その日の空は蒼かった

龍槍 椀 

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断章 1

閑話6 グリュック=ダクレールの執務室

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 その男は、ダクレール男爵家 長男にして継嗣。





 グリュック=ダクレールは、二人の人物を自分の執務室に向かえ、困惑していた。 一人は、学生時代の友人で、今は官吏養成学校の講師をしている男だった。 そして、もう一人はダクレール男爵に仕える魔導士。 二人を執務室に迎えたグリュックは、彼等の顔に困惑の表情を読み取っていた。




「あの娘…… ダメか? 大公家の奥深くで大切に大切に育てられた ” 御姫様 ” だから、あまり期待してはいない。 正直なところを話して欲しい」




 グリュックは、ドワイアル大公家から、 と、言って《 預かった 》 エスカリーナの事について、二人の人物に報告を促した。



*******************************



 内心、” 厄介事を抱えたもんだ ” と、思っても居る。 彼の父親である、フランシス=ダクレール男爵は、このダクレール男爵領が位置する海岸線を守護する為に日夜奔走している。 今日も、軍船に乗り込み、哨戒任務に当主自ら当たる有様だった。

 領内の政務は、母である、エルサ=ダクレール男爵夫人と、自分達夫婦に任せきりの状態が何年も続いている。 活発化している、他国の私掠船の拿捕にかなり手間取っている為だった。 そんな中で、彼の妹であるハンナ=ダクレールが、彼女が主と仰ぐ美しい少女と帰還してきた。



 彼女達の世話は、父フランシスの命により、グリュックが一手に引き受ける事になってしまった。



 ハンナの事については、大きな負い目がある。 それに、ハンナは大公家で十分な淑女教育も受けているので、そう心配はしていない。 いうなれば、好きに生きて欲しいと願うばかりだった。 しかし、問題は、八歳の美しい少女 ―――エスカリーナの方だった。



 大公家で大切に育てられたと聴く。




 この領には多くは無いが、それでも貴族の家はある。 また、依親である、南方辺境侯爵、アレンティ領に行けば、それこそ掃いて捨てるほど、貴族は居た。 彼等の家の御息女たちは……

 興味と言えば、夜会に宝石、綺麗なドレス。 話と言えば、王都の噂話…… とても、付き合いきれないと、そう思っている。 グリュックが妻を娶る時に、一番に考えたのも、そういう所だった。 派手では無く、理知的で、領と領民を思いやる心を持った女性をと願った。



 幸いにして、彼はニーナを見出す事が出来た。



 アレンティア侯爵様からの紹介であったのも、決め手の一つだったが、それでも、ニーナの心の素直さと聡明さに惹かれたのは、間違い無い。 成婚以来、この領に尽くしてくれている妻には、常に感謝を捧げている。

 しかし、ニーナ以外の貴族女性で、彼の心を揺さぶる様な者には、未だかって出逢った事が無かったのも事実。 つまりエスカリーナは、《 甘やかされた、世間知らずの、無能な娘 》であろうと、挨拶だけは、大公家で叩き込まれたのだろうと、当たりをつけていた。

 その証拠は、目の前の二人の人物の表情が、物語っている。 何かを言いたそうだが、どう言葉にしていいか判らない様な、そんな様子だったからだ。




*******************************




「どんな評価でも気にしない。 初等教育も無理か? 算術は…… 興味が無かったか? 経理など、見た事も無かったろうな。 それに、少し魔法を使える様だが…… まだ八歳。 大した魔法も編む事は出来なかったろうな。 正直に言ってくれ。 君達の教授に耐えられそうか? この領で、庶民として暮らしたいと、そんな無茶を言う女児だ。 きっと、夢の中に住んでいるのだろうな」



 モノクルを掛けた、総髪の男がおもむろに言葉を紡ぎ出した。




「グリュック…… あの娘は、何者なんだ?」

「エスカリーナは、先の王妃殿下の忘れ形見。 ドワイアル大公家の表に出せない、いわく付きのお姫様さ」

「いや、そんな事はどうでもいいんだ。 あの娘は、何処で勉強したのかと聞いている」

「勉強? 何の事だ」




 男が手に持った紙の束を、グリュックに差し出した。 何枚かは見覚えがある。 官吏養成学校時代に見た、試験問題だった。 答案用紙にびっしりと流麗な文字が書き込まれている。




「この問題は、卒業試験の問題だ。 算術、経理に関して理解していないと、まず解けない。 論述筆記に至っては、領地経営学も学ばないといけない代物だ…… この意味わかるか?」




 男が差し出した答案用紙に書き込まれた、流麗な文字。 勿論内容を精査した後のモノだった。 全ての設問にチェックが付いている……




「なんだ、これは? これを、エスカリーナが書いたというのか?」

「あぁ…… 丸一日掛けて、初級から、中級、そして、上級の問題を次々と与えた。 何処まで出来るか見て見たかったからな。 初級から、上級の試験問題は、昼前に全て終えたよ、あのお嬢さんは。 それで、試してみたくなった。 この官吏養成学校の卒業試験に何処まで答えられるかをな。 近年稀に見ぬ答案を差し出されたよ…… それも、制限時間以内でな…… もう一度聞く。 あの娘は何処でこれ程の研鑽を積んだんだ?」




 絶句した。 たんに甘やかされていた少女では無いという事を理解した。 ハンナが心酔し、” 生涯を掛けて仕える ” と、そう言った、真剣な瞳が脳裏に浮かび上がった。




「私からも……グリュック様に問いたいのです」




 今度は、魔術師のローブを着た、妙齢の女性が口に言葉を載せた。 その瞳は真剣にグリュックを見詰めている。 




「エスカリーナ様の師匠は誰ですか? 八歳の女児ならば、自分の「属性」魔法でも、十分には扱えない筈。 それに、なんですか、あの非常識な魔力量は。 あの魔力量では、お体に変調をきたす筈です。 しかし、その様子も伺えない。 つまりは誰かが、体内魔力を回す方法を伝授し、且つ、魔力を「練る」事すら、教えておられると推察します。 エスカリーナ様の「属性」は「闇」。 得意な魔法を見せて欲しいと、尋ねたら何をしたと思いますか?」

「……「闇」属性ならば、【魅惑】か、【魅了】くらいじゃないのか?」




 静かな、怒りにも似たオーラを発している魔術師に、たじろぎながらもグリュックはそう答える。




「錬金魔法を行使し、持って行ったいくつかの魔法草と土塊から、ポーションを生成しましたよ……あの子は!!! 少なくとも四種類の「属性」が……いや、違う、五種類は居るわ。 若様、そのポーションを作るにはそれだけの「属性」が、必要なのです。 錬金釜無しで、この領で作り出せる者は…… 私が知る限り居ません。 中級錬金術師相当…… いや、上級錬金術師クラスでしょうか。 試しに、彼女が生成したポーションを鑑定して見ました」

「……どうだったのだ?」

「たったアレだけの材料で、中級ポーションを生成されました。 ハッキリ言って、私にはお教えする事はありません。 もっと言えば、教えを受けたいくらいです。 彼女が描き出した錬金魔方陣を、ちらりと見ました。 ええ、見ましたもの! 既存の魔方陣以外に、私の知らない連結式、書き換えされた魔方陣を多重生成されておられました!!!! 王都では、年端も行かない子供に、あれほど高度な魔方陣を教えているのですか!!!!」




 途中から、肩で息をする様になった、妙齢の魔術師。 師となって欲しいと、彼女には言った。 しかし、エスカリーナの能力を垣間見た彼女には、到底受ける事の出来ない依頼だった。




「フランシス様の元に戻ります。 彼女にはきっと既に、特級クラスの師が付いておられるのでしょう。 私ごときが、何をお教えすれば良いのか…… 若様、あなたも御人が悪い。 こんな屈辱、初めてです!」

「い、いや、違うんだ。 ハンナが言うには、全て独学だと云うんだ」



「独学? 御冗談!!!」
「まったく!! 独学であれほどなれば、あの方に師など必要ないですな!!」



「ちょ、ちょっと待て、つまりは…… それ程、優秀なのか?」



「明日にでも、実戦に投入できる程に」
「館の経理部の連中も、舌を巻くでしょうな」



「む…… むむむっ…………」

「「  この話は、無かったことに! お暇させて頂きます!!!  」」




 二人の人物は、足音もけたたましく、グリュックの執務室を後にした。 乗り出して居た身を、ドサリと椅子に預け、思わず執務室の天井を見上げるグリュック。

 シンと静まり返った執務室に彼の呟き声が広がった。





「化け物か? なんて娘をハンナは主と仰いだんだ?」





 思慮深い光が、グリュックの瞳に灯る。 これからの事、彼女を保護する為に「預かり」として、家内に居れた事を、安堵し、そしてまた不安にも思った。 一瞬、表情が弛緩し…… そして、引き締まった。 獲物を狙う、猛禽の様な瞳、ギュッと引き結ばれた口元。 頭に手をやり、乱れた頭髪を整え、そして、呟いた……




「何処まで化けるか…… それも…… 見て見たい物だな。 エスカリーナ=デ=ドワイアル…… ただの小娘では無かったという訳か…… フフフ…… フフフフ…… ハハハハ………… 面白い。 本当に、面白い。 注意深く観察せねばならんな……」





 次代の男爵家を担う男の顔が、其処にあった。








 
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