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一章 出会い
3 プリンスと少女の出会い
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鈴木太郎 三十四歳。鈴木花子 三十八歳。鈴木ひみこ 十三歳。今や、日本のみならず地球でこの三人だけが、日本語を母語とする──。
アレックスは、文化財局長チャン・シュウインの案内で、札幌駅のハイパーメトロに乗り込んだ。
東京で暮らす鈴木一家の元へ向かう。二時間で到着の予定だ。
ダヤルのプリンスは、政府から提供された鈴木家三人の情報があまりに貧弱なので、呆れていた。
名前の他は、正面からの顔写真のみ。それも無表情で無機質で無愛想だ。ただでさえアジア人は表情が読み取れないのに。
「シュウ、せめて2Dの動画ぐらいないのか?」
誰もが自己紹介用の3D映像を作り、名刺のように使う。日本が世界から遅れているといっても、その程度は世界的な常識だ。アレックスとチャン・シュウインも、事前に自己紹介の3D動画を交換している。
「それなんですけどね~、あたしらと日本語族ってのは違うんですよ。だから、なるべく近づかないよう、東京の古い大きな公園を保護区にして、守ってるんです」
「バカな! 日本語族は狩猟民族とでもいうのか?」
「ああ、いや……どちらかというと、農耕民族ですけどねぇ、でも、ちゃんと監視してますって。まあ大人しく暮らしてるし、噛みついたりはしませんから」
アレックスは向かいの政府事務担当者を睨みつける。
「いや~、少数民族保護は大切ですからね。日本では、日本語族同士が結婚したら、保護費を一生支給するし、子供が生まれたら増額、です。昔は、国民のみなさんから批判があったんです。日本語族というだけで、ずるいって。それでも、続けてきましたよ」
「なぜ一億人もいた日本語族が急に減ったんだ?」
「あたしらもわからないんですよ。日本は二十世紀の終りから、出生率が減って独身者が増えたんですが、前世紀の半ば、本当に子供が生まれなくなったんです。当時流行したウィルスによる感染症なんて説もありますが、よくわかりません」
「日本に来てスタッフから教えてもらったよ。今世紀の初め、政策を大幅に変えたとか。移民を増やすため、国籍取得を容易にし国際共通語を公用語にしたんだね」
チャンの顔から一瞬ヘラヘラ顔が消える。なんだコイツ、少しは予習してきたんだ。
「いや~さすがダヤルさんですねえ。それで、多くの先住日本語族は、国際共通語が話せて生活力ある外国出身の日本人と結婚したわけで」
「それで鈴木家の三人が残ったのか」
メトロは東京駅に到着した。
アレックスは、スーパーメトロを降り地上に出た途端、東京の熱気に襲われる。
「ダヤルさん、こっから先はクール・ウェアがないと厳しいですよ~」
カジュアルなオフホワイトのシャツとパンツに身を包んだプリンスに、チャンはアドバイスする。
チャン自身は、デイ・バッグにつめた水色のクール・ウェアを取り出して着こんだ。カーボンナノチューブを使ったウェアは効率よく熱を吸収するが、それなりの値段だ。チャンのような高級官僚でないと、手が出せない。
一方ダヤルのプリンスは、サングラスの奥で何か企んでいそうな微笑みを浮かべた。
「ヘイ! ヴァルナ!」
白いシャツの男は、片手を真夏の太陽に向け、天へ高らかに呼びかけた。
ほどなく、小型ドローンが南の空に現れ、静かに降りてきた。アレックスの頭上、五十センチメートルでホバリングする。
「ありがとうヴァルナ、頼むよ」
ドローンの端から何本もの細い脚が伸びる。軽やかな白い半透明な布が伸びた脚の上に広がり大きな傘を作った。
アレックスは、サングラスを外し、顔を上げる。空のような青い眼が光るが、すぐ瞼が閉ざされ光は消える。傘の骨からミストが降りてきた。
「あ、はあ、すごいですねえ」
そうとしか、チャンは反応できない。冷却効果ならカーボンナノチューブのウェアだって負けてない。大体、街中で歩きながらシャワーを浴びるなんて、スペースの無駄遣い。そもそも見ていて……とても恥ずかしい。
しかし、アレックスがあまりに堂々としているので、思わず局長は呟いた。
「ダヤルさん、インドのマハラジャみたいですねぇ」
アレックスの小麦色の肌は、エキゾチックな高貴さを醸し出していた。
彼の母はインド出身の大富豪、父はビザンツ帝国皇帝につながるイタリア貴族。生まれも育ちもプリンスの名に相応しい。
チャン局長がマハラジャと言うのも、理由があってのことだ。
「それよりタクシーはもう来ているんだろ? 鈴木『サン』の元へ行こう。ヴァルナ、また頼むよ」
男が長い腕を天に伸ばすと、ドローンは傘を畳み、来た方角と同じ南へ去っていった。
局長は、タクシーの中で黙りこくった。このお坊ちゃま、派手な演出が好きだなあ……有名女優と付き合って、映画も作ってたっけ? 映画、金かけた割には微妙だった……。
「シュウ、君は『アイーダ』を体験した上でそう思ってるのかい?」
『お坊ちゃま』は口元に笑みを湛えている。サングラスに隠され表情が見えない。
うわっ! しまった、こいつの脳に埋め込んだチップは、ガードしたはずの『心の声』を拾うんだよな、と、チャンはますます愛想笑いを浮かべる。が、チャンからアレックスの『心の声』は読めない。普通の脳チップでは、そう簡単に人の心はわからない。
「い、いや~、あたしは今どきの映画……インタラクティブムービーって奴ですか? どうにも難しくてねえ、オールドフィルム……一方通行の映画の方が安心できるんでぇ……」
「古い文化財ばかり相手にしてるから『アイーダ』の価値がわからないんだね、可哀相に。僕の映画は、体験するものを選ぶ。君がうんざりしても『アイーダ』の価値は変わらない……疲れたな。眠らせてもらうよ」
アレックスは、腕くみしたままシートに沈み込んだ。
ダヤルのプリンス、アレックスがプロデュースしたインタラクティブムービーは、真っ二つに評価が割れた。序盤の展開は、二百年以上前に作られた伝統的オペラ『アイーダ』に沿っているが、その後、見る人によってストーリー展開も印象もガラリと変わる。
悲劇の恋かと思えば、独立を求める闘争になる。
富裕層や知識人からは絶賛の嵐だが、一般大衆には受けなかった。
タクシーは、鈴木家が暮らす保護区の公園に到着した。
椰子の林の奥に、トタン屋根の家があった。
アレックスはファンタスティック! と感動した。これこそアジアだ。
しかもこの家は、観光地にある作りものではない。二十世紀後半にあった本当の家だ。
局長は、玄関のインターフォンを押す。その「ポーン」と言う音が、アレックスの幼い記憶を呼び戻す……あの音は、ダヤル財団の『情報科学博物館』で聞いた。二百年前のコンピュータがあり、マンマによく連れてってもらった……。
「コンニチワー、チャン・シュウイン★☆●×#」
アレックスが郷愁に浸っていると、チャンはインターフォンに話しかけていた。後半、何を言ってるのかアレックスにはわからなかったが、それなりに彼は日本語が話せるようだ。
「コンニチワ、チャンさん」
スピーカーから幼い少女の声が聞こえた。アレックスは生まれて初めて、日本語族の声を聞いた。
玄関のドアが開け放たれ、鈴木家の一人娘、ひみこが現れた。
彼女は、アレックスが写真で見たままの姿だった。だらしなく伸ばされた黒髪を首の後ろで縛っている。無表情で、目が細く吊り上がり、いかにもアジアにいそうな少女だった。
生成りのノースリーブのワンピースは薄汚れ、十三歳にしては幼く見える。むき出しの肩から伸びた細い腕が、いっそうみすぼらしさを強調している。
だからか、左手首の黒いリストバンド状の腕時計が、異様に目立っていた。
チャンは「わたしは、チャン・シュウインです。セイフのヤクニンです」とたどたどしく日本語で自己紹介した。
アレックスは身振り手振りを交え「アレックス・ダヤル」と名前を繰り返した。
「お父さん、お母さんは?」
チャンは何度も繰り返す。が、目の前の少女は首を振るだけだ。
彼の日本語力もそこまでで、ついに共通語に切り替えた。
「あんたのお父さん、お母さんは、あたしらが来ることを知ってるはずだよ。この人はアレックス・ダヤルさん、大事なお客さんだよ。日本語を勉強したくて、みんなに会いに来たんだとさ」
すると少女の手首の黒い腕時計が反応し、人工音声で通訳を始めた。
腕時計から聞こえたたどたどしい声で、またアレックスは情報科学博物館を思い出す。が、今度は懐かしい気持ちではなく、不安に囚われる。まさか旧石器時代のシステムではないだろうな、と、恐ろしくなってきた。
チャンと鈴木ひみこは、彼女の腕時計を通じて、意思疎通を図っている。
アレックスは、脳内チップを使えばダイレクトに会話できるのに、と苛立ってきた。
そのもどかしいやり取りの果て、衝撃的な言葉を、腕時計が告げた。
「父と母は、消えた」
「なんだって!?」
アレックス以上にチャンが叫んだ。
アレックスは、文化財局長チャン・シュウインの案内で、札幌駅のハイパーメトロに乗り込んだ。
東京で暮らす鈴木一家の元へ向かう。二時間で到着の予定だ。
ダヤルのプリンスは、政府から提供された鈴木家三人の情報があまりに貧弱なので、呆れていた。
名前の他は、正面からの顔写真のみ。それも無表情で無機質で無愛想だ。ただでさえアジア人は表情が読み取れないのに。
「シュウ、せめて2Dの動画ぐらいないのか?」
誰もが自己紹介用の3D映像を作り、名刺のように使う。日本が世界から遅れているといっても、その程度は世界的な常識だ。アレックスとチャン・シュウインも、事前に自己紹介の3D動画を交換している。
「それなんですけどね~、あたしらと日本語族ってのは違うんですよ。だから、なるべく近づかないよう、東京の古い大きな公園を保護区にして、守ってるんです」
「バカな! 日本語族は狩猟民族とでもいうのか?」
「ああ、いや……どちらかというと、農耕民族ですけどねぇ、でも、ちゃんと監視してますって。まあ大人しく暮らしてるし、噛みついたりはしませんから」
アレックスは向かいの政府事務担当者を睨みつける。
「いや~、少数民族保護は大切ですからね。日本では、日本語族同士が結婚したら、保護費を一生支給するし、子供が生まれたら増額、です。昔は、国民のみなさんから批判があったんです。日本語族というだけで、ずるいって。それでも、続けてきましたよ」
「なぜ一億人もいた日本語族が急に減ったんだ?」
「あたしらもわからないんですよ。日本は二十世紀の終りから、出生率が減って独身者が増えたんですが、前世紀の半ば、本当に子供が生まれなくなったんです。当時流行したウィルスによる感染症なんて説もありますが、よくわかりません」
「日本に来てスタッフから教えてもらったよ。今世紀の初め、政策を大幅に変えたとか。移民を増やすため、国籍取得を容易にし国際共通語を公用語にしたんだね」
チャンの顔から一瞬ヘラヘラ顔が消える。なんだコイツ、少しは予習してきたんだ。
「いや~さすがダヤルさんですねえ。それで、多くの先住日本語族は、国際共通語が話せて生活力ある外国出身の日本人と結婚したわけで」
「それで鈴木家の三人が残ったのか」
メトロは東京駅に到着した。
アレックスは、スーパーメトロを降り地上に出た途端、東京の熱気に襲われる。
「ダヤルさん、こっから先はクール・ウェアがないと厳しいですよ~」
カジュアルなオフホワイトのシャツとパンツに身を包んだプリンスに、チャンはアドバイスする。
チャン自身は、デイ・バッグにつめた水色のクール・ウェアを取り出して着こんだ。カーボンナノチューブを使ったウェアは効率よく熱を吸収するが、それなりの値段だ。チャンのような高級官僚でないと、手が出せない。
一方ダヤルのプリンスは、サングラスの奥で何か企んでいそうな微笑みを浮かべた。
「ヘイ! ヴァルナ!」
白いシャツの男は、片手を真夏の太陽に向け、天へ高らかに呼びかけた。
ほどなく、小型ドローンが南の空に現れ、静かに降りてきた。アレックスの頭上、五十センチメートルでホバリングする。
「ありがとうヴァルナ、頼むよ」
ドローンの端から何本もの細い脚が伸びる。軽やかな白い半透明な布が伸びた脚の上に広がり大きな傘を作った。
アレックスは、サングラスを外し、顔を上げる。空のような青い眼が光るが、すぐ瞼が閉ざされ光は消える。傘の骨からミストが降りてきた。
「あ、はあ、すごいですねえ」
そうとしか、チャンは反応できない。冷却効果ならカーボンナノチューブのウェアだって負けてない。大体、街中で歩きながらシャワーを浴びるなんて、スペースの無駄遣い。そもそも見ていて……とても恥ずかしい。
しかし、アレックスがあまりに堂々としているので、思わず局長は呟いた。
「ダヤルさん、インドのマハラジャみたいですねぇ」
アレックスの小麦色の肌は、エキゾチックな高貴さを醸し出していた。
彼の母はインド出身の大富豪、父はビザンツ帝国皇帝につながるイタリア貴族。生まれも育ちもプリンスの名に相応しい。
チャン局長がマハラジャと言うのも、理由があってのことだ。
「それよりタクシーはもう来ているんだろ? 鈴木『サン』の元へ行こう。ヴァルナ、また頼むよ」
男が長い腕を天に伸ばすと、ドローンは傘を畳み、来た方角と同じ南へ去っていった。
局長は、タクシーの中で黙りこくった。このお坊ちゃま、派手な演出が好きだなあ……有名女優と付き合って、映画も作ってたっけ? 映画、金かけた割には微妙だった……。
「シュウ、君は『アイーダ』を体験した上でそう思ってるのかい?」
『お坊ちゃま』は口元に笑みを湛えている。サングラスに隠され表情が見えない。
うわっ! しまった、こいつの脳に埋め込んだチップは、ガードしたはずの『心の声』を拾うんだよな、と、チャンはますます愛想笑いを浮かべる。が、チャンからアレックスの『心の声』は読めない。普通の脳チップでは、そう簡単に人の心はわからない。
「い、いや~、あたしは今どきの映画……インタラクティブムービーって奴ですか? どうにも難しくてねえ、オールドフィルム……一方通行の映画の方が安心できるんでぇ……」
「古い文化財ばかり相手にしてるから『アイーダ』の価値がわからないんだね、可哀相に。僕の映画は、体験するものを選ぶ。君がうんざりしても『アイーダ』の価値は変わらない……疲れたな。眠らせてもらうよ」
アレックスは、腕くみしたままシートに沈み込んだ。
ダヤルのプリンス、アレックスがプロデュースしたインタラクティブムービーは、真っ二つに評価が割れた。序盤の展開は、二百年以上前に作られた伝統的オペラ『アイーダ』に沿っているが、その後、見る人によってストーリー展開も印象もガラリと変わる。
悲劇の恋かと思えば、独立を求める闘争になる。
富裕層や知識人からは絶賛の嵐だが、一般大衆には受けなかった。
タクシーは、鈴木家が暮らす保護区の公園に到着した。
椰子の林の奥に、トタン屋根の家があった。
アレックスはファンタスティック! と感動した。これこそアジアだ。
しかもこの家は、観光地にある作りものではない。二十世紀後半にあった本当の家だ。
局長は、玄関のインターフォンを押す。その「ポーン」と言う音が、アレックスの幼い記憶を呼び戻す……あの音は、ダヤル財団の『情報科学博物館』で聞いた。二百年前のコンピュータがあり、マンマによく連れてってもらった……。
「コンニチワー、チャン・シュウイン★☆●×#」
アレックスが郷愁に浸っていると、チャンはインターフォンに話しかけていた。後半、何を言ってるのかアレックスにはわからなかったが、それなりに彼は日本語が話せるようだ。
「コンニチワ、チャンさん」
スピーカーから幼い少女の声が聞こえた。アレックスは生まれて初めて、日本語族の声を聞いた。
玄関のドアが開け放たれ、鈴木家の一人娘、ひみこが現れた。
彼女は、アレックスが写真で見たままの姿だった。だらしなく伸ばされた黒髪を首の後ろで縛っている。無表情で、目が細く吊り上がり、いかにもアジアにいそうな少女だった。
生成りのノースリーブのワンピースは薄汚れ、十三歳にしては幼く見える。むき出しの肩から伸びた細い腕が、いっそうみすぼらしさを強調している。
だからか、左手首の黒いリストバンド状の腕時計が、異様に目立っていた。
チャンは「わたしは、チャン・シュウインです。セイフのヤクニンです」とたどたどしく日本語で自己紹介した。
アレックスは身振り手振りを交え「アレックス・ダヤル」と名前を繰り返した。
「お父さん、お母さんは?」
チャンは何度も繰り返す。が、目の前の少女は首を振るだけだ。
彼の日本語力もそこまでで、ついに共通語に切り替えた。
「あんたのお父さん、お母さんは、あたしらが来ることを知ってるはずだよ。この人はアレックス・ダヤルさん、大事なお客さんだよ。日本語を勉強したくて、みんなに会いに来たんだとさ」
すると少女の手首の黒い腕時計が反応し、人工音声で通訳を始めた。
腕時計から聞こえたたどたどしい声で、またアレックスは情報科学博物館を思い出す。が、今度は懐かしい気持ちではなく、不安に囚われる。まさか旧石器時代のシステムではないだろうな、と、恐ろしくなってきた。
チャンと鈴木ひみこは、彼女の腕時計を通じて、意思疎通を図っている。
アレックスは、脳内チップを使えばダイレクトに会話できるのに、と苛立ってきた。
そのもどかしいやり取りの果て、衝撃的な言葉を、腕時計が告げた。
「父と母は、消えた」
「なんだって!?」
アレックス以上にチャンが叫んだ。
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