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2章 アラサー女子、年下宇宙男子にハマる
2-1 年下宇宙男子の正体
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信じられないが、あんな圧迫面接だったのに、なぜかバイトに採用された。
私は朝河君にメッセージを送った。
「よかった。エントリーした時、すぐ知らせてほしかったな」と返ってきた。
すでに娘さんの元に引っ越した疋田の叔母には、ハガキを書いた。
真智君にもメッセージを送る。
「那津美さんと一緒♪ テンション爆上げ! 最近、流斗すごいゴキゲン、それか」
真智君は、私が朝河君と付き合ってると思っている。誤解を訂正した方がいいのだろう、朝河君のために。
でも、私は、嘘でもそう思ってほしくて、スルーした。我ながらずるい。
カレンダーは六月に変わっていた。
いよいよ初出勤。一月ぶりの仕事になる。
広い敷地の中、面接をしたのと同じ建物に入った。エントランス右手にカウンターのついた事務スペースが広がっている。二十台ほどの事務机がいくつかのグループに別れて並んでいた。
規模からすると、かつての素芦不動産のワンフロアがこんな感じだった。
と奥から、面接を担当した人が笑顔で迎えてくれた。
「私、広報課の課長、沢井美玖といいます。よろしくね」
奥のパーテーションで区切られた打ち合わせ室に案内される。
契約手続きをすませると、首にぶら下げる職員用パスカードと私の名が印刷された名刺を渡された。名刺やパスカードにプリントされた大学のロゴは、多角形を組み合わせたシャープなデザインでカッコいい。
大学の組織や設備の基本的な説明を受け、広報課に用意された私の机に案内され、他のメンバーに紹介された。
一人は、飯島耕太さんという若い男性だ。真智君と同じぐらいの年に見える。個性的な赤いフチの眼鏡に整えられたツーブロックショートヘア。ちょっと神経質で怖そうな……いやいや、仕事の先輩にそれではいけない。見た目が怖くても優しい人はたくさんいる。
もう一人は、海東裕恵さんという五十歳ぐらいのパートの女性だ。色白のふくよかな女性で優しそう。明るいセミロングのパーマヘアが似合っている。
事務室の他の部署の人たちに紹介され、午前中は終わった。
昼は特に決まりはないが、大体、中の食堂や売店で済ませるそうだ。
初日ということで、沢井さんを初め広報課の四人全員とランチとなった。嬉しいことに、就職祝いということで、沢井さんがご馳走してくれる。
私も入れて広報課四人でぞろぞろと、同じ建物、本部棟の食堂に向かった。
大学時代の学食を思い出した。あれは、安かろうまずかろうだった。何より二十代の若者の胃袋を格安で満たすことが大事、というコンセプトなのだろう。
それに比べるとこの大学の食堂は、魚料理など和食系が充実して、ガツガツ感が薄い。アジフライ定食をいただく。思ったより揚げ油がさっぱりし衣がサクッとしておいしい。それに、普通の飲食店より安い。いつもお弁当持参だが、たまにはここに来るのもいいかも。
課長の沢井美玖さんは四十歳。ここに来る前は広告代理店にいたとか。仕事が忙しくてずっと独身だそうだ。同じ独身でも私とは違って輝いている。
飯島耕太さんは新卒で就職し今年で二年目。西地方から移って独り暮らしとのこと。
「東地方は、すごい街かと思うてきたら、うちより田舎で、びっくりですわ」
すみません。東地方で都会なのは首都とその周り限定なんです。
パートの海東裕恵さんは、旦那さんの転勤で首都から宇関に来たそうだ。お子さんは就職して独立し、夫婦二人で暮らしという。
「宇関っていいですね。近所に野菜畑があって、田園風景な感じに毎日癒されます」
同じ田舎認定でも褒めてくれるのは嬉しい。気遣ってくれるのかな。
そんな風に自己紹介してたところ「素芦さん!」と男の人の高い声が聞こえてきた。
あの一度聞いたら忘れられない高い声。こんなに早いタイミングで聞けるなんて思わなかった。
「朝河君!」
こんなに早く彼に会えるなんて! ちょっと待って。心の準備が。顔がヘラヘラしてくる。抑えないと。
彼は、私たちのテーブルにやってきて座った。
ゆったりめの灰色のTシャツと灰色のスウェットを着ている。初めて会った時の服を、夏バージョンにしただけだ。合コンではもう少しオシャレだったが、あれはオフ用ウェアらしい。
気のせいだろうか、広報課のみなさんが、私を睨みつけている。
朝河君が笑いかけてきた。
「仕事はどうですか? この人たち怖いでしょ?」
いえ、まだオリエンテーションが終わっただけだし。
「そんなことないよ、沢井課長もみなさんも親切で……朝河君はどう? 忙しいんでしょ?」
やはり気のせいだろうか。広報課だけでなく、隣のテーブルの人たちの視線が、こちらに向かっているのは。
「今日は珍しくちゃんと昼休み取れた。重力波のプログラムが全然進まなくて、まいったなあ……あ、重力波というのは……」
今度は食堂で朝河君の宇宙講義が始まりそう。が、それを容赦なく中断する人がいた。
「先生、取材依頼の返事、どうするんですか?」
割り込んだのは、この場のリーダー、沢井さんだ。
「前も言いました。忙しくて時間が取れません。断ってください」
一瞬、誰が答えたのかわからないほど、鋭く冷たい声が聞こえた。
朝河君は、沢井さんをギロっと睨みつけている。
顔が怖い。声も怖い。今まで見たことない顔、聞いたことのない声。
「そろそろシミュレーション終わりますので」
沢井さんが何か叫ぶように訴えているが、朝河君は去っていった。
彼がいなくなったあと、私は広報課のみなさんに質問攻めされた。
「あら~、先生といい感じね~」
「なんで、タメ口なんです?」
私は打ち明けた。前の職場でアルバイト学生を朝河君が訪ねてきて知り合ったこと。職場が閉鎖し求職中、彼がここの求人を教えてくれたこと。
「やはり、面接で言ってたあなたの知り合いは、朝河先生だったのね」
沢井さんが、面接の続きのように問いかけてきた。
「はい。名前を出すと朝河君に迷惑がかかると思いました」
「もしかして朝河先生のこと知らない?」
広報課全員に睨まれる。
みんなのきつい視線の理由が見えてきた。
「……学生さんじゃないみたいですね……」
「一度も検索しなかったの?」
沢井さんが呆れていた。
昼休みを通じて、沢井さんや広報課のメンバーから、朝河君について一通りレクチャーされた。
彼は高校と西都科学技術大学理学部を通常より早く卒業し大学院に進み、昨年、助教となる。助教を務めながら今年の三月に理学の博士を取得。四月から西都科学技術大学宇関キャンパスの宇宙研究グループの准教授となった。
沢井さんから当然注意される。
「ここでは『先生』で、あなたはアルバイトということ、忘れてほしくないの」
「すみません。先生には失礼な態度でした。気をつけます」
私は、朝河君についてネットで検索した。
以前は検索をためらっていたが、あの時とは状況が違う。
大学研究室のページや研究者用のデータベースで、研究について紹介されいているがよくわからない。
一般人向けの百科事典サイトに彼を見つける。経歴がわかりやすくまとめてあった。一般向けのサイトに解説ページがあるということは、有名人なのね。始めて会った時、彼が「知ってるかもしれないけど」と言ったのは、自意識過剰ではなかった。
中学生で国際科学大会に出場し金賞を受賞。高校科学論文コンテストに応募した宇宙論が画期的なもので、国内の物理学者たちから注目を浴びる。大学進学後、彼の宇宙論は世界的な科学誌に掲載された。宇宙関係のテレビ番組にゲスト出演したこともある。
朝河君は、ただの優秀な学生ではなく、ただの優秀な博士ですらなかった。
最初、彼を入塾希望の高校生と思った。次に会った時は、宇宙オタクな大学生と思った。
彼が准教授ならわかる。真智君に対して偉そうな態度だったことも。
朝河君は、単に研究室の先輩を心配したわけではない。指導者として真智君とコンタクトを取らなければならなかった。指導者なら「このままだと退学だ」と脅すのもわかる。
彼は修士論文どころか、すでに博士論文を書いている。そういう人なら、私の下手な卒論に指導者目線でケチつけたくなるだろう。
思い出していたたまれなくなる。そういう人の前で、あんなひどい物理の講義を見せた。
嫌だ。朝河君には会いたくない。恥ずかしい。会えない。何となく、ほのかに彼に会えれば、なんて期待したが、それどころじゃない。
さっきの食堂に彼は昼休み、よく来るのだろうか? 大丈夫。私は、明日から弁当持参するから。
准教授が広報課にそう用事があるわけないから。
午後からは、飯島耕太さんから仕事を教わることになった。
大学の広報全般や入試については首都の本部が担当する。宇関では本部のサポートが基本とのこと。
とはいっても、こちらの独自の仕事もある。宇関キャンパスへの問い合わせ対応、宇関の先生方への取材対応、宇関キャンパス独自のホームページの管理、一般公開講座の開催などいろいろある。何か面白そうだ。
小さな塾とは全然違う。仕事のスケールも量も違う。
「素敵な仕事ですね。私、がんばります。近所の人に声かけて大学ツアーとかやったら面白そうですね」
その場をいい感じにしたくて発言したら、眼鏡の奥から飯島さんがギロって睨んだ。
「素芦さん、そんなんええから、こっちやっといてください」
そういって、パソコンの使い方を教えてくれた。
大学のイントラネットが立ち上がる。大学職員向けのお知らせ、先生方や職員のスケジュール、教室の使用状況がよくわかる。
広報課共通アドレスへのメールや、他部署から広報課に転送されたメールは、データベースに格納され、一覧表になっている。このデータベース化されたメール一覧から、さらに転送したり返信したりもできる。
前の塾のホームページには、私のお手製の拙いメールフォームがあったが、そのまま普通にメールで届いただけ。一日に一~二件だったから問題なかったけど。
「飯島さん。すごいシステムですねえ。科学技術大って感じで感動しました」
「感動はええから、メール本文見てください。加久田教授に取材したいとありますやろ?」
マスコミからの問い合わせメールだ。転送の仕方を教えてもらった。
「ほな、他のも頼みます」
本文を見て転送する。はっきりと指名があるメールはいい。
しかし、謎なメールもある。
……人工光合成の実現性についてコメント……
……量子コンピューターの研究……
そんなこと私に聞かれてもわからない。私は、右隣の若い先輩に恐る恐る切り出した。
「あ、あの……指名のないメールは……こういうのとか」
「ああ、こういうの難儀やなあ。こっちはホームページに全部載せてんのだから、先方で決めてくれればいいのに……人工光合成なら、住吉先生で」
「はい。量子コンピューターは?」
「んー、松平先生ですかねえ」
飯島さんは、やれやれといった風に答える。
「ありがとうございます」
再び私は作業を始めた。
……宇関キャンパスの特徴を伺いたい……
えーと、これは……いくらなんでも大雑把すぎるし、どの先生が担当という内容じゃない気がする……
チラッと隣にヘルプを求めるが、飯島さんは電話中。しかも終わりそうもない。
ちょっと気分転換をしよう。事務所内を歩き回ってみた。
電気ポットや紙コップが置いてあるコーナーを見つけた。インスタントコーヒー、お茶に紅茶など一通りある。
これは使っていいのだろうか? それなら、家からマグカップを持ってこうかと思う。
おずおずと、一番近くの机に座る別部署の女性職員に聞いてみた。
「え? 誰でも使っていいのよ」
紙コップにインスタントコーヒーを入れた。ポットの給湯スイッチを入れようとする。が、お湯が切れていた。
私は、その職員にお湯の補充について聞いてみた。
「あー、お願い! パートさん入ってくれて良かった。巻田さん辞めちゃったから、あたしら持ち回りして大変だったの。そうそう、お茶とかコーヒーは備品コーナーにストックあるから、なくなったら出しといて」
そうか。そういう仕事もあるのね。塾ではパートの丸山さんがやってた。自分は「パートのおばちゃん」なんだ。そうだよね。そういう年だし、そういうポジション。前とは違うもんね。
ポットに水を組んで机に戻った。
飯島さんに、仕事の続きを教わろうと声をかける。
「まだ、仕分け終わっとらんのに、どこ行ったんです?」
「あ、ポットのお湯が切れていたのと、飯島さん、忙しそうにされてたから」
「それは、あんたが電話、取らへんからですよ」
え、いや、いくらなんでも、初日だし、どう電話出たらいいかも……。
「ごめんなさい。電話の使い方、教えてください」
飯島さんが眼鏡の奥で目を吊り上げてるのが、よくわかった。
帰宅後、一通の葉書を受け取る。塾を閉鎖し、他県の娘さんの元へ行った疋田の叔母からだ。私が大学でアルバイトを始めたと葉書で知らせたので、返事が来た。
『那津美ちゃん、おめでとう。朝河さんと同じ職場ね。がんばってね。あの人は大学の先生だから安心だわ』
叔母は、朝河君が学生ではないと知っていた。なぜ知っていたのだろう。彼が名刺でも渡したのだろうか。
が、叔母が「安心」した理由はわかった。単なる学生ではなく、ちゃんと給料をもらっている社会人が相手だからだ。
ごめんなさい、叔母さん。
朝河君は他に好きな女の子がいるんです。
彼にとって私は、七歳年上の妖怪なんです。
私、がんばれないです。
私は朝河君にメッセージを送った。
「よかった。エントリーした時、すぐ知らせてほしかったな」と返ってきた。
すでに娘さんの元に引っ越した疋田の叔母には、ハガキを書いた。
真智君にもメッセージを送る。
「那津美さんと一緒♪ テンション爆上げ! 最近、流斗すごいゴキゲン、それか」
真智君は、私が朝河君と付き合ってると思っている。誤解を訂正した方がいいのだろう、朝河君のために。
でも、私は、嘘でもそう思ってほしくて、スルーした。我ながらずるい。
カレンダーは六月に変わっていた。
いよいよ初出勤。一月ぶりの仕事になる。
広い敷地の中、面接をしたのと同じ建物に入った。エントランス右手にカウンターのついた事務スペースが広がっている。二十台ほどの事務机がいくつかのグループに別れて並んでいた。
規模からすると、かつての素芦不動産のワンフロアがこんな感じだった。
と奥から、面接を担当した人が笑顔で迎えてくれた。
「私、広報課の課長、沢井美玖といいます。よろしくね」
奥のパーテーションで区切られた打ち合わせ室に案内される。
契約手続きをすませると、首にぶら下げる職員用パスカードと私の名が印刷された名刺を渡された。名刺やパスカードにプリントされた大学のロゴは、多角形を組み合わせたシャープなデザインでカッコいい。
大学の組織や設備の基本的な説明を受け、広報課に用意された私の机に案内され、他のメンバーに紹介された。
一人は、飯島耕太さんという若い男性だ。真智君と同じぐらいの年に見える。個性的な赤いフチの眼鏡に整えられたツーブロックショートヘア。ちょっと神経質で怖そうな……いやいや、仕事の先輩にそれではいけない。見た目が怖くても優しい人はたくさんいる。
もう一人は、海東裕恵さんという五十歳ぐらいのパートの女性だ。色白のふくよかな女性で優しそう。明るいセミロングのパーマヘアが似合っている。
事務室の他の部署の人たちに紹介され、午前中は終わった。
昼は特に決まりはないが、大体、中の食堂や売店で済ませるそうだ。
初日ということで、沢井さんを初め広報課の四人全員とランチとなった。嬉しいことに、就職祝いということで、沢井さんがご馳走してくれる。
私も入れて広報課四人でぞろぞろと、同じ建物、本部棟の食堂に向かった。
大学時代の学食を思い出した。あれは、安かろうまずかろうだった。何より二十代の若者の胃袋を格安で満たすことが大事、というコンセプトなのだろう。
それに比べるとこの大学の食堂は、魚料理など和食系が充実して、ガツガツ感が薄い。アジフライ定食をいただく。思ったより揚げ油がさっぱりし衣がサクッとしておいしい。それに、普通の飲食店より安い。いつもお弁当持参だが、たまにはここに来るのもいいかも。
課長の沢井美玖さんは四十歳。ここに来る前は広告代理店にいたとか。仕事が忙しくてずっと独身だそうだ。同じ独身でも私とは違って輝いている。
飯島耕太さんは新卒で就職し今年で二年目。西地方から移って独り暮らしとのこと。
「東地方は、すごい街かと思うてきたら、うちより田舎で、びっくりですわ」
すみません。東地方で都会なのは首都とその周り限定なんです。
パートの海東裕恵さんは、旦那さんの転勤で首都から宇関に来たそうだ。お子さんは就職して独立し、夫婦二人で暮らしという。
「宇関っていいですね。近所に野菜畑があって、田園風景な感じに毎日癒されます」
同じ田舎認定でも褒めてくれるのは嬉しい。気遣ってくれるのかな。
そんな風に自己紹介してたところ「素芦さん!」と男の人の高い声が聞こえてきた。
あの一度聞いたら忘れられない高い声。こんなに早いタイミングで聞けるなんて思わなかった。
「朝河君!」
こんなに早く彼に会えるなんて! ちょっと待って。心の準備が。顔がヘラヘラしてくる。抑えないと。
彼は、私たちのテーブルにやってきて座った。
ゆったりめの灰色のTシャツと灰色のスウェットを着ている。初めて会った時の服を、夏バージョンにしただけだ。合コンではもう少しオシャレだったが、あれはオフ用ウェアらしい。
気のせいだろうか、広報課のみなさんが、私を睨みつけている。
朝河君が笑いかけてきた。
「仕事はどうですか? この人たち怖いでしょ?」
いえ、まだオリエンテーションが終わっただけだし。
「そんなことないよ、沢井課長もみなさんも親切で……朝河君はどう? 忙しいんでしょ?」
やはり気のせいだろうか。広報課だけでなく、隣のテーブルの人たちの視線が、こちらに向かっているのは。
「今日は珍しくちゃんと昼休み取れた。重力波のプログラムが全然進まなくて、まいったなあ……あ、重力波というのは……」
今度は食堂で朝河君の宇宙講義が始まりそう。が、それを容赦なく中断する人がいた。
「先生、取材依頼の返事、どうするんですか?」
割り込んだのは、この場のリーダー、沢井さんだ。
「前も言いました。忙しくて時間が取れません。断ってください」
一瞬、誰が答えたのかわからないほど、鋭く冷たい声が聞こえた。
朝河君は、沢井さんをギロっと睨みつけている。
顔が怖い。声も怖い。今まで見たことない顔、聞いたことのない声。
「そろそろシミュレーション終わりますので」
沢井さんが何か叫ぶように訴えているが、朝河君は去っていった。
彼がいなくなったあと、私は広報課のみなさんに質問攻めされた。
「あら~、先生といい感じね~」
「なんで、タメ口なんです?」
私は打ち明けた。前の職場でアルバイト学生を朝河君が訪ねてきて知り合ったこと。職場が閉鎖し求職中、彼がここの求人を教えてくれたこと。
「やはり、面接で言ってたあなたの知り合いは、朝河先生だったのね」
沢井さんが、面接の続きのように問いかけてきた。
「はい。名前を出すと朝河君に迷惑がかかると思いました」
「もしかして朝河先生のこと知らない?」
広報課全員に睨まれる。
みんなのきつい視線の理由が見えてきた。
「……学生さんじゃないみたいですね……」
「一度も検索しなかったの?」
沢井さんが呆れていた。
昼休みを通じて、沢井さんや広報課のメンバーから、朝河君について一通りレクチャーされた。
彼は高校と西都科学技術大学理学部を通常より早く卒業し大学院に進み、昨年、助教となる。助教を務めながら今年の三月に理学の博士を取得。四月から西都科学技術大学宇関キャンパスの宇宙研究グループの准教授となった。
沢井さんから当然注意される。
「ここでは『先生』で、あなたはアルバイトということ、忘れてほしくないの」
「すみません。先生には失礼な態度でした。気をつけます」
私は、朝河君についてネットで検索した。
以前は検索をためらっていたが、あの時とは状況が違う。
大学研究室のページや研究者用のデータベースで、研究について紹介されいているがよくわからない。
一般人向けの百科事典サイトに彼を見つける。経歴がわかりやすくまとめてあった。一般向けのサイトに解説ページがあるということは、有名人なのね。始めて会った時、彼が「知ってるかもしれないけど」と言ったのは、自意識過剰ではなかった。
中学生で国際科学大会に出場し金賞を受賞。高校科学論文コンテストに応募した宇宙論が画期的なもので、国内の物理学者たちから注目を浴びる。大学進学後、彼の宇宙論は世界的な科学誌に掲載された。宇宙関係のテレビ番組にゲスト出演したこともある。
朝河君は、ただの優秀な学生ではなく、ただの優秀な博士ですらなかった。
最初、彼を入塾希望の高校生と思った。次に会った時は、宇宙オタクな大学生と思った。
彼が准教授ならわかる。真智君に対して偉そうな態度だったことも。
朝河君は、単に研究室の先輩を心配したわけではない。指導者として真智君とコンタクトを取らなければならなかった。指導者なら「このままだと退学だ」と脅すのもわかる。
彼は修士論文どころか、すでに博士論文を書いている。そういう人なら、私の下手な卒論に指導者目線でケチつけたくなるだろう。
思い出していたたまれなくなる。そういう人の前で、あんなひどい物理の講義を見せた。
嫌だ。朝河君には会いたくない。恥ずかしい。会えない。何となく、ほのかに彼に会えれば、なんて期待したが、それどころじゃない。
さっきの食堂に彼は昼休み、よく来るのだろうか? 大丈夫。私は、明日から弁当持参するから。
准教授が広報課にそう用事があるわけないから。
午後からは、飯島耕太さんから仕事を教わることになった。
大学の広報全般や入試については首都の本部が担当する。宇関では本部のサポートが基本とのこと。
とはいっても、こちらの独自の仕事もある。宇関キャンパスへの問い合わせ対応、宇関の先生方への取材対応、宇関キャンパス独自のホームページの管理、一般公開講座の開催などいろいろある。何か面白そうだ。
小さな塾とは全然違う。仕事のスケールも量も違う。
「素敵な仕事ですね。私、がんばります。近所の人に声かけて大学ツアーとかやったら面白そうですね」
その場をいい感じにしたくて発言したら、眼鏡の奥から飯島さんがギロって睨んだ。
「素芦さん、そんなんええから、こっちやっといてください」
そういって、パソコンの使い方を教えてくれた。
大学のイントラネットが立ち上がる。大学職員向けのお知らせ、先生方や職員のスケジュール、教室の使用状況がよくわかる。
広報課共通アドレスへのメールや、他部署から広報課に転送されたメールは、データベースに格納され、一覧表になっている。このデータベース化されたメール一覧から、さらに転送したり返信したりもできる。
前の塾のホームページには、私のお手製の拙いメールフォームがあったが、そのまま普通にメールで届いただけ。一日に一~二件だったから問題なかったけど。
「飯島さん。すごいシステムですねえ。科学技術大って感じで感動しました」
「感動はええから、メール本文見てください。加久田教授に取材したいとありますやろ?」
マスコミからの問い合わせメールだ。転送の仕方を教えてもらった。
「ほな、他のも頼みます」
本文を見て転送する。はっきりと指名があるメールはいい。
しかし、謎なメールもある。
……人工光合成の実現性についてコメント……
……量子コンピューターの研究……
そんなこと私に聞かれてもわからない。私は、右隣の若い先輩に恐る恐る切り出した。
「あ、あの……指名のないメールは……こういうのとか」
「ああ、こういうの難儀やなあ。こっちはホームページに全部載せてんのだから、先方で決めてくれればいいのに……人工光合成なら、住吉先生で」
「はい。量子コンピューターは?」
「んー、松平先生ですかねえ」
飯島さんは、やれやれといった風に答える。
「ありがとうございます」
再び私は作業を始めた。
……宇関キャンパスの特徴を伺いたい……
えーと、これは……いくらなんでも大雑把すぎるし、どの先生が担当という内容じゃない気がする……
チラッと隣にヘルプを求めるが、飯島さんは電話中。しかも終わりそうもない。
ちょっと気分転換をしよう。事務所内を歩き回ってみた。
電気ポットや紙コップが置いてあるコーナーを見つけた。インスタントコーヒー、お茶に紅茶など一通りある。
これは使っていいのだろうか? それなら、家からマグカップを持ってこうかと思う。
おずおずと、一番近くの机に座る別部署の女性職員に聞いてみた。
「え? 誰でも使っていいのよ」
紙コップにインスタントコーヒーを入れた。ポットの給湯スイッチを入れようとする。が、お湯が切れていた。
私は、その職員にお湯の補充について聞いてみた。
「あー、お願い! パートさん入ってくれて良かった。巻田さん辞めちゃったから、あたしら持ち回りして大変だったの。そうそう、お茶とかコーヒーは備品コーナーにストックあるから、なくなったら出しといて」
そうか。そういう仕事もあるのね。塾ではパートの丸山さんがやってた。自分は「パートのおばちゃん」なんだ。そうだよね。そういう年だし、そういうポジション。前とは違うもんね。
ポットに水を組んで机に戻った。
飯島さんに、仕事の続きを教わろうと声をかける。
「まだ、仕分け終わっとらんのに、どこ行ったんです?」
「あ、ポットのお湯が切れていたのと、飯島さん、忙しそうにされてたから」
「それは、あんたが電話、取らへんからですよ」
え、いや、いくらなんでも、初日だし、どう電話出たらいいかも……。
「ごめんなさい。電話の使い方、教えてください」
飯島さんが眼鏡の奥で目を吊り上げてるのが、よくわかった。
帰宅後、一通の葉書を受け取る。塾を閉鎖し、他県の娘さんの元へ行った疋田の叔母からだ。私が大学でアルバイトを始めたと葉書で知らせたので、返事が来た。
『那津美ちゃん、おめでとう。朝河さんと同じ職場ね。がんばってね。あの人は大学の先生だから安心だわ』
叔母は、朝河君が学生ではないと知っていた。なぜ知っていたのだろう。彼が名刺でも渡したのだろうか。
が、叔母が「安心」した理由はわかった。単なる学生ではなく、ちゃんと給料をもらっている社会人が相手だからだ。
ごめんなさい、叔母さん。
朝河君は他に好きな女の子がいるんです。
彼にとって私は、七歳年上の妖怪なんです。
私、がんばれないです。
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「私はヒロインなの!あなたはモブよ!」
ティアナは思う。
別に物語じゃないのだし、モブでいいのではないだろうか…
そんな一言を言われるのにも飽きてきたので私は学院生活の3年間ニーナから隠れ切ることに決めた。
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