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黒の帳 『一つ目の帳』

気付いてなかったのかよ

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紅陵さんの左目が気になった私は、早速行動に移すことにした。

「紅陵さん」
「んー?」
「左目、見ていいですか?」
「どうぞ~」

私と紅陵さんは、座高もかなり差がある。私が髪に触れやすいように、紅陵さんはその長い背を曲げてくれた。

「…俺も、クロちゃんの顔見たいな」
「いいですよ」

互いに手を差し出して、髪に触れる。紅陵さんの手は大きい。私の顔をすっぽり包めてしまいそうだ。

サラサラと心地好い手触りに夢中になりそうになるが、堪えて手を動かす。それに合わせるかのように、紅陵さんも私の前髪を退けた。

「……?」
「どうしたクロちゃん」

疑問に思った。
前髪を退けたことで見えた顔は、右側と同じく整っており、隠す理由は無いように見えたからだ。もしかしたら見落としているのかもしれない。そう思って注視するが、それでも変わったところは見えない。生え際も目の周りも耳の付け根も何ともない。強いて言うなら、恐ろしい程に顔が整っている。

「…あの、いいですか?」
「へへ、いーよー」

紅陵さんは何を聞かれるか分かっているんだろう。確信犯の意気揚々とした笑顔を見て察した。

「………何も…無いんですね?」
「そうだよ。ミステリアスで秘密のある男はモテるからな。ほら、今だってこんなに近い」

なんだ、髪で顔を隠していた理由は、モテたいからか。
勝手に期待していたけど、少し拍子抜けだ。でも、紅陵さんは嬉しそうに目を細めると、こつんと私の額と彼の額をぶつけた。鼻と鼻が触れ合いそうな距離だ。
目と目が合う。紅陵さんの瞳の緑色は茶色がかったものだろうと思っていたが、違う。紅陵さんの瞳は純粋な緑色だ。今この至近距離でまじまじと見て初めて気づいた。このような色は珍しいのではないだろうか。彼の翡翠の瞳は、おとぎ話のように、宝石のように、神秘的だ。

「もう充分モテモテじゃないですか?」
「好きな子にモテなきゃ意味無いんだよな」

紅陵さん程の人なら、簡単に射止めてしまいそうに見える。ああでも性に奔放な彼の性格をはしたないと思う人もいるだろう。そんな人が相手だったら、親衛隊の人のこととか今までやってきたこととか、色々大変だろうな。

「頑張ってくださいね」


「ああ」






ちゅ、
とこの場に不釣り合いなリップ音が小さく響いた。



「…ご協力、よろしく頼むぜ?クロちゃん♡」







紅陵さんは、颯爽と教室を出て行った。

呆然とする、私を残して。

先週のように、キスをされた。今のは頬にだった(唇の端ギリギリだが)。
そしてその後残された言葉。

「……好き…?」

私のことが、好きなのか?
あの紅陵さんが?

逸る胸と上がっていく体温を感じながら、先程彼の口が触れた頬をなぞる。
さっきのは、完全にそういう意味だろう。
よく人に鈍感だと言われる私だって、流石に分かる。

「…………………どうしよう」

誰にともなしに呟いた声は、自分のものだとは信じられない程か細い。

何となく、かっこいいな、とか、お付き合いしたら楽しそうだな、とか、思っていた。キスされて、軽薄な誘い文句を向けられて、意識してしまった。でも、紅陵さんの性格からして、私は遊ばれているのだろうと思った。この顔が珍しいから、一度くらい抱いてみたいとか遊んでみたいとか思われているんだろうなと思っていた。

でも、でも、好きな子って、言ったんだ。
意味ありげな笑み、あの距離、あれで勘違いするなと言う方が無理がある。

「つ、……付き、合っちゃう…?」

ポソポソと小さな独り言が零れる。そうでないと爆発してしまいそうだ。
しかし、その言葉を出したことでハッとさせられた。

龍牙のことだ。

紅陵さんのことが大嫌いな龍牙。
仲直りもままならないまま紅陵さんと私が付き合ったらどうなるだろう。関係の修復はほぼ不可能になるのではないか。

そんなのは嫌だ。

それに、今は紅陵さんに何か迫られているわけでもない。紅陵さんのことは一旦気にせず、龍牙との仲直りについて考えなくては。クリミツがどういう態度をとっているかも気になる。龍牙に無視されている以上、あとはクリミツに頼るしかなくなるからだ。




では何故、仲直りへの行動を起こさないのか。

教室から出られないからだ。

では何故教室から出られないのか。




お恥ずかしいことに、

腰が抜けたからです。



甘く耳元で囁かれた言葉、妖艶な翡翠の瞳、にんまりと弧を描く口元、うっすら色づいた唇。
思い出すだけで顔が赤くなる。これだからイケメンは…!!自分の破壊力を自覚していない人には苦労させられる。周りがその一挙一動にどれだけドキドキしているか分かっていないんだ!

ぶつくさと心の中で文句を言う私は、まさしく紅陵さんの虜になっていると言えよう。頭の中が先程の出来事でいっぱいになる。


だから、窓の外から向けられていた、恐ろしい視線に、気づかなかった。
ここが窓際で、外からどれだけ見られやすいかということにも。
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