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四章 花嫁

53 婚約

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 ひみこは、アレックスのプロポーズに「イエス」と答えた。

 結婚すれば、親は会うと言う。
 成人後、アレックスと別れて独立することに不安があった。
 親に捨てられたひみこを育ててくれた彼には、感謝をしている。

 それだけでは結婚の決め手にはならない。
 ひみこは決意したのは、アレックスが、遠くにいる母と心から幸せそうに話していたからだ。彼が哀れに思えて仕方なかった。
 結婚しても、今までと何も変わらない。頬や額にキスはされるだろうが、それ以上のことは何も起こらない。起こりようがない。二人の間には、通常の男女の間にある恋愛感情はないから。


 プロポーズを快諾されたアレックスは、途端に彼女を抱きしめた。

「ああ、僕は今、世界一、いや宇宙で一番幸せな男だ」

 男の力強い腕に少女は絡めとられる。息が詰まりそうだ。

「君の十八歳の誕生日、正式に婚約だ。来年の四月、教会で式を挙げよう。君もよく知っているあの教会だよ」

 唐突に今後のプランを早口で言われ、ひみこは硬直してしまう。

「ま、まって! 教会とか式はいいよ! 書類を出しておしまい、で、よくない?」

 ひみこにとって、これは本当の結婚ではない。法律上の形式さえ整えれば、今までと全く同じだ。わざわざお金をかけて結婚式をするなんて、もったいない。いくらアレックスがお金持ちでも、それは申し訳ない。

「……僕は、ビザンツの末裔として伝統は守りたい。結婚とは神に対する約束だ」

 アレックスが何かというビザンツ帝国について、ひみこはフィッシャー先生に教えてもらった。東ローマ帝国ともいい、ヨーロッパの古代から中世にかけ千年以上も続いた国だ。分裂前のローマ帝国と合わせれば千五百年ほどになる。アレックスの父は、その皇帝の末裔の貴族だ。
 ひみこは、彼の両親について深く考えていなかったことを、早くも後悔する。

「あ、あの……本当に大丈夫なの? 私たちの結婚。アレックスってお父さんは貴族で、お母さんはすごい人だし……私は、神様とかわからないし……」

「僕は、君が日本語族だから、洗礼をさせるつもりはなかった。信仰の自由は大切だからね。でも……君は僕の妻になるのだから、ゆっくり考えてほしい」

 そういう問題ではない、と、ひみこは頭を巡らす。
 東京にいたときのドラマを思い出す。教会の結婚式には憧れがあった。パイプオルガンの音に合わせて、父と共に入場する花嫁。神父だか牧師だかわからないけど偉そうなおじさんが何か話し、花婿が花嫁のベールを上げて、誓いのキスをする……。
 ダメだ!
 少女は重要な確認を男に求める。

「ねえ、私たちの結婚は契約結婚だよね? 教会でキスしたりしないよね? 私、アレックスがアイーダとか他の恋人に会っても、全然気にしないよ」

 男は少女をじっと見つめる。

「なるほどね。少しずつ君は知っていかないとね」

 ひみこの胸に、不安の種が埋め込まれた。


 アジア文化研究センター日本支部。アレックスが支部長を務める組織だ。
 ひみこは、月に一度開かれるスタッフの情報交換会に参加している。またひみこがイベント活動を始めてから、その相談や打ち合わせで、頻繁にセンターに通うようになった。
 あのプレゼンコンテストで情緒不安定な自分をさらけ出してしまい、イベントはすべてロボットがひみこの代わりを務めている。
 今回は、情報交換会への顔出しと、迷惑をかけたことへのお詫びで、ひみこは研究センターに出かけた。

 アレックスは事務所にいない。三日ほど留守にするという。今回は月や宇宙ステーションではなく地球の中だ。

「イタリアは久しぶりなんだ。君も楽しみに待っててほしい」

 今朝、彼はそう言って、いつものように手ぶらでホテルを後にした。

 年に何度か、アレックスは地球やら宇宙のどこかに出かける。また、日食か月食でも見に行ったのだろうかと、ひみこはさほど気にも留めない。
 今回、何を楽しみに待てばいいのかわからないが、ドラマで知るイタリアのイメージは、グルメとサッカー。
 ピザやパスタは、この札幌のホテルでも時々食べる。が、誕生日に畜産研究所で食べた牛乳由来のチーズとバターの味を知ってしまうと、物足りなく感じる。
 そういう食糧事情は日本限定なのか世界事情なのか、ひみこにはよくわからない。国民のアイドルで世界の日本マニアにも名が知られた彼女は、ほぼ札幌から出たことがない。

 結婚したら自分も彼の旅行に連れてってほしいなと思いつつ、偽りの結婚でそこまでお願いするのは自分勝手だろうか……モヤモヤしながら歩いていたら、センターに到着した。
 いつものように入り口に立つ。いつものようにガラスのドアがサっと開いた。

「おめでとうございます!」

 センターの職員が何十人もひみこを出迎えた。いつもとはまったく違った出迎えだ。

「支部長と結婚されると聞きました」
「すごいですね。支部長はずっと独身でしたから」
「ひみこさんは、日本どころか、世界でも知られているし、お似合いの二人ですよ」

 次から次へとお祝いの言葉を掛けられる。ひみこは、何があったか理解するのに時間がかかった。
 婚約は来年一月。結婚は四月。婚約ですら二か月も先だ。お互い、口約束をしただけなのに……。
 スタッフの群れの奥から、フィッシャーが駆け付けた。

「ひみこさん、おめでとうございます。あなたたちが結婚すると聞いて、我々は安心しました」

 ロボットよりロボットらしいフィッシャーとは思えないほど、声に喜びがあふれている。ゴーグルの下の口元が笑っている。ゴーグルに隠された目も笑っているのかもしれない。
 この様子だと、アレックスはスタッフ全員に知らせたのだろうか?

 フィッシャーは戸惑うひみこを、打ち合わせ室に誘導する。支部長筆頭秘書は、他のスタッフを下がらせた。

「ひみこさんがプロポーズを受けて嬉しかったんでしょうね。婚約指輪用のジュエルを、イタリアのパレオロゴ本家から一粒もらうって、私にも話すぐらいですから」

「指輪? 本家?」

「アレックスの父親がイタリア貴族なのは知ってますよね。大きなルビーを敷き詰めたティアラが本家にあるそうです。元々ヨーロッパのある王国のティアラでしたが、百年前、その国が共和制に移行したとき、パレオロゴ家がティアラを譲り受けたそうです」

 ヨーロッパの王国? ティアラ? ドラマの世界以上にドラマな世界に、ひみこは目をぱちぱちさせる。

「彼は、ティアラのルビーが欲しいんでしょう」

 ひみこは数秒頭を悩ませ、アレックスがとんでもない行動を起こしていることに気がついた。
 結婚するなら、婚約指輪はあってもいい。お金持ちの彼のことだ。ちょっとぐらい高価な宝石なら買えるだろう。
 が、百年前までヨーロッパの王様が被っていた冠にあった宝石となると、お金の問題ではない……絶対にダメだ! そんな指輪なんて、偽りの契約結婚には許されない。

「フィッシャーさん! 今すぐアレックスに連絡してください!」

 ひみこはハタと気がついた。ひみこの掌に貼り付けてあるデバイスは、ホテルのスタッフとロボットのフィッシャーしか呼び出せないことに。
 今まで必要性を感じていなかったが、保護者であり今や婚約者となった男に、こちらから連絡することもできないのだ。

 掴みかからんとする少女を、フィッシャーは宥める。

「アレックスは何も言っていなかったんですね。迂闊でした。ひみこさんを驚かせるつもりだったんでしょう。勝手ですが、聞かなかったことにしてもらえませんか?」

「そういうわけに行きません! アレックスを止めてください。私はそんなもの貰えません」

「無理ですよ。なぜ彼がイタリアまで出かけて頼むのか、私は貴族とは全く関係ない人間なのでわかりません。きっと、一族が結婚する時の決まりがあるのでしょう。貰えるものは貰っておけばいいではありませんか」

「で、でも……そんなすごい指輪もらっても、使えません」

「使うための指輪ではありませんから。別の指輪が欲しいなら、頼めばいいんです。アレックスのことですから、ひみこさんが望む指輪をいくらでも買ってくれますよ」

 ここでフィッシャーと自分の婚約指輪について議論しても無意味だ。
 指輪の件も何もかも、アレックス本人が札幌に戻ってから話し合うべきだ。
 ひみこは、本来の用事を切り出した。

「それよりフィッシャーさん、いつもの打合せは? 新しい探査機で昔の天皇の墓を調べるって聞きましたが、どうなったんですか?」

「今、それどころではないんです。ひみこさんとアレックスとの婚約がリークされ、マスコミや一般人からの問い合わせが殺到しているんです」
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