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 アリエルが座るとその隣に座ったエルヴェはアリエルを逃がすまいとでも言いたげに手をしっかりつかんできた。振り払いたい気持ちを抑えアリエルはおとなしくしていた。

 できれば王太子殿下とは関わらずにいたかったと思いながら、目の前に出されたティーカップを見つめる。

「アリエル、先日の舞踏会でのことだが……」

「はい、なんでしょうか?」

 アリエルはなにを言われても冷静でいなければ、と思いながらティーカップの中の澄んだ琥珀色を見つめる。

 だが、隣に座っているエルヴェからは躊躇しているような気配がしたかと思うと、思いもよらぬことを質問された。

「その、舞踏会で君をエスコートしていたラルミナ伯爵令息とはどのような関係だ?」

 アリエルは突然ヘンリーのことを言われ、驚いてエルヴェの顔を見た。エルヴェは真剣な眼差しでアリエルを見つめていた。

 しばらく見つめ合いながらアリエルは考えを巡らせ、アラベルがアリエルはヘンリーと付き合っているとかたぶらかしているとでも言って、それを聞いたエルヴェが婚約者候補としてそれはどうかととがめるために会いにきたのだと思い至った。

「ご存知のように、ラルミナ伯爵令息は母方の従兄なので親しくさせていただいております。ですがラルミナ伯爵令息にはよいお相手がいらして、わたくしのことを相手にするようなことはありません」

 そう答えると、エルヴェはアリエルの気持ちを探るように瞳の奥を覗き込んでさらに質問した。

「では、君はラルミナ伯爵令息に相手がいなければ、彼と婚約するとでも言うのか?」

 アリエルはエルヴェの真意がわからず、少し戸惑いながら答える。

「いいえ、それでもラルミナ伯爵令息がわたくしを選ぶことはないと思います」

 アリエルはとりあえず作り笑顔をして見せた。エルヴェはため息をつく。

「そういうことではない。私は君がラルミナ伯爵令息をどう思っているかが知りたいんだ」

 なぜ?

 そう思いながらも考え巡らせ、もしかしてアリエルがヘンリーと婚約すれば厄介払いができると考えているのかもしれない、と思った。

 そうならばとアリエルはヘンリーとの婚約も考えてみる。そして、もしも本当にヘンリーが婚約者になってくれると言うのなら、ヘンリーは性格も良く優しく夫としてとても魅力的だと気づいた。
 それに今すぐ婚約してくれるのなら屋敷も出られるしこんなにありがたいことはない。そうなれば一石二鳥である。

 アリエルはエルヴェの期待に応えるように言った。

「はい、もしもラルミナ伯爵令息が婚約してくれるのなら、とても申し分ない相手だ思います」

 これでエルヴェも満足するに違いない。そう思ってエルヴェを見ると、予想に反して不機嫌そうな顔になった。

「そんなことは許さない」

 アリエルは呆気に取られ、じっとエルヴェを見つめたがはっとした。

「ですから、ラルミナ伯爵令息は良いお相手がいらっしゃるので、わたくしとそうなることはありえません」

「向こうはそう思っていないようだ」

 それを聞いてアリエルは先日の舞踏会でなにがあったのか、早急にヘンリーに訊いてみなければならないと思った。
 そして、エルヴェにしてみたら婚約者候補のこれぐらいの行動すら気に食わず許せないのだと気づくと、なんて傲慢なのだろうと思いながらエルヴェの手を振り払い立ち上がると深々と頭を下げた。

「王太子殿下の気を煩わせるようなことをしてしまい、大変申し訳ありませんでした。王太子殿下の婚約者候補として今後軽率な行動は一切致しません」

 エルヴェは慌てた様子で答える。

「違う、そうではない。すまない、頭を上げてくれ」

 そう言われアリエルは頭を上げた。そんなアリエルの手を取るとエルヴェは懇願するように言った。

「お願いだ、もう一度座ってくれないか?」

 仕方なしにアリエルは無言でもう一度エルヴェの横に座ると、エルヴェはアリエルに申し訳なさそうに言った。

「私は君に優しくしたいと思っているのに、君を責めるような言い方をしてしまってすまない。責めるつもりではない。ラルミナ伯爵令息は君を好きなようだったから、君の気持ちを確認したかった」

「殿下がわたくしの気持ちなど気にする必要はありません。それに先ほど言った通りラルミナ伯爵令息はよいお相手がいらっしゃるようです」

 無表情でそう答えると、エルヴェはアリエルをつかんでいた手に更に力を入れた。

「そんなことはない。君の気持ちが大切に決まっている。それに勘違いをしているようだがラルミナ伯爵令息は……」

 そこまで言うとはっとして、アリエルの顔を見つめると苦笑した。

「まぁ気づいていないのならそれでいい。少し安心した」

 そしてしばらくなにか考えるように押し黙ると、アリエルを見つめて言った。

「あのブローチは君のものなのだろう?」

 突然そう訊かれたアリエルは、前回何度も話を聞いて欲しいと訴えたあの時にこの言葉を投げ掛けられていれば……、と思い複雑な気持ちになりながら前方を見つめ答える。

「ブローチとは、一体どのブローチのことでしょうか?」

「私が昔君と会った時に渡したブローチだ」

 アリエルはエルヴェの方を向くと、瞳を見つめて答えた。

「恐れながら申し上げます。わたくしが王太子殿下とお会いしたのは、先日の舞踏会が初めてのことでございます。妹のアラベルと勘違いなさってらっしゃるのではないでしょうか?」

 そして作り笑顔を見せた。

「そうか……」

 エルヴェはそう答えると悲しげに微笑んだ。そして不意にアリエルの首筋に視線を移すと、真顔になった。

「アリエル、大変だ。動かないでいてくれるか? 君の首筋に毛虫が……」

「えっっ!! いやー! やっ!!」

 アリエルは冷静にしていられず思わず悲鳴をあげると、慌てて首筋を振り払う動作をしてティーカップを倒した。そんなアリエルを安心させるため、エルヴェはアリエルを抱きしめた。

「大丈夫、取ってあげるから。そのまま動かないで」

「早く! 早く取ってくださいませ!!」

 エルヴェは震えるアリエルの髪をそっとかきあげ首筋を触った。アリエルはたまらずにエルヴェの胸の中で体を硬くした。

「落ち着いて、もう取れたよ」

 そう言ってエルヴェはアリエルを抱きしめたまま、安心させるように背中をさすった。

「もう大丈夫。嫌な虫も何もかも全て私が取り払うから」

「ほ、本当ですの?」

 そう答えると、アリエルはほっとしてしばらくエルヴェの胸に体を預けていたが、はっと我に返った。

「殿下、申し訳ございません! わたくしなんてはしたない!」

 アリエルがそう言ってエルヴェから体を離すと、エルヴェはアリエルの肩に手を置いて顔を覗き込み優しい眼差しでアリエルを見つめた。

「そんなことはない、誰でも害虫がいたら驚いて取り乱してしまうものだろう?」

 アリエルはさっと目を逸らすと、テーブルの上のお茶がこぼれエルヴェのコートを少し汚していることに気づいた。

「殿下、申し訳ありません。お召し物が……」

 ハンカチを取り出し、慌ててそれを拭き取った。
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