手の届く存在

スカーレット

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本編

Girls side57話~柏木愛美その3~

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「かーっ!……うんめぇ……やっぱ仕事終わりはこれだよな!」
「…………」
「何だよ、言いたいことははっきり言え」
「え、い、いえ……」

やっぱり仕事終わりはビール。
これに限ると思う。
四時半に仕事が終わって、五時には帰宅してこうしてビールが飲める。

うん、最高だ。
本日三本目のビールを飲んで、あたしは唐揚げをかじっていた。
そんなに呑んで大丈夫なのかって?

いいんだよ、睦月のあの地獄のメニューは今でも継続してんだから。
初めてあのメニューやらされた時は、本気で睦月はあたしを殺しにきてると思ったもんだったが……。
あれから二週間、あたしは毎晩欠かさず七十キロ走っている。

もちろん睦月がついてきてくれて、監視されながらではあるけど。
たまに大輝とか和歌がついてきたりして、賑やかにはなるけど最近じゃ割と楽しんでやってる。
それに……あの地獄のメニューは睦月の予言通り、一週間ほどで本当に効果が出始めていた。

何と、あの自己主張の凄まじかった腹の肉はどんどん引っ込んで行って、桜子が物凄く残念な顔をしていた。

「あーあ……あの触り心地、最高だったのに……」

一応言っておこう。
あたしの腹にそんな心地はない。

「桜子も良かったら一緒に走るか?気持ちいいぞ」
「え、私は……これ以上痩せちゃったら逆に悲惨っていうか……」

何て嫌味なガキなんだ、とあの時は思ったものだったが、今考えれば確かにあいつがあれ以上痩せたら確かに悲惨だ。
まるであたしたちが、ご飯抜きみたいな嫌がらせでもしてるみたいな見た目になりそうだ。
とは言え多少の筋肉をつけるのは悪いことじゃないから、あたしたちほど走らないまでも、少し運動するくらいはいいんじゃないかと思うが。

「でも愛美さん……痩せたのはいいけど、何か足が……特に太ももが競輪選手みたいになってきてる様な……」
「あんだと?」
「あ、いえ……錯覚かもしれないので……」
「そうかそうか。大輝、今日は特別に膝枕してやろう。好きだろ?膝枕。この極上の寝心地を確かめてみろ」
「…………」

あたしがお姉さん座りをして太ももをぽんぽんと叩くと、少しあたしの太ももを見つめて大輝が何やら考えている様だ。
何を考えているかはわからないが、何となく不愉快だ。

「何か言いたいことでも?」
「い、いえただ今……」

失礼します、とか言いながら大輝があたしの太ももに頭を乗せる。
一瞬、ゴッ、って音がした気がしないでもないが、気のせいだろう。

「どうだ?気持ちいいだろ」
「…………」
「おい、何とか言え!この絶世の美女が膝枕してやってんのに!!」
「え、えっと……」
「どうした、素直に気持ちいいです、って言ったらいいんだぞ?」
「か、硬い」
「…………」
「その……弾力が欠片も感じられないんですが……」
「ああ……丁度いい位置に頭があるなぁ……最近あたし、肘打ちの練習したいと思っててな……」
「ちょ、ま、待った……」
「天誅!!」

硬いと言い張ったあたしの太ももと肘に挟まれて、大輝は悶絶した。
悪はこれで滅びたのだ。

「うーん、ちょっとやりすぎたかもしれないね。女性の筋肉は、やっぱり柔らかいものにしないと」
「あ?でも、痩せたんだし、走るのもそこそこ楽しくなってきてるし……」
「なら、走る量減らして筋肉柔らかくする運動しようか」
「そんなのあんのか?」
「うん、まぁ運動ってよりはストレッチだけど」
「一人エッチ?」
「…………」

何だよその顔。
お前だって下ネタ好きなの、知ってんだからな。
まぁそれはともかくとして、大輝が硬いと言っていた筋肉が少しでも柔らかさを取り戻すんであれば、それは願ったりかなったりというやつだ。

夜になって、とりあえず最初にウォーミングアップがてら十キロほど走る。
あたしは七十キロ走っても三時間程度で帰ってこれるくらいになっていたし、十キロだったら一時間もかからなかった。

「愛美さん、そんなに早く走ったら筋肉更に固まっちゃうから。あくまでウォーミングアップだってことを忘れちゃダメ」
「そ、そうか……明日からもう少し気を付けるわ」
「んじゃ、始めようか」

マンションに戻って、リビングのテーブルを少し避けてあたしと睦月はストレッチを始める。

「まずね、痛いってとこまではやっちゃダメ。そこまでやっちゃうと、逆に固まっちゃうから。基本的には気持ちいい、くらい。少し頑張って、痛気持ちいいくらいに留めるのが柔らかくするコツだから」
「ほほう」
「あと、筋肉は面で付着してるのね。だから、面で伸ばしていくことを心掛けるのが必要になる。具体的には、真っすぐ伸ばすんじゃなくて、角度を変えて伸ばす」
「こ、こんな感じか?」
「んーと……」

睦月があたしに手本を見せようとして、体中あちこちを捻り始める。

「お、おい……」
「んしょ……っと……んで……こうやって……」

ゴキゴキ、という人体から聞こえていい音じゃない様な音が少しずつ聞こえてきて、その音がバキボキという音に変わる。

「ちょ、ちょっと……?」
「大丈夫、もう少し、こう……」

バキン、ボキン、と音が段々鈍いものに変わって行って、睦月の体のあらゆる関節があり得ない方向に……具体的には谷折りになっていく。

「んで、首も……」
「ま、待てお前……」

ぐりん、と首が二回転くらいして、だらんとなった。

「ぎ……」
「ぎ?」
「ぎゃああああああああああ!!!」
「!?」

思わず悲鳴を上げてしまって、その悲鳴を聞いた大輝と桜子、明日香が飛び起きてきた。
つーか首の骨折れてんのに、何で普通に喋ってんだよこいつ……。

「どうしたんですか……うわっ!?睦月!?」
「た、助けて大輝……」
「何してんだ全く!!愛美さん、一体これは……」
「あ、あたしじゃないぞ、あたしがやったんじゃないからな!?」
「わかってますよ……はぁ……」

色んな関節が谷折りになって変わり果てた姿の睦月を、女神化した大輝が一瞬で治す。

「はー、痛かった……」
「いや、普通の人間だったらもうお前死んでるからな?で、これは一体何の騒ぎですか」
「いや、ストレッチを……」
「睦月が手本見せるとか言って、どんどん関節谷折りにして行って……」
「…………」
「いや、あれじゃもうホラーでしょ……」

本当だよ全く……夜中に何てもん見せるんだよ……夢に出そうだ……。

「お前は少し加減ってものを知れ……。愛美さんがあんなの再現できたとして、絶対死ぬわ」
「だって、捻らないと柔らかい筋肉にならないし……」
「はぁ、わかりました。なら一緒にやりましょうか……」

こうして何故か明日香と桜子も加わって、深夜のストレッチ大会が始まった。

「さっき睦月が、筋肉は面で付着してるから、真っすぐ伸ばすんだと意味がないって言ってたな」
「そうみたいですね。なので、『適度に』角度を変えて伸ばすことが大事です。あくまで、『適度に』ですよ」
「そんなに適度に、って強調しなくてもいいじゃん……」
「お前は前科持ちなんだって自覚してくれるか、頼むから……」

こんな感じかしら、と明日香がやってみせ、大輝が少し手を貸して捻る。
痛くないギリギリを見極めるのが大事、ということで徐々に力を加えて言って、痛いと言われたらその手前まで戻して止める。

「ここくらいか?自力でここまで捻れるなら、それを継続して……大体三十秒、それを継続します」
「こ、こうか……案外きついな……」
「愛美さん、少し力入りすぎてませんか?もう少しリラックスしないと」
「加減が難しいな」
「でしょ?私のさっきのだって、仕方ないと思わない?」
「お前のは加減知らな過ぎだ……」
「あんまり力入っちゃうと筋傷めたりすることもあるんで、あくまでリラックスしながら、気持ちいい範囲でやってください」

ただの準備運動くらいの認識だったストレッチが、こんなに奥深いものだったなんて……。
けど力を抜いて、と思って意識しているつもりでも、姿勢が普段と違うからなのかやはり段々きつくなってくる。

「で、明日香とか桜子はまぁ、細いからいいとして……愛美さんはちょっとガチガチに筋肉つけちゃってることもあるので、筋肉が伸びた、と思えるところまでやってください」
「色々言いたいことはあるけど、今は黙って従っとくわ……」
「…………」
「あ、あと深呼吸は大事なので、やってる最中は基本深呼吸で」

この深呼吸がなかなかつらい。
走っているときと違って、呼吸がなかなか整わない。

「愛美さん、さっき走りに行ってましたよね?だと少し筋肉が固まってるはずなんで、少し緩めることも意識しましょう」
「難しいこと言うな、お前……」
「えと……失礼しますね。こう……こんな感じで……」
「ぐ、な、なるほど……」
「どうでもいいけど、愛美さんが走りに行く、とか言うと峠でも攻めに行ってるみたいに聞こえるね」

桜子がいつもの調子で余計なことを言う。
大輝が一瞬変な顔になったが、吹き出さずに済んだみたいだった。
……命拾いしたな、お前。

「き、基本的にはこんな感じのを、少なくても一日一回以上はやってください。睦月みたいなのはさすがにやりすぎですけど、慣れてくればきついって感じる部分もなくなると思うので」

まだ笑いこらえてやがんのかこいつ……。
今度太ももが柔らかくなったら、膝枕で窒息させてやるかな。


「最近、柏木さんすごく引き締まってきてますね!元々スタイル良かったのに」

会社の後輩の女の子から褒められた。
頑張った甲斐、あったなぁ。

実はあれから一週間、ずっと走った後ストレッチ、というのを毎日二時間やっている。
体重に関しては太る前より少し減ったくらいだったから、酒は普通に飲んでるけど。

「そ、そう?ストレッチと軽いランニングくらいしかしてないんだけど」
「ええ?普段ちゃんと食べてるんですか?」
「そりゃねぇ……食べないともたないし」
「すっごーい!私もやろうかなぁ」

まぁ、こう言ってるやつは大体続かないんだと思うけど。
それに軽いランニングって言うけど十キロとか普通の女の子が走る距離じゃないしな。
何となく気分が良くなって、その子にはジュースを奢ってあげた。

まぁ、本当にやるのかわからないけどやるんだったら頑張れ、応援するから。


「あ、愛美さんだ!おーい!」

会社を出て少し歩いたところで、騒がしい声が聞こえた。
間違いなくこれは桜子だな。

「何だお前、珍しいな。一人か?」
「うん、受験の参考書買いにきてて」
「そうか、もうそんな時期なんだな……今日はどうするんだ?」
「睦月ちゃんのとこ行くよ?愛美さんも来るよね?」
「そうだな、まぁあたしはどっちでもいいんだけど」
「じゃ、行こ行こ!」
「お、おい……」

若い子のパワーであたしは桜子にどんどん引っ張られていった。
あたしより運動してないくせに、無駄にパワフルで羨ましい。
しかし、引っ張られている最中であたしは、あるものを発見する。

「あ、桜子ストップ!」
「ん?」
「ちょっと、ここ寄りたい」

あたしが指さしたのは、酒屋さん。
店先に貼ってある、期間限定の焼酎入荷の文字。
年に一度の恒例行事ってやつだ。

「ありゃ……見つけちゃったか……無理やり引っ張っていけば、見つからないかなって思ってたのになぁ」
「あたしの鼻は酒の匂いに敏感なんだ……残念だったな」

制服姿の桜子を連れて店に入るのはやや気が引けたが、別に飲ませるわけじゃないし、とあんまり似てないけど仲良し姉妹を装って店内に入る。
何度か来ている店ということもあり、ここの店員はあたしの顔を覚えている。

「お、柏木さん。いつものあるよ!」
「どうもこんばんは。それ買いにきたんですけど、今日は他にあります?」

他に、というのはこの店主おすすめの酒という意味だ。

「そちらは妹さんかい?可愛いなぁ、美人姉妹ってやつだ!」
「え?愛美さん、私美人だって!やった!」
「そ、そうだな……良かったじゃないか。帰ったら大輝に存分に自慢しろ」

こいつ、人生楽しそうでいいなぁ。

「そうそう、これ、入荷したんだよ」

そう言って店主が持ってきたのは、黒い瓶に赤いラベルの張ってある……ワインか?

「これは?」
「何か最近うちに持ち込みできた業者さんがいてね。珍しいワインだって。柏木さん、ワイン好きだったよね?」
「まぁ、飲むけど……いくらなの?」
「柏木さんじゃなかったら五千円は取るとこなんだけどね、三千円でどう?」

思ってたより安いな。
それに、何かこの瓶普通のガラスじゃない様な……。

「二本買うの?愛美さん」
「ん?ああ……ほら、頑張った自分へのご褒美ってやつ?」
「愛美さん、いつから丸の内のOLになったの?」
「いや、今時あの辺のOLでもそんなん言わないけどさ。じゃあおじさん、これとそれ、買ってくわ」
「おお、毎度!じゃあそっちの可愛いお嬢ちゃんには、これあげちゃおう」

そう言って店主が渡したのはコーラだった。
たかがペットボトルのコーラだが、桜子は小躍りして喜んでる。
安上がりでいいな。

今度機嫌損ねたらコーラ買ってこよう。


「あれ、桜子と愛美さん一緒なんだ?珍しい組み合わせ」
「ああ、帰りにばったりな。これ、冷やしといて」

睦月のマンションに入って、先ほど買った酒を手渡すとワインを見て、睦月が難しい顔をしていた。
どうしたんだろうか。

「これ、どうしたの?」
「いや、いつもの酒場で買ったんだけど。それが?」
「ふぅん……こんなものが……」
「ん?」
「いや何でもない。お風呂、湧いてるから。入るでしょ?」
「おお、ありがと」

睦月のあの顔と態度がやや気にはなったが、あたしは特に気にすることなく、風呂に直行した。
寒くなってきてるし、やはり仕事終わりは風呂だ。
楽しみだな、風呂上がりの酒。

あれ?あたしの話、ここで終わり?


※次回に続きますが主人公が変わります。
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