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断章 22
閑話 森の老呪術医
しおりを挟む「婆ぁ…… アレは、大丈夫なんだろうな」
「穴熊の戦士が、弱気な事を云うねぇ…… 身体は元に戻ったよ。 元気に彼方此方を廻っているんだろ? 精霊様の絶大な御加護が有るんだからね」
「なら、何で、眼に光が戻らねぇんだ? 記憶だって……」
「そりゃ、あれだけの大怪我だったんだ。魂も削れるさね」
「どういう意味だ?」
「どうも、こうも無いよ。 矢が『心の蔵』ギリギリを撃ち抜くわ、左足の太ももは殆ど斬り飛ばされちまってたし…… その上、大量の血を失っていたんだ。お前さんが、此処に担ぎ込んで来た時にゃ、もう半分死んでたんだよ。 『精霊様の御加護』と『まだ死ねない』って意思だけで、命脈を保ってたんだ。 あたしゃ、半分は諦めてたんだよ」
「でもよぉ……」
「あたしゃ、祈ったさ。 このあたしが、祈ったんだよ。 精霊様にな。 この ” 人族 ” の坊やを、どうにか助けてやってくれまいかってな。 ” 託宣 ” が、降りて来たんだ、そん時にな。 だから、希望を募って、 ” 施術 ” したのさ。 あたしじゃ無理だからね」
濃密な薬草の香が漂う、暗く湿った大きな木の洞の中。 対面して座るのは、穴熊族の戦士と、兎人族の老呪術医。 定期的に穴熊族のその漢が訪れる、その場所。
居留地の森 老薬師の洞
幾多の呪術医の師であり、精霊魔法で膨大な数の獣人達を救って来た、老呪術医は零れる溜息を隠しもせず続ける。
「まだ、記憶は戻っていないが、やるべき事は覚えていたようだね。 知ってるかい? あの坊やが、意識を取り戻して、一番最初に成した事」
「いや、知らん」
「坊や自身が、己の魂を削る精霊魔法を駆使して、その場にいた乙女たちの心を癒したんだよ。 坊やは目覚めてすぐ、あの乙女たちが自分に何をしたかを理解してね…… 【聖女同衾の奇跡】さね。 古の禁呪さ。 本来なら、『聖女』様が執り行う、この世界の理の外側にある術式なんだよ。 ずっと…… ずっと昔に、この世界に呼ばれて来た ”渡り人” の、残して行ったモノなんだがね。 でも、此処には聖女様はおらん。 だから、乙女をその代わりにした。 人数だって必要だった……」
「俺には判らん…… 魔法は苦手だ」
「戦人のお前さんに理解なんて求めんよ。 でもまぁ、この秘匿された術を坊やに施した事は黙っていておくれでないかい? いくら、精霊様の『 託宣 』 とは言え、本来なら使っちゃならない秘術さね。 でもね、さっきも言ったけど、此処には『聖女』は居らんのよ…… 代用に半獣の女の子の力を借りた。 ……子を成せぬ様になるって、そう告げたんだ。 それでも良いと言ってね。 ” 私の身が『あの方』のお役に立つのなら、何てことありませんから ” ってね。 半獣である、あの子等の絶望感は半端ないんだよ…… それを、知っているからね、あの坊やは。 意識を取り戻して、自分が置かれている状況を理解した途端…… あの坊や…… 精霊様に請願を立て、” あの子達 ” の、心の癒しを乞うたんだ。 盛大に森に居られる精霊様の『 息吹 』を、呼びこんでね。 アレで…… あの坊やも賢者として、『覚醒』したんだよ……」
その時の事を思い出したのだろうか、兎人族の老呪術医は、その瞼を閉じそっと祈る。 複雑な手印を組み、精霊様への感謝を捧げ、その慈悲を称える為に。 …………訝し気に穴熊族の戦士が問う。 今、彼が主に護衛を買って出ている、” 人族の男児 ” へ、限りない忠誠を誓う、この森の忌むべき者達の事を思い出しながら。
「婆ぁ…… その乙女って…… 半獣の女達なんだろ? 人族の女が産んだ、半端モノなんだろ?」
「あぁ、そうさね。 居留地の森に捨てられた、” 獣人の子を孕んだ人族” の女達から生まれた………… マグノリアの奴ら、この森を何だと思っているんだ…… 使い物に成らなくなった、” 獣人族の子を孕んだ人族 ” の女達達を、まるで、死ねって云うように、この森に捨てていきやがったんだよ。 そんな人族の女達の子達なんだ…… 種族の誇りもなにも、自尊心すら、あったもんじゃない、” 混ざり者 ” の『忌み子』達さね」
「人族の奴ら、この森の獣人族が受け入れるとでも思ったか?」
「わからん。 人族の考える事なんてね。 あぁ、そう云えば女達が言ってたか…… ” 汚らわしい、獣人族の子種を孕んだ様なモノを、誰も ” 買って ” は、呉れない。 まして、故国に帰る事も出来ない。 穢され切った私にはもう帰る場所なんて無いもの…… でも、もう一度…… もう一度、ファンダリアの故郷が見たかった…… ” とかなんとか……」
「で、その人族の女たちは?」
「…………死んだよ。 それでなくても、ギリギリまで衰弱していたし、獣人の児を宿していたんだ。 母体が耐えられる訳は無いよ。 中には、母親の胎を食い破って生まれて来たモノだっているんだ…… なぁ…… なんで、人族は同族に対して、そんな非道な事が出来るんだ?」
「さぁな。 同族を殺しても平気な奴らだからな。 凶暴無残な猿人族の末裔……だからか?」
「わからん。 しかし、人族には、” あの坊や ” の様なモノも居る」
「どの種族にも分け隔てなく、奇跡の技を惜しげも無く分け与える……か。 アイツが勝ち得た、” 賢者 ” の尊称は、だでじゃねぇって事だな」
「その中に半獣の者達でさえ入るんだからね。 …………『忌み子』たちが押し込めらている、『穢れの沼地』にも足を運んでいるらしいじゃ無いか。 あの女の子達とも面識があったようだね」
「…………あぁ、そうだな。 少し前に、沼地の浄化すらやってのけた。 蔓延する、半獣たちの間の病気も、治療している。 色んな獣人族の者達が、良い顔はしてはいないが、それでも、アイツは淡々と 『穢れの沼地』に足を運んでいたっけか。 なにが、あいつをそこまでさせるんだ? 俺には判らん」
「そうさね…… きっと、心の奥底。 魂に刻み込まれた ” 想い ” が有るんだろ。 さもなきゃ、あの重傷を負っても尚、戦場のど真ん中に帰ろうなんて、思うはずもないよ。 例え、記憶が混乱して、ついこないだの事を忘れちまっていたとしてもね」
「……徐々に思い出してはいるよ、婆ぁ…… 俺の事もやっと、思い出したようだし…… 自分がどんな酷い怪我を負ったのかも理解した。 体中に付いた傷も、一つ一つ確かめてたな」
「……無理はさせないでおくれよ。 坊やが必ず助けてくれるってんで、居留地の森の漢達は絶望せずにいれるんだからね」
「判っている。 そこは、ヒシヒシと感じている。 各砦で、あいつは丁重に持て成されているし、あいつも、精一杯の手段で傷付いたモノ達を癒している…… 俺たち獣人の信頼を勝ち得ていると云ってもいい」
「重畳。 精霊様の御意思と、加護が顕現した姿としか思えん。 これからも…… 坊やが生国に帰る日まで、ついてやっておくれでないかい?」
「あぁ…… 『賢者ユーリ』の事は、任せてくれ。 全部記憶が戻ればいいが……」
対面する二人。 暗くムッとする薬草の香が充満する洞…… どちらからともなく、大きな溜息が漏れる。 両者の間に有る、製薬の為に置いてある炉の小さな火が、彼等の顔に深い陰影を与える。
―――― 森の賢者。
そう尊称を以て、呼ばれる ” 少年の顔 ” が、彼等の脳裏に浮かび上がる。 ひたすら、真っ直ぐに…… 戦いで傷を負った者達を治療師、病に倒れた者を癒し、静かに笑みを浮かべ、精霊様に祈りを捧げるそんな漢の顔を。
――― 神官戦士 ユーリ=カネスタント=デギンズは……
記憶に混乱を抱えながらも、森に棲む全ての獣人族の者達の ” 安寧 ” を護る
―――― 賢者ユーリ ――――
として、森の民達に、たしかに、” 愛されて ” いた。
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