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二章 僕は彼女を離さない

42 文化祭前夜

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 高校三年の時、受験予定の大学の文化祭に出かけた。だからこの大学の文化祭は、初めてではない。
 今度は文化祭を眺めるだけではなく、文化祭を盛り上げる側にまわる。眺めるのは、前坂由奈さんと見に行く四条リューのトークショーぐらいだ。
 文化祭は自分が参加する方が楽しい。昔、他校の文化祭に誘われて行ったが、自分の学校や大学の文化祭が一番だ。

 文化祭前夜、サークルの練習室で会場の設営を手伝った。立て看板を置き、黒板にイラストを描いて、受付テーブルをセットする。
 サークルだけではなく、葛城奈保子先生の研究室で一般公開を行う。僕は研究室の学生ではないが、空き時間に少し手伝うことにした。

 サークルの発表会場の設営が終わったので、マンションに帰った。
 明日に備えて、軽く電子ピアノで発表曲のさわりを練習する。
 早めに寝ようとベッドに入ったが、目は冴えたまま。
 僕がこれまでになく興奮しているのは、単に文化祭の前日だからではない。

 どうにも眠れないので、キッチンでハーブティーを飲んだ。リビングの棚に置かれた『調査報告書』のファイルを手に取った。
 母に「よく読んで考え直しなさい」と実家で無理矢理渡された。
 篠崎あいらの人生が記されたファイル。

 ページをめくると、彼女の基本的なデータ、生年月日に現住所がプリントされている。
 彼女は五月生まれ。僕らが初めてしたとき、一浪している彼女はすでにニ十歳だった。僕は早生まれの二月。この場合、二つ年上ということか? 全然年上に見えないよな。
 彼女の現住所を確認する。ここから一時間と聞いていたが、西に伸びるJR線で進んだところだ。古い小さな公営住宅に家族三人で住んでいる。一度訪ねてみたいが迷惑だろうか?

 彼女の母は高校生であいらを産んだ。あいらの実の父とは別れシングルマザーとなった。あいらは、本当の父に会ったことはないのだろう。
 父親役を務めたのは、あいらの母の高校の担任、桑原さんだ。彼らはいつしか男女の仲になり、親子三人は故郷を追われた。

 篠崎あいらの人生を思うと眠れない。切なくて苦しくなる。
 明日のピアノ、寝不足で失敗したら君のせいだぞ。


 眠れなかったが、気分は悪くない。今日のジョギングはほどほどに、十五分程度で切り上げる。
 発表会で着る黒いスーツをテーラーバッグにしまって出かけた。

 大学入り口に、文化祭の大きな看板が立てかけてある。高校の時は気がつかなかったが……今日に限って女子が異様に多い。ほとんどが他大学の学生か高校生だろう。
 サークル棟の部室にテーラーバッグを置いた。ファスナーを開いてハンガーを棚の縁に引っ掛ける。
 発表会場となったいつもの練習室に移動し、設営を手伝った。

 午前中は僕も前坂由奈さんも空いているので、予定通り、彼女の推し、四条リューのトークショーを聴くため講堂へ移動する。
 満席に近かった。観客は学生だけでなく、葛城先生と同じ年代の女性が目立つ。
 前坂さんが事前にチケットをもらってくれたから会場に入れたが、そうでなければ、ネットのLIVE配信で我慢するしかなかった。

 あごひげに長髪を束ねた中年男が舞台に現れた。テレビやネットでよく見る顔と同じだ。隣りの前坂さんが「にゃあああ、なまリューちゃんだああ」と、テンションを上げる。
 少し前の僕にとってこの中年男は、知っている有名人の一人に過ぎなかった。が、今の僕は、前坂さんみたいにドキドキはしないが、それなりの関心を持っている。
 彼のいかにも怪しいオヤジ風のルックスは、今も好きになれない。
 僕が関心を寄せるのは、彼が学生の起業を応援しているからだ。

 入学時のオリエンテーションで、大学に学生のスタートアップを支援する事務局があると聞かされたが、興味が湧かなかった。働かなくても会社を立ち上げなくても、充分金はある。勉強に専念し、青山星佳以上の女を彼女にする。それが当初の目標だった。
 今、目標は修正を迫られている。勉強に力を入れるのは変わらないが、もう恋人はいらない。
 僕には篠崎あいらがいる。

 彼女といるためには、両親と対決しなければならない。マンションを追いだされ、資金援助を打ち切られるかもしれない。
 五百万円の貯金があるから、当分の間は生活できるが、博士を目指すならあと八年半が必要だ。博士ではなく修士で就職し、働きながら博士号取得を目指す方が現実的だろう。

 親の援助なしに生きるには、収入が必要だ。アルバイトなら、時給が高い家庭教師か塾講師がいいだろう。貯金の一部を投資に回そう。父に以前言われたことに従うのは悔しいが。
 そしてもう一つの収入を得る手段。それが起業だ。
 四条リューの本業、学生スタートアップのサポートに、僕は惹かれた。
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