜は流斗君の部屋で過ごす。
ベランダに置かれた望遠鏡が、月に向けられている。下弦の月が昇ったばかり。
私が知っている細長い望遠鏡とは形が違う。直径と長さがあまり変わらず、円柱形というよりお茶の缶を巨大にしたみたいな形だ。
レンズに何か装置が取り付けられている。
パソコンにはVRゴーグルが接続されている。
「これで見てごらん」
ひょいと流斗君が私にVRゴーグルを被せた。
「え、うわ、すごい!」
月面の映像だ。
この前ホテルで見せてくれたアプリのようには、くっきりとしていない。焚火で揺れる空気のようにゆらゆらしている。
今まさにあの望遠鏡を通して見ている映像なのだ。
そして画面に、月の地名がポワンポワンと浮かんできた。
「本当、月に行けるんだね!」
ゴーグルを外して思わずそんなことを言ってしまった。
「じゃ、こっちで直接見てみる?」
流斗君が望遠鏡のレンズに着けた装置を外す。私はそのまま覗き込んだ。
今度は、黒い円の中に月のクレーターが浮かんでいる。
「ちょっとモーター止めるね」
彼のことばと共に、月面がふわーっとじわじわ右へ動き出した。
止めたのに動く? ああ、そうか!
「地球って回ってるのね!」
地球は自転する。だから、太陽も月も星も東から西へ移動する。
大きな倍率の望遠鏡だと、東から西に動く様子がはっきり見えるのだ。
「うん。この望遠鏡は自動的に自転に合わせて動くけど、僕は時々、モーターをわざと止めるのが好きなんだ」
私はもう一度、レンズを覗いた。
「ねえ流斗君、月が消えちゃうよ」
「このハンドルで調節して」
再び月が戻ってくる。私は何度もハンドルを回した。
「そうか。だからモーターが必要なのね」
「安い望遠鏡だと、上下左右にしか動かせないしモーターもないから、絶えず調節しないといけないし、長時間露光が必要な天体写真は撮れない。じゃスイッチ入れるね」
レンズの奥には、元のように固定された月面があった。
不意に首筋をなめられた。
「ちょ、ちょっと」
ラピスラズリのネックレスがチリチリとなる。彼が外国で買ってきてくれた青い石。彼と会う時に身に着ける石。
手が私の胸元に滑り込む。
「だ、だめ」
「月に行こうよ」
「も、もう行ったから、危ないって……」
私はそれ以上立っていられず、ベランダで崩れ落ちる。
「ここ、外から見えちゃう」
「仕方ないな」
彼が私の身体を押すように、部屋の中に戻す。
カーテンがシャーっと閉じた。
立ったまま彼が背中越しに抱きしめ、シャツの裾から手を入れて、背筋をツツっとさする。
その手は器用に私のブラジャーのホックを外した。後ろから両手で乳首をつままれる。
「ああ、や……こんなところで」
こみ上げてくる快楽をこらえきれず、立っていられない。私はカーテンを掴んで身体を支える。
胸に触れたまま、彼の舌が私の耳たぶ、そして耳の奥を嘗め回す。
そのままシャツとブラジャーを外され、私の首にはラピスラズリの青が揺れている。
反射的に私は胸を覆い隠すが、彼に後ろから両腕を掴まれた。
「月には色んな方法で行くことできるんだ」
「月は、さっき行った……」
「月の重力は6分の1だよ」
私は自身の身体をそれ以上支えることはできず、床に崩れ落ち、両手を床に着いた。
四つん這いになった私の背中に、彼は舌を這わせてきた。
「恥ずかしいよ……」
スカートの中に手が伸び、私の一番敏感なところを優しく刺激してくる。
「すごい濡れてる」
「やだ、く、うう、言わないで」
そのままショーツを脱がされる。腰を持ち上げられすっかり濡れている私の中心に舌が伸びてくる。
「や、やめて、そこ汚い」
執拗に襞を舐められ、甘い刺激が全身を満たし淫らな声を抑えることができない。
私は耐え切れず懇願する。「お願い……して……」
「このままでいい?」
私は大きくうなずいた。そのままの彼が欲しい。彼の分身を宿したい。
腰を一層高く持ち上げられ、後ろから楔が撃ち込まれた。
「ああ、そんな奥に」
熱い杭が私の中に侵入し、前後に激しく動きだす。
リビングに、肉と肉がぶつかり合う音、ラピスラズリがチラチラ揺れる音、そして私と彼が激しく息を切らす淫らな音が響く。
互いに果てるその一瞬、地球の重力から解放された。
服の乱れもそのまま、放心状態で天井を見る。ここは新しいマンションだから、天上はただの白い壁紙。銀河の渦巻きは見えない。
流斗君は短パンを履いて、ベランダに出た。
大きな望遠鏡を抱えた彼が戻ってきた。
私は望遠鏡のことをすっかり忘れていたが、彼にとっては大事な望遠鏡だ。
三脚も重量がありそうだ。短パンをはいただけの恰好で、難しい装置を扱う姿がなんともおかしい。
「手伝おうか?」
「いい。それよりシャワー浴びてきなよ」
バスルームに入る私に、望遠鏡を抱えた彼が声かける。
「ねえ、重力、6分の1Gだった?」
「わからないって!」
そのまま、シャワー室に入った。浴槽にはすでにお湯が張ってある。この辺りマメだなあ。シャワーで身も心も洗い流した。
お湯に浸かっていると、カラカラとドアが開いて彼が入ってきた。ささっとシャワーで体を洗い流した彼が、バスタブに入ってきた。彼の膝に抱えられるように重なる。
「お風呂の中って6分の1Gぐらいかな?」
抱えられている格好が恥ずかしくて、そんな質問をする。
「なに、また、したいんだ? 本当に那津美さん、好きだよね」
狭いバスタブで自ら身体を回し、彼の正面に向き直った。
「……さっき、キスしてくれなかった」
「ごめん、忘れてた」
「ひどい」
彼に唇をふさがれ何度も食まれる。侵入した舌が私の歯肉を嘗め回す。
「こ、こんなにエッチなキスじゃなくても……あ、ああ」
「じゃ、那津美さん、お手本見せて」
流斗君が笑っている。恥ずかしさをこらえ、私はそっと唇を重ねた。
「それだけでいいの?」
「意地悪!」
火照りを鎮めたはずの身体が、また熱を帯びてきた。
自分の意志とは関係なく発する乱れた声が、バスルームに響いた。
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