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三章 国民のアイドル

33 少年

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 ひみこは、リーとフィッシャーのいる席に戻った。
 ちょうど彼女のプレゼンが終わったところで休憩となり、ホールは騒めく。

「ひみこさん、お疲れさまでした」

 保護者の秘書が事務的に労う。

「鈴木さん、がんばったね」

 若い教師は、手を叩いてひみこを励ました。

「失敗しました」

 自分が情けなくてひみこは首を振った。と、足裏の違和感に気がつく。

「あ、忘れてた!」

 草履を脱ぎ散らしたままだった。アレックスからもらったゴーグルも置いたままだ。
 慌てて立ち上がり、舞台に戻ろうと席を立つ。フィッシャーも立ち上がり、ひみこに着いていった。
 その時、聞き覚えのある声に呼び止められた。

「ワスレモノ」

「あ……」

 スポーツ刈りの少年が、草履とゴーグルを手に抱えて立っていた。
 ひみこが倒れたとき駆け付けてくれた少年だ。
 彼に忘れ物を届けてもらったことが恥ずかしく、まともに顔を見ることができない。
 おずおずと探し物を受け取る。草履をはき、ゴーグルを袂にいれた。

「ア……ヒダリテ、ミセテ」

 少年に言われるがまま、ひみこは左手を差し出した。プレゼンの時、彼に言われるがままスキンデバイスを設定し、通訳がホールに流れるようにしたことを思い出す。
 まだ何か調整する必要があるのかと思ったら、少年の関心は別にあった。

「コレ……これずっと気になってたんだ。ただの飾りじゃないよね」

 彼が注目したのは、少女の左手首に巻かれている黒いバンドの腕時計だった。
 少年は機能していない腕時計の表面をなぞる。
 直接触れられてないのに、まるで電流が走ったかのように、ひみこは硬直した。

「すごいなあ。情報史の授業に出てきたメカみたいだ」

 よくはわからないが、少年はとんでもなく古い機械と言いたいのだろう。
 恥ずかしさで俯くほかない。目の前の現代に生きる人間と違って、自分が百年も二百年も昔の人間なんだと、思い知らされる。

「古いメカ、大事にしてるんだね」

 違うんだけど……でも、この見ず知らずの少年に、タマのことを何と説明したらいいか、共通語でも日本語でもわからない。
 でも、何か彼に言わなくては……ひみこが、口を開けようとしたときだった。

「ひみこに何をしている!」

 文化大臣そして大統領とミーティングをしているはずのアレックス・ダヤルが、そこにいた。


「アレックス! どうしたんですか? 大統領と話すって言ってたのに」

 ここにいるはずのない保護者がなぜいるのか、ひみこは問いただした。

「君が大変だったと聞いてね、さあ、もう帰ろう」

 クルタパジャマの男は、少女の手を少年から取り戻し、強く握った。

「ま、まって、アレックス、この人、忘れ物届けてくれたの」

 ひみこは保護者の怒りを収めようと説得する。
 男は足を止め、ポカンと立ち尽くす少年を見やった。

「ああ、君か……ありがとう、初見のスキンデバイスの設定を変えて、ホールのスピーカーに接続させるとは、大したものだね」

「はい。鈴木さんのプレゼンテーションを聞きたかったんです」

 スポーツ刈りの少年の笑顔がまぶしい。

「ご苦労だったね」

 アレックスは一言告げると、少年に背中を向け、少女の腕を取り引きずるように立ち去った。
 ひみこの背中に少年の声が響く。

「ゴメンナサイ! スズキサンハ、ツヨイ。ヨワクナイ」

 彼女は振り返ろうとしたが、男に引きずられてそれは叶わなかった。


「アレックス、まだコンテストは終わっていません。審査発表があります。アレックスは偉い人と話していたんですよね?」

 ホールの廊下で引きずられながら、ひみこは保護者の熱を冷まそうと試みる。と、アレックスは足を止めた。

「……悪いが、君のプレゼンで勝ち残れると思うか?」

「わかってます。でも……私は最後まで聞きたい。アレックスは偉い人のところに戻ってください」

 男は、後ろから黙って着いてきた部下に、顔を向ける。

「アーン、さっきは知らせてくれてありがとう。では僕は戻るが頼むよ」

 フィッシャーが静かに頷いたことを確認し、アレックスは駆け付けたグエンに促され、ミーティング会場に戻る。

「フィッシャーさん? 知らせるって?」

「ひみこさん、気にしなくていいですよ」

 そういえば、先ほどアレックスは、謎の少年がひみこの日本語を通訳できるよう設定したことを知っていた。プレゼンの内容も把握していた。
 釈然としないまま、審査結果が発表された。

「鈴木ひみこさんは、今回、日本語族と言うことで、急遽、日本語でのプレゼンを許可しました。それは今回だけの特別な処置ですので、次回は共通語で話してください。それに、プレゼンの内容が予定とは違いますし、途中で終わってしまいました。まず、時間内に最後まで話すことを目標にがんばりましょう」

 目も当てられない最低な講評だ。
 今回は「庭のパンジー」が北海道大会に進むこととなった。嗅覚と言う難しい感覚を再現できたことが大きく評価された。

 昨年見学したときは、みんなつまらないプレゼンやってるなー、なんであんなのが勝ち残れるのか納得できない、なんて偉そうに思っていた。
 自分も、コンテストに参加しなければ「庭のパンジー」が優勝なんて、納得できなかっただろう。
 が、少なくとも、全員、共通語でまとまった内容をちゃんと時間内に話している。一方、ひみこは、最低ラインにも立てなかった。
 自分は、優勝なんて目指せるレベルではない、と、自覚する。次の目標が定まった。
 そしてもう一つ、漠然とした思いが膨らんできた。


 フィッシャーに促され、観客席から腰を上げた。と、若い教師リー・ジミーが駆け付ける。

「鈴木さん、本当にがんばったね。僕の生徒たちもそう言ってる」

 リーの周囲に女子中学生が集まり、ひみこをニコニコ見つめている。

「え? でも失敗しました……」

 赤毛の女子中学生が進み出た。

「失敗かもね。でも、鈴木さん、泣いちゃうぐらい、お父さんとお母さんのこと、好きなんだなって、思ったよ」

 納得いかない評価にひみこは抗議した。

「違います! 私は両親が好きではありません!」

「うわあ、照れてる~。へー、日本語族も反抗期なんだ」

 いきなり名前も知らない初対面の中学生にからかわれ、ひみこは顔を赤くする。
「まあまあ」と教師が仲裁する。

「そうそう、もっと話したかったら、札幌新都中学校においでよ。このホールの近くだから」

 が、教師の言葉をフィッシャーが遮る。

「鈴木さん、アレックスが待ってます」

 ひみこは、教師にペコっと頭を下げて去る。


 ホールの階段を上り通路に出る。アレックスが待ち構えていた。

「ああ、ひみこ、結果はアーンに聞いたよ。可哀相に! あんなにがんばっていたのに。僕はわかるよ。君がどれほど悲しいのか」

 男は、少女の背中で花を咲かせる帯がつぶれるほど、抱きしめた。
 が、ひみこは大きな腕の中で、別のことを考えていた。
 漠然とした思いが、形になってくる。
 ……札幌新都中学校……あの彼に会えるだろうか……
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