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6.雨の日は、
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しおりを挟む私たちのクラスの教室は、ドアが開きっぱなしになっていた。教卓に近いほうのドアから中に入ろうとしたとき、ふと人の気配がして足を止める。
ドアの陰からそっと教室を覗くと、窓際の席にまだクラスメート女子がふたり残っていて、窓の外を見ながら何か話していた。
私の存在に気付くことなく、おしゃべりに夢中になっているのは、清水さんとその友達だ。
「あーあ。雨の日のバイトってダルいなぁ。お客さん減るし、暇なんだよ。誰か代わってくれないかな」
「そう? 暇な方が楽でいいじゃん。あれ、佐尾からだ」
スマホを弄りながら、ため息をつく友達に受け答えしていた清水さんの声のトーンが上がる。
それを聞いて、清水さんの友達がにやりと笑った。
「そうなんだ。遊びの誘い?」
「うーん、どうだろ。まだ教室いるかって聞いてきてる」
佐尾くんから届いたメッセージに嬉しそうに返信している清水さんの横顔を見て、胸がズキンと痛んだ。
「よかっね。そういえば調理実習の後半、佐尾くんと美帆ちゃん、気まずい雰囲気になってたよね。もしかしたら、そのこと謝りたいんじゃない?」
「そうだといいな。西條さんのおかげで、あのあとうちのグループほんとに気まずかったからね。あの人いないのに、あの人が作った酢の物とか仕込みした料理を無言で食べなきゃいけなかったし。苦痛しかなかった」
清水さんが嫌味っぽく愚痴るように話すのを聞いて、私は彼女たちに気付かれないようにドアの陰に隠れた。
自分が悪く言われることは構わないけど、このままではスクールバッグが取れない。
どうしようか、と困っていると、清水さん突然、声のトーンを低くした。
「はぁー? どうしてそうなるのよ」
「何? どうしたの?」
「佐尾がね、西條さんが教室に戻ってきてないか、って」
椅子を床に引き摺る音がして、その音に紛れて、清水さんの明らかに不服そうな声がはっきりと聞こえてきた。
「どういうこと?」
「なんか、西條さんのこと探してるっぽい。保健室に様子見に行ったけどいないんだって。だったら帰ったんでしょ、って話じゃない? ほんと、どうでもいいわ」
友達にそう答える清水さんの声がますます不機嫌になるのがわかる。
だけど、ドアの陰に隠れて彼女達の話を盗み聞く私の鼓動は、激しく高鳴っていた。
「佐尾くん、調理実習のときも西條さんのこと庇ってたよね。わざわざ保健室まで付き添ってあげてたし」
「そう、あれだって意味わかんなくない? おでこの傷のこと指摘されて、あの人が勝手に気まずくなっただけじゃん」
友達の言葉が清水さんの苛立ちを助長させたらしい。ドアの陰からでも、彼女の息が荒くなるのがわかった。
「やっぱり佐尾くんって、西條さんのこと気になってるんじゃない? じゃなきゃ、中学のときから仲の良い美帆ちゃんにあそこまできつく言わないし、みんなの前で庇わないでしょ」
「冗談でもそういうのやめてよ。絶対やだから。もし仮に気になってたとしても、恋愛感情とかじゃないよ、絶対」
「だからそれは美帆の願望でしょ?」
「願望じゃなくて、絶対ないのっ! だって、西條さんのおでこ見た?」
「あー、見たよ。遠目にだけど」
清水さんたちが額の傷のことに触れたとき、高鳴っていた胸の鼓動が、急に違った意味でまたドクドクと早鐘を打ち始めた。
「おでこにあんな大きな傷痕があるんだよ? それ知ってて、佐尾が西條さんのこと好きになったりすると思う? 同情はあっても、恋愛感情はないでしょ」
「そうかなー?」
もう随分と前に乾いているはずの額の傷が鈍く痛むような気がして、前髪の上からそこに手をあてた。
「西條さんって、はっきり言って全然目立たないじゃん? だから、悪い噂とか全然見つかんなかったの。だけどあたしの同中の友達に西條さんと同じ小学校だったって子がいて、事故でできたおでこの傷のこと教えてくれたんだ」
「へぇー」
「前髪あげたら結構目立つ傷痕だったし、佐尾がもっと動揺すると思ったけど。そうでもなかったなー」
「知ってたんじゃない?」
「えー、そうなのかな。それであんなふうに庇ったなら納得。絶対同情でしょ?」
少し気を良くしたらしい清水さんの声が明るくなる。続いて聞こえてくるのは、嘲笑にも似た高らかな笑い声。
同情……、そうか、同情。
前髪の上から額を強く押さえる。
まるで今怪我を負ったばかりのように、古傷がズキズキ痛む。
佐尾くんの優しい眼差しに、私は何を期待していたんだろう。
清水さんの嘲笑を聞いているうちに、教室に置いたままのスクールバッグのことなんてどうでもよくなってきた。
物音を立てないように教室のドアから離れると、廊下を走り、階段を駆け下りて、下駄箱まで走る。
上履きを脱ぎ捨てるように履き替えて昇降口を出たとき、辺りに立ち込める湿った匂いと、視界を曇らせる雨に絶望的な気持ちになった。
ぐちゃぐちゃに傷付いた私の心とは裏腹に、雨は、穏やかに柔らかに地面に降り注いでいく。
雨の日は嫌いだ。心の底からそう思う。
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