39 / 64
雨雫
6
しおりを挟む
逃げたな、まったく自分が植えた種の花を雑草に変える男だなとつくづく溜め息が出た。
未だ物言えぬ翠に取り敢えず、「まぁ座ったら」と促せば、「あ、はい…」と気の抜けた炭酸のようになった翠はへなへなと再び座り、机の上に出された“ありし日”を眺めていた。
そんな反応をされたのは初めてだ。どう対応すべきかわからない。
先代ほど…。
あの人ほど自分は外交的な作家でもないし、なんだろう、こんな時どうしたらいいのか。
いままでサイン会や講演会などでファンとは出会ったこともあるが、こんなにも身近でリアルには感じたことなどなかった。
ありありと伝わる少年の心情。何か大したことを言ったわけでもない、そういうくくりで出会ったわけでもなく。
要するに心の準備が出来ていないのは蛍も同じだ。
「俺…」
先に口を開いたのは、翠だった。
「定時制に通ってるんです。まぁ昼の学校でも別にいいんですけど…」
突然何を語り始めたかと思えば。
「なんかピンと来なくて」
なるほど、定時制だったのか。
しかし、昼から出歩いてることに対しては、親は何も言わないのだろうか。
「…中学校で俺、演劇部だったんです。音響でした。ただまぁ、部員が少なかったから…先輩と俺だけでした、音響って。この先輩、凄く仲良いんです。一緒に音響資材を図書館に借りに行ったり、部活のあと遊びに行ったり、先輩の家に泊まったり。
けど仲良かったのには理由がありました。リストカットしてたんです、先輩」
漸く空太が急須と湯呑みを持って現れた。
それぞれに茶を注ぎ、空太は翠の前に座る。「ありがとうございます」と翠は空太に礼を言い、茶を眺めていた。
「俺それ知ったらなんか、何していいかわからなくなっちゃって。そのうち自分もなんか悩んじゃってリストカットしちゃって、止まらなくなっちゃって。
あれって不思議ですよね。慣れてくると全然痛くない。アドレナリンとかそんなものなのかもしれないけど。
けどある日親にバレたんです。夢中になってたら、現行犯逮捕」
なるほど。
それで、なのか。そんな話を以前に書いたことがある。
「その時、我に返りました。何してんだろって。親はだから、俺を普通の高校じゃ無理なんだろうって、定時制に入れました。
先輩から受けた影響はたくさんありました。音響技術だって、先輩からたくさん学んだけどなんだか気のせいか、凄く…怖くなっちゃって自分とか他人とか。だって明るいのに、そんなことしてるんだって。
悪いことじゃない。けど、なんで、俺に見せたのには訳があったはず、何かしてあげたいと思うのに、何もしてあげられないんです。
そのまま先輩は卒業して、何事もなく今もまだたまに会うのに勇気がいる。けど、今でも先輩とは仲良しです、きっと」
こんなことを、とくに辛そうでもなく、しかし矢継ぎ早に語る彼は。
「いいなぁ」
ぼんやりとそう言った蛍はどこか空虚に見えた。何故だろう。その呟きが妙に現実を離れている気がして、急に翠の胸が切迫してしまった。
「…えっ」
「いや、なんか。
誰も君をほっとかない。青春の青痣ですら押して痛みを、理解できるのかと思って」
その感性は。
「…俺、“手首”読んだんです。なるほどなって思って。青春の傷は深い。そうかもしれないって。
だってこの主人公だって、離れたくても離れられないでいる、手首掴んで離せない。だけど血塗れだって書いていたじゃないですか」
「そうだっけ」
「俺少し元気もらいました」
こんな暗い話なのに。
「蛍さんにもこんなこと、あったんですかね」
「さぁ。少なくても上柴楓にはあったのかもしれないな。彼はフィクションを、作り出すけど引き出しから引っ張り出してくるようだから」
そう言って少しの拒絶を見せれば、翠は仄かに湿った笑顔を向けて“ありし日”を自分に向けてきた。そして一言照れ臭そうに、「よかったら、ください。サイン」と言う。
少年の真意は計り知れないが、蛍は仕方なしに番台のペン立てにあった油性ペンの細い方のキャップを取り、癖の残る字でサインした。デザイン性が少しそらたの物と似ていることに、翠は気付いた。
「似てるんですね、サイン」
「俺が考えたんだよ、そのサイン」
と、向かいに座っていた空太が茶を啜りながら言った。
この二人の関係は、一体なんなんだろうか。
「…お二人は、いわゆる幼馴染みとか、同級生、なのですか?」
「幼馴染み、かなぁ」
「俺もここの常連だった。
互いに絵も、文も書く前に出会ったんだ」
「そもそも文や絵は、きっかけってなんだったんですか?お二人は、凄く…なんと言うか俺のなかで、ぴったりだなって」
そう聞かれて回想をしてみた。
雨足は強くなる。雨の日の、何気ない昼下がりには丁度いい時間が流れる。
未だ物言えぬ翠に取り敢えず、「まぁ座ったら」と促せば、「あ、はい…」と気の抜けた炭酸のようになった翠はへなへなと再び座り、机の上に出された“ありし日”を眺めていた。
そんな反応をされたのは初めてだ。どう対応すべきかわからない。
先代ほど…。
あの人ほど自分は外交的な作家でもないし、なんだろう、こんな時どうしたらいいのか。
いままでサイン会や講演会などでファンとは出会ったこともあるが、こんなにも身近でリアルには感じたことなどなかった。
ありありと伝わる少年の心情。何か大したことを言ったわけでもない、そういうくくりで出会ったわけでもなく。
要するに心の準備が出来ていないのは蛍も同じだ。
「俺…」
先に口を開いたのは、翠だった。
「定時制に通ってるんです。まぁ昼の学校でも別にいいんですけど…」
突然何を語り始めたかと思えば。
「なんかピンと来なくて」
なるほど、定時制だったのか。
しかし、昼から出歩いてることに対しては、親は何も言わないのだろうか。
「…中学校で俺、演劇部だったんです。音響でした。ただまぁ、部員が少なかったから…先輩と俺だけでした、音響って。この先輩、凄く仲良いんです。一緒に音響資材を図書館に借りに行ったり、部活のあと遊びに行ったり、先輩の家に泊まったり。
けど仲良かったのには理由がありました。リストカットしてたんです、先輩」
漸く空太が急須と湯呑みを持って現れた。
それぞれに茶を注ぎ、空太は翠の前に座る。「ありがとうございます」と翠は空太に礼を言い、茶を眺めていた。
「俺それ知ったらなんか、何していいかわからなくなっちゃって。そのうち自分もなんか悩んじゃってリストカットしちゃって、止まらなくなっちゃって。
あれって不思議ですよね。慣れてくると全然痛くない。アドレナリンとかそんなものなのかもしれないけど。
けどある日親にバレたんです。夢中になってたら、現行犯逮捕」
なるほど。
それで、なのか。そんな話を以前に書いたことがある。
「その時、我に返りました。何してんだろって。親はだから、俺を普通の高校じゃ無理なんだろうって、定時制に入れました。
先輩から受けた影響はたくさんありました。音響技術だって、先輩からたくさん学んだけどなんだか気のせいか、凄く…怖くなっちゃって自分とか他人とか。だって明るいのに、そんなことしてるんだって。
悪いことじゃない。けど、なんで、俺に見せたのには訳があったはず、何かしてあげたいと思うのに、何もしてあげられないんです。
そのまま先輩は卒業して、何事もなく今もまだたまに会うのに勇気がいる。けど、今でも先輩とは仲良しです、きっと」
こんなことを、とくに辛そうでもなく、しかし矢継ぎ早に語る彼は。
「いいなぁ」
ぼんやりとそう言った蛍はどこか空虚に見えた。何故だろう。その呟きが妙に現実を離れている気がして、急に翠の胸が切迫してしまった。
「…えっ」
「いや、なんか。
誰も君をほっとかない。青春の青痣ですら押して痛みを、理解できるのかと思って」
その感性は。
「…俺、“手首”読んだんです。なるほどなって思って。青春の傷は深い。そうかもしれないって。
だってこの主人公だって、離れたくても離れられないでいる、手首掴んで離せない。だけど血塗れだって書いていたじゃないですか」
「そうだっけ」
「俺少し元気もらいました」
こんな暗い話なのに。
「蛍さんにもこんなこと、あったんですかね」
「さぁ。少なくても上柴楓にはあったのかもしれないな。彼はフィクションを、作り出すけど引き出しから引っ張り出してくるようだから」
そう言って少しの拒絶を見せれば、翠は仄かに湿った笑顔を向けて“ありし日”を自分に向けてきた。そして一言照れ臭そうに、「よかったら、ください。サイン」と言う。
少年の真意は計り知れないが、蛍は仕方なしに番台のペン立てにあった油性ペンの細い方のキャップを取り、癖の残る字でサインした。デザイン性が少しそらたの物と似ていることに、翠は気付いた。
「似てるんですね、サイン」
「俺が考えたんだよ、そのサイン」
と、向かいに座っていた空太が茶を啜りながら言った。
この二人の関係は、一体なんなんだろうか。
「…お二人は、いわゆる幼馴染みとか、同級生、なのですか?」
「幼馴染み、かなぁ」
「俺もここの常連だった。
互いに絵も、文も書く前に出会ったんだ」
「そもそも文や絵は、きっかけってなんだったんですか?お二人は、凄く…なんと言うか俺のなかで、ぴったりだなって」
そう聞かれて回想をしてみた。
雨足は強くなる。雨の日の、何気ない昼下がりには丁度いい時間が流れる。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
夫の幼馴染が毎晩のように遊びにくる
ヘロディア
恋愛
数年前、主人公は結婚した。夫とは大学時代から知り合いで、五年ほど付き合った後に結婚を決めた。
正直結構ラブラブな方だと思っている。喧嘩の一つや二つはあるけれど、仲直りも早いし、お互いの嫌なところも受け入れられるくらいには愛しているつもりだ。
そう、あの女が私の前に立ちはだかるまでは…
美しいお母さんだ…担任の教師が家庭訪問に来て私を見つめる…手を握られたその後に
マッキーの世界
大衆娯楽
小学校2年生になる息子の担任の教師が家庭訪問にくることになった。
「はい、では16日の午後13時ですね。了解しました」
電話を切った後、ドキドキする気持ちを静めるために、私は計算した。
息子の担任の教師は、俳優の吉○亮に激似。
そんな教師が
両隣から喘ぎ声が聞こえてくるので僕らもヤろうということになった
ヘロディア
恋愛
妻と一緒に寝る主人公だったが、変な声を耳にして、目が覚めてしまう。
その声は、隣の家から薄い壁を伝って聞こえてくる喘ぎ声だった。
欲情が刺激された主人公は…
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
お父さん!義父を介護しに行ったら押し倒されてしまったけど・・・
マッキーの世界
大衆娯楽
今年で64歳になる義父が体調を崩したので、実家へ介護に行くことになりました。
「お父さん、大丈夫ですか?」
「自分ではちょっと起きれそうにないんだ」
「じゃあ私が
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる