UlysseS ButTerflY NigHt

二色燕𠀋

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 そういえば青木透花はまだロビーに来ていない。2階だし通話中にでも来れそう…こちらとしては有難いが。

 映像がフラッシュバックする。
 運営がそうしたのかはわからないが、ライブは1発で終了した。しかし…まだまだ続きそうな余韻があって…。

 自分のスマホで画録したアレを見ようと思ったがいや、部屋に戻る方が先か…と思い直した矢先。
 まるで、覇気がない…揃いもしていない擦り足がゆっくりと聞こえ始め、つい帰り損なってしまった。

 …大丈夫か、それ。
 響く団地だ、微かに嗚咽だか、整わない…息遣いも聞こえるような…。

 自然なようにと、ぼんやりした体でまた空を見てタバコに火を点ける。

 近付いて来る…割と近く、ふと、そんな息遣いも殺し足音も極力普通にしようと心掛けたのだろうとわかるような変化を聞き取る。

 なんだかなぁ。

 流し目、さり気なく青木透花を横目で見た。
 どうやら片腕を掴んで抑え眺めている……痙攣しているらしい。
 目が合い一瞬、間が生まれた。

 あっ、そっか、俺今超社会人っぽい格好してるわ…。

「よう」

 認知したのか「あぁ、どうも…」と弱々しく返事をしてきた。

「お疲れ様。
 昼勤?夕勤?夜勤?」
「…こんばんは。朝ぶり…ですね」

 あれ。
 つい、自分の中で時間が止まってしまった。

 …まるで血液でも抑えるレベルで強く、震える手首を握っているのもそうだが…顔色が悪いのは朝からにしても、頬は少し赤い…明らかに挙動不審だし…あれ?

「あの…、」

 つい言葉が出た。
 彼は、最早笑顔を作った気でいるかもしれないが、どうにも歪になっている。

「アンジ…さんは、」

 …鼻血がスっと出てきた。

「…おい、大丈夫か?」
「まぁ、きょ」

 本人も気付いたらしい。喉にでも流れたか、俯いているし下に落ちたか…。

 さっきまで握っていた手の甲で鼻を拭い「え、」と驚いている。

「…おいそれ大丈夫じゃな」

 透花が顔を上げこちらを見た瞬間だった。
 ふっと、顰め面で額を抑え…明らかに目眩か何かだろう。

 僅かな距離だ、タバコをついその場に捨て掛けつければ膝から崩れる、間があった、さっと身体を支えてやればぐたっと倒れ込んできた。

「おい!」
「…ぅっ、」

 意識があるのかないのかわからないが咄嗟に顔を下げ鼻を軽く摘んでやり「救急車な!」と言うが、パッと弱々しくケータイを持とうとする手を拒むように抑えようとする…ことすら不可能らしい、ぶらんと下げ完全にこちらに全体重が掛かってくる。

  腕を回しさっと背負い、まずは目の前の青木宅へピンポンをした。

 しかし…何故だ、誰も出ない。唯三郎なら時間が掛かるのはわかるが、向こう側はスピーカーを切らなかったようで微かに「お義父さん静かにしといて」と、紀子の声が聞こえる…。

 ダメだなこれはと透花を背負ったまま119を押し「すみません、」と『はい、緊急車両です』が被った。

 「隣人が倒れ」「待っ……」「ました」と矢継ぎ早になる。

「ぁぅの、」
「…意識レベルも低いです、大至急お願いしま……」

 ふらっと、ケータイを払われた。
 落ちた向こうで冷静な「場所はどちらでしょうか」が聞こえる。

「風緑ハイツ11塔です、入口まで向かいますから!」

 もしもし、もしもし…とケータイから聞こえてくる、緊急事態だとは把握してくれただろう。
 ケータイは拾わなくてもいいなと優先順位を組み立て、背負った太腿からだらんとした手首を掴み…やはり震えているな…入口まで向かう最中。

 ドアが開く音がした。
 振り向けば青木家のドアが開き、紀子がそのケータイを手にしてこちらを見た。

「…お母さん!?
 早く!こっ」

 あろうことか紀子はその社用ケータイを、挙動不審な態度でロビーから下へぶん投げ、震えていた。

「はぁ!?」

 あー、もうダメだこいつ。
 そんな異常精神の相手を構ってる場合じゃない。緊急性はこちらの方が高いと、安慈は入口までやや早足になる。

 青木透花は呼吸も荒く心拍数が高い、そのうち過呼吸を起こしそうだなと「はーはーはーのリズムで」と言ってみるが、声を聞いたせいだろうか「うっく、うっ」と…しゃくり始めた。

「…大丈夫だから。落ち着いて。息吸うのに集中しような」

 しかし感情の方が勝つ。
 げほ、ごほ、と…泣きたかったんだろう、だが今は…いつもみたいに感情を殺してくれよと「よーし、よーし」とリズムを与える。

「はっ、離し、」

 身体的危険信号のせいか、思ったよりも強い力で右手を払われ「危ねっ、」と体勢を崩しそうになった瞬間、毟るように脇腹を握られた。

 足が縺れそう…。

  …痛ぇ、やべっ、落とさんようにしなきゃなと、「力抜いて、息、」と指示をする。

 指示は聞き入れたらしいが僅かに出来た余裕で「離してっ、」と言う響きが…心に痛く、切なさが刺さる。
 だからこそ、いつも通り感情を殺し…。

「離さねぇよっ、」

 何故か。
 ハッと、青木透花の力が抜けた。
 それならと…手首を掴む、よりは手を上から握ってやることにする。
 躊躇するような震え。

 …どうして。
 こんな汚れた世界に、君の悲しさは響いてなくて。

「…よし偉い。ありがとな、痛かったわ」

 はぁはぁ、と、呼吸は戻りつつあった。
 「舌噛むなよ」と言いながらロビーを出、駐車場入口あたりで少し夜風に当たる。

 極力冷静でいなければと、「寒くねぇか、身体熱いけど」と声を掛ける。返答は無い。
 救急車のサイレンが少し近くに聞こえてきたあたりで「降りれそう?」だの「ダルさは?」だの、とにかく質問し気を逸らす。

 諦めもあるのか「無理…」だの「重ぃ…」だの、漸く会話になった。
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