艷夜

二色燕𠀋

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 部屋に帰っても「寝てろクソガキ」と藤嶋は自分を見もせず、敷かれた布団をダルく指差し促す。
 しかし藤嶋は縁側に座り、側にあった湯飲みに口付けては、入っていなかったようで、イライラしたようにガタンと湯飲みを置いて薬箱を漁っている。

 だが翡翠は藤嶋に何もしてやる気もしなかった。
 大体、主に寝てろと言われれば従うのが小姓の役目だと腹も立つのだが「あぁそうそう」と、藤嶋が無神経にあの二分を袖から出すのだから、遠慮なく寝てやろうと決めた。

 腹の中が熱いな。
 以前藤嶋に、この丸まって寝る癖を「身を守るようだな」と言ったのを思い出す。
 後に知るが、意味は違えどこれは男娼の常識だった。それを思い出しても腹が立つのに「二分だ」と、当たり前のように言ってくる店主に、もう呆れて話す気もない。

 返事すらしない小姓に藤嶋も意地になる。

「いらねぇなら塀から捨てるぞ」
「…あんさんにあげますよ、寝ます」
「いらねぇよ、こんな金」
「そんなら、なしてあんな話、」

 こうもずばすば、この男には人に対して思いやりもない。忘八の名に恥じぬ店主。ご立派だ。

 店主が薬箱の引き出しを開けてから、自分の真後ろへ来たのもわかる。だから目を瞑るのだけど藤嶋は別に構わず翡翠の肩の着物を剥ぎ、噛み痕あたりに軟膏を塗り始めた。
 それすらなんだかもどかしい。

 痛っ、
 という声すら呑み込んで口を利かないつもりでいるが、「染みるか」と藤嶋が優しくも腹に残る声で聞いてくるのが奇妙なのだ。

「…武智の野郎も相当驚いたに違いねぇよ」

 この大人、やけに今日は話し掛けてくる。

「…何、に?」
「さぁ。けど三分なんてそうでもしなけりゃ」
「刺青の話やろか、店主」

 店主の手はピタッと止まったようだった。
 そして静かに「そうじゃねぇよ、そうだけど」と、珍しくぎこちなく答える藤嶋に、この人、喋れば喋るほど人でなしだと思う。
 いや、どうなんだろう。

 だが、思い通りにいかなかったようだ。
 「ったく、」と不貞腐れたように真後ろにピタッとくっついて寝転んだ藤嶋が更に、自分を抱き枕のようにするのだから不思議でならない。

 その藤嶋の変化にも驚きなのだが、「喉乾いた」と、少年の後頭部をすんすんと嗅ぎながら抱え込むのには流石に「藤嶋さん?」と聞いてみるしかない。

 鼻でも詰まってるのだろうか、啜るようだ。だが絶対にこの男は風邪など引かない、そのための漢方だ。

 「あの、」と言って藤嶋の方へ寝返れば、傷のついた顔と、鋭い目付き、だが少し穏やかに口元を綻ばせ「寝てろって」と藤嶋は言うのだった。
 その心情がわからない。

 顔をじっと眺めてしまったらしい、くいっと腕で体を戻され、藤嶋の顎は自分の後頭部が定位置になった。

 何を考えているか、闇のようにわからない人。

「あんさん、藤嶋に抱かれたことないんか」

 何故だか朱雀の一言が引っ掛かる。胸が痛むような気がする。藤嶋はどうして、よく知りもしない客によく知りもしない自分を、男娼よりも高値で売ったのだろうか。

 目を閉じて眠気が少し混ざって、疲れがどっと体に染みた。
 朧になってきた頃、藤嶋がゆったりと髪を撫でていることに安心感を得た。こんな時くらいしか意識も掠めないが、いつもこの人は自分が眠れるまで、こうするんだ。

 股の隙間に何か、熱く硬いものが触れている、それには初めて気付いた。
 …確かにそんな日もあるかもしれないけども。

「…あんな目で見んなよ、俺を、」

 熱く、湿った、けれども震えた耳元にある藤嶋の声は弱っているかもしれない。聞こえた気がした。よもや泣きそうだとすら勝手に感じた。

 初めてだった。

 少し、ゆるゆると藤嶋の腰が揺れては離れる。狡い、何も掴めなくてわからなくて、狡い。よくわからないよと、本格的に翡翠は逃げてしまおうと、寝るのに集中した。
 
 そしてその日の夢は、自分と義兄が計画し義父を殺した過去の日だった。
 義父の息遣いが今でも首筋にへばり付くよう。天井、義父の項に兄が小刀を刺して、自分は人が生きる息遣いから、苦しみ悶え死ぬまでの息切れを間近に感じたのだ。

 本当は小刀などを寝所に持ち込み自分が殺してもよかった。百舌はそんな鳥だ。だから、忌々しくて仕方がない。

 ぼすっと、振りかぶったのか振り払ったのかはわからない寝返りで起きた。
 藤嶋が自分の拳を包み取り、「おはようさん」と怠く言っては深い目で自分を見つめていた。

「…おは、よ、ございます」

 息切れしていた。
 汗もかいていたらしい、藤嶋の手の甲でそれは拭われ「寝相が悪い」と小言を吐かれた。

「すまへん…」
「別に金払ってねぇからいいけどな。
 茶を煎れろ。喉が乾いた」
「はぁ…」

 外を見れば日すら暮れていない。
 一晩寝たようだな。
 この男まさか昨日の昼から茶すら飲んでいないのだろうか。

「…藤嶋さん」
「あんだ」
「まさか、ずっとここに居ったわけやないですよね」
「厠くらいには行くわ」
「…えっと…」
「四の五の言わず茶ぁ煎れろよ」
「…はぁい」

 返事が間抜けだなんだと小言を言う店主をよそに、仕事の準備かと翡翠は起き上がる。
 流石に使いまくった腰に怠さはなくとも、寝すぎたせいか体全体が重く怠かった。

 …今日はいつもよりもきびきびと働かなければ却って健康に悪そうだと、まずは店主の言いつけ通り、茶を炒ろうと緑茶の筒を持ち、仕事に取り掛かった。
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