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『ろくでもない人よ』
そう言った母はそれでも過去に、微笑んでいた。
段取りはあったが翌日には速やかに通夜が開かれた。
当のろくでもない父、愛人であった青柳誠一郎は通夜だけは顔を出した。
体裁で訪れたヤクザばかりの、どうしようもない通夜だった。
厳かに、誰一人泣くこともない通夜の間中、雪は母の微笑んだ遺影を持ち、ずっと、母の笑顔について考えていた。
どういった順序だったかは知らないが結局ヤクザの愛人となった母も浩も捨て消えてしまった浩の父親やら、思い馳せることはないが考える。
そして生まれた自分はどうしてここにいることが出来るのか、いるのか、父はどのような気持ちなのか、母は今天国か地獄か、……あの世でこの場所を眺めていたとしたら一体何を思うのだろうか。
浩はいないが陽一がいる、夫はいないが愛人がいる、なにより…自分がここにいる。
ねぇ母さん……、どうして俺を生んだの。
生前に聞きそびれてしまった質問に母の遺影を眺めてみる。
いまだに俺はそんなもの、わからないし一生わかる日も来ないのだと噛み締める。
ヤクザの子だなんだと兄に難癖をつけられた幼い頃から今でもずっと、わからない、自分とは何かと経文が絡み付くような気がしている。
母に愛されているのはちゃんと感じ取ることが出来ても肝心な自分が自分を愛することが難しかった。母はどうして自分だけを死海から拾ったのか。
疑問のままだと思う。どうして自分だったのか、隣に座る父の冷淡な表情を盗み見たらより疑問でならない。父さん、あんたは自分の遺伝を認めなかったんだ。ただその気持ちは、唯一の肉親となった自分でも理解出来る、気持ち悪い。こんなに愛することが出来ない自分の片割れのような男の口元を見てそう考える。
いつか親になればわかるか、わかりそうもない、この人と同じで。
わかることが出来たなら、もう少し息を楽にすることが出来たのかもしれない。
ずっと、そう考えていた。
陽一はどうだったのだろうとふと思った。
振り向かない母の顔などもう覚えていなかった。覚えているのは部屋の廃れ具合だけで。
父が死んだ日に母はひとしきり悲しんでいた。何年も何年も続いていた。悲しんでいた期間の方が長かったのかもしれない。
姉はいつでも励ますように母の顔を覗いていたなと思い出した。
どうして何年も姉は笑っていられたのだろう。信じられたのだろう。
姉の歳を越えてみても、母の七回忌を迎えてみても、答えに行き着くことがない。きっと永遠にないだろう。
自分はどうしてそれに救われた気になれたのだろう。
ただ、母の顔を覗いてやれる日はもう訪れない、きっと。
一言でも訪ねられたのならきっと、もう少し気を楽にして生きられたのかもしれない。
一通り通夜の儀式を終え、坊主が去ると、考えも遮断するように次々と、知らないヤクザたちが雪と陽一、どちらにも通夜の口上を述べてくる。
青柳はそれに一切の対処をしなかった。
ただ、その片隅で棺桶の知子の顔を覗いていた。表情は相変わらず冷淡な気がしたが、なにか一言言ったような気がして。
「俺から重大発表をしようと思うんだが」
青柳のその一声に、舎弟たちは一斉に大人しくなるもんで。
皆が一斉に知子の棺桶と、青柳を見つめれば嫌な、嘲笑のような表情に口元の傷を浮かせたのだった。
「俺はそろそろ隠居をしようと思う」
その頭主の一言に、皆が息を呑むのが手を取るようにわかる。
「それについて雪、お前に後を任せたいと思ったが」
まわりは騒然とする。それに青柳は「うるせぇんだよバカ共」と一括をした。
雪を見下げてみる青柳に「青柳さん、」と陽一が一声を掛ける、これに青柳は不服を漏らさなかった。
「…葬儀の時くらい、やめませんか」
「…これは通夜と言うんだよ若造。なんで、今くらいしか集まらないじゃ」
「お断り申し上げます」
遮り、切り裂いた静かな声に、場は凍ったようなものだった。
やはり見下ろす青柳を、雪は見上げてはっきりと言った。
両者暫くは見つめ合うが青柳が「理由は」と冷たく言うのをはっきり濁りなく、メンチを切って「当たり前でしょう」と雪は言い捨てた。
「死海に浮いてる貴方の存在が、俺には気持ちが悪くて仕方がないからです」
綺麗な、澄んだ水のようだと感じた。
それはじんわり、透水するようにその場を酩酊させてゆく。
浸透してしまえば「おい、」と唸る者が出てくる。それだけで徐々に徐々に怒号が浮上し、その場を染めにかかってくる。
怒号にまみれても雪は父を睨むことをやめなかった。
この目はそうだ、13年前も一点を射抜いているくせにどこか、様々な感情で濁りはあるけど。
だから、綺麗な白だったのかと陽一は今更、気が付いた。
唖然としたような父は少し視線を泳がせていた。
しかしそれから、青柳の腹から漏れ出るような「ふはははは…」と言う、徐々にフェイドインしていくような笑いにまみれ、また場は総括されていく。
「ははは!そうかいそうかい…。なるほどねぇ。
俺もお前なんて、俺に似て気持ち悪くて殺してしまいたいくらいだわ。
…だってよ陽一、てめぇはどうする」
振られてしまった陽一に雪は、はっとして振り返った。そうか、そうなれば陽一はこの組を継ぐかもしれない。
また同じことを繰り返してしまう。そう考えたら「待って、」と出ていくのだけど。
「青柳さん、」
と言った陽一は昔と違う、不適な笑みを青柳に返すのだった。
「残念ですが俺は向いていません。身を持って知りました。継ぐことは不可能です」
俺はずっと。
何か一つをはっきりとさせるお前が心底……羨ましかったよ、雪。あの日の、俯いた雪を思い出した。
そう言った母はそれでも過去に、微笑んでいた。
段取りはあったが翌日には速やかに通夜が開かれた。
当のろくでもない父、愛人であった青柳誠一郎は通夜だけは顔を出した。
体裁で訪れたヤクザばかりの、どうしようもない通夜だった。
厳かに、誰一人泣くこともない通夜の間中、雪は母の微笑んだ遺影を持ち、ずっと、母の笑顔について考えていた。
どういった順序だったかは知らないが結局ヤクザの愛人となった母も浩も捨て消えてしまった浩の父親やら、思い馳せることはないが考える。
そして生まれた自分はどうしてここにいることが出来るのか、いるのか、父はどのような気持ちなのか、母は今天国か地獄か、……あの世でこの場所を眺めていたとしたら一体何を思うのだろうか。
浩はいないが陽一がいる、夫はいないが愛人がいる、なにより…自分がここにいる。
ねぇ母さん……、どうして俺を生んだの。
生前に聞きそびれてしまった質問に母の遺影を眺めてみる。
いまだに俺はそんなもの、わからないし一生わかる日も来ないのだと噛み締める。
ヤクザの子だなんだと兄に難癖をつけられた幼い頃から今でもずっと、わからない、自分とは何かと経文が絡み付くような気がしている。
母に愛されているのはちゃんと感じ取ることが出来ても肝心な自分が自分を愛することが難しかった。母はどうして自分だけを死海から拾ったのか。
疑問のままだと思う。どうして自分だったのか、隣に座る父の冷淡な表情を盗み見たらより疑問でならない。父さん、あんたは自分の遺伝を認めなかったんだ。ただその気持ちは、唯一の肉親となった自分でも理解出来る、気持ち悪い。こんなに愛することが出来ない自分の片割れのような男の口元を見てそう考える。
いつか親になればわかるか、わかりそうもない、この人と同じで。
わかることが出来たなら、もう少し息を楽にすることが出来たのかもしれない。
ずっと、そう考えていた。
陽一はどうだったのだろうとふと思った。
振り向かない母の顔などもう覚えていなかった。覚えているのは部屋の廃れ具合だけで。
父が死んだ日に母はひとしきり悲しんでいた。何年も何年も続いていた。悲しんでいた期間の方が長かったのかもしれない。
姉はいつでも励ますように母の顔を覗いていたなと思い出した。
どうして何年も姉は笑っていられたのだろう。信じられたのだろう。
姉の歳を越えてみても、母の七回忌を迎えてみても、答えに行き着くことがない。きっと永遠にないだろう。
自分はどうしてそれに救われた気になれたのだろう。
ただ、母の顔を覗いてやれる日はもう訪れない、きっと。
一言でも訪ねられたのならきっと、もう少し気を楽にして生きられたのかもしれない。
一通り通夜の儀式を終え、坊主が去ると、考えも遮断するように次々と、知らないヤクザたちが雪と陽一、どちらにも通夜の口上を述べてくる。
青柳はそれに一切の対処をしなかった。
ただ、その片隅で棺桶の知子の顔を覗いていた。表情は相変わらず冷淡な気がしたが、なにか一言言ったような気がして。
「俺から重大発表をしようと思うんだが」
青柳のその一声に、舎弟たちは一斉に大人しくなるもんで。
皆が一斉に知子の棺桶と、青柳を見つめれば嫌な、嘲笑のような表情に口元の傷を浮かせたのだった。
「俺はそろそろ隠居をしようと思う」
その頭主の一言に、皆が息を呑むのが手を取るようにわかる。
「それについて雪、お前に後を任せたいと思ったが」
まわりは騒然とする。それに青柳は「うるせぇんだよバカ共」と一括をした。
雪を見下げてみる青柳に「青柳さん、」と陽一が一声を掛ける、これに青柳は不服を漏らさなかった。
「…葬儀の時くらい、やめませんか」
「…これは通夜と言うんだよ若造。なんで、今くらいしか集まらないじゃ」
「お断り申し上げます」
遮り、切り裂いた静かな声に、場は凍ったようなものだった。
やはり見下ろす青柳を、雪は見上げてはっきりと言った。
両者暫くは見つめ合うが青柳が「理由は」と冷たく言うのをはっきり濁りなく、メンチを切って「当たり前でしょう」と雪は言い捨てた。
「死海に浮いてる貴方の存在が、俺には気持ちが悪くて仕方がないからです」
綺麗な、澄んだ水のようだと感じた。
それはじんわり、透水するようにその場を酩酊させてゆく。
浸透してしまえば「おい、」と唸る者が出てくる。それだけで徐々に徐々に怒号が浮上し、その場を染めにかかってくる。
怒号にまみれても雪は父を睨むことをやめなかった。
この目はそうだ、13年前も一点を射抜いているくせにどこか、様々な感情で濁りはあるけど。
だから、綺麗な白だったのかと陽一は今更、気が付いた。
唖然としたような父は少し視線を泳がせていた。
しかしそれから、青柳の腹から漏れ出るような「ふはははは…」と言う、徐々にフェイドインしていくような笑いにまみれ、また場は総括されていく。
「ははは!そうかいそうかい…。なるほどねぇ。
俺もお前なんて、俺に似て気持ち悪くて殺してしまいたいくらいだわ。
…だってよ陽一、てめぇはどうする」
振られてしまった陽一に雪は、はっとして振り返った。そうか、そうなれば陽一はこの組を継ぐかもしれない。
また同じことを繰り返してしまう。そう考えたら「待って、」と出ていくのだけど。
「青柳さん、」
と言った陽一は昔と違う、不適な笑みを青柳に返すのだった。
「残念ですが俺は向いていません。身を持って知りました。継ぐことは不可能です」
俺はずっと。
何か一つをはっきりとさせるお前が心底……羨ましかったよ、雪。あの日の、俯いた雪を思い出した。
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