上 下
20 / 43

19

しおりを挟む
 それを聞いてアリネアは一瞬固まると、突然不機嫌そうな顔になった。

「なんだかわたくし気分が悪いですわ。失礼いたします」

 そう言い放ち、その場を去っていった。その背を見つめながらイーファは呟く。

「相変わらず下卑た令嬢だ」

「相変わらず?」

 オルヘルスがそう尋ねると、イーファは苦笑した。

「なんでもない。オリ、気を取り直して散歩の続きをしよう」

「そうですわね」

 アリネアのことをさっさと忘れてしまいたかったオルヘルスは、そう答えて微笑んだ。

 それから一か月ほど、グランツはオルヘルスの前に姿を表さず、オルヘルスはアリネアの言っていたことを思い出し不安になることもあった。

 だが、グランツに限って裏切るなんて絶対にありえないと考え直し、信じて戻るのを待った。




 その日、早朝オルヘルスはいつものように厩舎に向かい準備をすると、スノウを馬場へだし歩かせながらイーファが現れるのを待った。

 遠くに人影が見えイーファが来たのだろうと思い近づくが、そのシルエットはイーファのものではなかった。

 誰だろうと思いながら近づき、それがグランツだと気づくと思わず叫ぶ。

「殿下?!」

「ただいま」

 グランツはそう言うと、優しく微笑み両手を広げた。オルヘルスが躊躇ちゅうちょなくその胸に飛び込むと、グランツは力強く包み込むようにオルヘルスを抱きしめる。

 ふたりはお互いの存在を確認するように抱きしめ合うと、オルヘルスはグランツの顔を見上げて言った。

「いつもどられたのですか?!」

「夜半にもどった。本当はもう少し遅くなる予定だったが、君に会いたくて調べものを早く終わらせた」

わたくしも会いたかったですわ」

 するとグランツは照れ臭そうに微笑む。

「そうか……」

 そうして少し無言で見つめ合ったあと、グランツは我に返ったようにオルヘルスに尋ねる。

「ところで、私がいないあいだなにか変わったことは?」

 オルヘルスはゆっくり首を横に振ると答える。

「とくになにもありませんでしたわ」

「そうか。イーファに聞いたのだが、だいぶ乗馬が上達したそうだな」

「はい、わたくし頑張りましたわ」

 すると、グランツはオルヘルスの頭にキスの雨を降らせた。

「殿下! 恥ずかしいですわ」

「すまない、あまりにも可愛くて」

「か、可愛いなんて……」

 オルヘルスがうつむくと、グランツは目を閉じなにかを堪えている顔をして呟く。

「今日から、また忍耐の日々か……」

 オルヘルスは驚いて顔を上げる。

「またが痛い? 殿下?! 大丈夫ですの?!」

 グランツは慌てて答える。

「いや、違う! 多少あっているが……。いや、そうではない。私は大丈夫だ」

 そう答えて大きく咳払いをすると言った。

「それより今日はこのあと、私がいないあいだどう過ごしていたのかを聞かせてくれないか?」

「わかりましたわ」

 そうして二人はこの日、乗馬の訓練を短時間で切り上げ、王宮の庭でゆっくりお茶を飲んで過ごすことにした。

 グランツと離れている間、とくに大きな問題はなかったが一度海岸でアリネアに会ったことを思い出すと報告する。

「殿下、実はお兄様と一度だけ外へ出かけたのですけれど、そのとき海岸でアリネア様に会いましたの」

「あぁ、イーファから報告を受けている。海岸に突然現れたそうだな」

「そうなんですの。そのときなんですけれど、リートフェルト家を監視しているようなことを仰ってましたわ」

「だが、イーファが帰ってきていたことには気づいていなかったようだが」

「お兄様のことは、ただの護衛だと思っていたみたいですの」

「だとすると、単純に人の出入りだけ監視しているということか?」

「そうですわね。でもなぜんそんなことをするのか本当に謎ですわ」

「私が君の家にいるときを狙って、訪ねて来ようとしているのではないか?」

 オルヘルスはその意見に納得した。狩猟会のときもグランツやエリ女王、フィリベルト国王との仲を取り持つように迫られたのを思い出したからだ。

 それに、アリネアはグランツの愛人になるつもりでいるような発言をしていた。

 以前はグランツに興味を持っているような素振りがなかったのを考えると、エーリクのときのようにオルヘルスからグランツを奪おうとしているのではないかと思った。

 オルヘルスがその考えをグランツに話すと、グランツは大きくため息をついた。

「ありえないな」

「そうですわよね。こんなことをしていれば、余計に心象が悪くなりますもの」

「それ以前に私が君以外に心を移す訳が無い。まして自分を選んでもらえると思う、その考えがどこから出てくるのか」

 オルヘルスは苦笑した。

「アリネア様は、わたくしのことを見下してらっしゃるところがありますもの。なんにせよわたくしに殿下の相手が務まるなら、自分にだってできると思ってらっしゃるんじゃないでしょうか」

「馬鹿な、下も上もない。それにオリは私にとっての唯一無二だ。そこが理解できないとはな」

 それを聞いて、オルヘルスは急速に恥ずかしくなりうつむくと言った。 

「ありがとうございます。わたくしも同じ気持ちですわ」

 グランツは苦笑して答える。

「いや、私の君に対する気持ちの方が勝っているはずだ」

 そんなことを言われ、オルヘルスはさらにうつむく。その様子を見て、グランツはオルヘルスの頭に優しくキスをした。

「本当のことだ」

「殿下……」

 そうしてしばらく見つめ合っていると、後ろの方でイーファが大きな咳払いをしたのでふたりともはっとして話を続ける。

「それより今後のことだが、君の屋敷へ行くときはなるべく目立たないようにしよう」

「そこまで気になさらなくても」

「いや。そもそも、私と君が親密にすることで妬むものも出てくるだろう。そこは少し私の配慮が足りなかった。いらぬ争いで君になにかあってからでは遅い。用心するに越したことはないだろう」

「そんなものでしょうか」

 そう答えるとグランツは苦笑した。

「君が気にしていなくてよかった」

「はい。それに、今はお兄様も護衛でついてきてくれますし、以前より一層安全ですわ」

「そうだな。イーファは血縁だしそう言った意味でも君の護衛には最適だ」

 グランツはそう答えると満足そうに微笑んだ。そして、ふと思い出したように言った。

「そういえば、エメラルドピアリアドだが……」

 エメラルドピアリアドとは、婚約者同士で行われる風習のことである。

 婚約後一ヶ月間、女性の社交界デビューのときに身に付けていたリボンと、男性の父親から一人前と認めたときにプレゼントされたタイを交換し、お互いに身につけるというこの国特有の風習だった。

 グランツにエメラルドピアリアドのことを言われるまで、オルヘルスはすっかりリボンのことを忘れてしまっていた。

 オルヘルスはエーリクと婚約したときにリボンを渡してしまっていたので、手元にはなかった。

「殿下、申し訳ありません。わたくしのリボンはエーリクが持っていますの」

 するとグランツは険しい顔をした。

「婚約解消したあともエーリクは返却してこなかったのか?」

「そういうことですわ」

 そう答えるとグランツに質問する。

わたくし存じませんでしたけれど、あのリボンは婚約解消をしたら返却するものですの?」

「当然だ、直ちに返却されるはずだ。まぁ、君が知らなくても仕方がない。婚約解消なんて滅多にあることでもないしな。わかった、私のほうからホルト家に直接言っておこう。エーリクに言うより、ハインリッヒに言った方が早いだろうしな」

 ハインリッヒとはエーリクの父親のことで、ステファンとも仲がよく屋敷で何度か会ったことがある。

 エーリクとは違い、とても常識的で礼儀正しい人物である。なので、きっとハインリッヒはこの件に関して知らないのだろう。

「わかりましたわ、ありがとうございます。では返却されたらすぐに殿下にお渡ししますわ」

「そうだな。ところで君はエーリクにタイを返したのか?」

「もちろんですわ。すぐに送りつけてしまいました」

「それはなにより」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結済み】婚約破棄致しましょう

木嶋うめ香
恋愛
生徒会室で、いつものように仕事をしていた私は、婚約者であるフィリップ殿下に「私は運命の相手を見つけたのだ」と一人の令嬢を紹介されました。 運命の相手ですか、それでは邪魔者は不要ですね。 殿下、婚約破棄致しましょう。 第16回恋愛小説大賞 奨励賞頂きました。 応援して下さった皆様ありがとうございます。 リクエスト頂いたお話の更新はもうしばらくお待ち下さいませ。

前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る

花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。 その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。 何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。 “傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。 背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。 7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。 長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。 守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。 この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。 ※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。 (C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。

【完結】捨てられた双子のセカンドライフ

mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】 王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。 父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。 やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。 これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。 冒険あり商売あり。 さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。 (話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)

全てを捨てて消え去ろうとしたのですが…なぜか殿下に執着されています

Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のセーラは、1人崖から海を見つめていた。大好きだった父は、2ヶ月前に事故死。愛していた婚約者、ワイアームは、公爵令嬢のレイリスに夢中。 さらにレイリスに酷い事をしたという噂まで流されたセーラは、貴族世界で完全に孤立していた。独りぼっちになってしまった彼女は、絶望の中海を見つめる。 “私さえいなくなれば、皆幸せになれる” そう強く思ったセーラは、子供の頃から大好きだった歌を口ずさみながら、海に身を投げたのだった。 一方、婚約者でもあるワイアームもまた、一人孤独な戦いをしていた。それもこれも、愛するセーラを守るため。 そんなワイアームの気持ちなど全く知らないセーラは… 龍の血を受け継いだワイアームと、海神の娘の血を受け継いだセーラの恋の物語です。 ご都合主義全開、ファンタジー要素が強め?な作品です。 よろしくお願いいたします。 ※カクヨム、小説家になろうでも同時配信しています。

溺愛されていると信じておりました──が。もう、どうでもいいです。

ふまさ
恋愛
 いつものように屋敷まで迎えにきてくれた、幼馴染みであり、婚約者でもある伯爵令息──ミックに、フィオナが微笑む。 「おはよう、ミック。毎朝迎えに来なくても、学園ですぐに会えるのに」 「駄目だよ。もし学園に向かう途中できみに何かあったら、ぼくは悔やんでも悔やみきれない。傍にいれば、いつでも守ってあげられるからね」  ミックがフィオナを抱き締める。それはそれは、愛おしそうに。その様子に、フィオナの両親が見守るように穏やかに笑う。  ──対して。  傍に控える使用人たちに、笑顔はなかった。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

気がついたら自分は悪役令嬢だったのにヒロインざまぁしちゃいました

みゅー
恋愛
『転生したら推しに捨てられる婚約者でした、それでも推しの幸せを祈ります』のスピンオフです。 前世から好きだった乙女ゲームに転生したガーネットは、最推しの脇役キャラに猛アタックしていた。が、実はその最推しが隠しキャラだとヒロインから言われ、しかも自分が最推しに嫌われていて、いつの間にか悪役令嬢の立場にあることに気づく……そんなお話です。 同シリーズで『悪役令嬢はざまぁされるその役を放棄したい』もあります。

[完結]婚約破棄してください。そして私にもう関わらないで

みちこ
恋愛
妹ばかり溺愛する両親、妹は思い通りにならないと泣いて私の事を責める 婚約者も妹の味方、そんな私の味方になってくれる人はお兄様と伯父さんと伯母さんとお祖父様とお祖母様 私を愛してくれる人の為にももう自由になります

処理中です...