上 下
60 / 77
三章 僕は彼女に伝えたい

58 クリスマスディナー

しおりを挟む
 僕の両親と、篠崎あいらの両親の顔合わせを兼ねたクリスマスディナーは、何事もなく進む。
 デザートはブッシュ・ド・ノエル。パティシエがその場でケーキを切り分け、オレンジソースを掛けた。
 あいらは「わあ、クリスマスだね」と目を輝かせる。隣りで彼女の母が「静かにするんだよ」とたしなめた。
 彼女はディナーの始まりこそ緊張していたが、舌平目のムニエルが出るころは「おいしい」を連発していた。
 すかさず父が「喜んでくれて安心したよ。若い子の好みはわからないんで」と笑いかけ、母も「おいしく召し上がってくれて、嬉しいわ」と合わせる。
 事前に僕は、両親に釘を刺しておいた。あいらたちに嫌な思いをさせるな、マウントを取るな、両親の職業や夫婦関係に突っ込むな、と。

 母が立ち上がり、隅のアップライトピアノの蓋を開けた。
 あいらが僕に「お母さんと一緒に弾かないの?」と勧めるが、彼女の前で母親と連弾なんかしたくない。以前のクリスマスディナーでは母とピアノを弾いたが、あのときは小学校低学年の子供だった。

 母が軽く音を鳴らし「ちゃんと調律してあるわ」と微笑む。
 父が「月の光がいいな」とリクエストした。前も父はそんなことを言っていた。青山星佳と文化祭の曲の練習を、実家で練習しいた時だ。曲に思い入れがあるのか? いや、名前を知ってるピアノ曲が、それだけなのだろう。
 母は素直にリクエストに応えた。優しいが寂しくて透明な音色が、小さな部屋を満たす。
 この人に思うことは色々あるが、彼女のピアノは認めざるを得ない。

 曲が終わり、ピアニッシモの響きが空気に溶け込むと「うわあ! 本当のコンサートみたい!」とあいらが拍手した。「失礼だって」と彼女の母が、娘の肘を突っつく。
「ごめんなさい。ピアノの先生ですもんね」と、僕と母に頭を下げた。
 僕も母をピアニストと呼んでいいか、わからない。有料の単独コンサートを開いたことはない。ただ最近、近所の子供やお年寄りのために、ピアノレッスンを始めた。ピアノの先生は間違いない。
 母が「ありがとう」と立ち上がり、近づいてきた。反射的に僕は、防御態勢を取る。

「あいらさん、一緒にどうかしら?」

 彼女は母に腕を取られ、テーブルから離れた。

「母さん、やめろよ!」と彼女を連れ戻そうとしたが、「雅春君、大丈夫だから」と彼女は笑い、母と共にピアノの前に立った。

「お母さん、私、ピアノ習ってないし『ねこふんじゃった』しか知らなくて……」

「かわいい曲ね。弾いてみたら?」

 たまらず僕は立ち上がり「いい加減にしてくれ」と二人の間に割って入る。が、あいらは僕などいないように、ポツポツと『ねこふんじゃった』を弾いた。

「ちゃんと最後まで両手で弾けたじゃない」

「この曲は、小学校のオルガンでみんなやってたから」

 いつの間にかやってきた父に袖を引っ張られ「雅春、落ち着け」と、テーブルに連れ戻される。
 母の即席レッスンが始まった。

「上手だったけど、猫ちゃんの曲だから手を丸くしてみて。もっとかわいく弾けるわ」

 曲やピアニストによって指の形は様々だが、ピアノの基本は指を丸める。僕も幼い時、レッスンで何度も先生から「猫の手」と口酸っぱく言われた。

「こ、こうですか? なんか難しいですね」

「何度も弾くと慣れるわよ……そうそう! ほら、音が優しくなった。今度うちにピアノを弾きにいらっしゃい」

「はい。でも、この歳からピアノは難しいですよね」

「プロになるのは厳しいけれど、私の生徒さんには七十歳のお祖母ちゃんもいるわ。あいらさんは充分若いから、すぐ覚えるわよ」

 母は、青山星佳に執着し、あいらを毛嫌いしていた。今日のディナーであいらに辛く当たるのではと心配していたが、二人は……少なくとも、僕と母よりは仲良く笑いあっている。
 即席レッスンから解放されたあいらは、テーブルに戻って「楽しかった」と微笑んだ。安心しつつ、僕だって彼女にピアノを教えているのに、と、対抗意識が湧いてくる。


 マカロンを添えたコーヒーが出された。フランス料理の締めくくりは、カフェ・ブティフール。
 あいらは「これが噂のマカロンかあ」と一口かじった。一方、彼女の両親はマカロンには目もくれず、顔を見合せて頷く。と、桑原さんは小さな封筒を持って、父に近づいた。

「三好さん、これを……」

 桑原さんが封筒を差し出した。父は眉を寄せ「今、開けてもいいですか?」と確認して、封から一枚紙を取り出した。

「……わざわざこんな……」

 父は紙を封筒に戻して返した。封を受け取ったあいらの父は頭を下げる。

「上京してもうすぐ五年になりますが、先日、向こうの女房と離婚しました」

 桑原さんが離婚?
 調査報告書によると、彼とあいらの母は、教師と生徒の関係だった。母は同級生の子を妊娠し高校を退学。桑原さんは責任を感じ、あいらの母を気に掛けていたが、二人はいつしか教師と生徒の関係を超える。彼には妻子がいた。
 あいらの顔をマジマジと見つめた。彼女は口元をわずかに綻ばせている。
 父は眉を寄せたままだ。

「桑原さん、なにも戸籍を見せなくても……」

「三好さん、口先だけでは信用されませんから」

 桑原さんは離婚が成立した証拠として、自分の戸籍謄本を父に見せたようだ。
 父はコーヒーを口に含んで微笑んだ。

「夫婦はそれぞれですから。でも正直、安心しました。あいらさん、よかったですね」

「あ、そ、そうですね」

 あいらは肩をすぼめている。悪いことをして叱られた子供みたいだ。
 一方父は、笑顔を僕に向けた。相変わらず不気味な笑顔だ。

「雅春。お父さんとお母さんに、このホテルを案内してあげなさい。お前はよく遊びに来てたから知ってるだろ?」

 唐突な父の提案に「はあ」と間抜けな返事をして、あいらの両親を見つめる。「お願いします」と二人に頭を下げられた。


「さっきの部屋にもピアノがありましたが、貸切りのピアノルームがあって、ちょっとしたコンサートが開けます」

 赤いカーペットが敷かれた廊下を、あいらの両親とゆっくり進む。

「ピアノルームは母が希望したんです。あ、ホテルの経営は別の会社で、父の会社がこの一帯を開発し、土地をテナントに貸してます」

 両親から何度も聞かされた話を、そのまま伝える。

「本当に三好さん、すごいお家なんですねえ。うちとは全然身分が違う」

 あいらの母が足を止めてため息をついた。しまった。これはマウントになるのか?

「身分なんてやめてください。僕もあいらも同じ大学生ですから」

「違うんですよ。三好さん」

 今度は父親が足を止めた。真剣な眼差しが注がれる。

『娘を妊娠させた男だ。恨まれて当然だ』

 父の言葉を思い出す。僕はあいらを妊娠させてはいない。でも、僕はあいらに曖昧な態度を取っていた。もしあいらがこの人に話していたら……恨まれてもおかしくない。
 来るなら来い、土下座して謝り倒そう、と、二つの拳を握りしめる。
 しかし彼は、事象の地平を超える願いを、僕にぶつけた。

「別れるなら、なるべく早く別れてやってください」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【R18】男嫌いと噂の美人秘書はエリート副社長に一夜から始まる恋に落とされる。

夏琳トウ(明石唯加)
恋愛
真田(さなだ)ホールディングスで専務秘書を務めている香坂 杏珠(こうさか あんじゅ)は凛とした美人で26歳。社内外問わずモテるものの、男に冷たく当たることから『男性嫌いではないか』と噂されている。 しかし、実際は違う。杏珠は自分の理想を妥協することが出来ず、結果的に彼氏いない歴=年齢を貫いている、いわば拗らせ女なのだ。 そんな杏珠はある日社長から副社長として本社に来てもらう甥っ子の専属秘書になってほしいと打診された。 渋々といった風に了承した杏珠。 そして、出逢った男性――丞(たすく)は、まさかまさかで杏珠の好みぴったりの『筋肉男子』だった。 挙句、気が付いたら二人でベッドにいて……。 しかも、過去についてしまった『とある嘘』が原因で、杏珠は危機に陥る。 後継者と名高いエリート副社長×凛とした美人秘書(拗らせ女)の身体から始まる現代ラブ。 ▼掲載先→エブリスタ、ベリーズカフェ、アルファポリス(性描写多め版)

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

孕むまでオマエを離さない~孤独な御曹司の執着愛~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「絶対にキモチイイと言わせてやる」 私に多額の借金を背負わせ、彼氏がいなくなりました!? ヤバい取り立て屋から告げられた返済期限は一週間後。 少しでもどうにかならないかとキャバクラに体験入店したものの、ナンバーワンキャバ嬢の恨みを買い、騒ぎを起こしてしまいました……。 それだけでも絶望的なのに、私を庇ってきたのは弊社の御曹司で。 副業がバレてクビかと怯えていたら、借金の肩代わりに妊娠を強要されたんですが!? 跡取り身籠もり条件の愛のない関係のはずなのに、御曹司があまあまなのはなぜでしょう……? 坂下花音 さかしたかのん 28歳 不動産会社『マグネイトエステート』一般社員 真面目が服を着て歩いているような子 見た目も真面目そのもの 恋に関しては夢を見がちで、そのせいで男に騙された × 盛重海星 もりしげかいせい 32歳 不動産会社『マグネイトエステート』開発本部長で御曹司 長男だけどなにやら訳ありであまり跡取りとして望まれていない 人当たりがよくていい人 だけど本当は強引!?

【R18】君を待つ宇宙 アラサー乙女、年下理系男子に溺れる

さんかく ひかる
恋愛
7年前、失恋した私は、18禁乙女ゲームにハマり30歳直前で処女。しかも失業中で就活全敗。 だけど不思議な少年に出会った。口を開けば宇宙の話で、私は妖怪扱い! なのに彼が忘れられない。(1章) 年下宇宙オタクの正体が判明! 私は大学の広報に就職。さっそく上司が無茶を言う。マスコミ嫌いの先生に取材を受けさせろ。でないとクビ! だから彼に相談した。決して下心からではない!(2章) 田舎の祭り準備で私は7年前の失恋相手と再会。彼に少しは気にしてほしい。30歳で処女は嫌。だから彼にお願いした。私の部屋に来てほしいと。(3章) 失恋相手は去り、あやふやなまま私たちは身体の関係へ。割り切ったつもりだが、スーパーリケジョの彼女が登場。もう彼のそばにはいられない……(4章) 宇宙飛行士は登場しません。では「君を待つ宇宙」とは何か? 田舎にできた新しい大学での純愛と官能。ハッピーエンドです。 R18設定です。性描写がある話には、タイトルに※R と入っています。感想、お待ちしています。 初月みちる様が、主人公の素芦那津美を美しく描いてくださいました。 最初のページに登場します。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

腹黒御曹司の独占欲から逃げられません 極上の一夜は溺愛のはじまり

春宮ともみ
恋愛
旧題:極甘シンドローム〜敏腕社長は初恋を最後の恋にしたい〜 大手ゼネコン会社社長の一人娘だった明日香は、小学校入学と同時に不慮の事故で両親を亡くし、首都圏から離れた遠縁の親戚宅に預けられ慎ましやかに暮らすことに。質素な生活ながらも愛情をたっぷり受けて充実した学生時代を過ごしたのち、英文系の女子大を卒業後、上京してひとり暮らしをはじめ中堅の人材派遣会社で総務部の事務職として働きだす。そして、ひょんなことから幼いころに面識があったある女性の結婚式に出席したことで、運命の歯車が大きく動きだしてしまい――?  *** ドSで策士な腹黒御曹司×元令嬢OLが紡ぐ、甘酸っぱい初恋ロマンス  *** ◎作中に出てくる企業名、施設・地域名、登場人物が持つ知識等は創作上のフィクションです ◆アルファポリス様のみの掲載(今後も他サイトへの転載は予定していません) ※著者既作「(エタニティブックス)俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる」のサブキャラクター、「【R18】音のない夜に」のヒーローがそれぞれ名前だけ登場しますが、もちろんこちら単体のみでもお楽しみいただけます。彼らをご存知の方はくすっとしていただけたら嬉しいです ※著者が読みたいだけの性癖を詰め込んだ三人称一元視点習作です

【R-18】残業後の上司が甘すぎて困る

熊野
恋愛
マイペースでつかみどころのない上司とその部下の話。【R18】

処理中です...