碧の透水

二色燕𠀋

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 「お前が言うかよ」と罵られれば、罵れば互いに刺されど、新しい息の吸い方は見つかるはずだと恐怖に近いものはある。過呼吸だろう、頭にくるし憎く感じるはずだ。

 だが陽一はどちらにも傷はなく「あぁ、そうだね」と、雪と同じくらいには何事もないように返すしかないのだ。

 雪としては穴が開いたような心境で、その穴には安心か寂莫かを推し量れない動悸に息が詰まる。ここに安心の要素があるからこうなるのだと、エレクトリックの感情に感電しそうになってしまう。

 せめて、もう少しなんだと、本態性振戦ほんたいせいしんせんのような喉、唇で「俺が言えた口でもないけどね」と、陽一にはそれが怯えて見えるから、「まぁ…」と返すのだ。

 川底に溜まる茶色の澱みは見て解るのに、水が透明にせせらぐのがどうして人には見えるのだろうか。
 せせらぎは澄まさなければその音すら聞き取れない。突発性難聴の雪の右耳にはきっと、耳鳴りの頭痛でしかないないもので、意識はどうにも集中しない、させないイライラがあるのだけど。
 
 無言に耐えかねる頃には近場の、少し味を感じる居酒屋に入った。
 湿った暖かさの店内は、ほろ酔いにうるさい環境が出来上がっている。

 一息吐けた先で雪はジャケットを脱ぐついでにポケットを漁った。常備薬は見つけたがタバコはなかった。
 すぐに注文を取りに来た、経営者だろう中年の女に「ハイボールで」と頼む陽一はすぐに「何飲む?」と意識を削がれた。

「同じので」

 と言いながらバックを漁ればタバコが見つかった。
 然り気無く灰皿を滑らせてくれた陽一には特に何も言わずに雪はタバコに火をつけた。

 漸くといったところで落ち着いても、結局目の前には落ち着くような、落ち着かないような血も繋がらない兄弟がいる。

 陽一は当たり前にテーブルに置かれた雪の常備薬に目が行った。前回とは多分、違うものだと思ったが、それには気にする様子もない雪に対し、陽一はなんとも言えない心境になった。

 タバコを挟んだ右手の震えはやはり気のせいではないけれど、雰囲気のおかげか治まった気がしてきた。無駄なことを考えられたら良いとぼんやりしていれば、中指の関節あたりに小さな黒子を発見した。

「…女の子の前じゃ吸わないのにな」

 やんわりと笑った陽一も、少し何かはあれど、まぁ安心したのかと、「まぁ」と雪は相槌を打った。

「嫌がる子もいるから、距離近いしさ」
「目の前だもんな」

 言ってる側にハイボールは運ばれてくる。
 ぎこちなくも漸く乾杯して、雪は薬を二種類、二錠ずつ流し込む一口と陽一は先程のウィスキーよりも薄まった一口それぞれ飲んだ。

「お前俺でもなんとなく、絶対飲んじゃダメだろうなってわかるぞ雪」

 嗜めるというよりは大分砕けて言うくらいには、もしかすると打ち解けているのかもしれないなと、雪は「今更だよ」と返す。

「アルコール抜けてない日の方がないんだから」
「まぁそうだろうな」
「まぁ、気を付けるけどさ」

 それは間違いなく果たされないであろう口約束だな。これも軽口かもしれないと、まぁまぁ和んだ内容すらそんなものだった。

「陽一は、明日の仕事は大丈夫なの?今日は間違っても日曜日じゃないけど」
「ん?なんだそれ。いまは木曜日を回っただろ」

 あぁそうだね。

 何事もなく会話は終わってしまった。どうしても、そうなりがちだ。

「あ、流石に今日は色々と驚いたぞ雪」
「ん?どの件?」
「全部だよ。初っぱなから路上キスは見せられるわ…良い人だったけどゲイとお前が仲良さそうだわ、加えてヘテロじゃない発言。そりゃぁ俺もなかなか出会えないよ、マジで」
「あぁ、でもホントだよ」
「だろうな。嘘は吐かない…だろうからなお前は」
「どうかなぁ」

 そうかもしれないけれど。
 多分、そうでもないかも、しれない。

「…来月…、」

 ぎこちない話題転換をして雪はハイボールの縁を指でなぜた。
 まぁ、居心地が悪いのは互いにいつでも変わらない。あの日の、霊安室が思い浮かんだ。

「…14日の、日曜日だよ」

 至極穏やかに言おうと陽一は努めた。案外それは、うまく行ったような気がした。

「…そう。
 会う気があったら…、まぁブルーマンデーでも飲みに来たら?」
「カクテル?」
「そう。リキュール系だから甘いけどね」
「…俺甘いの好きじゃねぇや」
「だろうね。悪いけど来るとき連絡入れて欲しいな」
「無視するくせに。
 なあ雪、あのさあ」

 低気圧があたりの空気を重くするようだ。
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