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公女リリアンネ様 と 穢れた森 (2)
対峙 (1)
しおりを挟む引き摺られて行く速度はそんなに早くない。
歩くほどの速度。 でも、まぁ、引き摺られているので、ゴンゴンと、衝撃もあるのよ。 本当ならこの黒い鎖に巻き付かれている筈なのに、私の【重防御】がそれを阻んで、結界ごと運んでいるから、そうなるんだけどね。
だからか、鎖の先端が、ガツン、ガツンって、【重防御】を叩きつけるの。 攻撃して、防御を割って、私に巻き付き、魂を捕縛しようとしているのが判るわ。 きっと、中心部に連れて行かれたら、もっと多くの鎖から絶え間ない攻撃を受けて、最後には【重防御】が破られる……
その前に、何とかしなきゃね。
心を落ち着かせるの。 まだ、時間はある。 おばば様からの薫陶で、術者は何時、如何なる場合でも、冷静でいなくては成らないって習った。 辺境で薬師をしていると、そんな状況に幾度も出会った。 自分が攻撃されるだけなく、指の間から、治療対象の方々の命が零れ落ちる事も沢山あった。 だれもかれも救い出す事は出来ない。
私は『出来る事』を『出来るだけ』しか、出来ない。
――― 私は、決して、神様なんかじゃない!! ―――
どんなに求められても、こんなに祈られても……
出来ない事だって、沢山ある。
だけど、出来る事が、 怖れ、焦り、不安…… そんな物の為に…… 止まる思考の為に、救えるものを救えなくなる。 私の感情の揺れで、出来なくなってしまうのは、それは、罪。 手から滑り落ちる『命』に対しての冒涜。
おばば様が、薬師をしての一歩目を出した時に仰った言葉。
――― リーナ。 やれるかい? 人の死を見る事になるかもしれないよ? お前の手から零れ落ちて行く命の重さに、耐えられそうかい? キツイよ、本当にキツイ。 それでも、行くのかい ―――
仰った通り、とてもキツかった。 だけど、私は決めたもの。 この私の手で、助けらるだけの命を助けるんだって! ―――幼き日に、決意し、覚悟した事に嘘偽りはない。
だから……
その為には、感情を揺らす事で、出来る事を出来なくする事は、とても許容できない。 そう、わたしが、私で有る為に。 精霊様とのお約束を履行する為、『薬師錬金術士』の私は…… 心を静めるの。 フッと息を付く。 十分な内包魔力は無い。 でも、多少は回復したもの。 髪が黒くなっているもの。 余計な事は考えず、出来る事をする。
とにかく、この鎖は、魔法で編まれている。
つまりは、分解できるかもしれない。 問題は分解方法。 まずは通常のやり方。 【清浄】、【浄化】、【反魔法】、【昇華】…… 強度高、投入魔力『 大 』で、ガンガン攻撃してきている、鎖の先端に投射する。
パリン、パリン
澄んだ音がして、壊されるの。
ダメだ……
既存の既知の魔法じゃ……通らない。 そりゃそうよね。 あの大戦から今まで、ずっと研究されてはいたけど、とっかかりすら判らないんだものね。 ここは、差し渡し二〇リーグの荒野。 北の荒野はこんなモノじゃない。 まだ、壊れた【大召喚魔方】の一部が稼働しているし、汚染の元は沸き続いているんだもの。
北の大国、ゲルン=マンティカ連合王国も、研究はしているらしいけれど…… 元はと云えば、彼の国の魔導士があの【大召喚魔法】を編んだんだからね。 でも、その魔法は今はもうない。 使える術者も居ない。 すべてを封印し、破棄したと、伝え聞いた。 お母様が、その痕跡を追い、復活させミルラス防壁に組み込んだのが、魂の捕縛術式…… そして、その術式は、本体のミルラス防壁の魔方陣に深く根を張る。
それを除去しようと、今も頑張っている筈のティカ様…… 異界の魔法法理を読み解くために、おばば様の元で、解析に励んでしゃっしゃるのよ……
…………とても、間に合わないわね。 あと、五リーグ程を歩く速度で引き摺られ切るまでに、その法理を読み解き、分解術式を構築するなんて…… ね。
じゃぁ、もう、諦めるの? ―――いいえ、諦めはしない。
法理と実践はまた違った面を見せる。 現象が有って、それが何故成せたのか…… 法理が後から理解される場合もあるもの。 手数…… 想像力…… 閃き…… そういったモノが、現象を引き寄せることも有るんだもの。
それは、実証済み。 辺境の果ての様な場所で、治療に当たる場合…… 多くの場合時間は無い。 片っ端から、考えられることをして行く。 解毒に毒を用いた事も、大きな呪いを受けた切創を切り飛ばし、高位傷薬で欠損部を『再生』した事も…… あったわね。
従来の治癒方法とは懸け離れた、そんな治療法…… おばば様と、その原理を探った事もあったっけ……
なら、従来の方法を捨てて、なにか出来る事があるか、考えるの。
この黒い鎖の術式は読めない。 何からの術式であることは判るのだけれど、その詳細はとにかく判らない。 でも、お母様は編めた。 あの『異界の魔物』と思いもかけず、極小さく「召喚魔方陣」を展開した時に、自動的にアイツとお母様は「契約」をした。
その後…… お母様は、魂の【捕縛術式】を編めるようになった。
思い出せ…… ティカ様に連れていかれた、あのミルラス防壁の制御魔方陣のある地下の小部屋での事。 とても、重要なことがあった筈……
えっと…… 魂の【捕縛術式】が魂を捕らえ…… そして、その魂から『生命力』を抽出…… 魔力に変換…… だったよね…… えっと…… なにか…… なにか、忘れそうになっている…… 何だったけ?
そうだ!! あの魔力…… ミルラス防壁の攻勢防御術式に流れるんだった! えっと…… えっと……
思い出した…… 魔力の変換術式…… 良く判っていなかったけれど、あれが…… あれが、鍵だったんだ…… お母様が編まれたあの魂の捕縛術式は、この世界の術式で編まれている…… でも、一部、読めない場所があったのよ。 あれは…… この世界の術式じゃない場所。 契約を果たしたお母様には読んだり書いたり出来たけれど、契約を結んでいない者には、意味不明の記述……
あの場所を起動させ、稼働させるためには…… 異界の魔力が必要なんだ……
だから、魔力の変換術式が組み込まれていたんだ…… となると…… この「穢れし森」の気持ちの悪い魔力って…… 異界の魔力なの? だとしたら…… この鎖の原動力たる魔力は…… 無尽蔵って事になるわ……。
いよいよもって、絶望的じゃない…… 鎖の魔力切れなんか起こりっこないって事。
このまま、わたしは、中心部に連れていかれて…… 魂を捕縛されてしまう…… のかぁ……
^^^^^^^
魂の捕縛って…… 何なんだろうね……
ガンガン【重防御魔法】を叩きつける鎖の先端を見ながら、ふとそう思ったの。 どこかで、そんな事を思った事が有ったっけ……
そうだ…… あの偽リリアンネ様を問診した時だ! あのお部屋は、『魔法無効殻』が掛かっていた…… そして、彼女は私に【奴隷紋】を打ち込もうと投げつけて来た…… でも、『魔法無効殻』が掛かった部屋だったから、魔法の部分は全部分解昇華されて…… 私に届いたのは符呪術式。
だったわよね…… でも、それも、私が纏っていた【解呪】の術式ですべて無効にされて…… あれ? そう云えば…… あの符呪式…… 何かを縛り、止め置く為の術式だったよね。 成長する肉体では無く……
そう…… 【 魂 】を……
『 魂を縛る 』…… のか…… つまりは…… 「魂の捕縛」なのよね……
これは…… そうなのかもしれない…… ちょっと大きな魔方陣を編まないといけないから、残り少ない、「魔力回復ポーション」をポシェットから取り出して、封を切り飲み込む。 あと、二本しかないけど…… もっと、用意しておくんだったなぁ……
内包魔力の多さに、あまり、不足するって事…… 考えて無かったからなぁ…… 今度から、気をつけよう……
タユン と魔力が体の中に満たされる。 満量の七割程には復帰したかな? 願うは、符呪式。 解呪魔法。 空間にその術式を浮かび上がらせるのは、何時もの簡易符呪台での作業とは違い、格段に多い魔力を要求される。 でも、仕方ない。
左手を振り、空中に符呪解呪式を描き出す。 空間固定をして、起動魔方陣を呼び出し、私の魔力を注ぎ、起動式を発動させる。
「我、エスカリーナ! 我が解呪式を発動せん! 発動、【符呪解呪】!」
起動魔方陣が赤黒い私の魔力を一杯に孕んで、描き出した、解呪式を発動させた。 【重防御】魔方陣を摺り抜け、黒い鎖に正対する……
バァ~~~ン!!
衝撃が、魔法陣に響く…… 攻撃が通ったんだ! いや…… でも、一部鎖が解け、バラバラになっただけで…… なんか、こっちの魔力を大きく消費する割に、あちらのダメージが少ない……
不利な状況に変わりは無いわ…… でも、一歩前進。 つまりは、アレは魔法の法理では無く、呪符の法理に近いモノで編み込まれているって事が…… 今の一撃で判ったの。
えっと…… えっと…… そうか! 使われている、『魔力』の質が違うんだ!! 私は、「異界の魔物」とは契約していない。 だから、この「穢れし森」に充満している、異界の魔力を使う事は出来ない。 もし…… もしよ、私が紡ぎ出した、【符呪解呪】に異界の魔力を重点出来れば…… もっと…… 有効に……
ティン!!
魔力変換術式! 起動魔方陣と、【符呪解呪】の間に挟み込めれば!! いけるかもしれない! 出来る事はやってみる。 足掻けるだけ、足掻くわ!
直ぐに限界まで、起動魔方陣の魔力を削ぐ。 赤黒い私の魔力が、魔法陣から抜ける。 一度、魔法陣から、起動魔方陣を分離。 憶えている限り正確に、魔力変換術式を、間に噛ませる。 ティカ様なら、絶対に間違いないんだろうなぁ……
” 絶対記憶 ” かぁ…… いいなぁ……
用心深く、術式を確認した。 色々と浮いちゃっている、入力出力線は有るけど、これで、変換した魔力を注ぎ込める……
――― もう一度!!
「我、エスカリーナ! 我が解呪式を「異界の魔力」にて発動せん! 発動、【符呪解呪】!」
同じような赤黒い魔力が、起動魔方陣に満ちる。 【符呪解呪】の間に挟み込まれた、魔力変換術式が、かなりの光芒を発し、そして、【符呪解呪】流れ込むは「異界の魔力」。 その色は、紅く…… とても…… 禍々しいまでの紅い色。 血の色とも云える……
真っ紅に染まる、【符呪解呪】
【重防御】を摺り抜け、私の前に展開するの。 そこに、黒い鎖が、攻撃してくる。 防御姿勢に成って、衝撃に備え、身を固くする。 ぎゅっと目を閉じ、さっきの様な衝撃を喰らうと、その瞬間を待つ……
待つ……
待つ……?
ん?
ジャラジャラジャラって云う、黒い鎖の這う音はしているの。 でも、一向に衝撃が来ない。 うっすらと、眼を開ける。 そこに有る情景に、暫し、声を失い見入ってしまったの。
吸い込まれる様に…… 黒い鎖は【符呪解呪】の術式境界面に消えていく。
どんどん、どんどん……
黒い鎖が底なしの別の次元空間に吸い込まれて行くように……
速く……
とても早く……
飲み込まれ、消えて行っていたの。
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