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『史記』で知った古代中国のシンデレラ? 君王后
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このエッセイ、昔作っていたホームページからコピー&ペーストするだけなのに、先月(2024年3月)ずーっと、サボっていました。
前回、司馬遷の『史記』で知った女性について語ると予告しました。ということで、予告を実施します。
その女性とは、君王后といいます。知っている人、いるかなあ? かなりマイナーな人物です。だって、日本語のWikipediaに取り上げられていませんから。あ、本場中国のWikiにはちゃんと載っています。
古代中国の戦国時代はなかなか濃い時代なので、人物も濃いです。なので、この方もなかなか濃いのですが、いまひとつマイナーです。
この女性は、『史記』と『戦国策』(中国戦国時代の権謀術数が書かれた古典)に登場します。
中国戦国時代は、戦国七雄と呼ばれる七つの強国が覇権を争う時代でした。
高校で漢文の授業を取った人は、その七国を暗記させられたかもしれません。
魏・韓・趙・斉・燕・楚・秦、ですね。わーい! 検索しないで七国言えたぞ!
といっても(私は未読ですが)大ヒット漫画でアニメや実写映画になった『キングダム』のおかげで、この七国は大分有名になったのかな?
君王后は、(多分)『キングダム』より前の世代の女性です。七雄のひとつ斉の后です。
でも単に王国の后というだけじゃ、この濃い戦国時代、歴史書には登場できません。
なぜ私が一時期、この女性に惹かれたのか? もちろん理由があります。
では、昔のホームページをご覧ください。
************
1999年8月 記
1 イントロダクション
ある屋敷のお嬢様が、ある雇人の面倒を見ているうちに、恋仲になります。
ところがその男、戦乱の中、身を隠していた斉の王子!
やがて王子は王になり、娘は后となります。
しかし、娘の父は、「仲人も立てず勝手に嫁いだ娘だ」といい、后となった娘とは会わなかったのです。
后は王の死後、斉の国を支え、君王后と呼ばれました。
2 君王后のバイオグラフィー
史記と戦国策を適当にくっつけております。年代はかなりいい加減です。
B.C.285~4年 プロローグ
当時、斉の閔王は宋を滅ぼし天下を併呑する勢いであった。
斉の増長を食い止めるため、燕・秦・韓・魏・趙の五か国が連合軍を結成。
燕の名将楽毅は斉の都、臨淄を攻撃、閔王は敗走。
次々に斉の城は落とされ、莒と即墨の二城が残った。
閔王は各地を転々するも受け入れてもらえず、莒に亡命する。
唯一の五か国連合に加わらなかった楚は、将軍の淖歯に斉を救援させた。ただちに彼は斉の宰相となる。
しかし、淖歯は閔王を殺し燕と宝物を分け合う。
閔王の息子である斉の太子法章は、名を変え衣服を変え逃亡した。
コメント:
閔王敗走の前に、「まず隗より始めよ」のエピソードがあります。
人材を求める燕の昭王が、自国の学者、郭隗に相談したところ「まず、私のような平凡な人材を優遇しなさい。そうすればもっと優れた人材がやってくるでしょう」と答えました。燕の昭王が郭隗の助言を実施したところ、燕に優れた人材が集まったという話からくる、故事成語です。
今では「言い出しっぺが始めろよ」という意味で、よく使われますね。
では、なぜ燕の昭王は人材を求めたのか? これ、斉の閔王に、父王を殺された燕の昭王の復讐なんです。燕は、打倒斉を目指し、人材を確保し連合軍を結成し、ついに目的を達する訳です。
B.C.284年 出会い
法章は太史敫という者の家で庭の水撒きをしていた。
太史の娘は、その男の容貌に尋常ならざるものを見出す。この人は普通の人ではないと憐れに想い、衣食を与え面倒を見た。
法章は娘に身の内を明かし、二人は結ばれた。
コメント:
史記では太史敫で名が統一されていますが、戦国策では太史敫・ただの太史・太史后と名前がバラバラで、どれが本名なんだといいたくなる。
太史というのも、姓なのか職業なのかわからない。
好きになったわけ……ルックスがよかったから好きになった……違うか。
ただの雇人にしてはどこか変だったので気になったのでしょう。
B.C.284年 仇討ち
閔王に仕えていた15歳の少年、王孫賈は王の行方を見失い、母の元へ戻った。
しかし母は「王が行方不明なのになぜお前は戻ってきた」と息子を叱責する。
母の言葉に目覚めた王孫賈は、400人の仲間を集め王の仇、淖歯を殺し雪辱を晴らした。
コメント:
史記では淖歯は殺されず斉を去ったとあります。
B.C.284年 新王の即位
淖歯の死後、莒の人々や斉王の旧臣達は閔王の子を捜し求める。法章は自ら名乗りでて即位する。これが斉の襄王である。
そして太史氏の娘を后に立てた。彼女は君王后と呼ばれ息子の建を産んだ。
しかし父親の太史氏は「娘は仲人も立てずに勝手に嫁ぎ、我が家を汚した」と怒り、生涯娘に会わなかった。
君王后は父に許されなくても人の子としての礼を失わなかった。
コメント:
このお父さんのお堅いこと。娘が玉の輿に乗ったというのに……漢代の政治に介入する皇后一族とは大違い。
このときは滅亡寸前の斉のお后なんて、迷惑だったかも。
B.C.284~279年 田単出撃
連合軍は解散したが、燕の楽毅は粘っている。
即墨の役人田単が将軍に抜擢される。
彼はまず、強敵楽毅を策略によって遠ざける。
様々な奇策を弄し火牛の計によって燕軍を打ち破り、斉の失われた城を取り返す。
そして莒から襄王を臨淄の都に迎え、田単は安平君に封ぜられた。
コメント:
火牛の計というと、木曾義仲を思い出します。でも危険じゃないか? 味方が先にやられないか?
楽毅と田単の攻防戦は戦国時代の中でもドラマティックで、どの解説本にも載っています。
B.C.279~264年 田単との確執
田単は、国を救った英雄かつ田氏の一族である。
襄王の側近達は田単を謗る。
王は、田単が斉王の座を狙っていると疑い、田単を呼びつけ、
「君は臣下としての礼を行え。我は王としての礼を行うだけだ」と言い渡した。
これを聞いた田単の友人貂勃は王に田単の功績を説く。
王は、田単を謗った側近達を殺し、田単に1万戸を加増した。
コメント:
史記では、斉を救った後の田単の行方はわかりません。
この話はどこまで史実かわかりませんが、充分あり得る事でしょう。
B.C.264~249年 君王后の治世
襄王は即位19年に歿し、息子の建が王となった。
後を受けた君王后は、秦王に仕え諸侯と交わり斉を戦乱から守る。
秦の昭王が使者に知恵の輪を持たせ「斉には知恵者が多いがこれを解けるかな」と言った。
斉の群臣は誰も解けず、君王后は槌で輪を砕き「謹んでお解きいたしました」と返答した。
コメント:
知恵の輪粉砕事件は、史記にはありません。アレキサンダー大王の逸話と似ています。こちらの方が100年後です。西方から話が伝わったかもしれません。それとも似たような話は洋の東西問わず発生するのですかね。
秦は斉を愚弄しているとも考えられ、君王后が単に謹厳に仕えているわけではないと恫喝したとも……。考えすぎか。
B.C.249年 死に臨む
君王后は死の間際に息子の建を呼び寄せ「群臣で用いるべきものは」と言いかける。
建は次の言葉を待つが、君王后は「もう、この老女は忘れました」と言い残して亡くなった。
コメント:
名前ぐらい言いなさいよ……。言いかけてやめたとはボケたのか?
その後、斉が秦によって滅ぼされたことから、託す人材がいなかったってことかな?
三国志の諸葛亮の遺言のように。(でもあれは、数名名前を挙げてから黙るんだよね)
B.C.249~221年 斉の滅亡
君王后の死後も、斉は兵火を免れた。
しかし、秦国はその触手を次々と伸ばし諸国を併呑、残るは斉一国のみ。
宰相となった后勝は王に降伏を勧め、王は秦に囚われる。
中国は秦一国になり、秦王は自らを皇帝と称す。戦国時代は終わり始皇帝の世が始まる。
コメント:
后勝さんについては、秦から賄賂を受け取ったとか国境を閉ざし防戦したとか、いろんな説があり、よくわかりません。
亡国の君主と宰相ですから、悪し様に言われてしまうけどね。
B.C.209~202年 エピローグ
始皇帝の死後、国は乱れ陳渉・呉広の乱が勃発。
斉王建の弟田仮や孫の田安も含め田一族が斉王に立てられるが、次々と殺される。
争いは楚の項羽と漢の劉邦の対決に集約され、劉邦が漢王朝の初代皇帝となった。
コメント:
その後の田氏がどうなったのか、よくわかりません。
史記では田氏があまた登場するのに、三国時代になると田氏なんて、有名なところでは袁紹の参謀田豊ぐらいだもんね。
2024年4月付記
その後の田氏については、こんな話が残っていました。
斉王建の孫、田安は殺されるが、故国の斉地方で子孫は生き延びる。斉王の子孫ということで、一族は、田から王に氏を変えたという。
その末裔が、漢王朝を簒奪して一代限りの王朝を建てた王莽である。
王莽ってもしかすると今回の話で一番メジャーなキャラかもしれません。
漢王朝を簒奪し悪政をしたことか、中国史ではもっぱら嫌われ者です。が、中国史ファンじゃなくても世界史を勉強した人なら、王莽の名は聞いたことあるんじゃないんでしょうか。私は中国史に興味持つまで知らなかったけど。
この話を聞いて私、何とも言えない気持ちになりました。
君王后様の子孫が、たとえ短命王朝だろうが皇帝になったのです。でも、嫌われ者というのが、何とも表現しがたい気分です。
3 Q&Aで語る君王后
Q この人のどこがお気に入りなの?
A 女性の方から好きになった人と結婚できたパターンって、史記に限らず古代では少ないもん。
それに史記に出てくる女性は、呂后のような権力亡者か、妲妃のような傾城の美女か、どちらにしても悪女が多いの。
立派な人というと、晋の文公の妃の斉の王女かな。この人は腑抜けな夫を奮い立たせるためにわざと夫を城から追い出すわけ。立派だけど夫と別れるんじゃ寂しいなあ。
その点、この方は自分から好きになった人とずっと一緒。史記の中ではかなり好意的に書かれているところもステキ。
Q 単に、王子様に弱いんでしょ?
A だってえ、ロマンスじゃない。
「助けたあの人は、なんと王子様!!」
しかも、美形とくれば文句なし。
王子様が恩に報いて后に立てたのも愛だよね。
この時代の権力者にしては何て女心がわかっているんだろうって、感動しちゃうよ。
Q 男は顔じゃないでしょ? 国の功労者の田単さんを疑ったりしているじゃない
A それは仕方ないでしょう。あの話がどこまで本当かわからないけれど、田単が王様になってもおかしくない状況なんだから。
ボロボロになった斉を何とか持ちこたえただけでも、立派な王様だよ。
田単が独立勢力にならず武将のままでいたのも、王様の技かもしれないよ。
Q 随分、庇うんだね
A あの君王后サマが好きになった人だから、ただの王様じゃいやだもん。何が何でも立派な王様であって欲しい。いや、ボンクラ王に尽くす女というのも愛としては美しいけれどね。
史記や戦国策を読んでも、はっきりと名君だとは書かれていないけど、暗君とも言われてないよ。
Q それにしても知られていないね
A 知る人ぞ知るのエピソードみたい。史記を知っているなら皆知っているはずなのに、巷の解説本にはあまり取り上げられないの。
背景にある楽毅と田単の戦いは必ず出てくるんだから、ちょっとぐらい載せてもいいのに。
************
2024年4月 補足
四半世紀ぶりにこのページを振り返りましたが……これ、古代中国知らない人には難しいページですね。なので「まず隗より始めよ」については、今回、説明を加えました。
今回の話でも、君王后はマイナーキャラですが、楽毅と田単はメジャーキャラです。彼らの攻防は戦国のハイライトです。でも、古代中国知らない人には、ピンとこないよね。
ひとつ思い出話を。昔のホームページって、いわゆる第2水準漢字が表示できなかったんです。たとえば、斉の都の臨淄の「淄」。ではこの手の漢字をどう表示していたか? 「臨シ(水巛田)」と書きました。
他に書き換えた漢字は次の通りです。
●淖歯 トウ(水卓)歯
●莒 キョ(艸呂)
●太史敫 太史キョウ(白方攵)
いや~、よく古代中国のホームページなんて作ってたよなあ。こんな面倒なことをして。
まあ難しい事情はともかく、こんな乙女な話がなぜ四半世紀経ってもマイナーなんでしょう?
屋敷のお嬢様が、なぞの使用人と恋仲になる、それだけで萌え設定じゃありませんか。
しかも彼は亡国の王子! そして国が復興し彼は王位につくと、彼女をちゃんと后にして、彼女の子を太子としたんです。
彼女のお父さんの頑固親父っぷりも、嫌いではありません。
当時の倫理からしたら、結婚前の娘が屋敷の雇人とデキちゃうなんて言語道断でしょう。
たとえ娘が后になっても許さなかったお父さん。現代人の感覚からすると、意地張るんじゃないよ、と言いたくなりますが、これはこれで筋が通っています。
ということでどなたか……君王后様のラブロマンスを小説にしてください!
え? 私はぜーったい無理です。古代中国史小説なんて、めっちゃハードル高過ぎです。まず君王后の名前からして、思いつきません。古代中国の女性は名前、残らないんですよ。後の時代、漢王朝の皇后レベルになると、名前が記録されますが。
繰り返します。
これ、なかなかおいしい中華ロマンスになると思うんです。
異世界恋愛の主流はヨーロッパ系ですが、どうしてどうして中華も負けていません。書ける方は、たくさんいらっしゃるはず。
このエッセイを読んだ方(ってすごく少ないか)、ぜひともお願いします。あ、自分では書けないという方は、書けそうな方に、おいしいネタがあるよと、お伝えください。
私は、君王后様が主役のラブロマンスを読みたいんです!
前回、司馬遷の『史記』で知った女性について語ると予告しました。ということで、予告を実施します。
その女性とは、君王后といいます。知っている人、いるかなあ? かなりマイナーな人物です。だって、日本語のWikipediaに取り上げられていませんから。あ、本場中国のWikiにはちゃんと載っています。
古代中国の戦国時代はなかなか濃い時代なので、人物も濃いです。なので、この方もなかなか濃いのですが、いまひとつマイナーです。
この女性は、『史記』と『戦国策』(中国戦国時代の権謀術数が書かれた古典)に登場します。
中国戦国時代は、戦国七雄と呼ばれる七つの強国が覇権を争う時代でした。
高校で漢文の授業を取った人は、その七国を暗記させられたかもしれません。
魏・韓・趙・斉・燕・楚・秦、ですね。わーい! 検索しないで七国言えたぞ!
といっても(私は未読ですが)大ヒット漫画でアニメや実写映画になった『キングダム』のおかげで、この七国は大分有名になったのかな?
君王后は、(多分)『キングダム』より前の世代の女性です。七雄のひとつ斉の后です。
でも単に王国の后というだけじゃ、この濃い戦国時代、歴史書には登場できません。
なぜ私が一時期、この女性に惹かれたのか? もちろん理由があります。
では、昔のホームページをご覧ください。
************
1999年8月 記
1 イントロダクション
ある屋敷のお嬢様が、ある雇人の面倒を見ているうちに、恋仲になります。
ところがその男、戦乱の中、身を隠していた斉の王子!
やがて王子は王になり、娘は后となります。
しかし、娘の父は、「仲人も立てず勝手に嫁いだ娘だ」といい、后となった娘とは会わなかったのです。
后は王の死後、斉の国を支え、君王后と呼ばれました。
2 君王后のバイオグラフィー
史記と戦国策を適当にくっつけております。年代はかなりいい加減です。
B.C.285~4年 プロローグ
当時、斉の閔王は宋を滅ぼし天下を併呑する勢いであった。
斉の増長を食い止めるため、燕・秦・韓・魏・趙の五か国が連合軍を結成。
燕の名将楽毅は斉の都、臨淄を攻撃、閔王は敗走。
次々に斉の城は落とされ、莒と即墨の二城が残った。
閔王は各地を転々するも受け入れてもらえず、莒に亡命する。
唯一の五か国連合に加わらなかった楚は、将軍の淖歯に斉を救援させた。ただちに彼は斉の宰相となる。
しかし、淖歯は閔王を殺し燕と宝物を分け合う。
閔王の息子である斉の太子法章は、名を変え衣服を変え逃亡した。
コメント:
閔王敗走の前に、「まず隗より始めよ」のエピソードがあります。
人材を求める燕の昭王が、自国の学者、郭隗に相談したところ「まず、私のような平凡な人材を優遇しなさい。そうすればもっと優れた人材がやってくるでしょう」と答えました。燕の昭王が郭隗の助言を実施したところ、燕に優れた人材が集まったという話からくる、故事成語です。
今では「言い出しっぺが始めろよ」という意味で、よく使われますね。
では、なぜ燕の昭王は人材を求めたのか? これ、斉の閔王に、父王を殺された燕の昭王の復讐なんです。燕は、打倒斉を目指し、人材を確保し連合軍を結成し、ついに目的を達する訳です。
B.C.284年 出会い
法章は太史敫という者の家で庭の水撒きをしていた。
太史の娘は、その男の容貌に尋常ならざるものを見出す。この人は普通の人ではないと憐れに想い、衣食を与え面倒を見た。
法章は娘に身の内を明かし、二人は結ばれた。
コメント:
史記では太史敫で名が統一されていますが、戦国策では太史敫・ただの太史・太史后と名前がバラバラで、どれが本名なんだといいたくなる。
太史というのも、姓なのか職業なのかわからない。
好きになったわけ……ルックスがよかったから好きになった……違うか。
ただの雇人にしてはどこか変だったので気になったのでしょう。
B.C.284年 仇討ち
閔王に仕えていた15歳の少年、王孫賈は王の行方を見失い、母の元へ戻った。
しかし母は「王が行方不明なのになぜお前は戻ってきた」と息子を叱責する。
母の言葉に目覚めた王孫賈は、400人の仲間を集め王の仇、淖歯を殺し雪辱を晴らした。
コメント:
史記では淖歯は殺されず斉を去ったとあります。
B.C.284年 新王の即位
淖歯の死後、莒の人々や斉王の旧臣達は閔王の子を捜し求める。法章は自ら名乗りでて即位する。これが斉の襄王である。
そして太史氏の娘を后に立てた。彼女は君王后と呼ばれ息子の建を産んだ。
しかし父親の太史氏は「娘は仲人も立てずに勝手に嫁ぎ、我が家を汚した」と怒り、生涯娘に会わなかった。
君王后は父に許されなくても人の子としての礼を失わなかった。
コメント:
このお父さんのお堅いこと。娘が玉の輿に乗ったというのに……漢代の政治に介入する皇后一族とは大違い。
このときは滅亡寸前の斉のお后なんて、迷惑だったかも。
B.C.284~279年 田単出撃
連合軍は解散したが、燕の楽毅は粘っている。
即墨の役人田単が将軍に抜擢される。
彼はまず、強敵楽毅を策略によって遠ざける。
様々な奇策を弄し火牛の計によって燕軍を打ち破り、斉の失われた城を取り返す。
そして莒から襄王を臨淄の都に迎え、田単は安平君に封ぜられた。
コメント:
火牛の計というと、木曾義仲を思い出します。でも危険じゃないか? 味方が先にやられないか?
楽毅と田単の攻防戦は戦国時代の中でもドラマティックで、どの解説本にも載っています。
B.C.279~264年 田単との確執
田単は、国を救った英雄かつ田氏の一族である。
襄王の側近達は田単を謗る。
王は、田単が斉王の座を狙っていると疑い、田単を呼びつけ、
「君は臣下としての礼を行え。我は王としての礼を行うだけだ」と言い渡した。
これを聞いた田単の友人貂勃は王に田単の功績を説く。
王は、田単を謗った側近達を殺し、田単に1万戸を加増した。
コメント:
史記では、斉を救った後の田単の行方はわかりません。
この話はどこまで史実かわかりませんが、充分あり得る事でしょう。
B.C.264~249年 君王后の治世
襄王は即位19年に歿し、息子の建が王となった。
後を受けた君王后は、秦王に仕え諸侯と交わり斉を戦乱から守る。
秦の昭王が使者に知恵の輪を持たせ「斉には知恵者が多いがこれを解けるかな」と言った。
斉の群臣は誰も解けず、君王后は槌で輪を砕き「謹んでお解きいたしました」と返答した。
コメント:
知恵の輪粉砕事件は、史記にはありません。アレキサンダー大王の逸話と似ています。こちらの方が100年後です。西方から話が伝わったかもしれません。それとも似たような話は洋の東西問わず発生するのですかね。
秦は斉を愚弄しているとも考えられ、君王后が単に謹厳に仕えているわけではないと恫喝したとも……。考えすぎか。
B.C.249年 死に臨む
君王后は死の間際に息子の建を呼び寄せ「群臣で用いるべきものは」と言いかける。
建は次の言葉を待つが、君王后は「もう、この老女は忘れました」と言い残して亡くなった。
コメント:
名前ぐらい言いなさいよ……。言いかけてやめたとはボケたのか?
その後、斉が秦によって滅ぼされたことから、託す人材がいなかったってことかな?
三国志の諸葛亮の遺言のように。(でもあれは、数名名前を挙げてから黙るんだよね)
B.C.249~221年 斉の滅亡
君王后の死後も、斉は兵火を免れた。
しかし、秦国はその触手を次々と伸ばし諸国を併呑、残るは斉一国のみ。
宰相となった后勝は王に降伏を勧め、王は秦に囚われる。
中国は秦一国になり、秦王は自らを皇帝と称す。戦国時代は終わり始皇帝の世が始まる。
コメント:
后勝さんについては、秦から賄賂を受け取ったとか国境を閉ざし防戦したとか、いろんな説があり、よくわかりません。
亡国の君主と宰相ですから、悪し様に言われてしまうけどね。
B.C.209~202年 エピローグ
始皇帝の死後、国は乱れ陳渉・呉広の乱が勃発。
斉王建の弟田仮や孫の田安も含め田一族が斉王に立てられるが、次々と殺される。
争いは楚の項羽と漢の劉邦の対決に集約され、劉邦が漢王朝の初代皇帝となった。
コメント:
その後の田氏がどうなったのか、よくわかりません。
史記では田氏があまた登場するのに、三国時代になると田氏なんて、有名なところでは袁紹の参謀田豊ぐらいだもんね。
2024年4月付記
その後の田氏については、こんな話が残っていました。
斉王建の孫、田安は殺されるが、故国の斉地方で子孫は生き延びる。斉王の子孫ということで、一族は、田から王に氏を変えたという。
その末裔が、漢王朝を簒奪して一代限りの王朝を建てた王莽である。
王莽ってもしかすると今回の話で一番メジャーなキャラかもしれません。
漢王朝を簒奪し悪政をしたことか、中国史ではもっぱら嫌われ者です。が、中国史ファンじゃなくても世界史を勉強した人なら、王莽の名は聞いたことあるんじゃないんでしょうか。私は中国史に興味持つまで知らなかったけど。
この話を聞いて私、何とも言えない気持ちになりました。
君王后様の子孫が、たとえ短命王朝だろうが皇帝になったのです。でも、嫌われ者というのが、何とも表現しがたい気分です。
3 Q&Aで語る君王后
Q この人のどこがお気に入りなの?
A 女性の方から好きになった人と結婚できたパターンって、史記に限らず古代では少ないもん。
それに史記に出てくる女性は、呂后のような権力亡者か、妲妃のような傾城の美女か、どちらにしても悪女が多いの。
立派な人というと、晋の文公の妃の斉の王女かな。この人は腑抜けな夫を奮い立たせるためにわざと夫を城から追い出すわけ。立派だけど夫と別れるんじゃ寂しいなあ。
その点、この方は自分から好きになった人とずっと一緒。史記の中ではかなり好意的に書かれているところもステキ。
Q 単に、王子様に弱いんでしょ?
A だってえ、ロマンスじゃない。
「助けたあの人は、なんと王子様!!」
しかも、美形とくれば文句なし。
王子様が恩に報いて后に立てたのも愛だよね。
この時代の権力者にしては何て女心がわかっているんだろうって、感動しちゃうよ。
Q 男は顔じゃないでしょ? 国の功労者の田単さんを疑ったりしているじゃない
A それは仕方ないでしょう。あの話がどこまで本当かわからないけれど、田単が王様になってもおかしくない状況なんだから。
ボロボロになった斉を何とか持ちこたえただけでも、立派な王様だよ。
田単が独立勢力にならず武将のままでいたのも、王様の技かもしれないよ。
Q 随分、庇うんだね
A あの君王后サマが好きになった人だから、ただの王様じゃいやだもん。何が何でも立派な王様であって欲しい。いや、ボンクラ王に尽くす女というのも愛としては美しいけれどね。
史記や戦国策を読んでも、はっきりと名君だとは書かれていないけど、暗君とも言われてないよ。
Q それにしても知られていないね
A 知る人ぞ知るのエピソードみたい。史記を知っているなら皆知っているはずなのに、巷の解説本にはあまり取り上げられないの。
背景にある楽毅と田単の戦いは必ず出てくるんだから、ちょっとぐらい載せてもいいのに。
************
2024年4月 補足
四半世紀ぶりにこのページを振り返りましたが……これ、古代中国知らない人には難しいページですね。なので「まず隗より始めよ」については、今回、説明を加えました。
今回の話でも、君王后はマイナーキャラですが、楽毅と田単はメジャーキャラです。彼らの攻防は戦国のハイライトです。でも、古代中国知らない人には、ピンとこないよね。
ひとつ思い出話を。昔のホームページって、いわゆる第2水準漢字が表示できなかったんです。たとえば、斉の都の臨淄の「淄」。ではこの手の漢字をどう表示していたか? 「臨シ(水巛田)」と書きました。
他に書き換えた漢字は次の通りです。
●淖歯 トウ(水卓)歯
●莒 キョ(艸呂)
●太史敫 太史キョウ(白方攵)
いや~、よく古代中国のホームページなんて作ってたよなあ。こんな面倒なことをして。
まあ難しい事情はともかく、こんな乙女な話がなぜ四半世紀経ってもマイナーなんでしょう?
屋敷のお嬢様が、なぞの使用人と恋仲になる、それだけで萌え設定じゃありませんか。
しかも彼は亡国の王子! そして国が復興し彼は王位につくと、彼女をちゃんと后にして、彼女の子を太子としたんです。
彼女のお父さんの頑固親父っぷりも、嫌いではありません。
当時の倫理からしたら、結婚前の娘が屋敷の雇人とデキちゃうなんて言語道断でしょう。
たとえ娘が后になっても許さなかったお父さん。現代人の感覚からすると、意地張るんじゃないよ、と言いたくなりますが、これはこれで筋が通っています。
ということでどなたか……君王后様のラブロマンスを小説にしてください!
え? 私はぜーったい無理です。古代中国史小説なんて、めっちゃハードル高過ぎです。まず君王后の名前からして、思いつきません。古代中国の女性は名前、残らないんですよ。後の時代、漢王朝の皇后レベルになると、名前が記録されますが。
繰り返します。
これ、なかなかおいしい中華ロマンスになると思うんです。
異世界恋愛の主流はヨーロッパ系ですが、どうしてどうして中華も負けていません。書ける方は、たくさんいらっしゃるはず。
このエッセイを読んだ方(ってすごく少ないか)、ぜひともお願いします。あ、自分では書けないという方は、書けそうな方に、おいしいネタがあるよと、お伝えください。
私は、君王后様が主役のラブロマンスを読みたいんです!
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人生・にゃん生いろいろ
景綱
エッセイ・ノンフィクション
人と猫のエッセイ短編集。
「はい、私カビが生えました」えええ、なにぃ~。それに猫カビってあるらしい。
気づくとそこに知人の子供が!? 勝手入って来るなんて。猫が勝手に侵入?
惹かれる声ってあるよね。濁声の猫?
子猫がずっとついてきて可愛すぎ。などなど。
ここから、学べることもあるのかも?
「えええ、こんなことがあるのか」と楽しんでくれたらと思い書いてみました。
わが家にいた愛猫、わが家に来る通い猫さんの写真も掲載。
(写真は画像が荒いものもあります。古い写真もあるので)
大晦日はあはぬ算用(おおつごもりは合わぬ算用) ~「西鶴諸国ばなし」より
糺ノ杜 胡瓜堂
歴史・時代
江戸時代の作家「井原西鶴」が、貞享2(1685)年に出版した「西鶴諸国ばなし」
笑い話から、不思議な話、ちょっと感動のストーリーまで、様々なお話が掲載されている非常に面白い本です。
その中から、武士の「義」と咄嗟の機転についてのお話をひとつ!
巻の一に収録されている「大晦日(おおつごもり)はあはぬ算用 江戸の品川にありし事」というお話です。
万年貧乏浪人の原田内助・・・この年も越せそうになく義兄に金の無心をすると、義兄からは十両の小判が届けられます。
思いがけない幸運に、昔からの親友の浪人仲間を招いて酒宴を催す内助でしたが、その席で小判が一両紛失してしまいます・・・。
事の顛末は・・・ちょっといい話です。
全二話、約4千文字。
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