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黒の帳 『一つ目の帳』

至福の一時

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可愛らしい女性の店員さん達が、口々に何かを言ってはチラチラとこちらを窺っている。

「零王くんだ」
「えっ零王さん…?」
「よっ、元気してる?」

成程、紅陵さんはここの人達と知り合いだから、あんなに躊躇いが無かったのか。
紅陵さんが挨拶しながら店に入って行くので、私と龍牙もその後に着いて行った。
店の奥の方から、とても小柄な女性が出て来た。私は157cmだから、きっとこの女性は150cmあるかないかくらいの身長だろう。ふわふわした茶髪のボブが印象的だ。その胸元には『店長・東雲しののめ』という名札が付けられていた。

「零王じゃないの。今日は何を…、あら、あらあら?」

店長さんは紅陵さんに声をかけたあと、後から来た私の顔を見て興味深そうに近づいてきた。

「やめろ東雲。クロちゃんはそういうの苦手なんだ」
「…あらあら、ごめんなさいね。こんなに可愛らしい女の子、初めて見た…あら?あらあらあら、本当にごめんなさいね!学ランって、男の子…え!?貴方っ、あの中央柳高」
「東雲」

矢継ぎ早に話しかけられ、たじろぐ私を見て紅陵さんが前に出てくれた。勢いは凄いけど、店長さんは悪い人ではないのだろう。首を傾げとことこ歩く姿が可愛らしい。
紅陵さんは、謝りながらまた迫ってくる店長さんをいなすと、空いている席に私達を連れて行ってくれた。店員さんみたいだ。余程の常連なんだなあ。

紅陵さんがソファ席に座り、とんとんと隣を叩いて私を見てくる。隣に座れ、ということだろうか。
どうしよう、龍牙に聞こうかな。だが、龍牙を見れば、居心地が悪そうな様子で周りを気にしていた。話しかけない方がいいか。そう思った私は紅陵さんの隣に座った。

「零王さん、今日は何にするんですか?」
「ちょい待って。俺は決まってるけど、他にも居るから」
「零王さんがお友達だなんて、珍し…、えっ、彼女さんですか?可愛い…え、男の子っ…!?あ、すみません、私ったら…」
「いえ、大丈夫です。慣れているので」

店員さん達は皆、私の顔を見たからかは分からないけど、私達が座るこの席を一番気にしている。ある程度の視線に晒される覚悟は出来ていたから、周りは気にせずメニューに目を向けた。
紅陵さんはメニューを開いてもいないのに、もう注文が決まっているみたいだ。いつもの、というやつだろうか。常連さんってすごいな。少し憧れてしまう。

「…鈴、コラボのやつこっちだろ」
「あ、本当だ。ありがとう龍牙」

無いなあ無いなあなんて探していたら、龍牙がもう一つのメニューを差し出してくれる。私が見ていたメニューは常設のものだったらしい。受け取る時に龍牙の手にちょっとぶつかった。ごめんね、と言葉をかけ、メニューを開く。

何て素晴らしいんだろう。行きたくて行きたくて、何度も見た、ネットのホームページに載っていたメニュー。それが、今手元にある。メニューを持って見ているという事実だけで嬉しい。

私が気分を高揚させていると、ふと、『青春ね…』と周りがざわめくのが聞こえた。一体何だろう。龍牙、と聞こうとして顔を上げると、俊敏な動きで顔を背けてしまった。耳が赤いけど、何があったんだろう。

「クロちゃん、決まった?」
「はい!」
「片桐は?」
「俺も…決まりました」

紅陵さんが声をかけると、店長の東雲さんが注文を取りに来る。

「二人とも、言ってってよ」
「シナノンちゃんのフルーツパフェをお願いします」
「あー、この…プリンお願いします」
「俺はいつもので頼む」

いつもの、だなんて。よく来ているんだろうな。でも紅陵さんがいつもの、と言った瞬間、東雲さんの目がキラリと光った気がした。東雲さんが上機嫌で紅陵さんに話しかける。

「いつものとかカッコつけないの、商品名言えるでしょ?」
「…ふ、フルーツ盛り沢山幸せパフェ、はい、いいだろ」
「ほら、副題も。言えるでしょ」
「嫌だ」
「言わなきゃ作らないわよ」
「……青春の甘酸っぱい恋の味、これでいいか?」
「はーい合格♡」

パフェの名前を答える紅陵さんの耳は、少し赤い。そんなにここに通いつめているのか。余程甘いものが好きなんだろう。

「そういえば、紅陵さんって、どうして私がシナノンちゃんが好きって知ってるんですか?」
「ああそれね。さっきクロちゃんが寝てる時に教えてもらったんだよ。寝る直前に片桐が言ってたこと、気になってさ」
「へえ、成程…。あと、紅陵さんにお願いがあるんです」
「お、何々?」
「…あ、龍牙、怒らないでね?」
「内容次第だな」

私は、今日の午前、天野くんに助けられたことを話した。その時、紅陵さんを盾に使ってしまったことも。

「…成程ね。俺が口裏を合わせりゃあいい、と…」
「お願いしますっ」
「いいぞ。協力してやるよ」
「…鈴」
「龍牙っ、嘘ついてごめん!」

龍牙は私を物々しい雰囲気で睨みつけてくる。

「…お前さぁ…、俺の事、頼ってくんないの?」
「その…あの時は一人になりたくて。嘘ついて一人で歩いたから絡まれたし…自業自得だから、言わなくてもいいかなあって」
「……まあ、教室の居心地が良かったらいいんだよな、うん。C組のアホ共は俺が牽制するからな、任せてくれ」

龍牙は納得してくれたみたいだ。三人で雑談をしていると、店員さんがパフェ二つとプリンを運んでくれた。

「あの、写真っていいですか?」
「はい、大丈夫ですよ!可愛く撮ってあげてくださいね~」

パフェは中々のボリュームだ。クリームやソースがギッシリ詰まっていて、カットされたイチゴが中心を囲むようにトッピングされている。
中心にあるバニラアイスに描かれているのは、様々な色のチョコペンが使われた、シナノンちゃんの可愛い顔だ。なんて、精巧な出来なんだ。シナノンちゃんはやはり可愛い。見ているだけで頬が緩んでくる。
だが、アイスに描かれているので、見ている間にもどんどん溶けてしまう。出来ることなら、気が済むまで見たかったな。
シナノンちゃんの可愛さは、私の出来うる限りで写真に収めたので、スマホを仕舞い、スプーンを手に取った。
二人はどんな感じかな、もう食べているかな。顔を上げると、二人とも私を凝視していた。何故?

「…クロちゃん、そんな顔しないでくれ」
「写真撮っただろ…悲しい顔すんなって」
「私…そんな顔してた?」
「「してた」」

「……いただきまーす」

照れ隠しに、手早くスプーンでクリームを掬う。少し顔が熱い。私が食べ始めるのを見て、二人もやっと自分のスイーツを食べ始めたのだった。






「ん……、んふ、んんぅ…」


え、な、何の声ですか。


「ン~……、たまんね…♡」


龍牙を見れば気まずそうにしている。


「…ぅん、んんっ………、はァ…」


隣から聞こえるし…、
この声、紅陵さん?

「こ、紅陵、さん?」
「んん、何?」
「今の声…なんですか?」
「…あ、ごめん。何かな~幸せに浸っちゃうんだよなぁ…はァ♡」
「喘ぐな!!」
「ごめんなァ片桐ちゃん」

紅陵さんは顔を赤くしてケラケラと笑っている。龍牙は苦い顔で目を逸らした。そして紅陵さんは口角を上げたまま、またパフェを食べ始めた。
紅陵さんは、甘いものが余程好き、いや、とんでもなく好きらしい。でもその声は…控えて欲しい。

甘いものを楽しむその横顔は、この場の誰よりも嬉しそうだった。こんな可愛い顔、するんだなあ。無気力そうなジト目が、満足げにゆったりと細められている。獲物を見つけた時のギラギラした目とは全く違うな。ぺろりと口端を舐める舌が、ちょっと色っぽい。いや、どこまで見てるんだ私!

二人は、私が半分も食べ終わらないうちに、自分達の分を食べ終わってしまった。紅陵さんはまだ足りない、とパンケーキの注文を追加し、龍牙も紅陵さんに倣って追加でシフォンケーキを注文していた。流石男子高校生と言うべきか。私が少食なだけなのか?
やっと私はパフェを食べ終え、今度は私が二人の食べ終わる時を待つ。まだ少しかかりそうだ。お代を置いて、お手洗いに行こうかな。
そう思って財布を出すと、目の前を大きな手が遮った。

「…クロちゃん、今日は俺の奢り!」
「でも、その、天野君のこととか、そもそも私…」
「いいんだって。気にすんな、俺に出させろ、な?…あ、片桐は自分で払え」
「マジすか、可愛い後輩に奢ってくれないんすか」
「可愛いのはクロちゃんだけだからな~」

紅陵さんは私に奢ってくれるらしい。でも龍牙には自分で払えなんて言っている。私だけなんて、不公平じゃないだろうか。

「ダメです。龍牙が自分で払うなら、私だって自分で払います!」
「……鈴、そこは空気読めよ」
「まあまあクロちゃん、これはノリだよノリ。ささ、トイレ行っておいでー」

紅陵さんに背中を押され、半ば強制的に店を出されてしまう。まあ、先輩の言うことに何度も逆らってしまうのは良くないのかもなあ。今度お返しをすればいいかな。

トイレに向かうと、人は誰も居なかった。
トイレを済ませ、手を洗う。

ふと、目の前の鏡を見る。そこで私は、自分がやらかしたことに気づいた。

私、本当に馬鹿だな。

鏡には、ピンクのピンで前髪を留めた男子高校生が写っていた。
自分のうっかりに苦笑いする。手を拭いたらピンを外そう。ハンカチ先に出しておけば良かったな。ポケットに入れていたハンカチを出す。

「…え、あ、…あのっ、そこの人!」
「……」

突然、誰かの声がした。今、この空間には私しか居ないから、そこの人、とは私のことだろう。
後ろから聞こえる声は、酷く上擦っているが、聞き覚えがある。


「………お、俺っ…天野です、覚えてますかっ?」



運、悪すぎない?
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