上 下
38 / 41

38

しおりを挟む
「エルヴェ、部屋に訪ねて来るだなんてどうしましたの?」

 エルヴェはいつになく真剣な眼差しでアリエルを見つめると言った。

「君にまだ話していない真実が一つ残っている」

「真実……ですの? それを今?」

 アリエルが不思議そうにそう言うと、エルヴェは頷いた。エルヴェは人払いをしアリエルの手を取ると、並んでソファに腰掛けた。

 アリエルが静かに待っていると、しばらくしてエルヴェが口を開いた。

「アリエル、以前この事実を話せば私は君に嫌われるかもしれない、と言ったことがあったね。覚えているか?」

 アリエルは黙って頷いた。

「今日はその話をしたい」

 そう言うとエルヴェは真剣な眼差しでアリエルを見つめる。

「実は私も君同様、この世界を一度さかのぼっている」

 アリエルは驚いてエルヴェを見つめ返す。そして混乱しつつも今までのことを思い出し、エルヴェに対する違和感の正体はこれだったのかと納得した。

 だが一つ、その告白の内容に引っかかることがあった。

「君と同様、とはどういうことですの? エルヴェはわたくしさかのぼったとなぜ知ってますの?」

「当然だ、そう願ったのは私なのだから」

「え? 願った……?」

「そうだ」

 そう言うとエルヴェは自嘲気味に笑い語り始めた。

「昔王宮の庭で私と過ごしたのを覚えているね?」

 アリエルは頷く。

「あれは父親同士が決めた婚約者同士の顔合わせをするためのものだった。父から『今日お前の婚約者を庭に連れてきた。会ってきなさい』そう言われて庭に行った」

「そうでしたの。だからあの日はわたくしだけ王宮へ連れて行かれたのですね」

「そうだろう。親の決めたこと、当然私も最初は乗り気ではなかった。だが、君に実際に会って話しているうちにその、私は君をとても気に入った。いや違うな、君に恋をしたんだ。初恋だった」

「はい、えっと、あの、はい……」

 アリエルはあの時の気持ちは一方通行ではなかったのだと思うと、嬉しさと恥ずかしさから顔を赤くしたが、エルヴェを盗み見るとエルヴェの耳も赤くなっていた。

 しばらく二人とも無言になったのち、エルヴェが気を取り直したように続けた。

「それであの時のことだが、君の父親が君のことをベルと呼んだね? だから私はあの時会ったのは君ではなく、ずっと妹のアラベルだと思い込んでいた」

 それを聞いたアリエルは、舞踏会で再会した時のエルヴェの態度に合点がいった。だが不思議に思う。

「国王陛下から姉のアリエルと婚約すると聞いておりませんでしたの?」

「いや、ホラント伯爵令嬢の双子の片割れと婚約すると聞いていた。そして私はあの時、あの場に来たのはアラベルだと勘違いしていた。フィリップが君のことを『ベル』と呼んでいたしね。だから後日、姉であるアリエルと婚約が決まりそうだと父上から聞いたときは、君と婚約せずに何としてでも妹のアラベルと婚約しようとした」

「そうなんですのね……」

「あぁ、本当に愚かだった。そして愚かな私は君の意見を一切聞かずにアラベルの言うことをすべて信じた。君は昔庭で私にペンダントをくれた時にこう言ったね『わたくしが持っていてもいずれなくなってしまうから』と。アラベルが君に物を盗られると訴えた時、そういうことだったのかと納得した。そして、やはりアラベルがあの時に来ていた少女だと信じる材料となった」

「それは、わたくしがあの頃よく自分のお気に入りのアクセサリーをなくすことが多かったからですわ」

 エルヴェは頷く。

「フィリップも言っていたが、アラベルが君の物を盗んでいたからだね」

 そう言うとエルヴェはアリエルの手を取った。

「本当にすまない、謝って済む話ではないこともわかっている。私は当時君の話をろくに聞きもしなかった。あの時に少しでも君の訴えに耳を傾けていれば……」

 アリエルはかぶりを振ると話の先を促す。

「それで、なぜわたくしが庭で会った令嬢だと気づいたのです?」

「気づいたのは、君が処刑される瞬間だった。君の首筋にペンダントをくれた時に見た、あの独特な星の形のほくろを見つけた時だ」

 それを聞いてアリエルは、はっとしてエルヴェを見つめた。

「ではあのわたくしの最後の瞬間に中止を叫んだのはやはりエルヴェでしたの?!」

 エルヴェは意外そうな顔でアリエルを見つめ返すと言った。

「あの時の声は君の耳に届いていたのだな……。だが結果としてそれは遅すぎたが」

 アリエルはあの瞬間を思い出し身震いした。そんなアリエルをエルヴェは優しく抱き締める。

「怖いことを思い出させて済まない。そのあとどうなったかを話しても?」

 アリエルはエルヴェから体を離すと頷いた。

「あの瞬間、君が言っていたことは事実だったのだと気づいた私は、アラベルを徹底的に調べた。そして君のこともね」

 そう言うとエルヴェは言葉を切り、とてもつらそうな顔をした。

「すまない、つらいのは私ではなく君なのに」

 そう言うと、アリエルに作り笑顔を向け続ける。

「私は君の両親にアラベルの話を訊いて彼女の異常性を知り、そしてアンナや君の両親の口から、君が、君がどれだけ私に会うことを楽しみにしてくれていたのか聞いたんだ……」

 エルヴェはふーっと大きく息を吐いた。

「そうして調べていくうちに、アラベルがシャティオンと裏で結託し、君をおとしいれたことを突き止めた」

「そうなんですの。そのあとの二人は?」

「もちろん今回のように私は彼らを裁きその罪をその命を以て償わせ、そして君の名誉を回復することに尽力じんりょくしそれを叶えることができた」

 そう言うとエルヴェはアリエルを真剣な眼差しで見つめた。

「だが、すべてが終った時に気づいた。私のとなりにはもう君は居ないということに。君が処刑されてからそれまでは、真実を知るためにがむしゃらに突き進んでいた。だからそれを実感する間もなかったんだ。だが、そうしてそれを実感した瞬間に本当の絶望が私を襲ったんだ」

 そう言うとエルヴェはつらそうに大きく息を吐いた。そして一息おくと話を続ける。

「何も手につかなくなった。私の世界は一変してしまったんだ。そうして生きる意味を失った私は毎日のようにホラント家に通い、来る日も来る日も君が生きていた時のことを君の両親や侍女の口から聞いた。それがどんなに些細ささいなことだとしても、少しでも君が生きていたことを感じていたかった」

「エルヴェ……」

 アリエルが慰めるようにエルヴェの頬を撫でると、エルヴェはその手をつかみ手のひらにキスするとそのまま胸に抱いた。

「そんなある日、母上が言った『王家ではこんな言い伝えがある“ティアドロップ・オブ・ザ・ムーン”は強く願えば一つだけ願いを叶えてくれることがある』と。それが本当かどうかわからなかったが、私はわらにもすがる思いで『ティアドロップ・オブ・ザ・ムーン』に願った『過去に戻って君にすべてのことを謝り償いたい』とね」

「では本当に……?」

「そうだ。私は強く、強く、心の底から強くそう願った。その瞬間、まばゆい光に包まれた私は気がつけばあの舞踏会の一週間前に戻っていた」

 そう言って微笑む。

「君に会いに行ったが君は私を避けていたね、それで君も一緒にさかのぼったと確信したんだ。だからこそ、これで君に償いができるとも思った。そして今度こそ君を守り救うと心に誓った」

「そんな、わたくしごときに大切な願いを使ってしまってよろしかったのですか?!」

「いや、君のことだからこそ使ったんだよ。私にとって君は私のすべてなのだから」

 そう言うと立ち上がり、アリエルの前にひざまずく。

「私は愚かだった。君の話も聞かず、アラベルだけを信じ君を破滅へと追いやった。そして苦しむ君に救いの手を差し伸べることもなかった。そのせいで、君は一度は儚く散ってしまった。怖い思いをさせた。私のせいだ」

「でも、わたくしおとしいれたのはアラベルですわ」

「それでも、私が勘違いをしなければあんなことにはならなかったろう? それは私の罪だ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

王子様、あなたの不貞を私は知っております

岡暁舟
恋愛
第一王子アンソニーの婚約者、正妻として名高い公爵令嬢のクレアは、アンソニーが自分のことをそこまで本気に愛していないことを知っている。彼が夢中になっているのは、同じ公爵令嬢だが、自分よりも大部下品なソーニャだった。 「私は知っております。王子様の不貞を……」 場合によっては離縁……様々な危険をはらんでいたが、クレアはなぜか余裕で? 本編終了しました。明日以降、続編を新たに書いていきます。

妹と寝たんですか?エセ聖女ですよ?~妃の座を奪われかけた令嬢の反撃~

岡暁舟
恋愛
100年に一度の確率で、令嬢に宿るとされる、聖なる魂。これを授かった令嬢は聖女と認定され、無条件で時の皇帝と婚約することになる。そして、その魂を引き当てたのが、この私、エミリー・バレットである。 本来ならば、私が皇帝と婚約することになるのだが、どういうわけだか、偽物の聖女を名乗る不届き者がいるようだ。その名はジューン・バレット。私の妹である。 別にどうしても皇帝と婚約したかったわけではない。でも、妹に裏切られたと思うと、少し癪だった。そして、既に二人は一夜を過ごしてしまったそう!ジューンの笑顔と言ったら……ああ、憎たらしい! そんなこんなで、いよいよ私に名誉挽回のチャンスが回ってきた。ここで私が聖女であることを証明すれば……。

【完結済み】婚約破棄致しましょう

木嶋うめ香
恋愛
生徒会室で、いつものように仕事をしていた私は、婚約者であるフィリップ殿下に「私は運命の相手を見つけたのだ」と一人の令嬢を紹介されました。 運命の相手ですか、それでは邪魔者は不要ですね。 殿下、婚約破棄致しましょう。 第16回恋愛小説大賞 奨励賞頂きました。 応援して下さった皆様ありがとうございます。 リクエスト頂いたお話の更新はもうしばらくお待ち下さいませ。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

全てを捨てて、わたしらしく生きていきます。

彩華(あやはな)
恋愛
3年前にリゼッタお姉様が風邪で死んだ後、お姉様の婚約者であるバルト様と結婚したわたし、サリーナ。バルト様はお姉様の事を愛していたため、わたしに愛情を向けることはなかった。じっと耐えた3年間。でも、人との出会いはわたしを変えていく。自由になるために全てを捨てる覚悟を決め、わたしはわたしらしく生きる事を決意する。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

なんで私だけ我慢しなくちゃならないわけ?

ワールド
恋愛
私、フォン・クラインハートは、由緒正しき家柄に生まれ、常に家族の期待に応えるべく振る舞ってまいりましたわ。恋愛、趣味、さらには私の将来に至るまで、すべては家名と伝統のため。しかし、これ以上、我慢するのは終わりにしようと決意いたしましたわ。 だってなんで私だけ我慢しなくちゃいけないと思ったんですもの。 これからは好き勝手やらせてもらいますわ。

処理中です...