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1.雨の中の子猫
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佐尾くんと初めて話したのは、私が嫌いな雨の日だった。
その日は朝からずっと雨で。憂鬱な気分でなんとか1日をやり過ごした私は、1秒でも早く帰りたいと思いながら、急ぎ足で家に向かっていた。
私の通う高校は、自宅から徒歩で約30分だ。バスや電車でも通えるけれど、高校のそばまで行くバスは駅前からしか出ていない。自宅から電車の最寄り駅までは徒歩で15分かかるので、中途半端に便利が悪い。
自転車通学も許されているけれど、訳あって私は《あの乗り物》が好きじゃない。
それで私は、晴れの日も雨の日も、暑い日も寒い日も。毎日30分かけて、徒歩で登下校していた。
30分の登下校も、晴れの日や曇りの日はいい。暑くても寒くても、まだ我慢できる。だけど、雨の日が一番つらい。
地面に跳ね返った泥水や傘から落ちてくる水滴が、靴や靴下、制服のスカートまでも濡らす。
学校を出てからもう何度吐いたかわからないため息をこぼしたとき、数メートル先の住宅の間にある空き地の前で黒っぽい塊が丸まっていた。よく見ると、それは制服を着た男の子の後ろ姿で。彼の制服は、うちの高校の男子のものと酷似していた。
こちらに背中を向けてしゃかみこんでいる彼の向こうには、開いた状態で地面に置かれた黒い傘がちらりと覗き見えている。
どうしてこんな雨の中、地面に傘なんか置いて座り込んでるんだろう。
疑問に思いながら見ていると、それまでうつむいていた彼が頭を上げた。その瞬間、黄色に近いくらい明るい茶髪の後頭部が視界に飛び込んできたから、ぎょっとした。
何、あのひと。明るい茶髪の後ろ姿だけで判断するのは偏見かもしれないけど。
こんな雨の中、傘を置いてじーっとひとりで座り込んでるなんて。ちょっと怖い人かもしれない。
私の通う高校には、いつも校則に違反するような悪さをしている生徒が少なからずいるのだ。
あまり近付かない方がいい人なのかも。そう思ったら急にドキドキしてきて、早く家に帰りたいのに、その場で足がすくんでしまった。
後ろを振り返ったけれど、近くを歩いている人は私のほかにいない。
私の家の方角は彼が座り込んでいる場所のさらにずっと先だ。一本道だし、そこを通らなければ帰れない。
あの人のそばを通り過ぎていって大丈夫だろうか。
いや、でも。この雨の中で立ち往生も嫌だし。勇気を出してあの人の横を通過するしかない。
私は覚悟を決めると、傘の柄を握る手に力を込めた。そうして極力息をしないように、気配を消すように、急ぎ足で彼のそばを通り抜ける。
でも、彼が何をしているのが見たいという好奇心が全くないわけではなかった。
彼のそばを完全に通り抜ける間際に、気付かれないようにそっと視線を投げてみる。その瞬間、はっとした。
明るい茶髪の男の子の前にあったのは小さな段ボール箱で、その淵から茶色の子猫が顔を覗かせていたのだ。遠くからは不自然に開いて置かれているように見えていた傘は、箱の中の子猫を雨から守るように翳されている。
つい立ち止まると、茶髪の男の子が私の気配に気づいて振り返った。
「あ……」
思わず声をあげたくなったのは彼も、同じだったようだ。
次の瞬間、ほぼ同時に。たぶん初めて、お互いの名前を呼び合ったと思う。
「西條さん!」
「佐尾くん?」
猫の入った段ボール箱の前に座り込んでいたのは、クラスメートの佐尾 悠飛だった。
ちなみに、私と佐尾くんは同じ中学出身でもあるのだが、これまでに一度も会話をしたことがない。
高二になった今年、初めて同じクラスになったのだけど、今この瞬間まで、挨拶をしたこともなければ目を合わせたことすらなかった。だから、彼が私の名前を把握してくれていたことに正直驚いた。
「西條さん、俺のこと知ってたんだ?」
だけど、佐尾くんのほうも私が彼の名前を把握していたことが意外だったらしい。驚いたように何度も目を瞬くから、反応に困ってしまった。
「そりゃ、まぁ……」
同じ中学出身の佐尾くんは、いつも笑顔で人当たりがよくて。中学生の頃から、常にグループの中心にいるような、男女ともに人気がある男の子だった。
バスケ部に所属していて、試合ではほぼ必ずと言っていいほどスタメンに入っていた佐尾くんは、女の子にも結構モテていた。たぶん、同じ中学で佐尾くんのことを知らなかった子はいないんじゃないかと思う。
高校に入ってからも彼の人当たりの良さは変わりなくて。私の知る限り、いつも誰かしら友達に囲まれている。それに、中学の頃に比べてグンと背が伸びて顔付きも大人っぽくなったせいか、ますます女の子にモテている。
それに引き換え私は、中学のときも今もあまり目立つほうじゃない。もしかしたら、クラスメートの中には私のフルネームを把握してない人もいるかもしれない。
佐尾くんと私の間には、それくらい格差がある。
だから、「名前、知ってたんだ?」と。そう尋ねたいのは、むしろ私のほうなのだ。
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