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3.雨上がりの放課後
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しおりを挟む「佐尾くんはきっと、動物に優しいんだよね。飼ってた金魚が死んじゃったときも、悲しくて学校休んじゃったんでしょ?」
「え? どうして西條さんがその話知ってんの?」
「知り合いに聞いたから」
手のひらで口元を覆った佐尾くんが、急に耳まで真っ赤になる。知り合いというのはもちろん、佐尾くんのことが好きだった私の友達のことだ。
中1のある日。佐尾くんが無断で学校を休んだことがあったらしい。その日は仲の良い友達ですら彼と連絡がつかず、みんな心配したそうだ。
次の日、昼休み頃に遅刻して登校してきた佐尾くんの目は、誰が見てもわかるくらいに腫れて赤くなっていた。
クラスメートの男子が心配して話を聞いたら、佐尾くんは『昔から飼ってた金魚が死んじゃって……』と、ちょっと泣きそうになりながら、無断欠席と無断遅刻の理由を打ち明けたらしい。
クラスメートの大半が佐尾くんの無断欠席の理由を知って大笑いしたのだけど、私の友達は、このエピソードをきっかけに彼のことが好きになったと言っていた。
「そんな恥ずかしい話が広まってるんだ……」
小さく呻くように言いながら、佐尾くんが両手で顔を覆う。その姿がなんだか可愛くて、思わずふふっと笑い声が漏れた。
「何、笑ってんだよ」
私を横目に見ながら、佐尾くんがふて腐れた声でつぶやく。
男の子に対して「可愛い」なんて思ったら嫌がられるんだろうけど……。その反応が可愛くて、ますます笑い声が漏れてしまった。
「別に、からかってるわけじゃないよ。その話を聞いたとき、佐尾くんて優しいひとなんだなって思ったし」
「やめてよ。西條さんが聞いた話が、9割方ほんとだから、すげー恥ずかしい」
「そうかな」
「そーだよ!」
不機嫌そうに答える佐尾くんを見ながらクスクスと笑っていたら、彼が諦めたようにため息を吐いた。
「夜店の金魚ってさ、弱っててすぐ死んじゃうことが多いじゃん? でも、俺が4歳くらいのときに金魚すくいでとってきたそいつは、10年近く生きたんだよ。だから、俺にとってはただの金魚じゃなかったの!っていうのが、言い訳」
「それはすごいね。10年も一緒にいたら、金魚も家族だよね」
「もういいよ。この話は終わり」
佐尾くんの話に素直に感嘆の声をあげると、彼が恥ずかしそうに顔の前で手を振った。
「ていうか、西條さん。何気に俺のことに詳しいよね。部活のこととか、今の話とか。なんで?」
「なんで、って……」
佐尾くんが私の瞳の奥を覗き込むようにじっと見てくる。
言葉に詰まっていると、佐尾くんがその続きを催促するように、首を横に傾ける。その仕草に、なぜかドキリと胸が高鳴った。
なんで、かな。なんでかなんて、私にもよくわからない。
だけど、私が知ってる程度のことは、きっと同じ中学出身の他の女の子たちだって知っているはずだ。
特に、佐尾くんに好意を寄せている子たち────、たとえば、中3のときの私の友達や清水さんなら。
「だって佐尾くん、友達多いでしょ。それに、女の子にも人気だし。そういう人の噂話は、私なんかの耳にも自然に、勝手に、入ってくるものなんだよ」
自分の口から出たその説明が妙にしっくりときて、ひとりで何度も頷く。だけど佐尾くんは、あまり納得のいかない顔をしていた。
茶太郎の家の前を離れて歩いていた私たちは、白壁の3階建てのアパートの前で、どちらともなく足を止める。
自宅の前に辿り着いた私が別れの言葉を告げようとすると、それより先に佐尾くんが口を開いた。
「なんかさ、すげー不公平じゃない?」
「え?」
佐尾くんが唐突にそんなことを言うから、さっぱり訳がわからなかった。難しそうに眉根を寄せた佐尾くんが、ぽかんと口を開けた私の顔をジッと見てくる。
「やっぱり、不公平だ」
「何が?」
もう一度同じような言葉を繰り返した佐尾くんに、困惑気味に問いかける。
「西條さんが一方的に俺のことをいろいろ知ってるってこと。予想以上に知っててくれて嬉しいって思う反面、俺は西條さんのことほとんど知らねーじゃんってちょっと虚しくなる」
佐尾くんが不服そうな声でぼやく。だけど、私には彼がそんなことを思う理由が全くわからなかった。
佐尾くんが私のことを知らないのなんて、そんなの当然だ。だって彼と私では、学校内における立ち位置がそもそも違うんだから。
「私のこと知ったって、佐尾くんには何の得にもならないでしょ?」
パチパチと目を瞬く私を見て、佐尾くんが複雑そうに表情を歪める。
「損得の話ではないんだけど……」
それなら何だ、と考えながら首を傾げたら、佐尾くんが笑いながら小さく肩を竦めた。
「まぁ、いいや。まだ不公平感は否めないけど、今日はここまで一緒に帰ってこれたし。俺も、西條さんのほうに一歩前進」
「う、ん?」
勝手に自己完結させてしまった佐尾くんの話に曖昧に頷くと、彼が私に向かって眩しいくらいの笑顔を見せた。
「また誘っていい? 西條さんのこと」
「え……」
驚いて目を見開く私に向かって、佐尾くんが何ごともなかったようにさっと手を振り上げる。
「じゃぁ、またね。西條さん」
笑顔で私に手を振ってから、佐尾くんが一緒に歩いてきた道をひとりで引き返して行く。少しずつ遠ざかっていく彼の背中が曲がり角に消えて見えなくなるまで、なぜか私は、その場に立ち尽くしたまま動けなかった。
佐尾くんの背中が曲がり角の向こうに気えた瞬間、彼の笑顔と言葉が鮮明に脳裏に蘇る。
雲間から現れた太陽みたいに、明るくて眩しい佐尾くんの笑顔。それが私の心の全部を支配して、なんとも落ち着かない気持ちになった。
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