蜉蝣

二色燕𠀋

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月夜

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 蛍はしかしその一言くらいではやめず、四合瓶を抱えるように銘柄を確認し、「シングルモルト…」と呟いた。緑の、透明な瓶をキラキラした瞳で楽しそうに眺めている。

 多分、酔っているんだろう。

「これも金賞?」
「え?わからん」
「ふーん…」

 とそっけなく言ったかと思えば蛍はふいに立ち上がり、台所の棚を探り、グラスに氷を入れてふらっとまた戻ってきた。
 やはり、蛍は少し、アルコールに毒されていると空太には痛感出来る。

 恐らくは、自分が夕飯を拵えている間に頭が冴え、上柴が勝ったのだろうと結論を出した。

 空太の中の上柴楓は多分、憧れであり芸術家だ。言葉の芸術を毎度ながらまざまざと目の前に突きつけられ、感化される。不思議なことに上柴楓の文は、空太には一瞬で情景がふわっと脳裏に焼き付く。そこから、内容がナチュラルに入ってくる。

 しかしその内容は、なんとなくだが涛川蛍を連想するというか、人物を知っている空太からすれば、やはり二重人格ではなく、涛川蛍は上柴楓なのだ。上柴楓は涛川蛍を形成するうちの一つにしか、過ぎないように思える。

 自分は果たしてどうなのだろうか。
 そんな上柴楓に乗っかって作品の表紙を勤めるがそれは仕事の、副業にしか過ぎない。上柴楓を読み解き、そこから浮遊した感性を絵にする画家だ。

 表紙でなければ大体は、自分の感性のまま風景を撮り、それを元に絵を描く。

 これはなんなんだろう。粟屋空太でも、そらたでもなしに、その中間のような気がしてならない。

 蛍もきっと、蛍はより、ここと戦うのだろう。互いに、職種は似ている。しかし答えは永久に誰にも見つからない、感性を売りにする芸術家なのだから。

 そして勝手な偏見ながら不思議と芸術家には、なんとなくな外れ者が多い気がしている。蛍のパターンは、執筆スイッチの際の極度のアルコール中毒。まわりから見ればこれは厄介だろう。

白州はくしゅうという言葉があってね、字は、この字を書くことも、州にさんずいがつくこともある。裁判の時に使われた言葉なのだが」

 なんの話かと思えば。

「有名なのは時代劇の、悪人が砂利の上で座らせられて奉行人ぶぎょうにんに延々と話を、聞かされているシーン、あるだろ?あれのことなんだけど。
 本当はもう少しエグいもので、拷問とかに使われていたんだよ。
 なんで白州というかと言えば、時代劇の、あんなに黒い砂利じゃなくて、もっと白い砂利だったから。なんでも、白は、裁判の公平さ、神聖さをあらわしているらしいよ」
「へぇ…」
「けど…」

 蛍は楽しそうに空太に語り、一口その酒を口に含んだ。ウィスキーの苦味に、唇を少し噛むような、なんというか味わうような飲み方をする。先程の煽るような飲み方とは一変した。

 その薄い唇がなんとも上品で、しかしながら苦味に苦悶を表すような様が妙に艶を出す。空太が見惚れる要因の一つだった。

 彼のこうした動作が、空太に刺激を与えてくれるのだ。妙な同性特有の官能と情緒。思わずカメラを手繰り寄せ、撮ってしまう。
 途端に蛍が不機嫌な顔をするのが、そらたにはまた堪らなく鮮やかで、感性が剥がれる前にもう一枚。

 その頃には蛍の呆れ顔が見れた。レンズ越しでは見れない日常だ。

「けど…なに?」

 どうせ不機嫌だが呆れているので構わない。流して先を促した。自分は蛍の感性を、暴きたい。

「あぁ、うん。
 けど、これにはそんな、血生臭さがないなと思ってね」
山崎やまざきにはないよな」
「そうだね。爽やかだ」

 あぁ、なんて。
 シュールレアリズム。その中にある官能とも情熱とも取れない芳醇。自分の感性はこんな、何気ない日常だ。

 出てきた写真を見て、やはりこれだと空太は思った。蛍の噛むような、耐える顔がなんとなく、見てはいけないものを撮ってしまったようななんとも言えない色気。これが凄く堪らない。

「…なににやついてんだよ、」

 不機嫌を隠さないその声。

「いや、なんか…。良い顔してんなぁと思ってね」

 これぞまさしくインスピレーション。
 脳はちゃんと、少しのアルコールが手伝って活性化された。多分自分は今、良い絵が描ける。

「気持ち悪いなぁ」
「俺って変態かなぁ」
「かなりな。というよりフェチズムが実は強いよね」
「え?マジ?」
「うん。それくらいの大胆さは最早、ここまでくれば私生活でも生かせたら、営業職から卒業出来て女も口説けるような気がするよ」
「よく言うよ。お前程じゃないだろ」

 確かにその問題は深刻だ。空太は蛍に言われる通り、全体的に、ある意味蛍より内に秘めすぎる、これは自覚がある。

「まぁでも、それも味と言うヤツなのかな」

 そう軽やかに笑って言う蛍を見ると。
 なんとなく、今日来た甲斐があったという気になれた。

 こうして、得意でもない料理をお行儀よく食べている様なり、原稿と対峙している様なり、なんなら番台でぼんやりしつつもさつきの相手をしている様を見ただけでもう、それだけで自分に意味があった。今日の空太は目的をほぼ、コンプリートした。

「まぁ、互いに味わったと言うことで、来た甲斐あったわ」
「うん。まぁ戻ってきたかな」

 そう言って空太を見る蛍の目は少し、なんとなくだが。
 強さはあった。だがどうも。

「テーマは何にしようか、そらた」
「…うん、そうだな」

 少しの沈黙と酒の臭い。それから、食の細い蛍は食べ終えたようでやはり残してしまったが手を合わせ、「ごちそうさまでした」と言いつつ、少なめに盛った茶碗はたいらげたようで、箸と茶碗、空いた陶器を下げに流しへ立った。

「先に風呂入る。どうせ泊まりだろ?」

そう空太に聞く蛍の背中は少し頼りなく。

「あぁ」

 と空太が返せば、少しばかり撫で下ろしたように空太からは見受けられた。

 それから忍ぶように居間を出ていく幼馴染みの背を見送り、酒を飲み、考えた。

 多分、蛍は何かを言いそびれている。
 いや、自分が恐らく今、何かを言いそびれている。
 多分、何かはわかっているが、それは、だいぶ昔からのもののような気がして、今更ながらに少し、苦味を感じた。

 こんな時こそ、大人になると。
 言葉とは、表現とは少しづつ重なり、蓄積されて頭をもたげながらも宙を、浮遊するものなのだと、確認する。
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