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二章 一人ぼっちの少女

24 アレックスの恋人

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 アレックスが恋人の元へ行った翌日も、フィッシャーのAIロボット・パーラによる国際共通語授業が、いつも通り始まった。
 何の希望もなく一人取り残されたひみこは、フィッシャー先生に尋ねてみた。

「アイーダを知ってます? アレックスの恋人らしいです」

 途端にロボットの動きが止まった。
 あれ? これは聞いてはいけない質問なのかな? と、ひみこは不安になってきた。
 と、ロボットの眼が瞬きを演出すると、また動き出す。

「直接通信モードへシフト」

 ロボットから機械音声が発せられ、再び、動き出した。

「あ、私、また壊したかと思いました」

「いえ、モードを切り替えただけです。さて、女優アイーダについて知りたいのですね?」

 ひみこは頷いた。

「では、こちらの映像をご覧ください」

 ロボット先生がモニターを指し示す。

 ほどなく『夢を現に、現を夢に』のキャッチコピーがグルグル回るCGを従えた、アフリカ系の女性が表示された。

「うん、カッコいいなあ。確かに女優さんって感じする」

 意志の強そうな眼差しに豊かなドレッドヘア、メリハリのきいたボディライン。背も高そうだ。
 紫に黄色といった派手な大きなスカーフを全身に巻き付け、ボディラインを強調している。

「ただの女優ではありません。彼女は二十二世紀最大の女優です」

 心なしか、フィッシャーの声が怒っているように聞こえた。

「彼女は、東アフリカの政情不安定な国に産まれました。亡命後、アレックス・ダヤルがプロデュースしたインタラクティブムービー『アイーダ』で、鮮烈なデビューを果たしました」

 アレックス作った映画で女優デビューした人がいることは、聞いている。

「アイーダ? えーと、アイーダさんが、アイーダ?」

「はい、映画『アイーダ』のタイトルロール……ヒロイン『アイーダ』を演じ、そのまま芸名となったのです」

「アイーダは女優の名前。では本名があるんだ」

「はい、ほとんど知られていませんが、私は知っています。アブリエットです。いい名前と思いませんか?」

 先生にいい名前と言われたら「はい」としか答えられない。

「もとの『アイーダ』のオペラは知っていますか?」

 ひみこは首を捻った。東京の家にいたとき「オペラ」というものの存在は知っていたが、オペラそのものをちゃんと見たことがない。
 奇妙奇天烈な声で歌う偉そうな感じの芝居、としか知らない。

「では、これは聞いたことがありますか?」

 勇壮なトランペットの行進曲が流れた。

「あ! サッカーの曲だ」

 ひみこが主に見ていたのはドラマだったが、その中でサッカーのドラマもあった。試合の場面でよく流れる曲だ。

「はい。もともとオペラ『アイーダ』の曲です。オペラは知らなくても、この『凱旋行進曲』は有名ですね。では、少しオペラのダイジェストを見てみましょう」

 フィッシャーのロボットは、流暢に、オペラ『アイーダ』が三百年前の作品で、古代エジプトが舞台の悲劇であることを語る。
 囚われの女奴隷アイーダと、エジプト将軍ラダメスの悲恋物語。
 そのストーリーは……十三歳の少女の萌え心はくすぐられなかった。

「しかし、アイーダ……えー、女優アイーダは、その古典的なドラマを今世紀、インタラクティブムービーとして蘇らせました。敵国エジプトの将軍との恋に苦しみながら、エチオピアの独立を果たそうと戦う誇り高い王女の姿に私は感動しました。一般受けはしませんでしたが、大衆に彼女の本質がわかるはずありません。一流のレビュアーがこぞって絶賛しましたから。アイーダは、インタラクティブムービーの女王として活躍し、従来の映画の概念を変えたのです……」

 ロボットフィッシャー先生のアイーダレクチャーは留まらない。

「では、彼女の映画を見せてください」

「できません」

 そんなにすごい女優だと力説するからには確認したいところだ。

「なんで?」

「アイーダの出演作は全てインタラクティブムービーです。あなたは、ウシャスのテストに耐えられなかった。あれが映画『アイーダ』のオープニングです」

 脳チップが着けられない原始人な自分は、映画を見ることもできない、と、ひみこは落ち込む。

「トレイラー映像を見ますか?」

「お願いします」

 再生された映像は、女優アイーダのデビュー作「アイーダ」。十代の彼女が、敵国の奴隷になりながら祖国を思う演技をしている。
 その演技を見ても、ひみこにはよくわからなかった。
 かつてタマの案内で大量のドラマを見ていたが、そのドラマの彼女たちの方が、よほどひみこの心に訴えかけてきた。

「うーん……フィッシャー先生、なぜ、アイーダはアレックスの恋人なんですか?」

「なぜ鈴木さんこそ、そのようなことを私に聞くのですか? 私は女優アイーダの偉大なワークについては語れます。が、なぜ二人が付き合っているか、など、わかるはずありません。私はアレックスでもアイーダでもありませんから」

 それもその通りだ。それは本人に聞くしかない。
 が、アレックスにわざわざ理由を聞く? それはありえない。
 ただ、ひみこは面白くなかった。面白くないモヤモヤを解決したくて、相手の情報を調べてもらったが、モヤモヤはたまる一方だった。

 大女優アイーダは、回転する『夢を現に、現を夢に』を従えて、笑っていた。


 夜、ひみこはいつものようにゲストルームのベッドに入る。
 と、ロボット・パーラの茶色いケースが開き、あっという間に精悍な男の形になった。

「やあ、ひみこ、ちゃんとプログラムはこなしているかい?」

 囁くような低音が心地よい。

「え! まさかアレックス!?」

 ひみこはただただ目を丸くした。彼の人格を転送したロボット・パーラを見たのは初めてだ。
 髪はフードに隠されて見えないが、空のように透き通る青い目。小麦色の滑らかな肌。まさにプリンスそのものだ。

「本当に、アレックスなの?」

「そうだよ。僕は君の家族で友達だからね。お休み前のキスだけはしないと」

 そういって、アレックスのロボットはひみこに手を伸ばす。
 が、ひみこは反射的に手をつっぱねた。

「やだ! 気持ち悪い!」

 アレックスの中身はゴム風船。少女の抵抗にあっさり降参し「キケンサッチ、ログアウト」とお決まりの機械音声を発する。ただのゴムボールになった。
 と、寝室のモニターが点滅し、そこに彼が……今度は本物の、いつものアレックスが映っていた。

「ハーイ、ひみこ。おやすみ」

「アレックス、ごめんなさい」

 保護者に責められることなく、モニターが消え、おやすみの挨拶は終わった。

 ひみこは、今日、彼の恋人の姿を知ってしまった。もしかすると、札幌に来て、初めて自ら求めた知識だったかもしれない。
 求めた知識で得た結果は、アレックスに対する生理的嫌悪感が増したこと。相手の姿を知ってしまったため、彼らがドラマの姉弟のように触れ合っている姿が、生々しく感じられる。
 十三歳の少女には、どうにもその行為が汚らわしくて仕方ない。
 彼のおやすみのキスは、受け入れられなかった。
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