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断章 20
閑話 王者と老人
しおりを挟む執務机に広げられた数々の報告書。
壁に掲げられている、幾多の地図、図表。
優雅さからほど遠い程の、機能を重視した執務室の情景。
細長い窓から、わずかに差し込む日の光だけが、現実感を齎すモノ。 豪華な絨毯で敷き詰められていた床も、今ではそのすべてが撤去され、あちこちに傷みを見せる、木質の床材がむぎ出しになっている。
執務机に設えられた堅牢な椅子に腰を掛けるのは、この国ファンダリア王国の王太子。 ウーノル=ランドルフ=ファンダリアーナ その人だった。
各種の報告を受け、情報を分析し、全てを掌握する。 彼に課されたのは、王太子という立場では考えられない程の重責であり、国務であった。 彼の実父である、ガンクータス=アイン=ファンダリアーナ、ファンダリア王国 国王陛下が、背負わねばならない重責であった。
” 国王は現在、『北伐』の準備に入っている。 ”
と云う表向きの理由で、王国国務寮の高官達は、国王陛下にとっては『雑務』と云える、重要な判断決済の全てを、王太子に押し付けていた。
” いずれ、王国を担うのであろう。 よく勉強し、文武諸卿からの信頼を勝ち取れ ”
国王ガンクータスが、『謁見の間』に於いて、青年貴族の仲間入りをしたウーノルに対し、そう言葉を掛けたのは、あの大舞踏会のすぐ直後。 神官長パウレーロ猊下の言葉を受けた、国王陛下が、処々雑多な国事をウーノル王太子に放り投げ、『北伐』の為に全精力を注ぎ込んだ結果だった。
デギンズ枢機卿の支配下に置かれる、聖堂騎士団。 その彼等に対しての補給等すべての手筈を整えるのには、それ程の”政治力” ”国王としての権威” を必要としていた。 最高位の大公達になんの根回しもしなかった弊害がここに来て噴出していた。
唯一の”仲間”と云えるのは、ヘリオス=フィスト=ミストラーベ大公閣下 財務大臣当人のみ。 しかし、その彼をしても、身内から蔑みの目で見られている始末。 特に彼の継嗣や側腹の息子たちに、協力を拒否されている現在。 彼の”権能”も相当に逼迫しているのが実情。
後宮予算を「北伐」に振り向ける程に、彼の権能は制限されていた。 つまりは、他の大公家、及び、ファンダリア王国の中枢たる者達から切り捨てられたとも云えた。 「北伐」の宣下と、その実行にかかりきりに成っている、王城コンクエストムの主だった者達が忙しく働いていた。
その陰に隠れるようにして、様々な 『 雑事 』 を、隠れ蓑にしたウーノル王太子の 『 決断 』 は、最終段階に入っていた。 執務机の上にある最後の決裁書類にサインを施したウーノル王太子は、大きく息を吸い込み、そして剣呑な視線を、執務室の傍らに注いだ。
静かな王太子執務室の重厚なカーテンの影から、内務大臣の法衣を纏った偉丈夫が、滲み出るように現れたからだった。 一瞥を向けたウーノル王太子は、もう一度、執務机の上に目をやる。
最終決断を記した、彼の署名捺印が捺された、一通の命令書が彼の群青色の瞳に映っていた。
^^^^^
ニトルベイン老大公の口から、重々しい言葉が紡がれる。
「殿下。 準備は……終わりましたか?」
「ニトルベイン大公。 あぁ、終わった。 あとは国王陛下が旅立たれるのを待つのみ。 いや、戦端を開かれる時か…… 準備は整った。 こと、ファンダリア国内においてはな。 私の傍に居る筈の者達もまた、尽力している。 国王陛下は…… まぁ、アレだ。 しっかりと、踊ってもらえれば、それで文句は無い。 母上…… いや、王妃殿下はどうなのだろう。 良くわからない」
「後宮にて逼迫されておられますな。 良い薬に成るでしょう」
「あれほど愛して止まなかった、末娘であろう?」
不思議そうな視線をウーノル王太子はニトルベイン大公に向ける。
「ファンダリアの国と天秤に掛けるまでもありますまい。 この老人の我儘が、この国を破滅に追いやっていたのだと、まざまざと見せつけられる昨今。 先王妃様になんとお詫び申し上げてよいやら…… 力の使い方が間違っていたとそう、認識される毎日に御座いますな」
「……そうか。 王国…… いや、王族の闇の歴史だな。 ……時に卿。 卿の存念を聞かせてもらいたい、隠された二人の姉上の事を。 我が国ファンダリア王国の、秘匿されし二人の ” 王女殿下 ” についてな」
執務室の中に対峙するのは、ウーノル王太子と、ニトルベイン大公。 年若き王太子と、祖父とも云える年齢の老大公。 ピンと引き絞られた空気の中、ウーノル王太子は敢えて ” その話題 ” を持ち出したともいえた。
この国の国難の元凶たる、ニトルベイン大公。 そう見なすと、ウーノル王太子の問いかけは、老大公の心を抉る。 沈黙を以て答えるしかないニトルベイン大公に対し、ウーノル王太子は続けて言葉を連ねる。
「わたしの傍に居る者達が、それぞれの想いを胸に、成すべき道をたどり始めている。 ミレニアム、アンソニー、ユーリの三人は東に向かった。 それぞれに困難な道を歩んでいる。 ユーリに至っては現在その所在すらつかめていない。 獣人族のモノ達から ” 賢者 ” の尊称で呼ばわれているとしか、伝わっていない。 アンソニーは、マクシミリアン従兄の容を借り、獅子奮迅の戦を戦っている。 第44師団の将兵と獣人族のモノ達を率いていると。 ミレニアムは、数匹の毒蛇を噛み殺したとの報告すら上がっている。 あぁ、これは、エドワルドからも報告が上がっている。 内務の奥底で、今やノリステン公爵おも一目置くように動き回っていると、そう内務の者達が申していた。 ……僅か、十五の年でな」
「殿下、誠に不甲斐なき大人であった事、恥じ入るばかりに御座います。 老公や王宮の狸やら…… 尊称、蔑称を散々に受けてまいりましたが…… 私もまだまだと云う事に御座いましょうな。 人柄を、見出したる殿下は、その御慧眼を何処で身に付けられたか…… 甚だ疑問に思います」
真っ直ぐにウーノル王太子はニトルベイン大公を見詰める。 群青色の瞳に、昏い光が揺らめき、彼は秘事中の秘事を、口に載せた。
「…………わたしは、見た目の年齢では無い。 と、云う事だ」
「はっ?」
「同じ匂いを、ロマンスティカ姉上から、” 嗅ぎ ” は、しなかったか?」
「えっ?」
ニトルベイン大公は、突然のウーノル王太子の独白に戸惑いを感じ得なかった。 確かに、彼の孫娘は、幼少の頃より、妙に達観し、思慮深く、用心深く、まるで、年老いた魔女のような雰囲気すら持ち合わせていた。 特異な生まれとして、命を幾たびも狙われていた幼子だからと、そう思い込むも、その異常性は、常に頭の中より離れていなかった。
「何度も繰り返したのだ、この生涯を。 老公…… その重ねた年月を合算すると、すでに老公よりも年上になる。 その回数分の記憶もまた引き継がれているのだ。 隣国の裏切りも、獣人族の疲弊も、このファンダリアの滅亡に至る過程も…… 何度も、何度も…… な。 それゆえに、現在の状況が信じきれない。 今まさに、ファンダリアはおろか、世界の分岐点に立っていると、そう” 確信を以て ” 理解できているのだが、その ” 確信 ” も、時として揺らぐのだ」
「……揺らぐ? のですかな?」
「あぁ、揺らぐのだ。 光ある未来へと続く 『この刻』 に足りぬ ” 一片 ” が、存在するのだ。 幾たびも繰り返した世界の中で常に、” 贄 ” にされ続けていた…… もう一人の姉上が、居らぬ。 正当なる、第一王女。 ” エスカリーナ ” 姉上がな」
「エスカリーナ姫様にございますか…… たしかに…… 八歳の御年に「お披露目」の場より退出されて…… そして、南方ダクレールの地於いて光芒の果てに消え去った…… ファンダリアの正当なる第一王女様」
「姉上の所在は現在も判らない。 国務寮は、死亡したと断じている。 表向きは、ドワイアル卿とて、そういう風に受け取っている。 あの、ドワイアル卿がな。 ……一つ、情報がある。 ニトルベイン老卿。 もし…… もしだが……」
「はい」
「エスカリーナ姉上が生きているとすれば、如何する?」
「尊きお方ならば、直ぐにでも王城に……」
「そう願われなくてもか?」
「……亡きエリザベート王妃殿下の忘れ形見。 何としても、翻意して頂き、この王城コンクエストムに於いて、その生まれに相応しき対応を……」
「フローラル王妃殿下が居られる、後宮にか? 話にならんな。 わかった、仮定の話はやめにする。 そして、この問題も無かったことにする」
「殿下?」
「老卿。 もし、貴方が二人の姉上に対し、慙愧の念が在るのならば、その職責を全うし、以てファンダリアの安寧に寄与されよ。 それ以上の詫びは、彼女たちには不要であると、そう明言しよう。 老卿は、老卿の成すべきを成せ。 このファンダリアの礎を築く者として、老骨に鞭打ってもらう」
殊更に冷えた視線をニトルベイン大公は受けていた。 ウーノル王太子が只物で無い事は、その行動力や胆力を見知っているニトルベイン大公にとっては、良く理解できた。 ウーノル王太子の奇妙な独白に対しても、その奇妙さに戸惑いは覚えはしたものの、何故かしっくりと来るものを感じてしまった。
しかし、この視線の意味が、彼の心胆を凍らせる。 まるで且つて、” 獅子王陛下 ” の御身前に伺候した時を彷彿とさせる何かがあったからだ。
「老卿。 エドワルドに暗渠を歩ませてくれるな。 あのものにとって、望む道ではあろうが、わたしがそれでは困る。 老卿にとっての、ノリステン公がそうであるように、わたしにとって、エドワルドも掛け替えの無い者なのだ。 良いか」
「御意に…… 御言葉、しかと…… 殿下の治世、老骨には楽しみであり、少々恐れも含まれますな」
「刻を正し、正道を歩む。 歪みは取り除く。 青臭いとか、若輩が、とか聞き飽きた。 最初から腐っているならば、そんなもの、長くは続かない。 難所を乗り越えても、直ぐに別の難所が訪れる。 わたしはな、老卿。 心より千年の安寧を望むのだ。 そう、千年の安寧だ」
「おおきく出られましたな。 千年王国ですか……」
「あぁ。 それが、わたしが私に課した、懺悔で有り罰でもあるのだ。 そうでなくては、幾度も、幾度も、幾度も…… ” 贄 ” となった、姉上に合わせる顔が無い。 一心に国を想い、一心に民を想う姉上に報い捧げられる方策が、『千年の安寧』なのだからな」
「……矮小で小賢しいのは、自身の方で御座いましたな。 そのお気持ち、崇高にございます。 獅子王陛下と通ずる為人…… 感服いたしました」
「御爺様であるからな」
ウーノル王太子の顔から、剣呑な表情が抜け……
朗らかに笑みを浮かべる。
僅かに十五歳。
しかし、とても、その様に感じられないニトルベイン大公は、深々と首を下げ、一層の忠誠の誓いを立てた。
^^^^^
慌ただしい足音が執務室の外側で響き渡り、特例を以て許可されている伝令が、ウーノル王太子執務室の扉を開ける。
緊急事態に於いてのみ許される、伝令は護衛騎士。 そして、響きわたる大音声をもって、ウーノル王太子に騒擾を始めた。
” 内務寮、執政局より、御報告! 西部辺境、ク・ラーシキンに於いて、大規模な魔力爆発が観測。 その魔力の属性は、『 聖 』 聖堂教会に於いて、詳細の確認が行われておりますッ! さらに、もう一報が、大至急とのことです。
発令は、魔導院特務局 ロマンスティカ=エラード=ニトルベイン魔術士殿。
宛て、ウーノル王太子殿下。 以下本文。
リーナ失踪す ”
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