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飛車
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朱鷺貴が壺を持って現れただけで、青鵐はささっと人払いをしたようだ。
どうしようかと迷いはしたのだが、取り敢えず部屋に線香とお鈴のみを用意して貰い、その傍に壺を置いた。
ちりん、と音が鳴る。
昔も似たようなことがあったなぁと思い出す最中、青鵐がふと「まさかこうして会うとはなぁ」と、手を合わせたまま朱鷺貴を見る。
藤嶋は随分と広く立派な部屋に住んでいたようだ。広いが今はどうにもがらんどうで、湿っぽさも感じるような。
まぁ、暫く部屋主が不在だったわけだしな。建物は使わねば、確かに劣化が早い。
「火葬かぁ」
「しかし病などではなく、」
「はは、ありゃあ間違いなくそんな在り来りには死なんやろ」
あ、こういった場所で少し不謹慎だったかと過ぎったが、青鵐は壺を見、「形は違えど、こん人は間違いなくええ死に方はせんと思っとったよ」と、懐古するような口調で言った。
いや、単にどうしようかと、現状の兼ね合いでこうなってしまったわけだが…。火葬は慣れていた、あとは一番近そうな人物に委ねられるという、こちらの勝手を押し付けたのが事実だ。
しかしまぁ、それも遺族の捉えようによっては、そうなのかもしれない。
「まぁ、わてらもこん人の素性だけは知ら」
「公家のお偉いさんで、しかも、既にこの世にはいない人間になっていた」
わりと衝撃的な事実だと思いさらっと流すよう努めたが、当の現店主は「はぁ、そうかえ」と、ごく普通に返してくる。
まぁ、寺もそうだ。男娼茶屋も、そんなものなのかもしれない。
「本来なら実家に返すべきなんだが、そういう訳で場所もなく…いや、あるんだろうけど…一応ウチで預かってたところで。急遽やったから、こちらでの葬儀は非常に簡易的な物になってしまいそうだけど…」
「そんなんはまぁ、どーでもえーかな。
……ほんでまぁ、そんなことより翡翠はどうと?」
「あぁ、まぁ、寺終いに…今日明日で俺たち以外、皆行き先も決まっててな。
藤嶋殿の件も、そういった事情から俺が来た訳で…」
「寺終いか。あんたも大変やったね」
「まぁ、決めたのは」
「翡翠の旦那としちゃあ丁度良いやん、口下手やけど」
「……誠勝手ながらそれは」
「せやろな、せやから来てるんやろうし、冗談や気にせんといて。
男娼なんて年季開けたら大体、少し残ってどこ行くか、坊主になるかやけど…」
そういうものなのか…。坊主もあまり各々事情は聞かない。実はウチにも元々いたのかも…まぁ、翡翠はそうだが。
「あんたも気遣いやねぇ…口下手過ぎるけど」
…二回も、言われたっ。自覚はあるが口の上手い職種に二回もっ。二回目なんて確定的な物言いだし、流石だ…。
「まぁ藤嶋さんの方は、こっちはホンマ有難いわ。ここならわざわざ炊かんくても香臭いし。ふらっと出てったけど、本来還るべき場所やったんやろな。
…あんたは、どないするん?」
「…特には」
「ホンマになんもないんなら、流石にあんたら、いくらなんでも京からは」
そういえば翡翠とは、中仙道を旅したところから始まった。
しかし、江戸に興味がある訳でもないし、錫杖刀もない。
ある意味今が漸く無であり、ああそうだ、翡翠と出会った頃、やつのことは「擲っている」と感じていた。
無になるまでが真言宗に於いての教えだ。だがしかし、まだ自分も翡翠も人生は終わっていない。
ここから先は、終わりのある無限の境地だ。
やっと手放したからこそ、まだ何も手にしていない状態になった、それだけのことで。
「いつだって、終わりか始まりかの境地は、人間には見えないもんですよ」
柵を捨てるために柵を手にしたはずだ。今はそれがない。
たった一つの神様、寺、教えが無くなるだけでこういう感情になるなんて、想像もしてなかったけれども。
元々、自分を主軸に信じてきた気がする。
人生はどうやら、有から無への繰り返しらしい、ならば般若心経にも頷ける面はあるが、それも信じ方でしかない。それが無くても、実はずっとそうしてきたような気がする。
ふと気配に気付く。
廊下に何人か、若衆が立ち聞きしてたらしい。
金清楼は案外、廊下を磨く者もいれば、厨房あたりから声も聞こえる。生気に溢れた場所だと感じた。
青鵐は「帰るべき場所」と言ったがいや、これでは藤嶋のあの覇気が負けそうだな。漸く穏やかに無の方向へ向かうのかもしれない。
これが生死の違いなのだとしたら。
聞き耳を立てていた若衆達は、きちんと黒の喪服を着ている…実はウチの葬儀は白なんだよねぇと過ぎったが、まぁそもそも今回は形式が異風だ。「まぁ、畏まらず好きな服装で」と提案した。
「え、」
「いやあ…」
「なーんとなく…」
壺を眺める。
「この人、多分普段通りがいいんじゃないかなと思っただけだから。どのみち、道も外れてるし形式張ったことも出来ない。この人元は神道なんだ、形式張ったことを言うとね」
長めに一言は言ったものの「どーゆこと?」「確かに非道いうか忘八やったけどなんかそういうんやないかなって」「退楼くらいのやつ!?」「というかぁ、噂のぼーさん!?」「そりゃ寺かえ!?ん!?神社!?」と、1投げたら3で返ってくる始末。
若干戸惑った反応の朱鷺貴にまた「あら、ヤダ慣れとらんの?」「ダメやて白鷺!翡翠兄さんの旦那やで!」「えあの謎の妓夫かなんかの!?」と若い歓声。
返ってくるのは3以上らしい。
どうしようかと迷いはしたのだが、取り敢えず部屋に線香とお鈴のみを用意して貰い、その傍に壺を置いた。
ちりん、と音が鳴る。
昔も似たようなことがあったなぁと思い出す最中、青鵐がふと「まさかこうして会うとはなぁ」と、手を合わせたまま朱鷺貴を見る。
藤嶋は随分と広く立派な部屋に住んでいたようだ。広いが今はどうにもがらんどうで、湿っぽさも感じるような。
まぁ、暫く部屋主が不在だったわけだしな。建物は使わねば、確かに劣化が早い。
「火葬かぁ」
「しかし病などではなく、」
「はは、ありゃあ間違いなくそんな在り来りには死なんやろ」
あ、こういった場所で少し不謹慎だったかと過ぎったが、青鵐は壺を見、「形は違えど、こん人は間違いなくええ死に方はせんと思っとったよ」と、懐古するような口調で言った。
いや、単にどうしようかと、現状の兼ね合いでこうなってしまったわけだが…。火葬は慣れていた、あとは一番近そうな人物に委ねられるという、こちらの勝手を押し付けたのが事実だ。
しかしまぁ、それも遺族の捉えようによっては、そうなのかもしれない。
「まぁ、わてらもこん人の素性だけは知ら」
「公家のお偉いさんで、しかも、既にこの世にはいない人間になっていた」
わりと衝撃的な事実だと思いさらっと流すよう努めたが、当の現店主は「はぁ、そうかえ」と、ごく普通に返してくる。
まぁ、寺もそうだ。男娼茶屋も、そんなものなのかもしれない。
「本来なら実家に返すべきなんだが、そういう訳で場所もなく…いや、あるんだろうけど…一応ウチで預かってたところで。急遽やったから、こちらでの葬儀は非常に簡易的な物になってしまいそうだけど…」
「そんなんはまぁ、どーでもえーかな。
……ほんでまぁ、そんなことより翡翠はどうと?」
「あぁ、まぁ、寺終いに…今日明日で俺たち以外、皆行き先も決まっててな。
藤嶋殿の件も、そういった事情から俺が来た訳で…」
「寺終いか。あんたも大変やったね」
「まぁ、決めたのは」
「翡翠の旦那としちゃあ丁度良いやん、口下手やけど」
「……誠勝手ながらそれは」
「せやろな、せやから来てるんやろうし、冗談や気にせんといて。
男娼なんて年季開けたら大体、少し残ってどこ行くか、坊主になるかやけど…」
そういうものなのか…。坊主もあまり各々事情は聞かない。実はウチにも元々いたのかも…まぁ、翡翠はそうだが。
「あんたも気遣いやねぇ…口下手過ぎるけど」
…二回も、言われたっ。自覚はあるが口の上手い職種に二回もっ。二回目なんて確定的な物言いだし、流石だ…。
「まぁ藤嶋さんの方は、こっちはホンマ有難いわ。ここならわざわざ炊かんくても香臭いし。ふらっと出てったけど、本来還るべき場所やったんやろな。
…あんたは、どないするん?」
「…特には」
「ホンマになんもないんなら、流石にあんたら、いくらなんでも京からは」
そういえば翡翠とは、中仙道を旅したところから始まった。
しかし、江戸に興味がある訳でもないし、錫杖刀もない。
ある意味今が漸く無であり、ああそうだ、翡翠と出会った頃、やつのことは「擲っている」と感じていた。
無になるまでが真言宗に於いての教えだ。だがしかし、まだ自分も翡翠も人生は終わっていない。
ここから先は、終わりのある無限の境地だ。
やっと手放したからこそ、まだ何も手にしていない状態になった、それだけのことで。
「いつだって、終わりか始まりかの境地は、人間には見えないもんですよ」
柵を捨てるために柵を手にしたはずだ。今はそれがない。
たった一つの神様、寺、教えが無くなるだけでこういう感情になるなんて、想像もしてなかったけれども。
元々、自分を主軸に信じてきた気がする。
人生はどうやら、有から無への繰り返しらしい、ならば般若心経にも頷ける面はあるが、それも信じ方でしかない。それが無くても、実はずっとそうしてきたような気がする。
ふと気配に気付く。
廊下に何人か、若衆が立ち聞きしてたらしい。
金清楼は案外、廊下を磨く者もいれば、厨房あたりから声も聞こえる。生気に溢れた場所だと感じた。
青鵐は「帰るべき場所」と言ったがいや、これでは藤嶋のあの覇気が負けそうだな。漸く穏やかに無の方向へ向かうのかもしれない。
これが生死の違いなのだとしたら。
聞き耳を立てていた若衆達は、きちんと黒の喪服を着ている…実はウチの葬儀は白なんだよねぇと過ぎったが、まぁそもそも今回は形式が異風だ。「まぁ、畏まらず好きな服装で」と提案した。
「え、」
「いやあ…」
「なーんとなく…」
壺を眺める。
「この人、多分普段通りがいいんじゃないかなと思っただけだから。どのみち、道も外れてるし形式張ったことも出来ない。この人元は神道なんだ、形式張ったことを言うとね」
長めに一言は言ったものの「どーゆこと?」「確かに非道いうか忘八やったけどなんかそういうんやないかなって」「退楼くらいのやつ!?」「というかぁ、噂のぼーさん!?」「そりゃ寺かえ!?ん!?神社!?」と、1投げたら3で返ってくる始末。
若干戸惑った反応の朱鷺貴にまた「あら、ヤダ慣れとらんの?」「ダメやて白鷺!翡翠兄さんの旦那やで!」「えあの謎の妓夫かなんかの!?」と若い歓声。
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