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三章 僕は彼女に伝えたい

54 壮絶な戦い

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 スタートアップの支援を手掛けるコメンテーター、四条リュー。
 ニュースサイトで彼は、息子の自殺、そして離婚について語った。
 今、彼は、研究室の同期だった葛城奈保子准教授と、舌戦の最中だ。僕はうかつにも戦場に飛び込んでしまった。

「やっぱり僕、出直します」

「いいから三好くんはここにいるの!」

 修羅場に巻きこまれたついでに、僕は最終確認をした。

「先生は、四条さんと結婚していたんですね」

 葛城先生はゆっくりうなずき、腕組みして四条リューを睨みつけた。

「四条君にとっては、あたしは激甚災害みたいなもんか。いや、宣伝ツールとして役立ったね。世の中、不幸な結婚をした男には同情するからね」

「奈保子さん! そんなつもりじゃないんだ!」

 四条が大袈裟に腕を振り回して弁明している。
 葛城先生のヒートアップが止まらない。

「テレビに出るのもこの大学で仕事するのも、あんたの好きにすればいい。でも、レイ君の死を商売に利用するのは我慢できないんだよ!」

 僕は固まるしかなかったが、テレビ慣れした有名人はゆっくり動いた。

「違う。奈保子さんに、俺の気持ちを聞いてほしかった。ケータイもメールも拒否されてる。これしかなかったんだ」

 四条リューは腕を伸ばし、先生の頭に触れた。が、即座に先生は元夫の手をピシャリと叩いた。

「あんたの気持ちは何十回も聞いた! 『母親なのに何やってたんだ』『仕事にかまけてるからだ』『母性がないのか』『結婚するんじゃなかった』って毎日……あの記事でもそう言ってるよね?」

 えっ! 
 あまりに強烈なセンテンスの羅列に、僕は四条の顔をマジマジと見つめる。

「確かにそう言ったかもしれない。すまなかった」

 本当なのか? 子供に自殺され夫から責められれば、いくら元気な先生だって傷つくだろう。

「でも今は、レイのことを全て君に任せた俺が一番悪いと思ってる」

「ほら、あたしのせいだってことだろ?」

 夫は、息子の自殺について妻を責めた。妻は耐えきれず離婚しその後、音信不通。夫は妻とコンタクトをとるため、ニュースサイトに告白した……ということか。
 しかし、僕はいつまでこの修羅場に付き合えばいいんだ?

「いい加減にしてください! 僕はもう出ます!」

「出るな! じゃないとあたし、こいつを殺すかもしれない!」

 殺す?
 五十過ぎのおばさんに脅迫され、再び僕は硬直する。
 四条は目を見開き、ゆっくり僕に向き直る。

「三好くん、大丈夫だ。もう出て行っていいよ」

「行くんじゃない!」

 息子に自殺された元夫婦。修復のしようがない傷を抱えた彼らの戦いに、たまに研究室に顔を出すだけの僕が付き合っていいのか?
 二人の中年に挟まれ僕はどうしたものか頭を回し、結論を出した。

「僕は四条さんと一緒に部屋を出ます」

 彼らに何を言うべきか、ただの大学生の僕にはわからない。が「殺す」なんて聞かされた以上、この場を立ち去ることはできない。
 緊張の波動が三人の間で広がる。が、四条リューが僕の背中をポンと叩き、恐ろしい時間は終わった。

「奈保子さんと初めて喧嘩できてよかったよ。三好君、帰るから、駅まで付き合ってくれるかな?」

 元夫婦なのに初めて喧嘩? 疑問はともかく、殺人事件が回避されたことに僕はホッとした。

「先生、じゃ、四条さんを送っていきますので」

「ごめんね、三好君」

 葛城先生が拝むように手を合わせている。泣き出しそうな歪んだ笑顔だった。


「四条さん、初めて喧嘩したんですか?」

 情報工学科のある南棟から大学の正門までは距離がある。素朴な疑問を有名人にぶつけてみた。

「そうだね、奈保子さんはいつもニコニコして、一度も喧嘩したことはなかった」

 僕の両親のように仲悪い夫婦もいれば、一度も喧嘩しない夫婦もいるだろう。が、この人たちは、息子の自殺で別れたのだ。別れるまで、さっきよりもっと酷い修羅場があったのではないか?

「俺は記者で忙しく、奈保子さんに全部任せていた。結婚式も家もレイ……息子のことも。彼女は無駄遣いする女じゃないし何も問題なかった……」

 何も問題なかったのに、なぜ息子は小学六年で自殺したのだろう?

「先生がかなりきついこと言ってましたけど」

『母親なのに何やってたんだ』
『仕事にかまけてるからだ』
『母性がないのか』
『結婚するんじゃなかった』

「恥ずかしいがあまり覚えてないんだ。全て上手くいったはずなのに、息子が死んで、突然別世界に放り込まれたようだった。彼女を責めて自分を保っていたんだ」

「それでも喧嘩にならないのですか?」

「奈保子さんはね、息子が自殺した日もニコニコしていたんだ」

 え? いくら葛城先生が強いからといって、どうして笑っていられるんだ?

「腹立って仕方なかった。笑うのはおかしいと言っても、彼女は笑顔を崩さない。息子が死んで半年過ぎ、いつも通り遅く帰ったら、彼女はいなかった」

 予告なしに家出され四条はショックだろうが、さすがの先生も傷ついたのだろう。

「彼女に連絡をとりたくても、着信拒否されてどうにもならない。すぐ弁護士がやってきて、離婚届を突きつけられた……それから奈保子さんとちゃんと話したことはない」

「本当に一度も喧嘩したことなかったんですか?」

 僕らは正門を出た。交差点の斜向かいに駅の改札が見える。

「そうだなあ。息子は勉強ができなかった。小学六年で九九を覚えていなかった」

 四条リューと葛城先生の息子ならさぞ優秀だろうと思っていたので、意外だ。

「四則演算の概念がわかってないようだった。俺は奈保子さんに塾を勧めた。何よりレイがつらそうだった。勉強が全然わからないと」

「喧嘩になったんですか?」

「いつも俺は全て彼女に任せてたが、これだけはレイのために、何とかしてやりたかった」

 夫婦の教育方針の違いということか。が、中学受験をするしないという話ならともかく、小学六年で九九がわからないのは、対策すべきだろう。

「そしたら彼女に『パパに任せた! 塾の選定よろしく。送り迎えも頼むよ!』って突きつけられた。俺が塾の送り迎えなんて仕事が忙しくて無理だから、そこで話は終わった……その年の夏休み、レイは自分の部屋で首を吊った」

 信号は青になったが、寒空の下、僕らは正門の前で立ち止まっている。

「奈保子さんは働きながら家のこともレイのことも全部やってたから、塾を探す余裕はなかった。俺が動くべきだった。レイが死んでも泣かなかったのは精一杯の強がりだったんだろう……俺はただ、彼女に謝りたかったんだ」

 四条リューは「三好君、助かったよ」と笑い、改札の人混みに溶けていった。
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