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三章 国民のアイドル

28 日本語族保護局のトップ

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 ひみこは変わった。
 ウシャスによる脳情報通信が使えないことを承知で、ティーンエージャーのプレゼンテーション・コンテストに参加することを決めた。
 ダメかもしれない。いや、ダメだろう。ウシャスが使えない自分に勝ち目はない。

 自分の保護者は、自分の反対側にいる人間。彼の母が作ったシステムの中、普通の人が味わえないグルメを満喫している。
 そんな世界に、ひみこ自身の存在を示したかった……はっきり自覚したわけではないが、アレックスのバースデープレゼントをきっかけに、彼女は立ち直った。
 一方、保護者がアレックスであることの恩恵を、しっかり享受する。彼の誕生日は、富豪だけに許されたディナーでマグロを食べ、文字通り幸せを味わった。

 ひみこがアレックスに引き取られて一年が経った。
 また暑い季節が始まった。プレゼンテーション・コンテストまで半年を切った。


 ホテルのリビングで、ひみことアレックスは並んでテーブルに着く。
 向かいに二十代半ばに見える小太りの女性が座った。

「初めまして、鈴木さん。ダヤルさん。私はグエン・ホアっていいます。日本語族保護局の局長やってます」

 日本語族保護局は、大統領府に所属する部局だ。
 たった三人しか残ってない日本語族のために、日本のエリートを何人も専任させるなんてもったいないことを、この国がさせるはずがない。
 二人を訪ねた部局のトップを含め、全員、他局と兼務している。日本語族保護は、本来業務の隙間に行う仕事だ。
 ひみこは、モニター越しでさえ保護局の担当者と会ったことはなかった。
 アレックスは、事務報告はフィッシャーに任せ、たまにモニター越しに局長と挨拶を交わしていた。
 なのにこの若い局長は着任早々、直接二人に会いたいと面会を申し込んできた。

「鈴木さんの養育は順調みたいですね。局の担当者から聞いてますよ」

 分厚い真っ赤な口紅がギラギラ光っている。
 鈴木ひみこの両親が、彼女の養育を放棄し、成り行きでその任はアレックス・ダヤルに移された。彼が何人もの恵まれない子を養育してきたこと、世界的富豪の御曹司であることから、保護局はあっさり認めた。

「ひみこは幼少期にまともな教育を受けなかったからね。今あるのは、彼女の努力のたまものだよ」

 アレックスは、傍らに座るひみこの背中を軽くさする。
 少女は首をすくめ、照れ笑いを浮かべる。

「私、驚きました。共通語の日常会話に問題はありませんね。ダヤルさんは多くの子供を養育されたんですね。みなさん、それぞれの業界で大活躍って聞いてます」

 アレックスは勝ち誇ったよう静かに笑う。

「僕は恵まれない子供に、多くの可能性を与えただけだ」

 グエン局長は、当人のひみこに顔を向けた。

「あなたはどうかな? 鈴木さん、何かしてほしいことはない?」

 何か?
 ひみこは、初めて会った女性に突然質問され、戸惑う。
 今まで彼女は、そのように聞かれたことはなかった。
 十四歳の少女は、おずおずと切り出す。

「うちの親どうしてますか? 私のこと何と言ってますか?」

「ひみこ! どうして君はいつまでも親のことを」

「ダヤルさん、静かにしてください!」

 若い小太りの高官は、ダヤルのプリンスにびしゃりと言い放つ。

「ひみこさん、ご両親は元気にしてるわ。あなたのことは……結婚しない限り会わないって……でも何とか説得するから待っててね」

 アレックスはわずかに首を傾げる。随分前、ひみこの両親は大学病院に入院したと、保護局から聞かされていた。その後退院したとは聞いていない……グエンが「元気」と答えたのは、ひみこを煩わせたくないからだろう──

 一方ひみこは、親が元気と聞いても嬉しくもなんともなかった。グエンの答えは予想通りだった。
 ひみこは十四歳になったばかり。結婚できるのは十八歳になってから。
 少女はわかっていた。この自分と結婚してくれる人間が、この札幌や東京、いや火星や衛星タイタンまで探してもいないことを。

「私は結婚しません」

「もちろん、あなたは若いもの。私だって自分の結婚は当分先だと思ってるし」

「ホア、君の話はどうでもいいんだが」

 アレックスの眼の青い光が、ホアを突き刺す。

「あー、ごめんなさい。じゃ……ねえ、ひみこさんは、ご両親に言いたいことあるでしょ?」

「え?」

 まただ。この人は、自分に何を言いたいか、聞いてくれる。
 親に言いたいことはいっぱいあった……はず……

「私をあなたのお父さんかお母さんだと思って話してみて。もちろん、日本語でね」

 いきなりそんなことを言われても、この女性は、太めの体型こそ母に似ているが、顔立ちが全然違う。丸顔で大きな目がクリクリして赤い唇が目立っている。いつも眠そうな顔をしていた母とは対称的だ。

「顔を私に向けて目をつぶって思い浮かべてみて……私、ひみこさんの話を聞いて、本当に可哀相だと思ったの。たった三人しかいない日本語族なのに、お父さんお母さんに捨てられて……」

「うるさいなあ!」

『可哀相』という優しさが、少女の誇りを傷つける。

「あたしはね、ぜーんぜん可哀相じゃないよ! アレックスのおかげで、マグロだってステーキだって毎日食べ放題なんだ! くやしーだろ! でも、あんたらには分けてやんない!」

「ひみこ、やめるんだ!」

 アレックスが少女の袖を引いた。が、グエン・ホアは、ひみこをじっと見つめる。

「……まだ、言いたいことあるでしょ?」

「あ……」

 思わずひみこは、口を押えた。本当にこんなこと言いたかったのか?

 ──父ちゃん、もうじゃんけん、あたし負けてあげる
 ──母ちゃん、夕食がパウチ開けるだけでも、文句言わない……だから……

 アレックスが戸惑う少女の頬に優しく触れる。

「ひみこ、落ち着きなさい。せっかくだから、ホアに日本茶を出したらどうだ?」

「え? 私?」

 自分が飲みたいときはお茶でもコーヒーでも入れるが、これまでアレックスにお茶を出したことはない。
 彼は、気まずくなった雰囲気を和やかにしようとしてくれたんだ、と、ひみこは「あ、じゃあ」と立ち上がる。

「あらあ、ひみこさん、気にしなくていいのに……じゃ、お茶入れながら、お父さんお母さんに言いたいこと、考えてね。ふふ、日本語族の入れる日本茶って、楽しみ」

 十四歳の少女はプレッシャーに弱い。日本語族の日本茶? 勘弁してほしい。
 ひみこは東京にいたとき、それらしい液体はときどき飲んだ。インスタントのお茶だ。粉をたくさん入れて溶かすと、母親に叱られた。支給品を無駄に使うんじゃない! と。薄緑色のお湯がひみこの知っている飲み物。
 日本語族の自分より、ホテルの人の方が、そしてアレックスの方がずっと上手に入れられる……。

 こんなものかな? と、ひみこが二客の湯呑をトレイに載せていたところ、背中越しにグエンの尋常ではない声が聞こえてきた。

「あ、いや、やめて!」

 戻るとアレックスがグエンの隣に座り、グエンの肩を抱き寄せ耳元で何か囁いている。

「何やってんだよ! この変態!」

 咄嗟にひみこは、お茶を男のシャツにぶちまけた。

「あ、熱っ! 何するんだ!?」

 少女の不意打ちに男は成すすべがない。

「女の人に変なことするんじゃない!」

 ひみこが怒鳴り散らした日本語を、アレックスの外耳のスピーカーが、通訳する。

「すまなかった。僕は美しいものに目がないんだ。ホア、悪かったね」

「あ、いえ……大丈夫です……」

 グエンは、頭を抱え、顔をしかめている。
 男は、保護している娘に腕を引きずられるように、元のソファに戻った。

「あんた、彼女いるんだろ! 正月、イチャイチャしてたじゃないか!」

「彼女とは別れたよ。今は完全に一人だ。ねえ、ホア、僕に乗り換えないかい?」

「やめろ! 気持ち悪いこと言うな!」

 グエンが答える前にひみこが遮る。

「ダヤルさん、もう冗談はやめてください」

 若い局長は苦笑いを浮かべる。空中に、フィッシャーがまとめた養育レポートを表示させ、話題を変えた。

「ひみこさん、プレゼンコンテストに参加するんですね」

 少女は得意げに大きく頷き、共通語で答えた。

「私と同じ名前の日本の女王について、話します」

「ああ! 邪馬台国の卑弥呼ね! ステキじゃない!」

「ええ、僕も楽しみにしていますよ」

 グエンは真っ赤な唇を突き出して微笑む。

「……ダヤルさん、コンテスト会場には、小ホールや会議室が併設されています。ひみこさんがコンテストに参加されるなら、同日この会場で、日本語族保護に関するミーティングを開くのは、いかがでしょうか?」

 男の眉毛がピクっと動く。

「ミーティング?」

「ひみこさんの養育を一手に引き受けて下さり、当局は感謝しています。ぜひその成果を、ダヤルさんご自身から、文化大臣に直接、語られてはいかがでしょうか?」

「文化大臣? ホア、君にそんなセッティングができるのか?」

「大統領は難しいですが……」

「ホア、君は文化財局のシュウより、優秀なようだね」

 アレックスは、ひみこの艶やかな髪に長い指を滑らせながら笑った。
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