上 下
74 / 92
四章 花嫁

69 旅立ち

しおりを挟む
 逃走劇は振り出しに戻った。ひみこの目の前に、鬼が立っている。が、彼女は覚悟を決めて、向き直った。

「ごめんなさい! 私、アレックスを可哀相と思ってるし、感謝もしている。でもね、やっぱり結婚は無理なの!」

 ひみこはアレックスに頭を下げた。そこへフィッシャーが割り込む。

「冗談じゃない! 私の五年間を返せ! やりたい研究は全くできず、そっちの教育と警護ばっかりだったんだ!」

「フィッシャーさんもごめんなさい! 私はいなくなるから、これから好きな仕事してください!」

「私の失われた五年間は取り戻せないんだよ! そちらが結婚してくれない限り」

 口撃が止まらない秘書の肩を、上司がポンと叩いた。

「アーン、ここは僕に任せるんだ。僕の部屋でアイーダが一人で待っているから、相手をしてほしい」

 フィッシャーは耳をピクっとさせる。アレックスの部屋にアイーダ? なぜ? が、秘書はそれ以上考えることはせず、上司の指示に素直に従い、屋上を後にした。決して大女優の名前に惹かれたわけではない。

 アレックスは秘書が去ったことを確認すると腕を伸ばし、ひみこの頬にそっと触れた。

「アタリマエダ。キミハ、ワカイ」

 ひみこは、またアレックスの日本語を耳にした。
 初めて聞くが、彼の言葉は驚くほど流暢だ。

「君はこれから、いくらでも君に相応しい男に会える」

 男の微笑みは穏やかで、普通にいい感じの……おじいちゃんだ。

「アレックス、日本語話せるんですね」

 ひみこは、彼が『カタカタした原始人みたいな言葉、好きじゃない』と言っていたことを思い出す。

「僕のウシャスは特別だから、どんな言語も簡単にマスターできるんだ。君はこれからどうするつもりだい?」

 ひみこは、この人、あたしよりきれいな日本語を話すな、と、感心する。

「東京に戻って親を待ちます」

「わかった。その前に、君にプレゼントだ」

 アレックスは、ガウンのポケットから、指輪を取り出した。イエローゴールドのリングに大きなルビー。彼がひみこへ贈った婚約指輪だ。

「ごめんなさい! そんなすごい指輪、受け取れません!」

「そうか。残念だな。では、こちらはどうかな?」

 老人はポケットから、今度は黒いリストバンドを出した。

「あれ? タマみたい」

「君の左腕を出してごらん」

 アレックスは、黒いバンドをひみこの左手首に重ねた。
 と、彼の持つバンドがキラキラ光りだした。

「にゃあ」

 本物の猫に近い鳴き声。バンドにはリアルな三毛猫が表示されている。

「え? タマ? でもカッコよくなっちゃってる」

「デザインが気に入らなかったら、このボタンを押すんだ。オリジナルモードになる」

 ポチっとボタンを押すと、ひみこに馴染みのゆるキャラのタマが表示された。

「ニャア」

 声もぎこちない。

「へへ、コッチの方がいいかな?」

 アレックスは、ひみこの腕から古い時計を外して、ほとんど見かけは変わらない黒いバンドを着けた。古い時計も彼女に渡した。

「さすがに五十年前のデバイスではいつ壊れてもおかしくないだろ? ダヤル本社に作らせた。このバンドの中にサーバー本体全てが組み込まれている」

「……アレックスは、タマが戻ったの知ってたの?」

「君がいつも話しかけていたじゃないか」

 男はくしゃっと笑った。

「それと少しだけサービスだ。君がしたいことを、タマに言ってごらん」

「えーと……お腹すいたなあ」

 するとひみこの左手がキラキラと光り、空中に地図が表示された。

「にゃに食べたい?」

 パワーアップしたタマが尋ねた。

「え、えーと、ステーキとか?」

「それはダメだにゃ」

 アレックスがカラカラと笑う。

「ひみこ、僕と結婚すれば、マグロもステーキも食べ放題だよ」

「いい! いらない!」

 少女は首をフルフルふった。

「ははは、またフラれたな。そう、君のアクセス制限を解除したよ。IDを使って、警察だろうが今まで知り合った人間だろうが、自由に連絡するがいい。君のタマが方法を教えてくれるよ」

「アレックス、ありがとう」

「公式サイトに来た君宛てのメッセージも自由に読める。日本語族保護局からのメッセージは先に見た方がいい」

 老人が顔をエアカーに向ける。扉が開いた。

「君がエアカーを自由に使えるようにした。距離ごとに料金が加算されるから気をつけるんだ。口座の管理も君のタマが教えるだろう」

 アレックスはふいにひみこの体を抱き寄せた。

「あ、あたしは!」

「わかっているよ。でも、少しだけこうしていたいんだ」

 二人の上に、雪が降り積もる。
 ふいに、男は少女の身体を離す。と、唇をひみこの唇に近づけてきた。

「ぎゃあああ、やめろおおお!」

「ははははは、君のその顔が見たかったんだ」

 そういって、少女の小さな頬にキスを送った。

 少女はエアカーの入り口で立ち尽くす。
 いろいろとこの老人には困らされた。脅迫され結婚させられるところだった。が、彼に出会わなければ知ることがなかった世界がある。
 ふと、腕を伸ばしてみる。アレックスがその腕を取り手の甲に唇を寄せた。
 ぼんやりと……このおじいちゃんのほっぺにキスしたら、喜ぶかな? と思う。
 いや、それはダメだ。
 ひみこは、彼に取られた手を引っ込めた。

「今までお世話になりました。本当にありがとうございます」

 ひみこは最後の日本語族の誇りをもって、深々と頭を下げた。

「もう、行くんだ」

 トン、と、アレックスがひみこの背中を軽く押す。エアカーの中に彼女は転がった。
 扉が自動的に閉まる。車は上昇し、札幌の雪空を飛んでいった。
 男は大きく手を振って、結婚するはずだった少女の旅立ちを見送った。

「ひみこ……よかったよ。君に最後のプレゼントを渡せて」

 彼は、日本語でも共通語でもなく、父から受け継いだ言葉で、ぼそっと呟いた。
 最後のウシャスの力を、彼は日本語の超短期学習に費やした。ものの五分で言語をマスターできるが、ラニカが与えた特別な力を消費する。
 全ての力を使い果たした彼の体を、強烈な睡魔が襲う。その場で崩れ落ち、雪が積もるホテルの屋上で眠った。
 駆け付けたアイーダとフィッシャーがホテルスタッフを呼び、彼の身は担架で運び出された。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

スペースシエルさん 〜宇宙生物に寄生されましたぁ!〜

柚亜紫翼
SF
「嫌だ・・・みんな僕をそんな目で見ないで!、どうして意地悪するの?、僕は何も悪い事してないのに・・・」 真っ暗な宇宙を一人で旅するシエルさんの身体は宇宙生物の幼虫に寄生されています。 昔、お友達を庇って宇宙生物に襲われ卵を産み付けられたのです、それに左目を潰され左足も食べられてしまいました。 お父さんの遺してくれた小型宇宙船の中で、寄生された痛みと快楽に耐えながら、生活の為にハンターというお仕事を頑張っています。 読書とたった一人のお友達、リンちゃんとの遠距離通話を楽しみにしている長命種の145歳、寄生された宿主に装着が義務付けられている奴隷のような首輪と手枷、そしてとても恥ずかしい防護服を着せられて・・・。 「みんなの僕を見る目が怖い、誰も居ない宇宙にずっと引きこもっていたいけど、宇宙船はボロボロ、修理代や食費、お薬代・・・生きる為にはお金が要るの、だから・・・嫌だけど、怖いけど、人と関わってお仕事をして・・・今日もお金を稼がなきゃ・・・」 小説家になろうに投稿中の「〜隻眼の令嬢、リーゼロッテさんはひきこもりたい!〜」100話記念企画。 このお話はリーゼロッテさんのオリジナル・・・作者が昔々に書いた小説のリメイクで、宇宙を舞台にしたエルさんの物語です、これを元にして異世界転生の皮を被せたものが今「小説家になろう」に投稿しているリーゼロッテさんのお話になります、当時書いたものは今は残っていないので新しく、18禁要素となるエロやグロを抜いてそれっぽく書き直しました。 全7話で完結になります。 「小説家になろう」に同じものを投稿しています。

分析スキルで美少女たちの恥ずかしい秘密が見えちゃう異世界生活

SenY
ファンタジー
"分析"スキルを持って異世界に転生した主人公は、相手の力量を正確に見極めて勝てる相手にだけ確実に勝つスタイルで短期間に一財を為すことに成功する。 クエスト報酬で豪邸を手に入れたはいいものの一人で暮らすには広すぎると悩んでいた主人公。そんな彼が友人の勧めで奴隷市場を訪れ、記憶喪失の美少女奴隷ルナを購入したことから、物語は動き始める。 これまで危ない敵から逃げたり弱そうな敵をボコるのにばかり"分析"を活用していた主人公が、そのスキルを美少女の恥ずかしい秘密を覗くことにも使い始めるちょっとエッチなハーレム系ラブコメ。

戦国姫 (せんごくき)

メマリー
キャラ文芸
戦国最強の武将と謳われた上杉謙信は女の子だった⁈ 不思議な力をもって生まれた虎千代(のちの上杉謙信)は鬼の子として忌み嫌われて育った。 虎千代の師である天室光育の勧めにより、虎千代の中に巣食う悪鬼を払わんと妖刀「鬼斬り丸」の力を借りようする。 鬼斬り丸を手に入れるために困難な旅が始まる。 虎千代の旅のお供に選ばれたのが天才忍者と名高い加当段蔵だった。 旅を通して虎千代に魅かれていく段蔵。 天界を揺るがす戦話(いくさばなし)が今ここに降臨せしめん!!

闇に飲まれた謎のメトロノーム

八戸三春
SF
[あらすじ:近未来の荒廃した都市、ノヴァシティ。特殊な能力を持つ人々が存在し、「エレメントホルダー」と呼ばれている。彼らは神のような組織によって管理されているが、組織には闇の部分が存在する。 主人公は記憶を失った少年で、ノヴァシティの片隅で孤独に暮らしていた。ある日、彼は自分の名前を求めて旅に出る。途中で彼は記憶を操作する能力を持つ少女、アリスと出会う。 アリスは「シンフォニア」と呼ばれる組織の一員であり、彼女の任務は特殊な能力を持つ人々を見つけ出し、組織に連れ戻すことだった。彼女は主人公に協力を求め、共に行動することを提案する。 旅の中で、主人公とアリスは組織の闇の部分や謎の指導者に迫る。彼らは他のエレメントホルダーたちと出会い、それぞれの過去や思いを知ることで、彼らの内面や苦悩に触れていく。 彼らは力を合わせて組織に立ち向かい、真実を追求していく。だが、組織との戦いの中で、主人公とアリスは道徳的なジレンマに直面する。正義と犠牲の間で葛藤しながら、彼らは自分たちの信念を貫こうとする。 ノヴァシティの外に広がる未知の領域や他の都市を探索しながら、彼らの旅はさらなる展開を迎える。新たな組織やキャラクターとの出会い、音楽の力や道具・技術の活用が物語に絡んでくる。 主人公とアリスは、組織との最終決戦に挑む。エレメントホルダーたちと共に立ち上がり、自身の運命と存在意義を見つけるために奮闘する。彼らの絆と信じる心が、世界を救う力となる。 キャラクターの掘り下げや世界の探索、道具や技術の紹介、モラルディレンマなどを盛り込んだ、読者を悲しみや感動、熱い展開に引き込む荒廃SF小説となる。]

処理中です...