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三章 僕は彼女に伝えたい

61 クリスマスコンサート

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 アンサンブルサークルの総決算、クリスマスコンサートが始まる。
 会場は、区民会館のホール。僕は、伴奏者としてピアノ奏者として、舞台に立つ。
 席数五百人のこじんまりしたホールの半分が埋まった。先輩たちが言うには、いつもより多いとのこと。もちろん、あいらはその中にいる。堀口宗太には来てもらわなくてよかったが、僕の知らない女を連れてきた。少し安心した。

 文化祭の曲目と同じだが、今回はちゃんとしたホールで、グランドピアノが弾ける。
 アンコールで僕は「ねこふんじゃった」のアレンジを披露した。篠崎あいらのために。文化祭と同じように。
 が、文化祭から僕は変わった。あの時は、彼女とずっと一緒にいるつもりだったが、今は違う。いずれ僕は、彼女を捨てる。

 観客から静かな笑い声が漏れる。ジャズパートに入ると、手拍子が加わった。終わると拍手喝采。
 篠崎あいらのいる席に顔を向ける。暗くて彼女の表情はわからないが、喜んでくれただろう。
 今は彼女を徹底的に喜ばせる時。他の男に走らないように。僕の心を疑われないように。

 コンサートが終わると、サークルのメンバーがロビーに勢揃いし、帰る人々を見送る。大学の講義仲間が現れ小突かれ一緒に写真を撮る。篠崎あいらが現れた。

「ピアノ、カッコよかった。猫ちゃん、かわいかったよ」

 あいらは、素朴な感想とともに一輪の真っ赤な薔薇を出した。

「ありがとう。あいらのために弾いたんだよ」

「恥ずかしいよ」

 サークルのメンバーの前で、あえて言ってみせる。

「へー、三好君、この子、近くで見るの、初めてだなあ」

 隣で前坂由奈さんが、突っ込んできた。あいらがペコっと頭を下げる。

「私、その辺にいるから」

 彼女はロビーの人混みに溶けていった。
 しばらくすると、堀口宗太がやってきた。知らない女と二人で。

「マサハルくーん、お前、本当になんでもできるんだな」
 
「ピアノは、子供の時からやってたからね」

「すげー、おっ! あいらちゃん、みっけ! じゃあなあ」

 ヤツは、人混みの中から、ホールの隅の柱に寄りかかる篠崎あいらを見つけ、近づいていった。女とともに。

「お、おい!」

 呼び止めてももう遅い。あいらは宗太に声をかけられびっくりしたようだ。が、すぐ笑顔になり、宗太と知らない彼女と三人で盛り上がっている。

「三好君! 今は、彼女ちゃん見てる時じゃないの! お客さんに挨拶!」

 前坂さんに珍しく、先輩らしい指導をされた。
 それも今日で最後だ。アンサンブルサークルは今日で辞める。あいらと約束したから。彼女を不安にさせる要素はなくさないと。


「納得できないなあ。あの彼女ちゃん、どこがいーの? 同棲してるんだって?」

 ホールの後片付け中に、前坂さんに絡まれる。
 今日で最後だ。先輩に気を遣う必要はない。

「かわいいんです。お弁当作ってくれるし、掃除もやってくれます」

 あいらは、自分が貧しく生活費を払えないからと、率先して家事をやってくれる。僕はそんなことを期待していなかったが、助かっている。

「三好くんってそーなんだあ。無料の家政婦さんってことかあ」

 無料の家政婦だと! フォルテッシモで殴られたかのような衝撃が、僕を襲う。

「そんなつもりはありません! あなたにあいらの何がわかるんです!」

 しまった。いくらサークル最後の日でも、理性を失うのは僕ではない。

「うわーん、三好くーん、怒んないでえ」

「すみません。つい……その、彼女、すごいがんばってるんです。そういうところが好きです」

「なにそれ、あたしだってがんばってるんだよ」

「先輩には四条リューがいるじゃありませんか。うちの大学のスタートアップをサポートしてるから、先輩もスタートアップ、始めたらどうですか?」

 僕もいずれスタートアップをやってみたい。が、葛城先生の様子からすると、四条リューには近づかない方がいい。

「あたし、スタートアップとかは、どーでもいーんだよね。テレビのかっこいいリューちゃん見てれば。そうだ! 奥さん、この大学の先生だったのよお」

「え? 四条リューがバラしたんですか?」

 そんなことしたら、葛城先生に本当に殺されるのでは?

「ううん。関係者っぽい人が、リューちゃんの大学時代の写真アップして呟いてた」

 葛城先生も、情報工学の世界では知られている人だ。バレるのは、時間の問題だったのだろう。

「奥さん、すごい先生かもしれないけど、変なおばさんじゃん。若い時の写真もブスだし、リューちゃんって、ブスが好きなのかなあ。じゃ、あたし、無理じゃん」

 すごい自信だ。前坂さんはブスではないし、葛城先生は美人という感じではない。いつも謎のギラギラしたシャツを着ている。でも、四条リューは、葛城先生に未練があるようだ。よくわからないが、先生には惹きつけるものがあるんだろう。

「あたしも三年で引退だし、就活全然うまく行かないし、サークルじゃ三好君に振られちゃうし、いーことなーんにもないなあ」

「就活? まだ一年以上ありますよ」

「ここの大学ではみんな、修士に行くんでしょ? でもあたしたちは、三年になったら就活だもん」

 そうか。就活で忙しいのに、前坂さんはサークルを盛り上げようとがんばってくれた。文化祭のため運営委員会に出席し、コンサートのホールを借りてプログラムを印刷して……練習だけやってる一年とは違い、三年生は色々あるんだろう。

「前坂さん、おかげで楽しかったです。サークルは抜けますが、伴奏が必要なら言ってください」

「だから、引退するあたしに言っても仕方ないの!」

 いまさら気がついた。この先輩が引退するなら、辞めることもなかったか。
 でも彼女に約束したんだ。
 ホールを出ると、篠崎あいらが駆け寄ってきた。


「サークル辞めなくても良かったのに」

 マンションまでの帰り道、クリスマスイルミネーションで輝く街並みを、二人でゆっくり歩く。

「ピアノをちゃんとやりたいんだ」

 高校まで続けていたピアノのレッスンを再開する。僕のレベルに合ったコンクールにエントリーしよう。地元の音楽発表会に参加しよう。
 母が望んだプロのピアニストになれなくても、ラフマニノフが弾けなくても、意義はある。

「よかった。雅春君のピアノ、いっぱい聴けるんだね」

「あいらがそう言ってくれるなら、練習しないとな」

「うん、音もすごいけど、弾いてる雅春君、本物の王子様みたい」

 褒めてくれるのだろう。王子と言われるのは、何度聞いても愉快だ。
 でもさ、あいら。
 僕は王子じゃないんだ。
 将来それを君が知ったら、泣いて僕に縋り付くだろうか?
 そんなかわいそうな君を見るのが、僕の夢なんだ。
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