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6 主人公は、あっさりワナにはまる

(13)小さな島の王

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 ナウシカは目を潤ませて、パリスにその男との出会いを語った。

「私は迂闊にも、お前やヘクトル、そしてトリファントスのことを、話してしまった。トロイアの敵とも知らず」

 若者は仲間の背中をさする。

「待ってよ。おじさんがスフィンクスの芝居をして、ナウシカが声をかけたんだよね?」

「パリス、誤解するな! 私は単にスフィンクスの芝居をちゃんと演じて欲しかっただけだ。一言告げて、帰るつもりだった」

「誤解しないよ。で、おじさんは、かわいい女の子に話しかけられて嬉しかったから、飲みに誘ったんだね」

「違う! 芝居にアドバイスしてほしいと言われたのだ。お前と違って、かわいいなどと浮ついたことは、口にしなかったぞ」

「おじさん、やり方が上手だなあ。ナウシカのタイプはそうやって攻略すればいいのかあ」

「やめてくれ! あの男は、私に指一本、触れなかったぞ。やはり、トロイアのことを探るために違いない」

「落ち着きなよ。ナウシカが僕やヘクトルと知り合いだって、おじさん、知らなかったんでしょ?」

 ナウシカは、ハタと首をかしげる。

「……そうか。いや、でも……」

「おじさんとは何もなかったんでしょ?」

「何度も言わせるな! あの男とは話をしただけだ」

「よかった。ナウシカがおじさんに変なことされなくて。僕はそっちの方が心配だよ」

 ナウシカは「す、すまない」と涙をこぼす。
 パリスは太陽のように微笑み、肩を震わせる王女を抱きよせる。

「そ、そういうことするから、勘違いするんだぞ!」

 ナウシカはパリスの背中にしがみつき泣きじゃくった。
 一方パリスは、王女を抱きかかえながら、これまでの話を頭の中でまとめる。

 問題の男に、パリスは心当たりがあった。スパルタの王宮に泊まった夜、出会った男。短い銀髪が目立っていた。ナウシカと話した男は、黒い布で頭を覆っていた。どちらもスラッとしている。
 スパルタの王女ヘルミオネは、このままだとミノタウロスと結婚させられる。ナウシカは問題の男に「ミノタウロス」の芝居を提案した。
 その男がオデュッセウスだとしたら?
 ……いや、何も問題ない。知られて困るようなことはしていない。自分たちは、スフィンクスの謎を解いただけだ。
 パリスは、王女の背中に回した腕に、ギュっと力を込めた。


 パリスがナウシカを慰めているころ、スパルタ王宮の客間で、二人の男がテーブルを挟み向かい合っていた。

「メネラオスよ、ガイア殿の働きは、見事に尽きる」

「オデュッセウス、あれをそんな風に言うんじゃねえ」

 地味顔の男は栗色の髪を揺らし、両の拳を握りしめる。

「これは失礼。ともあれ、トロイアのパリス王子なら、あっさり篭絡できよう。手応えがなくて虚しいが」

 銀髪の男は、静かに微笑む。

「お前さん、すげーなー。よくパリスなんて王子、見つけたなー」

「ヘクトルは旅人を装っているが、あの体格では目立つ。追うのは容易い。そこで、彼の仲間パリスがヘクトルに似ていることに、気がついたのだ」

「俺もあの夜、会ったが、アイツ、……ムカつくほどイケメンじゃねーか。娘も……ガ、ガイアも、あーいう男がいーんだろ」

 メネラオスは顔を歪めて吐き捨てた。

「彼らのいた町の女たちは、こぞってパリスを持ち上げていたよ。『一夜でいいから過ごしたい』そうだ……あの男は、愛の女神アフロディテ様の加護にあるのだろう」

 オデュッセウスは目を伏せて、ため息をつく。

「お前さんだって、女がほっとかねーだろ?」

 スパルタの王は、島の王から目を逸らした。

「……私には妻がいるからね。君と同じだ」

「お、俺はどーでもいーんだ! お前さんこそ、長い間、島に帰ってねーんだろ? し、心配じゃねーのか? 女房のこと」

 銀髪の男は両の拳をクっと握りしめるが、すぐ手を開き、微かに笑った。

「私の妻は賢い……そうそう、君の兄上アガメムノンは、妻が密通したら、姦夫と共に冥王ハデス様の元に送るらしいぞ」

「ぬっ殺すってか。兄貴らしーなー」

 苦笑するメネラオスに、オデュッセウスはぬっと顔を突き出した。

「君の場合はどうだろうね。妻が密通したら」

 栗色の髪の男は立ち上がり、目を剥いた。

「ざけんな! あいつはそんなことしねーよ!」

「仮定の話だよ。それこそアフロディテ様は、御夫君の留守に、他の神と情熱を交わされたではないか」

「アフロディテ様は別じゃねえか! お前はどうなんだ?」

「私か? 私は……無駄なことはしないよ」

 細面の男が静かに笑っている。大理石のように凍り付いた微笑みに、メネラオスは底知れぬ恐ろしさを覚えた。

「そ、そーだな。お前さんはアカイア一の知恵者だ。無駄なことはしない。ま、ゆっくりしてってな」

 スパルタ王はそわそわと立ち上がり、オデュッセウスを残して出ていった。
 残された男は顔を歪ませて笑う。

「ああ、私は無駄なことは嫌いだ……しかし」

 オデュッセウスは、スパルタ王宮の豪華な客間で立ち上がる。二つの拳を握りしめ目の前に掲げた。握ったまま両腕を伸ばし、頭を左側に向ける。右の拳を勢いよく開いた。

「楽しいことは好きだね。妻の密通を目撃したら……やることは決まっているだろ?」

 途端、両腕をだらしなく降ろし、大きく息を吐いた。

「あの強弓はなんでも貫く。故郷に置いてきたが」

 彼は、十年ほど留守にしている、岩だらけの小さな故郷を思い浮かべた。


 小さな島イタケの若き王、オデュッセウス。イタケの島に大きな産業はない。彼は多くの島民と共に、船乗りとして生きてきた。島を留守にし、本土に出稼ぎをすることもあった。
 オデュッセウスは、美しい妻と幼い息子の三人で、慎ましく暮らしてきた。息子は病弱だったが、妻は息子が熱を出すたびに懸命に看病した。
 ミュケナイやスパルタの大きな宮殿のように、金銀財宝に囲まれた贅沢はできないが、飢えるほど貧しいわけではない。
 彼はこの幸せを海神ポセイドンに感謝し、時には島で育てた羊を神に捧げ、島民と共に分かち合った。

 ある夏のこと。島の王は、航海を早めに切り上げて、我が家に戻った。
 いつもは妻が、館の入り口で出迎えてくれる。が、その日、迎え出たのは女中だった。

「お妃様は、お客様をおもてなししています。王様はこちらでお待ちを」

「それなら客人にあいさつをしないと」

 女中は「お待ちください!」と引き留めるが、オデュッセウスは女中の制止を振り切り、奥に進む。
 彼は見た。
 太った男と妻が、長椅子に腰かけ抱き合う姿を。
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