水に澄む色

二色燕𠀋

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 ふらふらっと竜二は洗面台、風呂場のドアの前に座り込み「伊織」と、呼んでみた。

 シャワーが止まる。
 ずずっと鼻を啜る音と「リュージ?」と、少し震えているような気がする声。

「…吉田さん帰ったよ」

 返事はない。

「伊織、あのさぁ」

 だけど言葉は出てこない。急に消え失せてしまった。
 消え失せたら、本当は一つしか出てこないけど、言う意味がないと、打ち消して。

「…ダメか、」

 端っこは最早出てしまったなら、全部が溢れていきそうで。

「俺…は、俺じゃ……、俺でも良いか、」

 あぁ、ひとつがシンプルに。
 でも。
 そして、掛ける言葉は若干濁ったようだなと、なるほど切ないとはこれか吉田さん、と思って。

「…どしたの、」

 ドア越しに。

「…勘弁してっ、」

 擦り切れるような声で。

 そうか。

 悪かったなと謝り部屋に戻れば柄にないと感じた。柄にない、設定もいらない、存在も世界もないから良いと思っていたのに。
 これがある程度の割り切りや…妥協なのだとしたら。一体何をどこに向ければ良いのか。

 だけど、あんな風な…苦しくて堪らないという声にだって、腹は立つ。何故他の換えじゃ、ダメなんだ。

 シャワーの音が再開しないまま、暫くすれば平然と戻ってくるくせに、自分のベットでこちらに背を向ける伊織に、ふざけるなと言いたくなった。

 ふざけるな。
 勝手にしろ。

 だから竜二は衝動的に伊織のベッドに潜り込んだけれど。

「…伊織?」

 背が震えていた、身体が震えていた。
 口に手を宛て、声を殺して泣いていた。

 …全部萎えてしまった。

「伊織…?」

 ただふんわり抱き締めて「なんかあったの?」と、目尻を拭えばうぐっ、と、伊織は一瞬耐えられなかったように見えた。

「…大丈夫?」

 押し殺し喘ぐように、その息はしかしもう少し分かりやすくなった。

「…どうしたの、」

 しかし伊織は首を振るだけで。
 ただ、焦れったく待って漸く行動したのは、下に手を伸ばしたのでまさか、と血の気が引いていく気がした。

「なに、どうしたの一体、」
「……あっ、の……」
「え?なに、なんなの」
「いたっ、」
「痛い?なにが、なんで。どうしたの」

 見ようとパンツに手をやれば「やめっ、」と制される。

「…ちょっと待って、何、」

 伊織は首を振るだけで。

「何されたんだよ、なぁ、痛いって何。おい、それは流石にマジでダメ。言いたくないならホントに見るけど」

 それはしかしレイプと差があるのか?
 大体、彼氏でもなくて。

「いやっ……あの……大丈」
「大丈夫じゃないんじゃないのかおい、」

 頭が真っ白になりそうで。
 だが落ち着かないと、落ち着かないと……。

「中がっ……」
「…はぁ?」
「あの……、」
「………何言っちゃってんの、お前、」
「大丈夫、…大丈夫、」

 声が低くなった。

 これはヤバイと流石に伊織も堪忍し、震える手で鞄を指すのだからより一層恐怖が、沸いてきた。

 恐怖に打ち勝つ意味も込め、勿論怒りが勝ったのもあり、竜二はベットから降りて伊織の鞄を見ようとするが漁らなくても一発で目に入ったピンクの物体。

「…はぁ?」

 てことは。

「お前マジで大丈夫かそれ、」

 しかし伊織は諦めたような、脱力したような、そんな調子で泣きながら寝転がっている。
 …それに少し落ち着けという自制が利き、「わかった」と言ってはまたベットに乗り、抱き締めてキスだけをした。

「…取り敢えず寝ろ、悪かった」

 竜二は伊織の目元を覆うように掌を乗せ、「明日は休み、言っとく吉田さんに」とだけ言う。

「いや、」
「いやじゃないふざけんなこのタコ、」
「でも、」
「殺すぞてめぇ。なんで言わないんだよっ、お前な、いくら俺がどうでもいいからって」
「違う、」
「うるせぇ黙れ、」

 でも。
 伊織は悪くない。…のか、わからない。ただ、好きならそう…なってしまうのか、

「あぁああ!っくしょう、このバカ、アホ!もうバカ!お前なんなんっ、なんでなん、んな…やめろよこのっ、」

 悪口しか出てこない。だが語彙力が低下するほどに意識も低下している。

 まぁ、まずは寝たらオロナイン…オロナインでいいのかそれ。
 …困った、しかし聞くなら、晒してもいいものか、でも吉田に聞いてみるしかない。

 …ぶっ殺したい。

「…殺す」
「え?」

 振り向いた伊織に「殺してやるよ」としか出てこない。

「桝だろ、お前ケータイに履歴あるよな」
「…消した」
「はぁ?」
「ホントに、」
「…はぁ…?」
「…私が、私が、」

 跨がって。
 首に手を掛けた。

 諦めたような伊織が一層腹が立つくせに。
 …力なんて入らなかった。

「…萎えた」

 何故、イクときと同じ顔をする。

「…萎えた。
 取り敢えず、寝よう」

 そう言って力なく抱き締めてくれる竜二の腕に、伊織はすがるようだった。

「…ごめん」
「ん、」
「フグに」
「なんか食ってっから大丈夫」
「うん…」
「伊織、」

 好きだよ。
 …何故言えない。
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