魔法少女~春夏秋冬

めけめけ

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春夏秋冬

夏の終わりの扇風機

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 夏の終わり
 秋の始まり
 真っ赤に燃えるのが秋
 ならば、燃え上がる前に、くすぶっているのが夏なのであろうか

 夏の終わりを象徴するもの
 秋風の訪れ
 夏休みの終わり
 やりきれなかった宿題
 感想文を書き終えたあとの文庫本
 使い古したビーチサンダルをゴミ箱へと捨てる
 今年2回しか着なかった水着はもう要らない
 どこかに置き忘れたエアコンのリモコン

 別荘に着く頃には、あたりはすっかり暗くなっている
 虫の声
 丸く太った月
 いや、それよりも、逝き遅れた蝉の鳴き声
 寂しげな風鈴
 肌に心地のいい夜風


 僕は人里離れた山中の別荘に君を誘った。
 君とのひとときを、深く心に刻むために。


「扇風機、片付けようか」

「いやよ、このままがいいわ」

「だってもう使わないだろう」

「そうだけど」

「そうだけど、なに?」

「だって、扇風機を片付けると、夏が終わってしまうような気がしない?」

「夏? 夏なんかとっくに終わっているさ」

「そんなこと、言われなくてもわかっているわ。ロマンがないのね」

「ロマンって、扇風機がかい?」

「夏の終わりがよ」

「だから、夏はもう……」

「そんなこと、誰が決めたのよ」

「だれって、そういう問題かい?」

「あなたにとっては夏は終わったかもしれないけど」

「君の夏はまだ終わっていないのかい?」

「終わっているわ」

「だったら……」

「だから、少しでも夏を感じられるものを、そばに置いておきたいのよ」

「それで、いつになったら片付けるんだい? 君の言う、夏の面影ってやつを」

「秋が来たときよ」

「秋はもうきてると思うけどな」

「もう、秋がきちゃったのかな」

「秋は嫌いかい?」
「そんなことはないわ。秋は素敵よ。でも、夏ほどではないわ」

「そんなに夏が好きなのかい?」
「好きよ。でも、ちがうわね。好きだからじゃないのよ」

「好きだから――、じゃない?」
「そう、夏が好きだから、夏の終わりが寂しわけじゃないのよ」

「じゃぁ、夏の終わりが好きだから?」
「それはもっとちがうわ。夏の終わりはきらいよ。だって、寂しいもの」


 彼女の声は、夏を惜しむにしては、涼しげだ。
 彼女とのこんな他愛もない日常的な会話が、僕は好きだった。
 君は他の誰とも違う。
 神秘的という言葉も陳腐に感じてしまうほどに、底の知れない不思議な魅力を、その言葉に、その瞳に、その透き通った肌に纏っている。
 まるで住んでいる世界が違うみたいだ。
 君を僕だけのものにしたい。
 そう思う気持ちは、日に日に、募っていった。


 君は、まるでフランス人形のような透き通った白い肌をしている。
 髪の毛は少し重たく感じるくらいに黒々としている。
 瞳はどことなく日本人のそれとは違うような、色素の薄い色をしている。目を会わせただけで、すべてを見透かされているような妙な感覚に陥ってしまう。

 いろんな女性とと付き合ってきたけど、君は特別だ。
 出会ったときから 特別な存在だった。
 そして これからも 君は僕にとって 特別な存在であり続けるだろう。

 今夜、君は僕の永遠になる。

 僕だけの君になる。

「何を見ているの?」
「君を見ている」
「私の何を見ているの?」
「君の瞳を見ている」
「私の瞳の中に何が映っているのかしら?」
「君の瞳の中には僕が映っている」
「違うわ」
「じゃあ、何が映っているんだい?」

 彼女は答えない。
 黙ってじっと、僕の顔を見ている。
 僕の瞳を見ている。
 僕の瞳に映っている君を見ているのだろうか?
 それともやはり、夏の終わりを見ているのだろうか?

 用意は万全だ。
 何一つ ぬかりはない。
 計画は完璧だ。
 いつもどおりにことを運ぶだけだ。

 何事にも始めてはある。
 失敗もいろいろしてきたけれど、こうやって君と出会えたのも僕らの運命なのかもしれない。
 これまで出会ってきたどんな女性とも違う。
 魅力的とか可愛いとか、美しいとか、そんな次元の話ではない。
 君ならきっと僕の願いを叶えてくれる。
 理屈じゃない。
 肌でそう感じるんだ。
 
 僕は何かに取りつかれたように君に夢中になった。
 君は僕の誘いをすぐには受け入れてくれなかった。
 でも、ある時を境に君は僕の中に何かを見出したようだ。
 それがいったい何なのか気にならなくはないけれど……

「あなたの心の声が、私には時々聞こえるのよ」
 君はいたずらっぽい笑顔で僕の瞳を望みこむことがある。
 僕は何もかも見透かされているようで時々怖くなる。
 でも、不思議とそれが嫌じゃないんだ。
 君は僕を救ってくれる。
 そんな気がしてならない。
 これまでの失敗は君との出会いですべて帳消しになる。
 そんな思いが、僕の中にはあるんだ。




 ここは都会から少し離れた避暑地である。
 夏場は暑さを逃れるために、多くの人が訪れるこの地も、夏が終わると急にさみしくなる。
 一組の男女が、車で現れたのは、まだ日が落ち切る前であった。
 女が食事の支度をし、男は夏物を整理していた。
 二人がここに来るのは初めてではなかった。
 夏に出会った男女がお互いに惹かれあい、距離を近づけていく。
 ここに来たのは一週間ほど前であったが、夜をともにするのは初めてであった。
 男は誘い、女は拒んだ。
 そして夏の終わり、秋の気配が感じられるようになった頃、女は男を受け入れたのである。


 食事を済ませ、ワインを飲みながら語り合う二人。

「ねぇ、やっぱり、もうあきが来たのかなぁ」
 夏の終わりを惜しむ女は、アンティークものの扇風機を眺めながら、男に訴えた。

「夏が終わったのなら、次は秋だろう?」
 男はすぐに答えた。男にとっては夏が終わろうと秋が来ようとも関係がないと言った様子だった。

「そう。そうなの。夏が終わると、飽きるんだ」
 それまでアンニュイな雰囲気を醸し出していたい女の様子が変わった。いつもよりもやや低い声の調子に男は戸惑った。

「えっ? なんだい、今なんて――」
 彼女の様子が変わったこともそうだが、会話の流れに即さない言葉を彼女に聞き直した。

「夏がすぎたら、飽きちゃった? 私のこと」
 今度は少女のような可愛らしい声、それは男を挑発している、或いは威嚇しているかのようだった。

「ど、どうしたんだよ。急に」
 今まで見たことのない女の所作に男は動揺しているようだった。

「どうもしないわ。いえ、違うわね。どうにもならない。どうにもならないのね」
 今度はもとのアンニュイな表情に戻った。しかし、その表情はまるで別人。男はいよいよ恐ろしくなってきた。

「どうにも――、ならない?」
「そうよ。もう 終わりよ」
 女の視線が男を突き刺す。男はたじろいだ。

「夏がかい?」
「ちがうわ。いえ、そうなのかしら。夏は終わり。そして秋は来ない」
 強い口調で男の発言を否定する。それまでの彼女は存在しないかのようだ。

「どうして夏が終わったのに 秋が来ないんだい?」
「そうね。私には秋が来ても、あなたには来ないってことよ」
 男の動揺は、声の震えに現れていた。

「僕に 来ない? 秋がかい?」
「そうね。でも、少しちがうわね。秋じゃなくて明日が来ないの」
 女は顔の表情ひとつ変えずに、冷たい視線を男に浴びせた。
 男が今、何を考え、何をしようとしているのか、すべて見透かしたような冷徹な瞳。


 先に動いたのは男のほうだった。
 男は用心深く女に近づき、獣のような目で女を睨みつけた。
 女は微動だにしない。
 男は女が動けないのだと思い込んだ。
 しかし、それは違っていた。女は動く必要がなかったのだ。

 男が女に掴みかかろうとした瞬間、カチッという音がした。
 何かのスイッチが入る音。

 男は、躊躇した。

 この部屋に他に誰かがいるのか。
 男は一瞬怯み、周りを見渡す。
 涼しげな風が男に吹き付ける。
 誰も触れていないのに、扇風機がひとりでに回り始めた。

 男の視線は扇風機に釘付けになる。扇風機は夏の終わりを惜しむかのように、首を、左右に、振っていた。


「扇風機――」

 男は、そうつぶやき、そして安堵の表情を浮かべ、女を見下ろした。
 その顔には、なんとも卑しい笑みが浮かんでいた。

「いつもどおり、いつもどおりだ。少しばかり手間がかかったが、お前で7人目だ」
 男は女以上に豹変した。

「随分とお盛んね。まるで獣だわ」
 そんな男を蔑むような目で女は言った。

「お前は、お前は、本当にいい女だよ。ミサ。今までの女の中で最高だ」
「光栄だわ。でも、遠慮するわ」
 先ほどまでのアンニュイな会話なやり取りが嘘のような殺伐とした空気が流れる。

「そんな選択肢は、お前にはないんだよ。さあ、その細くて長い首を。その白くて絹のような肌を僕に……。僕のこの手で締めさせておくれ」
「酷いものだわ。だいなしね」
 興奮する男に対して、女は常軌を逸した冷静さで答える。

「つべこべうるさい。黙って俺に――」

 ブーーーン

 男の言葉を遮るようにものすごいモーター音が鳴り響く。同時に扇風機からビニールが焼け焦げるような嫌な匂いがしている。

 ガチャン!

 扇風機のカバーが外れ、高速で回転する羽があらわになり、強風に乗って焦げた匂いが部屋中に充満する。

「なっ、なんだ」
 異常な事態ではあったが、男の興奮状態はどんなに強く冷たい風を受けても覚めることはなかった。

 シュルシュルシュル!

 男はまったく意表をつかれ、次の瞬間に起きたことを、すぐに理解することができなかった。

「なっ、なんで、おっ、おでが、倒れでいぐ?」

 男は床の上に転がり、女を見上げていた。その横には、一人の男の姿があった。最初、男は、誰か他の人間がそこに立っているのだと思った。だがそれは違っていた。あまり見慣れていはいないが、それは自分の後姿だった。

「酷いものね。だいなしだわ」

 女の視線の先には、煙を上げ、異音を上げている扇風機がある。だが、その扇風機にはカバーがない。そして羽もない。
「この部屋の中で、一番気に入っていたのだけれど、仕方がないわ」

「ミサ……おばえば、いっだい、ナニもの……」
 男の生首はうまくしたが回らず、うなるようにしゃべった。

「黒き望みをかなえる者。悲しき想いを見つめる者。深き闇をさ迷う魂の叫びに、耳を傾ける者よ」
 ミサと呼ばれた女の顔には、悲しみとも、憐みともちがう、慈悲と哀愁、そして怒りと凄みを合わせたような決意と覚悟が見て取れた。それは何とも薄く強い姿であった。

「ギィイ、ダガァ、ベェ、ダァ……」

 床に落ちた男の生首は、もはやはっきりと声を発することはできない。

 『いい眺めだ』
 そういい残し、男の生首は静かになった。

「そう。満足したのね。それがあなたの。あなたの本当の望み。あなた。そうやって、女の人を見上げていたかったのよ。いい眺めだったでしょう? でも、誰も本当のあなたのことを理解してくれなかったのね。哀れね」

 男の顔は、卑屈だが笑っていた。そう見えた。

「光栄だわ。でも、遠慮しておくわ」


 ミサは、男の生首を少しの間見下ろした後、床に転がり落ちた扇風機の羽を拾い上げた。羽を失った扇風機は、首を失った男の胴体のそばで、煙を上げている。

「元通りというわけには、いかないわね。人も。扇風機も」

 ミサは燃え出した扇風機の本体に、血のべったり付いた羽を取り付けた。せっかくつけたプラスチック製の羽は、熱でグニャグニャと曲がり、炎のしずくとなって床に落ちる。

「さぁ、これであなたたちの魂も解放されるわ。こんな男の道楽に付き合うことはなくてよ。早くお逝きなさいな」
 ミサの言葉に反応するかのように少女たちの声が聞こえてきた。
「助けて! お願い! ここから出して!」
 涙を流しながら一人の少女は訴えた。

「いや……、やめて、離してちょうだい」
 黒髪を振り乱しながら一人の少女は訴えた。

「誰か、誰か助けて……」
 絶望を目の前に、震えながら一人の少女は訴えた。

「苦しい、息ができない……」
 遠のく意識の中、かすれかすれの声で一人の少女は訴えた。


「あなたたちの声はずっと聞こえていたわ。でも、あの男には聞こえていなかったようね」
 ミサは右の人差し指をそっと自分の口元にあて、何やら呪文のようなものを唱え始めた。
「我、黒き望みをかなえる者なり。悲しき想いを見つめる者なり。深き闇をさ迷う魂の叫びに、耳を傾ける者なり、汚れし魂よ。その悲しき声に我は応えん。汝、黒き闇から解き放たれよ。汝らの声は聞き届けられた。この男の魂は、永遠の闇に追放された」

 床に転がる男の首の周りに黒いしみが広がっていく。そのしみの中なら白く細い手が何本も生えてくる。さながら地獄絵図である。

 男の生首はその腕に絡み取られ、ゆっくりと床を移動していく。
「あとはあなたたちで好きなようにすればいいのだけれど、あまり悪趣味なことはしないほうがよくてよ。あなたたちの恨みははらされた。夏が終われば秋が来るように、あなたたちもここから立ち去りなさいな。さもなければ、私が無理にでもあちらの世界に送り出さなくてはならないわ」

 全部で12本の腕、それはこの男の手にかかった6人の少女の腕であった。

 やがて腕は1本、2本と姿を消していった。男の生首に触れ、自分を殺した男がどのような末路をたどったかを確認し、満足した者は、魂を解放することができる。とうとう腕は最後の一組が残った。 
「ようやくお目にかかれたわね」
 ミサはスカートをまくりあげ、右の太もものあたりから短剣を取り出した。ミサの背後では炎が激しく燃えている。
「そう。あなたね。この男の魂を貶めたのは」
 一組の白い腕は、男の首をつかんだまま離そうとしない。

「余計なことをしてくれたわね!」
 死んだはずの男の口から女の声がする。
「何をどうしたかなんて聞かないし、聞きたくもないのだけれど、この男が最初に手を掛けたのはあなたね」
 男の生首は、白目をくるくるとさせながら苦悶の表情を浮かべながらしゃべる。
「そうよ。わたしよ。この男は私を最高に興奮させてくれた。首を絞めながらするのって最高なのよ。あなたみたいなお子様にはわからないでしょうけど」
 男の口は大きく開けられ、その中から女の顔が見える。男が女を食べたというよりは、女が男の身体を食い破り、口から這い出てくる様子は、地獄絵図というよりはもはや悪い冗談にしか見えない。

「やれやれだわね。それでこの男に取り付いて、その行為に及ぶときに被害者の体に憑依するわけね」
 ミサは短剣を右手にしっかり持ち、隙のない構えを見せた。
「そうよ。私は一回では満足できない。あのすばらしい感覚を何度も何度も味わいたかったのよ」
 女の目は宿主の男がそうであったように恍惚としていたが、それはもう欲情を超え、狂気であった。
「自分の快感のために、よくもここまでできたものだわ。開いた口が塞がらないけれど、その口は塞がせてもらうわ」

 白い腕に持ち上げられた生首が大きく口をあけてミサに襲い掛かってきた。ミサはその口の中めがけて短剣を突き刺す。

 ぎゃーーー!

 それは女の悲鳴だった。男の口の中に、小さな女の顔がミサを睨んでいた。
「だから、悪趣味なことはおやめなさいって、忠告したでしょう」
 ミサはゆっくりと短剣を抜く。生首は再び床に転がり、炎に包まれた。
「自分で自分の首を絞めるならまだしも、人に絞めさせるなんて、迷惑この上ないわ」

 燃え盛る炎が、夏のすべてを焼き尽くすころには。ミサの姿は。どこにもなかった。

 後日、匿名の通報を受けて、消防隊が出動するも、別荘は跡形もなく焼け落ちてしまった。そこには首を切断された男性の死体が見つかった。

「こりゃあひでえなぁ」
 駆けつけた警察関係者は、焼けただれた遺体には身元がすぐにわかるようなものは見当たらなかったが、止めてあった車から、日向淳一33歳独身。都内で歯科をやっていることが分かった。

「首を跳ねて殺されたってことは、よっぽど恨みを買ったんだろなぁ、ガイシャは」
 所轄のベテラン刑事は、遺体に手を合わせ、すぐに当たりの調査を始めた。若い刑事はまともに見ることができずにいた。
「しっかりしろ。まぁ、確かにひでぇ匂いだがな。これでしばらく焼肉は食えなくなる」
「やめてくださいよ。そういうの!」
 若い刑事はハンカチを強く顔に押し付け、もよおすものを必死で堪えた。
「すぐにこのナンバーで照会しろ。うまくすれば、防犯カメラに同乗者が映っているかもしれない」

 出火原因を調べていた消防員が、地下室の位置口を発見したのは、すぐだったが、すぐには中を調べることができなかった。安全を確認するのに時間を要したからである。そしてそこから更に6体の身元不明の女性の遺体が見つかることになる。そして殺された日向淳一の患者に行方不明者が数人いることがわかり、事件は連続殺人の捜査へと変わった。

「つまり日向淳一は、患者に声を掛けて、別荘に連れ込み殺人を繰り返していたってことですか?」
 若い刑事は、初めて経験する連続殺人事件が、あまりに異様な事件であることに困惑していた。
「そういうことになる。しかしわからんな。6人を手籠めに懸け、おそらく奴は七人目の犯行をしようとして思わぬ逆襲を食らったのだろう」
 ベテラン刑事は捜査資料を眺めながら答えた。
「あの車には、いったい誰が載っていたんでしょうね。その七人目の犠牲者が、日向に襲われ、そばに置いてあったそれをとっさに掴んで……」
「首を切り落としたっていうのか? バカバカしい。そんなことができるわけないだろう」

 ベテラン刑事は資料をデスクに放り投げた。
 6人の遺体は全て身元が分かった。どれも若い女性で、そのうち3人は日向の患者であった。そして資料には焼けただれた扇風機の写真が写っている。

「何か斧のようなもので首を切断し、その時の血が扇風機に付着した。それ以外に考えられん」
 ベテラン刑事は吐き捨てた。
「しかし、鑑識ではこの扇風機の歯根の破片が日向の首の骨に挟まっているの発見し、理論上は絶対に不可能ということはないという話じゃなかったでしたっけ?」
 若い刑事は資料を手に取り読み直した。
「ありえん。宇宙空間でなら可能って、それは不可能って意味だろうが?」

 凶器と思しき扇風機は、出火元でもあった。超高速でモーターが回転し、焼け焦げた可能性が高いと記してある。
「でも、まぁ、そういう工作をわざわざ犯人がする必要あるんですかね。あの助手席に座っていた人物……。人、ですよね。あれ?」
「わからん」
 若い刑事の質問にベテラン刑事は吐き捨てるように答えた。
「人影は写っていても、人の姿がないなんていうこと、あるんですね」
「ねぇよ」

 若い刑事は資料の中から一枚の写真を取り上げた。
「女の人の……影、ですよね。これ」
 そこには日向が運転席から助手席に座っている誰かに声を掛けている様子が映し出されている。画像は不鮮明だが、それが日向だとはすぐに判別できた。しかし、その助手席には人の影は映っているが、人そのものは映っていなかった。
「このライン、女性の影にしか見えないんですけど、あれですかね。シャッターの落ちるタイミングでこういう写真がとれちゃうことって、あるんですかね」
 若い刑事の声は少し震えていた。それは自分がまたベテラン刑事に怒られるかもしれないという恐れと、自分が言っていることがもし、間違っていた場合、この写真に写っている者の正体がいったい何者なのか、それを想像して震えていたのである。

「答えは、闇の中だな。まったく。あの地下室でいったい何が行われ、そしてあの日、火事か起きる前に、あの密室空間で何があったのか。誰が居たのか。まるでわからん」
 ベテラン刑事は、資料をもう一度手に取り、そしてつぶやいた。

「夏も終わりだな。うちも扇風機、片付けなきゃなぁ」
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