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黒の帳 『一つ目の帳』

+ 天野視点『意外な相談相手 その二』

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廊下に出て見えた鈴の姿は遠かった。

もうあんなところを歩いているのか。駆け寄って早く話をしたいが、それで怯えさせたり、逃げられるのは良くない。鈴と同じ速さで着いていくと、鈴が階段裏に消えていくのが見えた。

人目につかない場所で、アイツは、押し潰されそうな程に苦しい悩みを、一人で考え込むんだ。
その姿を想像した俺は、足を速く進めた。


鈴が隠れた階段裏に近寄ると、何か音が聞こえた。
酷く、荒い呼吸。息と共に吐きだされる、苦しそうなうめき声。

…鈴の、ものだ。

やっぱりアイツ、泣いてるじゃねぇか。何で片桐は一人にした方がいいなんて言うんだ、理解出来ねぇ。

どう泣き止ませようかなあと思い、顔を覗かせて見えたのは、
全身の力が抜け、倒れかける鈴だった。

体が、勝手に動く。鈴の頭が床に激突する前に、何とか支えることが出来た。咄嗟のことで力の加減が出来ず、少々乱暴になってしまったかもしれない。

「……ぇ…」 
「………」 
「…あま…の、くん……?」 

ぽつりと俺の名前を呟く声は、弱々しく震える、涙声だった。
痛ましいその姿に、俺の頭から、先ほどまで考えていた慰めの言葉が全部ぶっ飛んだ。
黙り込む俺から、鈴がゆっくりと離れていく。

「…ひ、ひとりに、してって…言ったじゃん」 
「………過呼吸になって泣く奴なんか放っとけねぇよ」 
「来なかったら分からないでしょ…」 
「馬鹿野郎!そんなんでぶっ壊れたらどうすんだ!!」 

自身を気にかける人間全てを遠ざけようとする、そんな鈴の態度に、俺は苛立ってしまった。
俺の大声に、鈴がびくりと体を震わせる。

まずい、怖がらせてどうするんだ。俺は冷静にならなきゃいけないんだ。鈴が静かな声色で話しているのなら、 俺もそれに合わせなくては。


言葉を、間違えるな。
もしかしたら、鈴は壊れる寸前かもしれないんだ。辛さや苦しみ、喜びや悲しみ、そういった感情を完全に遮断するようになる、その手前かもしれない。
精神的に病んでいった中学の人間。壊れた人間の姿が脳裏に過る。


落ち着け、俺。鈴はまだ大丈夫だ。
まだ、精神的に回復出来る余地がある。

「…悪ぃ。でも俺、悩み抱えてぶっ壊れた奴を知ってっからさ。余計に気になって…」 
「……何が気になったの?」 
「お前の、考え込んでます~って感じの顔。口しか見えねぇから何となくだけどな」 

鈴に無駄なストレスを与えないように、俺は恐る恐る鈴の隣に腰を下ろした。

さて、どうしようか。
先ほどのことは話題に出さない方がいいのかもしれない。恐怖や嫌悪感を思い出してしまうだろう。

鈴には、さっきのことに対するショックと、悩みの重圧があるんだ。
だったら、俺がすべきは、悩みについての話だ。悩みがいくつかあるのか、でかい悩みが一つあるのかは分からないが、少しでもいいから俺に教えちゃくれないだろうか。

「…悩み、話せよ。片桐との喧嘩みたいにさ、俺が聞いてやる」 
「………ぃ…やだ」 

鈴はふるふると首を横に振る。どうして、だろうか。

ごめん、とか、悪いけど、とかそういった前置きのない、嫌だという言葉が気になる。鈴はいつも丁寧な口調だからだ。

精神的に不安定だから、相手を気遣う前置きの言葉がないのは当たり前かもしれない。でも俺にはその言葉が、俺が悩みの原因だから突き放しているように思えた。

「…………俺についての悩みだからか?」 

またしても鈴は首を横に振った。
クソ、質問が直球すぎたか。こんな聞き方じゃ、もし俺が悩みの原因だとしても、答えるわけないだろ。俺は自分の情けなさにため息をついた。

「めんどくさいでしょ私、教室戻ったら?」 

鈴は俺のため息を、自分に向けられたものだと勘違いし、素っ気無い声で話した。
やばい、このままだとコイツ、拗ねて口を利かなくなるな。
ここは話題を変えよう。

先ほどの騒ぎはダメ、悩みはダメ、ああどうしたらいいんだ?

俺がここに来るまでに考えたことを頭に巡らせるが、効果的なものが見つからない。
冷や汗が背を伝ったとき、俺はある単語を思い出した。

「熊」 
「…え?」 
「お前、熊のこと知ってるだろ。勿論動物のほうじゃなくて、人間のあだ名的な意味だぞ」 

これは、賭けだ。鈴の嫌な記憶を掘り起こすかもしれない。熊が誰か、どんな人物かが分からない。だから、かなり危険なことだ。取り乱して、話どころじゃなくなるかもしれない。

だが、俺の最悪な予想は外れてくれたらしく、鈴は取り乱すことなく口を開いた。たが、その声は震えており、鈴にとって熊が恐ろしい存在であることを示唆していた。

「何で天野君がそれを……」 
「……それはどうでもいいだろ。つーかその感じ、熊のこと知ってんだな?熊って誰だ」 
「………言いたくない」 

鈴は考える素振りを見せた後、そう答えた。

鈴は熊が誰か分かっている。そして、その人物の名前を話したがらない。
俺の知らない人間だったら、昔話でもするみたいに話し始めるだろう。それこそ、片桐との仲を語った時みたいに。

と、いうことは。
熊は、俺たち共通の知人である可能性が高い。

熊と呼ばれるほどの体躯であり、鈴に恐怖を抱かせ、その名を呼ぶことが躊躇われる人物。


裏番や渡来が浮かんだが、鈴とアイツらはこの高校で初めて会ったはずだ。

ムカつく話、俺は渡来にかなり長い間こき使われていた。俺の知る限りでは、渡来と鈴が出会ったなんて記憶は無い。
裏番はもしかしたら会っているかもしれないが、酷いことをされたのなら、紅陵さん紅陵さんと柔らかい声色で呼び、昼飯を一緒に食うなんてあり得ない。

そこまで考えた時、一人の人物が浮かんだ。

「…ダチか?」 
「言いたくないって言ってるでしょ」 

突っぱねるような口ぶり。
これは、図星と捉えていいんだよな?



「熊なら…栗田か?」 


標準より少し高い俺の身長、それを簡単に超す奴の背丈。
俺を一発で沈めた、あの威力を繰り出す体。
あのモフモフの茶色い髪なんてのも、熊っぽいんじゃないか?

「どうでもいいから。もうこの話おしまい」 
「終わらせない。意地張ってないで正直に言え。熊のことで何か悩みがあるって丸わかりだぞ」 

鈴は無理やり話を切ろうとする。これは黒だ、確実だ。
あの三人組の言う熊は、栗田だったのか。
あんな最低な行動をしていた奴ら。奴らの話しぶりは、まるで、熊は仲間だとでも言わんばかりだった。

栗田は、鈴にそういったことを、したことがあるのか?
あのクズ以下の三人組。栗田は奴らと同等?

鈴に、真相を聞かなくては。

「あるんだろ」
「ないです」 
「ある」 
「なーいーでーす」 
「あーるー」 
「無いったら無いの、はいこの話終わり。私は別のところに行くから」 

小学生みたいな言い合いだ。
鈴は素っ気無く言い捨てると、突然立ち上がった。また一人になるつもりか、絶対許さん。

「待てコラッ…」 

このままだと逃げられる。その焦りに駆られた俺は、力任せに鈴を引っ張ってしまった。鈴は俺の力のままに傾き、俺の方に倒れる。

「…ご、ごめん」 

俺が引っ張ったせいだというのに。コイツはお人好しだ。そんなお人好しなら、鈴の手助けをしたい…いや、顔を突っ込みたいという俺の願いを、叶えて欲しいものだが。

「そう思うなら逃げるな」 
「それは無理」 
「じゃあこうしてやる」 

俺の体の上に乗せたまま、鈴が起き上がれないように押さえた。勿論、俺の出来る限りに抑えた力でだ。抵抗したら逃げられるような、弱い力。強い力で圧迫しては、逃亡は防げるが、鈴が嫌がるだろう。

「…首痛い」 
「逃げないなら離してやる」 
「………一人にさせて欲しいだけなんだって。無理やり話を終わらせようとしたのはごめん。一人になりたかったからなんだ」 

鈴が、段々と普段の口調に戻り始めた。過剰に謙遜する、相手を思いやる、一々謝る、うざったいほど優しい口調。
今なら俺の気持ちを話しても大丈夫じゃないだろうか。平常心であれば、慰めなんかいらない!嘘つかないで!と取り乱すことはないだろう。

「あのな。お前が一人になって、ぐすぐす泣いて、ボロボロになってるのが気に入らないんだ。泣くのも悩むのも全部俺の見える所でやれ」 

…ん?
大分、大胆じゃないか?
まるで、告白、みたい、な………、

そう自覚した途端、俺は鈴の相談に乗ろうとしているというこの深刻な状況下にも関わらず、顔が熱くなった。やばい、恥ずかしい。

「そんな無茶な…」 
「黙れ」 

うっせえ。
それくらい分かってる。全部は言いすぎだよな。

命令口調で喋ってしまったが、鈴は気にすることなく口元に笑みを浮かべた。引き止められたことに安心したのか、俺への信頼が少し築かれたのか、どちらかは分からない。
でも、俺の傍に居てくれるなら、どちらでもいい。

先の言葉の返事を、まだもらっていない。あやふやにされるのは良くない。俺は確固とした言葉をもらおうと、鈴にもう一度念を押した。

「そんなに話したくないなら、悩みは言わなくていい。その代わり、一人になるな。分かったか」 

一人に、ならないでくれ。
一人で悩んで、苦しんだ末に壊れるのは、止めてくれ。

断らないでくれ、頼む。

ドキドキしながら返事を待ったが、一向に鈴は喋らない。
…やっぱり、俺からの頼みは、嫌なのか。

「おい、返事は。おい……鈴?」 
「………すぅ…」
「はっ…嘘だろ…?」

俺の耳に聞こえたものが確かであれば、今のは、寝息だ。
恐る恐る鈴の頬をぺちぺち触ると、鈴がふにゃっと笑った。可愛…じゃなくて、

「大事な話の途中だろォが…ったく」

コイツ、呑気だなあ。
俺の話はそこまでどうでもよかったのか?
でも、ちょっと嬉しくもある。俺の傍って、寝られるくらい、安心するんだな。

壁に頭をつけ、俺は埃っぽい天井を仰いだ。

「…存分に寝やがれってんだ」
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