上 下
30 / 92
二章 一人ぼっちの少女

27 豪華なバースデープレゼント

しおりを挟む
 アイーダに別れを告げられたアレックスは、意気消沈したまま月からエレベーターで地球へ、そして札幌のホテルに戻った。
 ひみこはずっとご機嫌斜めだ。ロボット・パーラに託したお休みのキスも拒絶された。

 やはり、妬いているのか?

 アレックスはそんな疑いを抱く。それは……決して悪い気持ちではなかった。
 アジア人の気の毒な少女とはいえ、そのように思われるのは満更でもない。
 脳チップが着けられず、最後の日本語族として絶望に囚われるよりはいいことだ。
 彼女には少しでも元気になってほしい。
 だから、飛びきりのプレゼントを用意して戻った。

「アレックス、楽しかったですか?」

 予想に反してひみこは、笑顔で迎えてくれた。

「ああ、月の重力も体験できたし、赤い地球は不気味だったよ」

 ひみこは「そうですね」とニコニコ頷いている。

「今日は、とっておきのプレゼントがあるんだ」

 部屋の外で待機しているスタッフを呼び寄せる。彼らは振袖を運んできた。

「ひみこ、この日本のドレスを着てディナーに出かけよう」

 邪馬台国のことを勉強してご機嫌だったひみこは、げんなりした。


 初めて着せられた振袖は、ひみこを窮屈にさせるだけだった。
 ホテルでは、観光客に日本の民族衣装を着せるサービスを提供している。スタッフは慣れた手つきで、ひみこを瞬く間に、伝統的な日本娘に変身させる。
 ひみこの気分はパッとしないが、アレックスは「ベッラ!」と大げさに喜ぶ。
 タキシードに身を包んだアレックスに手を取られ、ひみこは夜の札幌に出かける。草履で歩くのに慣れず、何度か転びそうになるが、そのたびにアレックスが支えた。

「ヘイ、スーリヤ!」

 彼が手を掲げると、エアカーがホバリングして現れた。
 無人の車に二人して乗り込む。

「畜産試験場へ」

 アレックスが窓のモニターに告げると、エアカーは北斗七星の方角へ向かう。

「うわあ。東京の夜景みたい」

 首都、札幌の輝きが少女を魅せる。

「東京の夜景?」

「あ、えー、私は昔ドラマで見ました」

 彼女の知識のバックボーンは二十一世紀初頭にある。その当時、首都は東京だった。
 温暖化が進み、東京の最高気温が連日四十℃を上回ったため、日本政府は札幌に首都機能を移した。今、東京は、五百年も日本の中心であり続けた古都として、観光客を集めている。
 北上し、地上で輝く星がポツポツとまばらになったころ、エアカーは着陸した。


 アレックスに手を取られ車から降りたひみこは、降ろした足の感触が柔らかいことに驚く。
 草が生い茂っている。
 近くの地面に置かれたいくつものライトが点滅している。が、明るいのはこのエアカーの着陸場だけで、遠くを見当たすと暗がりが広がっている。見上げれば眩しいぐらいの星明りだ。

「あれ、何かクサい」

 鼻を覆って顔をしかめるひみこに「ここは牧場だからね。肉牛を育てている」とアレックスが説明した。

「牛?」

「畜産は制限されているが、遺伝子のプールは必要だし研究は大切だ」

 現代日本の生活に慣れてきたひみこは、首をかしげる。アレックスに散々言われてきたが、環境保護のため、地球の人口維持のため、昔のように哺乳類を食べることはほとんどない、と。

 アレックスに会ってから鶏肉を食べたのは最初とクリスマスだけ。牛を育てて食べるなんてとんでもないエネルギーの損失、と聞かされてきた。
 おかげで日々、大豆ミートと野菜という、金持ちらしくない食事にひみこは不満だった。焼き魚を食べていた昔を恋しく思っていた。
 そんな不満をこぼすと「それは、君たちが日本語族だから許されていたんだよ」とアレックスは説明する。
 その説明もひみこには面白くない。自分たちが劣った原始人だから、魚釣りなんて野蛮な行為をやっても罰せられなかったって……事実だから余計腹が立つ。


 奥の平屋の事務所から大柄な女性が迎えてきた。

「ああダヤルさん! 待ってましたよ。今回はとても可愛らしいレディーをお連れですね」

「ああ、彼女のバースデーを、ここで祝いたくてね」

「どうぞ、今から始めます」

 ひみこにまた疑問が湧く。

「バースデー?」

「そうだ。君は今日から十四歳になった。スペシャルディナーを用意してもらったよ」

 少女は、ドラマのワンシーンが現実になると思うと、胸が高鳴ってくる。
 振袖の窮屈さにも耐えられる。
 ひみこは、自分の誕生日は知っていた。
 が、その日「ケーキとかないの?」と催促しても「ティラピアで我慢しろ」といつも父が釣ってくる魚を食べさせられた。誕生日の特権は、じゃんけんしないでも魚を食べられることぐらいだった。


 そこは、オシャレなレストランではなく、事務所の打ち合わせ室だった。
 会議用のテーブルに機能的な椅子。

「ダヤルさん、うちは試験場なんで、こんな部屋しかないんです」

 二人を出迎えた女が、ひみこの不満げな様子を察して、詫びる。

「いえ、ここのディナー、ずっと楽しみにしていましたよ」

 アレックスは笑顔を向けた。


 ディナーの始まりはスパークリングワイン。

「君は子供だから、アルコールは抜いてある。さあ乾杯だ」

 アルコールなしでも、それだけで大人になった気分が味わえる。

「お待たせしました」

 事務所の職員が運んだ二枚のプレートには、スライスした魚の赤い切り身が載っている。

「サーモンのマリネです」

 アレックスがにっこり頷いた。

「水産研究センターからの差し入れだね」

 ひみこはどうしたらいいか戸惑う。

「好きに食べればいいよ」

 ひみこはフォークでマリネを刺し、口に運んだ。

「うわあ、めっちゃウマ!」

 サーモンの塩気とうま味、ビネガーの酸味が口の中で広がる。
 生まれて初めて知った味に、ひみこは涙がにじみ出そうになる。
 アレックスは、何か頷くように味わっている。

 続いて出たのはコーンポタージュスープ。
 コーンスープは、普段の食事によく出るので、ひみこはがっかりした。
 が、色がいつもよりずっと黄色い。

「えっ! 全然違う!」

「バターと牛乳をたっぷり入れてあるからね」

 畜産が著しく制限されている現在、バターと牛乳は貴重品で、滅多に食べられない食材だ。
 ひみこがただただ目を丸くしていると、メインディッシュが運ばれてきた。
 目の前に置かれた皿を、彼女は凝視した。

「え、これって」

 それは、ひみこがドラマで長年憧れていた、牛のステーキだった。

「サーロインステーキが食べられるなんて、日本はいい国ですね」

 アレックスが優雅にナイフとフォークでステーキを切り分け口に運ぶ。
 ひみこも見よう見まねでステーキを切った。肉は思ったより抵抗なく、すっと切れる。

「うそ! メチャクチャおいしい!」

 口の中に広がる肉の香りとうま味。長年の憧れと妄想を充分満たす味だった。
 アレックスが本当のお金持ちだと、ひみこはようやく理解した。


「アレックス、ありがとう。美味しかったです」

「君の笑顔が見られてよかった。僕にとってもこの畜産研究所のディナーは欠かせないんだ」

「牛は一年に一度しか食べられないんですね」

「まあね、ここでしっかり味わって、チップに記憶させないとね。そうしないと食べたいときに食べられないから」

 アレックスは自分の頭を指さす。が、男は自分の発言の迂闊さに気がつく。

「あ、ああ、ひみこ。悪い。君は脳にウシャスのチップを取り付けられないから、ここで食べたとしても、曖昧な記憶でしか残らない。僕らのように、好きな時に味覚を呼び出し、完全に再現することはできない」

 左手に張り付けられた通訳ツールのスイッチを押して、ひみこはアレックスの発言を確認した。
 ひみこは俯いたまま、アレックスに訪ねた。

「貧しい人は、この店に入れますか?」

「え? それはないよ。僕らダヤル社は、ここに莫大な寄付をしている。他の富豪たちも同じだ。ここだけでなくてね、水産研究センターとか……そうでなければおかしいだろ? 誰もが脊椎動物を食べられる世界になったら、人類は滅んでしまう」

「では、ここのディナーは秘密ですか?」

 向かいの比類なき富豪は笑った。

「構わないよ……秘密にすることではない。僕は正当な権利でここの食事を楽しんでいる。ずるい? 卑怯? そう思うなら正当な手段で対価を払うべきと思わないか?」

 少女は、目の前の大男がどれぐらい富豪なのか掴めてきた。
 普通の人たちは、ステーキを食べることはできない。そしてアレックス達だけが、一年に一度ステーキを食べられる。
 でも食事は、一年に一度だけではないのだ。その記憶はいつでも使えるから。脳の中の機械に保存しておけるから。その気になれば、毎日だってステーキが食べられる。

「……チップの記憶を売らないのですか?」

 アレックスの青い眼が一層輝きを増す。

「……いくらペイしても、チップのない君には意味ないよ」

「私はいりません。でも、機械に記録できるなら、売ることもできる。買えば、食べたと同じです」

「……君は、僕が今メモリーした味覚がビジネスになると言うんだね?」

 ひみこにビジネスという発想はない。ただ、本物の肉が食べられない人も味わえる方法を提案しただけだ。
 アレックスが大豆ミートで満足できるのは、彼が真の富豪だからだ。彼は、あの美味しくない薄っぺらいパサパサした塊を口に入れ、ステーキの香りと肉汁を、いつだって楽しむことができるのだ。肉の味を楽しみながら「大型脊椎動物を食べるなんて、環境破壊だ」と言うのだ。

「君はセンスあるね……でもダメだよ。獲得した感覚は、売ってはならない。生理的本能は生命維持に欠かせない。他人の借り物の味覚に依存すれば、どうなる? 生命が糖類を欲しているのに、他者の甘味感覚で満足したら……君は賢いからわかるよね?」

 言っていることはわかる。でもそれなら……アレックス達が味覚を記録して呼び出すことも同じでは? と疑問は尽きない。
 ひみこは顔を上げた。

「アレックス、美味しかった。ありがとう」

「そうか、君が喜んでくれて何よりだ……ヘイ、スーリヤ!」

 いつものようにアレックスは空に向かって手を挙げ、エアカーを呼んだ。

 ひみこは、親以外と初めて過ごした誕生日に、この世界の仕組みを理解した。
 エアカーでゆったりとくつろぐ保護者に、最後の日本語族は宣言する。

「私、来年のプレゼンテーション・コンテスト、参加します」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

聖女戦士ピュアレディー

ピュア
大衆娯楽
近未来の日本! 汚染物質が突然変異でモンスター化し、人類に襲いかかる事件が多発していた。 そんな敵に立ち向かう為に開発されたピュアスーツ(スリングショット水着とほぼ同じ)を身にまとい、聖水(オシッコ)で戦う美女達がいた! その名を聖女戦士 ピュアレディー‼︎

性転換タイムマシーン

廣瀬純一
SF
バグで性転換してしまうタイムマシーンの話

性奴隷を飼ったのに

お小遣い月3万
ファンタジー
10年前に俺は日本から異世界に転移して来た。 異世界に転移して来たばかりの頃、辿り着いた冒険者ギルドで勇者認定されて、魔王を討伐したら家族の元に帰れるのかな、っと思って必死になって魔王を討伐したけど、日本には帰れなかった。 異世界に来てから10年の月日が流れてしまった。俺は魔王討伐の報酬として特別公爵になっていた。ちなみに領地も貰っている。 自分の領地では奴隷は禁止していた。 奴隷を売買している商人がいるというタレコミがあって、俺は出向いた。 そして1人の奴隷少女と出会った。 彼女は、お風呂にも入れられていなくて、道路に落ちている軍手のように汚かった。 彼女は幼いエルフだった。 それに魔力が使えないように処理されていた。 そんな彼女を故郷に帰すためにエルフの村へ連れて行った。 でもエルフの村は魔力が使えない少女を引き取ってくれなかった。それどころか魔力が無いエルフは処分する掟になっているらしい。 俺の所有物であるなら彼女は処分しない、と村長が言うから俺はエルフの女の子を飼うことになった。 孤児になった魔力も無いエルフの女の子。年齢は14歳。 エルフの女の子を見捨てるなんて出来なかった。だから、この世界で彼女が生きていけるように育成することに決めた。 ※エルフの少女以外にもヒロインは登場する予定でございます。 ※帰る場所を無くした女の子が、美しくて強い女性に成長する物語です。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

白衣の下 先生無茶振りはやめて‼️

アーキテクト
恋愛
弟の主治医と女子大生の恋模様

特殊装甲隊 ダグフェロン 『廃帝と永遠の世紀末』 第二部 『新たなる敵影』

橋本 直
SF
進歩から取り残された『アナログ』異星人のお馬鹿ライフは続く 遼州人に『法術』と言う能力があることが明らかになった。 だが、そのような大事とは無関係に『特殊な部隊』の面々は、クラゲの出る夏の海に遊びに出かける。 そこに待っているのは…… 新登場キャラ 嵯峨茜(さがあかね)26歳 『駄目人間』の父の生活を管理し、とりあえず社会復帰されている苦労人の金髪美女 愛銃:S&W PC M627リボルバー コアネタギャグ連発のサイキックロボットギャグアクションストーリー。

戦艦大和、時空往復激闘戦記!(おーぷん2ちゃんねるSS出展)

俊也
SF
1945年4月、敗色濃厚の日本海軍戦艦、大和は残りわずかな艦隊と共に二度と還れぬ最後の決戦に赴く。 だが、その途上、謎の天変地異に巻き込まれ、大和一隻のみが遥かな未来、令和の日本へと転送されてしまい…。 また、おーぷん2ちゃんねるにいわゆるSS形式で投稿したものですので読みづらい面もあるかもですが、お付き合いいただけますと幸いです。 姉妹作「新訳零戦戦記」「信長2030」 共々宜しくお願い致しますm(_ _)m

処理中です...