ウーカルの足音

龍槍 椀 

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幕間 その1 ウーカルの仲間達

第五話 ラミア―種 沼毒蛇(ヒュドラー族) レルネーの友誼

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 薄暗い洞穴の棲み処すみか。 数々の腐敗の毒に耐え抜いた、かつての王の玉座に座り、『お土産』の強毒の入ったポーション瓶から、黄金のカップに中身を移す。 コボコボと云う微かな響き。 漂う毒気と瘴気。 悪臭はしないが独特の香りが漂う。

 大きく息を吸い、そのカップに口を付ける。 コクコクと成る喉。 舌から喉に流れ落ちる、その毒を味わう。 濃密な味が口腔に広がり、その強力な効能を伝えてくる。 クラクラする程の陶酔感が私を包み込む。

 毒の為ではない。 この毒を私に渡してくれた『あの子』の心遣いに、暖かく感じ入ってしまう。 片膝を抱え、濡れた髪を掻き揚げる。 かつては冷え切っていた私の心に熾火おきびを置き、私に感情を与えてくれた朋の姿を思い浮かべる。



 全能の神は、こんな私にすら気を掛けて下さったのだと、強く思う。 



 傍らの黄金のテーブルの上にカップを置き、玉座から降り、人化を解き、本性に戻る。

 長大な身体をくねらせ、清拭し祭壇を設けたバルコニーに 向かう。 遠く天上の片隅にある、『御茶席』に視線が向かうけれども、今日はその日じゃない。 今日は、この加護を授けて下さった神と精霊様に、祈りを捧げる日だから。

 長い尾を巻き、蜷局とぐろ(座位)を取る。 天上の隙間から零れ落ちている光の階段に向かって両手を組んだ。 目を瞑り、真摯に聖句を口に、祈りをを捧げる。


 私に…… こんな私に、『朋』を使わせて下さった慈愛に感謝を。




 ―――― ☆ ――――




 ……あの子と出逢うまでは、寂しい人生だった。 でも、それが自然だと思っていた。


 産まれ落ちたのは何時だったのか、それすら曖昧になる程の悠久の時間の中で、他者との交わりはまるでなかった。 小さく弱いはずの幼い頃から、私の周囲には『死』しか無かったからだった。 その原因は、全て私自身。 それが、私。 私の身体から漏れ出す、毒が周囲を汚染し、生き物の命を喰らう。

 意図せずに、生き物の命を奪う私は、同胞…… つまりは、ラミア種のあらゆる種族・・・・・・から、『忌み嫌われる』。


 同族仲間など、求められる筈も無い事は、十分に思い知らされた。


 もう随分と前になるのだが、長きに渡り、私は居場所を探した。 広大な『黒の森ガイアの森』を彷徨いつつ、自分の居場所と同胞を捜し歩いた記憶があるの。 でも、何処も無かった。 誰も居なかった。 まるで、孤独に生きる事を運命づけられて、産まれ落ちたと云われて様な気がした。

 吐息にすら毒が有るので、面と向かって会話するなど、夢のまた夢。 魔物であったとしても、それは変わる事が無い。 いくつかの魔物は、自身の毒を身に纏い、私の吐息を避ける事が出来るので、動くモノを目にする事は出来たのだが、会話をするという点では、そんな相手は皆無だった。

 日が昇り、日が沈み…… 彷徨い歩く私は他種族に随分と迷惑をかけてしまったようだ。 私のあおもむく先々は、私から漏れ出す『毒気』と『瘴気』で、毒に染まり汚濁に沈む。 毒沼が発生し、他者を受け付けぬ地と成り果てる。 私が去った後でも、長らく浄化する事が出来ず、不毛の土地と成る。


 ――― 嫌だった。 それが、何よりも嫌だった。


 長き放浪の末、やっと見つけたのが、蛇搦渓谷奥地の毒沼沢地。 私の身体を維持できる量の毒がその沼には存在した。 周辺の山々に存在する毒草が、この地に集まる、そんな毒沼だった。 毒の強さで言えば、中の上程のもの。 風が凪ぐ、生き物の気配の薄い毒沼沢地。

 陰々滅滅とした白い捻子くれた樹々の合間の、黒紫色の霧の合間、岩塊が突き出している、そんな場所。 

 この世の中で、私が見出した唯一私が居ても良い、この毒沼。 この寒々しい場所では、『心の安らぎ』を、得る事は出来はしないが、他種族を傷つけず、森を穢さないように出来る場所なのだと、自身を納得させていた。

 私は、そこで、何をするでもなく、静かに密やかに暮らしていた。

 そんな単調な毎日の泡沫うたかたで、脳裏に映るのは、この場所を見出す前に、渡り歩いた数々の場所。 多くを見、様々な事を感じられた数々の『場所の記憶』。 私が逗留する事で、魔物、魔獣たちは其処を退去去りし、動けぬ草々、木々はゆっくりと確実に腐り果てていく。 僅かな…… ほんの僅かな時間だけ、豊かな世界を私に見せてくれる。 勿論、手に取る事は出来ない。 言葉を交わす事も出来ない。 

 唯々、見ているだけ。 そして、私から離れていくのを傍観しているのみ。 放浪により弱った私は、ある程度は、逗留地に留まれらねば、体力は回復しない。 そして、その場所が毒沼に沈む頃、私はまた歩き出せるようになる。 私が居ても良い場所を探し、また放浪を始めるのだった。

 念願ともいえる場所ではある、この毒沼に着いて、棲み処を定め、腰を落ち着けた後、私は何もする事ない無為な時間を、手に持つことも出来ない華花を夢想し、言葉を交わせるモノを夢見る事に充てた。 そして、来る日も来る日も、耐えがたい『孤独』に耐えていた。 




 ――― ☆ ―――― ☆ ―――




 ある日、棲み処の毒沼に大きな『命の輝き』の気配がした。 周囲に気を配りつつ、蛇搦渓谷を抜け、この毒沼に侵入してきた。 滅多に起こり得ない、特別な出来事だった。 纏う空気や、その者から流れる香りから、獣人族の娘と判る。

 ますます混乱したのよ。 だって、此処は命の有るモノならば、忌避する場所。 近寄る事すら逡巡するような場所なのよ? さらに、私という妖魔が棲みついている事は、少し調べれば、誰にだって判る筈なんですもの。 

 なのに、その獣人族の娘は、恐れることなく、この毒沼に侵入してきたの。 何かを探している感じはしたわ。

 捻子くれて真っ白な幹の変な木陰に身を隠して、ジッとその子を伺っていたの。 こちらを害する気持ちは有るのか。 それよりも、何をしているのか分からなかったから。 よく見てみると、手に一株の植物を持っていた。 採取して居る様子ね。 その時、私は目を疑った。 だって、その子が手に取って居るのって、かなり危険な植物だったんだもの。

食獣葛リフィシアナ』…… 消化袋を持つ危険植物。 周辺の『毒気』や『瘴気』を吸取り茎の中で”消化液”に変換して消化袋にため込むのよ。 そして、周囲よりも安全だと獲物に誤認させ、消化袋に誘導し、捕縛…… 時間を掛けて消化する。 そして、自身の養分と成してさらに成長を遂げる。 

 残念な事に、食用にはならない。 その消化液は、私すら溶かす事が出来る程の物だから。 私はそれを取り込む事は出来ないので、この植物の特性は、私にとっても『害悪』にしかならない。  

 この植物は、周辺の『毒気』『瘴気』を吸い込んで希薄にしてしまい、食用にすらならないから。 根は深く、そして繊維は弱い。 引き抜こうとしても、根が湿地に残ってしまうのだ。 わたしには、コレを上手く抜く事が出来ない。 採取を得意とするモノならば、根まで抜ける筈なのだが……

 厄介なのは、『毒気』と『瘴気』が無いと、私は体力の回復に困難をきたす。 特に棲み処の近くには、居て欲しくないモノだったのよ。 最近『食獣葛リフィシアナ』の、株分けが進み、この毒沼の中に広く分布してしまった。 つまりは、私の棲み処が脅かされているって事。 このまま進めば…… 此処に居られるのも長くは無いかもしれない。 困った事にね。



        ――――



 その獣人族の娘も、私の事を認識したらしい。 彼女は恐れることなく、私に声を掛けて来た。


「あの~~~ 此処での採取は何か問題でも有るんですか?」


 ……だから、私は、ゆらりと真っ白な幹から姿を現してみたの。 この場所で、この姿で前に出たら、私が何者なのかは、きっと判る筈。 恐れて逃げ出すか、それとも、毒気に当てられて倒れ、死んでしまうか…… でも、私は抗えない欲望に身を飲まれる。 ”言葉を交わしたい” 心から切望する、私の願い。 もし……

 もし、神様が私を哀れと思われるならば……

           毎夜の祈りに、答えて下さるのならば……

       たとえ瞬刻でも……



「お初ッ!! あたしはウーカル。 千年聖樹ボボール爺さんの所で居候している兎人族の忌み児。 同居しているエリーゼ姉さんの依頼で、食獣葛リフィシアナを採取に来たの。 此処は、貴方のナワバリ?」



 フシュ…… 私の口元から濃い紫色の吐息が漏れた。 当たり前でしょ? あちらから声を掛けてくれたのよ? それに、私と相対しても、倒れる素振りは無いのよッ! 金色に輝く目が細まり、その子を見詰めながら、久しぶりに出す声が震えないか、そればかりを心配して、言葉を紡いだんだ。



「うわぁ、私と対峙して、生きてるのね貴女? 凄いわね」

「んッ? えっと?」

「私が口を開いただけで、普通の生き物は藻掻き苦しむのに……」

「ん~~ まぁ、あたしは耐毒性は高いし、エリーゼ姉さんが特別に錬金した毒消しを飲んでるからね。ところで、貴女は?」

「御免んさいね。 ご挨拶できる『人』が今まで居なかったから。 ちょっと、戸惑っているのよ。 私はレルネー。 『ラミアー種 毒蛇ヒュドラー族』のレルネー。 兎人族だったかしら。 ウーカルさん」

「ええ、兎人族のウーカルですよ」



 様々な質問が数多の中を駆け巡る。 時間は少ないのかもしれない。 この兎人族の娘が、今すぐにでも倒れる可能性は捨てきれないのだもの。 鈍感なのかな? それとも、強い毒耐性を保持しているのかな? それにしても、ヒュドラーの毒を中和させるような耐性を持つ生き物なんて、私は知らない。 まして、それが 兎人族なんて、考えられない。 だから、小さく、言葉少なく、尋ねてしまった。 全く要領の得ない、そんな質問を口にしてしまったのよ。


「……何故?」

「それは、どういった意味で?」

「ゴメン。 私は、あまり他種族の者とは言葉を交わした事が無いんだ。 質問の意味は、どうしてその食獣葛リフィシアナが必要だったの? それは、私にとっては毒も同じ。 私が必要とするモノを奪う、トンデモナイ物だから、そんなモノを欲しがるのは何故かなと」

「あぁ、そうですね。 ……ほら、レルネーさんが不必要なモノでも、あたしらには必要なモノでね。 この子リフィシアナは、土地に撒き散らされる毒気を吸収して、周りから毒気を抜くんです。 まぁ浄化装置として、使うらしいですよ」

「……そ、そうか。 そうなんだ…… へぇ……」



 ……興味深い。 非常に興味深い。 そんな危険植物を、有用に使うなんて、思いもしなかった。 手を顎に当て、思考に沈む。 もし…… 棲み処の近くにある、アレを抜いてくれたら、この場所にはもう少し長く住んでいられるかもしれない。 更なる願いを、私は神様に願ってしまった。 もし…… もし…… と。



「ウーカル、お願いがある」

「何でしょうか?」

ねぐら近くのリフィシアナを抜いて欲しいんだ」

「えっと、レルネーさんご自身でする事が出来ない?」

「……全くもって恥ずかしい事なんだが、何分と、この地の毒気は薄くてな。 身体を維持するだけでも精一杯なんだよ」

「ほほぅ…… そうなんだ。 じゃぁ、何処にあるのか教えてくれる?」

「勿論だともッ!」



 私が先導して、出来るだけ『毒気』と『瘴気』薄い道を選び、沼地の中央部分近くの棲み処に連れて行ったの。 そこには、既に、ちいさな消化袋を持つリフィシアナの群生地と成り果て始めていたから。 個体としては小さいやつなんだが、群生してしまった。 その娘は、目を輝かせ、到着した途端、一心不乱に採取し始めたんだ。 嬉しくなった。 神の導きに素直に感謝申し上げた。 でも、やっぱり、既に私の体力は相当に、削れ込んでいたみたいね。 その子が心配そうに私を見て云ったのよ。



「レルネーさん、もしかして病気?」

「……病気というより、体力不足かな? ほら、私は毒蛇ヒュドラー族だろ。 毒が生きて行く為に必要なんだよ。 他の蛇人族とは違ってね。 長く生きていても、ちゃんとした居場所なんて無いんだ。 結局は何処からも受け入れられない種族だし……」



 私の言葉に眉を寄せる、その子。 突然、パッと顔を輝かせて、腰についている鞄の中に手を突っ込みながら云うのよ。



「レルネーさん。 あたし、毒薬持ってるよ。 おやつ代わりに飲んでみる?」

「えっ?」

「ほら、狩りをする時に使う矢毒とか、罠に使う毒とか。 結構強いやつ。 それに、ここに来るお駄賃に、エリーゼ姉さんの保管庫宝物入れから色んなお薬も貰って来たんだ。 その中に、毒薬も有るから」

「そ、そうなんだ…… 分けてくれるの?」

「うん。 せっかく知り合えたんだし、御近付のご挨拶に。 初めましての人には、手土産が必要だよって、ボボール爺さんも言ってたし」

「う、嬉しいかも」

「なら、はいコレ」




 もう、訳が判らない。 でも、彼女の言葉が心に染みた。 こんなにも長く、他種族の人と言葉を交わした事は無い。 その上、心配されるなんて、思いもしなかった。 『魔法鞄』から、凶毒薬のポーション瓶を四つ、差し出しされた。 夢かと思いつつ、受け取った。 受け取ってしまった。 視線で、彼女に尋ねる。 『飲んでもいいだろうか』ってね。 勿論って感じで頷かれた。 

 なにも考えず、中身を吸い上げて一口飲んだのよ。 さわやかな味だった。 その上、上級毒薬にも勝る、強毒。 頭の芯から痺れるような快感が全身を貫く。 体力が一気に回復したような錯覚の陥る。 自然と、頬に笑みが浮かんだ。 ウンウン、とっても凄いよ、コレ。 いや、ほんとに。 



「いいよ、コレ。 なんか、力が湧き上がってくるね。 いや、ホントにこんなに貰っちゃっても?」

「うん、いいよ。 ほら、こんなにリフィシアナを採取出来たんだもん。 お礼も兼ねてね」

「いや、本当に、本当に有難いね。 取り敢えずこれは飲み切るよ。 とってもいい。 私には最高のお礼だね。 でも、そんな草じゃ、対価に満たないよ。 ん~~ そうだ! ちょっと待ってって」

「アイアイ」



 ポーションの中身を吸い上げた。 十分に体力が回復出来ていた。 こんな素敵な贈り物の対価としては、甚だ心もとないわ。

 けれど、以前、敵対した魔術師やそれに類する奴らが、必死になって採取しようとしていたモノが有った事を思い出したのよ。 それは、私の…… ヒュドラーの鮮血。 空気に触れる前ならば、そこまでの毒性は無いから……

 指先を鋭い牙で噛んで、流れ出る鮮血を、空き瓶の中に入れたの。 ある程度入れたら、瓶の蓋をキッチリ締めてその子に差したのよね。 受け取ってくれるかしら?



「ヒュドラーの血。 コレでどうかな? 錬金する人魔導士なら、希少性も判る筈だし、私が自ら出したから余分な混ざりモノも無いし…… いいかな?」

「エリーゼ姉さんとか、ウーさんとか喜びそう。 有難う!」

「い、いや、まぁ…… ほ、ほら、お近づきになった、お礼も兼ねて……」

「アイアイ!!」



『贈り物』の交換。 こんな事が出来るなんて。 私が生きた『悠久の時の中』で、初めての事。 余りにも、あっけなく…… 切望した事が現実になった。 言葉を交わし、曲がりなりにも、贈り物を交わす。 まるで…… まるで…… 



「また来るよ」

「そうしてくれたら、私も嬉しい」

「アイアイ。 じゃ!」

「来る者に祝福アレ! 行く者に幸アレ!!」




 元気に手を振り、毒沼から帰る彼女。 彼女がこの地に来てくれた事を神に感謝し、そして、何より嬉しい言葉を呉れた彼女の道行きに祝福を願った。 ”また来るよ ” その言葉が、どれ程嬉しかったか、機会が有れば、彼女に…… ウーカルに教えなければと。

 もしかしたら、二度とこの場所には来ないかもしれないと、そんな不安を心に芽生えさせたのは、この瞬間があまりにも幸せだったから。





 だから……






 二度目に彼女に会えたのは、





       本当に、本当に……









         嬉しかった。








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