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掴め!尻尾。

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 レーゼの尻尾を絶対に掴んでやる、と息巻いてから早五日。状況は一向に改善しない。
 どころか……。
 街じゅうが見るからに精彩を欠いている。
 司祭様もくたびれきった顔で、でも忙しくあちこち呼び出されたりしてゆっくり話す時間も取れない。

 夜ももちろん会えていない。相変わらず結界を張った教会の中に引きこもっている。
 私は夜になると街を飛び回り、仕事帰りや酒場帰りにあの毛むくじゃらの塊に襲われそうになった人を何度か助けていた。
 けれど毛むくじゃらもどんどん増えて、私ひとりの手に負える数じゃなくなっている。

 西で酔っ払いを助けている間に東で犬の散歩中のおばさんが襲われたりして。
 そんなだから日中はそうした人のケアなどで司祭様もかり出され、教会は留守がちになっていた。
 レーゼは勝ち誇った顔で掃除用具を手にする。私も奇妙なほどに毎日疲れ切っていて、今朝はベッドから起き上がるのも辛かった。

 このままでは、この街はどうにかなってしまう気がして恐ろしかった。
 レーゼは力の弱いちっぽけな悪魔だとたかをくくっていたのがそもそもの間違いだったのだ。
 力は確かに弱いけれど、その分狡猾で、器用だった。
 人の姿に化け、司祭様に取り入り、自分自身は安全な場所で眷属たちを街に解き放ち人々の精を奪っている。
 眷属を倒しても私にその魔力が手に入ることはなく、倒す分だけ私の力がそぎ落とされているように思う。
 若くて元気な革職人の青年が倒れたなんて話も聞こえてきていて。

(はやく、なんとかしなくちゃ……!)

 そう思ってもレーゼはなかなか尻尾を掴ませない。

 私の気ばかり焦ってくる。

 浅い呼吸をふぅはぁと繰り返していると、教会のベンチの拭き掃除も苦しくて目眩がしてくる。

 体が重くて疲労感は強い。

「セレミア……」

 はぁ、とひときわ大きく息を吐き出したところに声を掛けられて、びっくりした。慌てて顔を上げると、そこにはいつも以上に青白い顔で隈の濃い、頬の削げた司祭様が立っていて。

「大丈夫か、君もひどく疲れているようだ……。街中あっちでもこっちでも皆やけに疲れていてな……悪魔の仕業かと思って調べても、それらしい残滓もない。風邪にしては……あるのは倦怠感や眠気ばかり。奇妙なものだ……君もそうかね?」
「司祭様……。司祭様も、ひどい顔色。少し休まないと、倒れてしまいますよ」

 本当にひどい顔色をしている。もともと司祭様が迂闊なのが招いたことではあるけれど、やっぱり心配にはなる。
 私の言葉に司祭様は困ったように眉根を寄せて、ほんの少し口角を上げて笑った。
 そ、と伸びてきた手が、私の肩をぽんと叩く。
 その手は大きくて、細く節の目立つ指は長い。手のひらから伝わる体温が肩からじんわりと私の体の中にしみこんでいくような、ほっとするような心地がした。
 司祭様、自分だって疲れているのに、私を労ってくれている。

「ありがとう。しかし、私には果たさねばならぬ職責があるから……」

 このひとをこのままにしておいてはいけない。私の心に強くそんな気持ちが生まれていく。
 ふいに、私は脳裏に電撃が走るかのような天啓を得た。悪魔だけど。

「司祭様……。……あの、お茶にしませんか。少しでも休まないと、果たすべき職責も果たせませんもの。ね、レーゼと私と司祭様でお茶にしましょう! 決まり! 用意をするので、三十分後に中庭に集合してくださいね」
「あ、あぁ? ……私が忙しくしている間に、レーゼとは仲良くなった、のか……?」
「あら、司祭様ったら。私たち、もともと仲悪くなんてありませんよ」

 司祭様と話をしながら、私は頭の中で算段を立てる。
 相手がなかなか尻尾を出さないなら、無理矢理引き出せばいい。
 司祭様に有無を言わさず約束を取り付けると、さっそく私はお茶の支度をしに行った。

―――

 中庭でレーゼと一緒にお茶の支度をする。
 彼女はいかにも怪訝そうに私を見ていた。それはそうだろう、あれだけ反目していた私からのお茶の誘い。
 警戒して当然だった。

「もう、そんな不審そうな顔で見ないでよ。いい加減、私もおとなになろうと思うの。レーゼさん、貴女にはいろいろ失礼なこと言ったわ。謝りたくて」
「セレミアさんたら……ほんとにどういう風の吹き回し? なにを企んでいるの」
「企むだなんて! 心外。……司祭様、本当にお疲れのようだから、労ってあげたくて。なのに私たちがいがみ合ってたら、休まるものも休まらないじゃない?」

 にっこり笑って言うと、レーゼは相変わらず不審そうに私を見ながらも一応納得したように頷いた。
 空はよく晴れていて気温はほどよく暖かい。外でお茶をするには絶好の日和だ。
 しばらく無言で、ソーサーを並べたりお菓子を並べたりしながら。

 ふいに、私は口を開く。

「ねえ、レーゼさん。私、言ったわね。必ず貴女の尻尾を掴んでやるって……」

 レーゼの顔色が変わる。不審と警戒が、やはりか、と確信に変わったような顔。

「貴女は、どうせできっこないって思っていたんでしょう。……でもね、私、掴んだの。貴女の正体に繋がる証拠。……このお茶会で、司祭様に全部話すわ」
「ふ、ふふっ……セレミアさんたら! そんなハッタリ。その程度の揺さぶりで、私を追い込めるつもり?」
「ハッタリだと思う? ……思うなら思えばいいわ、でももう司祭様を呼んでる。なんでわざわざお茶会なんてすると思うの? ……忙しい司祭様とゆっくり話す時間と、貴女を逃がさないためよ。レーゼさん。……もう貴女はおしまい、悪魔の正体を晒して、司祭様に焼き払われるわ」

 レーゼの表情が、愛らしくも儚げで思わず守ってあげたくなるようなそれから、憎々しげな凶相へと変わる。

「小娘……いったい、どんな証拠を掴んだという……、いや、この際どんな証拠でも構わない」

 レーゼから迸る不穏な気配。

「あの痩せ衰え疲れ果てた司祭に、いまさら私をどうこうできるものか。……十分に力も蓄えた、このまどろっこしい人間ごっこも仕舞いにしよう」

 五日。
 その間に、街中の精気を奪ったレーゼは。もうか弱い悪魔ではなくなっていた。
 昼間の、清浄な教会の敷地内だというのに、ヴォッと渦巻く邪悪な気配が瘴気となって広がって。

「っ……!」

 息が詰まった。
 昼間の私はただの人間。強い悪魔の瘴気に当てられればひとたまりもない。

 けれど。

「清廉なる神の威光よ、邪悪な瘴気を払いたまえ……!」

 指定した時間の五分前。中庭にやってきた司祭様が、そのおぞましい瘴気を光の神気で打ち払う。
 パッと瞬く間に邪気が払われて、もやのかかった視界が晴れた。

「チッ……おのれ、司祭……おのれ、小娘……」
「これは……どういうことだ、君は……レーゼ? ……っ、セレミア、こちらへ!」

 レーゼの変容に驚き狼狽えたような顔をした司祭様は、けれどすぐに気を取り直して私を呼ぶ。
 状況を察したのだろう。

「いささか時期は早まったが、もはや司祭、恐るるに足らず……死ね!」
「司祭様っ」

 レーゼの生み出す魔力が、刃となって司祭様に襲いかかった。
 考えるより先に私の体は動いていて。

「セレミアっ……!?」
「っあ……」

 ドッ……、と鋭く熱い痛みが体を貫く。息が詰まり、視界がパチパチと明滅して。足がもつれ、体が勝手に倒れていく。

「バカな小娘め。司祭もろとも、死ぬがいい!」
「光よッ……!」

 バチンッと何かが強く弾けて光った。
 なにが起こっているのかわからない。
 私の視界が暗く閉ざされていく。意識が闇の中に沈んで行く。

 司祭様……司祭様……無事で……いて……。

―――

 ぼんやりと目を開けると、夜明け前の空に似た菫色が私を覗き込んでいた。

「セレミア……!セレミア、無事か。セレミア……」
「し、さい……さま……? ……ぁ、ぅッ……た、……わ、私……」
「ああ、レーゼの刃を、君が……私を守ってくれたのだな……しかし、なんという無茶を。なんということを。嗚呼、急所を外れていたから良かったものの……セレミア。……セレミア、すまない。私が、まんまと悪魔に騙されて……君をこのような恐ろしい目に遭わせてしまった……」

 司祭様が私を抱きかかえ、優しくて温かい治癒の光を当ててくれている。
 私を覗き込むその顔は心配そうで、哀しそうで、怯えても見える。
 ああ、司祭様が無事で良かった。そう思うと私の顔は自然と笑ってしまっていて。
 やつれた司祭様の頬に手を伸ばしてそっと触れ、撫でてみた。

「セレミア……」
「……司祭様、が、ご無事で……よかった。……あ、レーゼ、は……?」
「払った……と言いたいところだが、逃げられた。……すぐに追わなくては、……しかし」
「私なら、大丈夫……。ね、司祭様。大丈夫だから……、おうちまで、送って、くれますか?」

 夜が来て司祭様の目の前で転身したら私の正体までバレてしまうし。
 でもせっかくだからできるだけ目一杯甘えたい気持ちもあって。
 私の言葉に、司祭様はいくらか迷ったように目線を彷徨わせてから、頷いて。  ふわ、と私を横抱きにして抱え上げてしまった。

「ひゃっ……!? あ、あ、歩けます、だいじょうぶ、おろして! 重いから……っ」
「セレミア、重くない……家まで送ろう。このくらいはさせてくれ……君は、私の恩人だ」
「し、司祭様……」

 顔が近い。司祭様の腕の中に抱えられて、薄いけれど固い胸板が妙に頼りがいを感じさせて。ドキドキする。顔が熱くなってきた。
 恥ずかしい、でもちょっと嬉しい。ぎゅっと首に腕を回してしがみつき、胸板に顔を伏せた。少しはかかる負荷も緩むといい。
 悪魔の私じゃこんなこと絶対してもらえない。嬉しいけれどちょっと苦しい。

「あの悪魔を倒したら……改めて、君には、……礼と、謝罪をさせてくれ。セレミア」

 そんなのいいのに。と思ったけれど。
 司祭様の腕の中に揺られて、体はやっぱり痛くて苦しかったから。
 なんにも答えずにただしがみついていた。
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