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欲動
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彼女はまるで勝ち誇ったような表情で「履修してきたの」と、より陳腐な女に成り下がった。
個室を出て行儀悪く鏡台に座った女は、思い出したように置きっぱなしの温くなったビールを一口飲み、またその、タバコのような“それ”を咥える。
「それとも、やっぱこれ超よかった?」
水道から水を出し続け手を洗う。ごしごし、ごしごし…充分に洗っても気になった。
「ははははっ!」と、彼女の奇声が側で響く。
…指、柔らかくなっちゃったな。でもまぁ、もう今日は出番もないし。
「欲しくなったら言ってね」
ああ、そうだった。
彼女が流し目で「やっぱ、よかったみたいね」と目敏く指摘してきたことに自分でも気が付いた、どうやら左足が痙攣している。
「…1本頂戴」
目的も思い出したので、「気に入ってくれた?」と喜んだ彼女の連絡先を交換することにした。
「お試しでもう1本あげるよ」
けど、もう会うことはないだろう。
それから一人、しれっと楽屋からギターを持ち出し裏口から出た。
まだ左足の股あたりがピクピクとしている。
結構、体勢には気を遣ったんだけどな。
そんなもんなのかと、電話帳の「あ行」と「た行」に指を滑らせぼんやりと眺める。
…女は抱けない、か。あ行とた行。どうしようかな。
その噂は一体どうやって自分の履修要項に滑り込んでいるのだろう、便所の落書きか何かだろうか。
確かに自分はずっと、サブカルクソ女子達から似たような歓声を上げられている。
それだって、面に自覚がある。
あの女、間抜けな面だったな。
まぁ、別にどうだって良いけど。
スクロールはあ行で止まった。けれど、今日はわりと気分がよくない。結局た行まで下がり、タッチする。
どうやら電波が届かないようだ。
まぁいいか、と駅まで歩いている最中、「ミキ」という見慣れない名前からメッセージが届いた。
開かなくてもなんとなくわかったが、開いてみればやはり、「今日はありがとう」「また会いたいな」「例のアレ、すぐなくなるから急ぎめで」と濁流のよう、脈絡もなく入ってくる。
そうだった、と、ギターケースの外ポケットを漁りチャック付きの小さなポリ袋を取り出した。
回収したはいいが、パンツのポケットに入れっぱなしにしてしまっていた“例のアレ”を保存する。
この“ミキさん”と自分は然して変わらないのかもしれない。フロイトは精神分析学にアンビバレンスを組み入れたと言う。
駅でまたぼんやりとスマホを眺める。アンビバレンスについて考えた。
タクシーを待つ間、もう一度スマホ画面をスワイプし、やっぱりた行をタッチする。
今度はコールが掛かった。それは2回で繋がり、『もしもし、慧?』と、穏やかな声が聞こえた。帰宅したばかりなのだろうか。
「いま家?」
タイミング悪くタクシーがやってくる。
『うん、そうだけど』と言う柔らかく素っ気ない声、「どちらまで」には自宅のマンションを指定した。
『22時までじゃなかったっけ?』
「まだやってるけど、俺は終わったから帰る」
『……ふぅん、そうなんだ』
察したらしい、更に声を柔らかくして『何か食べる?』と相手は聞いてきた。
「いい。セイさんは何か要りますか?」
『いいや、別に。
鼻声だね』
「…うん、多分…」
『風呂でも用意しとくね』
ぶつっ、とあちらの都合で通話は終了する。
あ、そうだ、ゴムとかあったっけな。なかったかもしれないなとぼんやり思い出す。別に良いといえば良いけれど。
何も要らないと言われたが、コンビニに寄ろう。あと、水が飲みたい。あの鳥肌を思い出した。
ぼんやりしたまま、連絡先のあ行も眺めた。
どうしようかな。まずはメッセージでも送っておこうかとメール画面を開く。あちらさんは忙しい。
こちらはすぐに既読が付き「今空いてる」と、タイミングが悪かった。
なんて返すのが良いのかと、画面を眺めて考えたが、車酔いしそうになりやめた。
右手のスマホ画面がふるふると震えている。
これは、一種の後遺症だ。随分長いこと続いている。
あの日、歌い続けてよかった。
「いー唄だな」と言った無骨な彼を思い出す。
だからこそ今はそっとアプリを閉じた。
そういう気分じゃない。もう少し不安定な日。ごめんなさい。
でも、目先の生きる理由が出来た。
アンビバレンスについて考える。それは、結果誰を蝕んでいるのか。
自我保存と希死念慮。そのジレンマにも良い加減、慣れてきていた。
彼らのなかで自分はどこに位置付けられているのだろう。これは対等な筈がない、自分は軽い、空気の振動程度の物だから。計算式で言えば「○×●=」の“=”部分だろうか。
なら、それ以上先は一体、なんだって言うんだろう。
スマホの通知が光る。
再びアプリを開けば『丁度、声が聞きたかったよ』と入っていた。
その答えは少し先になってしまう、なんせ頭を使うから。
思うように動かないのは右でも左でもない、前頭葉の問題だ。自分はまともに生きてこなかった。
個室を出て行儀悪く鏡台に座った女は、思い出したように置きっぱなしの温くなったビールを一口飲み、またその、タバコのような“それ”を咥える。
「それとも、やっぱこれ超よかった?」
水道から水を出し続け手を洗う。ごしごし、ごしごし…充分に洗っても気になった。
「ははははっ!」と、彼女の奇声が側で響く。
…指、柔らかくなっちゃったな。でもまぁ、もう今日は出番もないし。
「欲しくなったら言ってね」
ああ、そうだった。
彼女が流し目で「やっぱ、よかったみたいね」と目敏く指摘してきたことに自分でも気が付いた、どうやら左足が痙攣している。
「…1本頂戴」
目的も思い出したので、「気に入ってくれた?」と喜んだ彼女の連絡先を交換することにした。
「お試しでもう1本あげるよ」
けど、もう会うことはないだろう。
それから一人、しれっと楽屋からギターを持ち出し裏口から出た。
まだ左足の股あたりがピクピクとしている。
結構、体勢には気を遣ったんだけどな。
そんなもんなのかと、電話帳の「あ行」と「た行」に指を滑らせぼんやりと眺める。
…女は抱けない、か。あ行とた行。どうしようかな。
その噂は一体どうやって自分の履修要項に滑り込んでいるのだろう、便所の落書きか何かだろうか。
確かに自分はずっと、サブカルクソ女子達から似たような歓声を上げられている。
それだって、面に自覚がある。
あの女、間抜けな面だったな。
まぁ、別にどうだって良いけど。
スクロールはあ行で止まった。けれど、今日はわりと気分がよくない。結局た行まで下がり、タッチする。
どうやら電波が届かないようだ。
まぁいいか、と駅まで歩いている最中、「ミキ」という見慣れない名前からメッセージが届いた。
開かなくてもなんとなくわかったが、開いてみればやはり、「今日はありがとう」「また会いたいな」「例のアレ、すぐなくなるから急ぎめで」と濁流のよう、脈絡もなく入ってくる。
そうだった、と、ギターケースの外ポケットを漁りチャック付きの小さなポリ袋を取り出した。
回収したはいいが、パンツのポケットに入れっぱなしにしてしまっていた“例のアレ”を保存する。
この“ミキさん”と自分は然して変わらないのかもしれない。フロイトは精神分析学にアンビバレンスを組み入れたと言う。
駅でまたぼんやりとスマホを眺める。アンビバレンスについて考えた。
タクシーを待つ間、もう一度スマホ画面をスワイプし、やっぱりた行をタッチする。
今度はコールが掛かった。それは2回で繋がり、『もしもし、慧?』と、穏やかな声が聞こえた。帰宅したばかりなのだろうか。
「いま家?」
タイミング悪くタクシーがやってくる。
『うん、そうだけど』と言う柔らかく素っ気ない声、「どちらまで」には自宅のマンションを指定した。
『22時までじゃなかったっけ?』
「まだやってるけど、俺は終わったから帰る」
『……ふぅん、そうなんだ』
察したらしい、更に声を柔らかくして『何か食べる?』と相手は聞いてきた。
「いい。セイさんは何か要りますか?」
『いいや、別に。
鼻声だね』
「…うん、多分…」
『風呂でも用意しとくね』
ぶつっ、とあちらの都合で通話は終了する。
あ、そうだ、ゴムとかあったっけな。なかったかもしれないなとぼんやり思い出す。別に良いといえば良いけれど。
何も要らないと言われたが、コンビニに寄ろう。あと、水が飲みたい。あの鳥肌を思い出した。
ぼんやりしたまま、連絡先のあ行も眺めた。
どうしようかな。まずはメッセージでも送っておこうかとメール画面を開く。あちらさんは忙しい。
こちらはすぐに既読が付き「今空いてる」と、タイミングが悪かった。
なんて返すのが良いのかと、画面を眺めて考えたが、車酔いしそうになりやめた。
右手のスマホ画面がふるふると震えている。
これは、一種の後遺症だ。随分長いこと続いている。
あの日、歌い続けてよかった。
「いー唄だな」と言った無骨な彼を思い出す。
だからこそ今はそっとアプリを閉じた。
そういう気分じゃない。もう少し不安定な日。ごめんなさい。
でも、目先の生きる理由が出来た。
アンビバレンスについて考える。それは、結果誰を蝕んでいるのか。
自我保存と希死念慮。そのジレンマにも良い加減、慣れてきていた。
彼らのなかで自分はどこに位置付けられているのだろう。これは対等な筈がない、自分は軽い、空気の振動程度の物だから。計算式で言えば「○×●=」の“=”部分だろうか。
なら、それ以上先は一体、なんだって言うんだろう。
スマホの通知が光る。
再びアプリを開けば『丁度、声が聞きたかったよ』と入っていた。
その答えは少し先になってしまう、なんせ頭を使うから。
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