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 そうしてスノウのことを誉めちぎると、最後にオルヘルスを見つめて言った。

「だが、それもすべてお前がスノウと心を通わせているからだろうな。おそらく他の馬主では、スノウの才能をここまで引き出すことはできなかっただろう」

「お兄様、それは褒めすぎですわ。スノウが優秀なのは認めますけれど」

 そう言いながらスノウを優しくなでた。

 こうして、とくに出かける予定のなかったオルヘルスはほとんど毎日のようにイーファに乗馬の指導をうけることになった。

 グランツも素晴らしい乗り手だったが、イーファも騎士団に入っているだけあって贔屓目なしにとても優秀な乗り手だった。

 それもあってか乗馬の指導もうまく、オルヘルスは指導を受け始めてからまだ三ヶ月ほどだったが、一人でもうまく馬を操ることができるようになっていた。

「ずいぶん上達したじゃないか」

「殿下やお兄様のお陰ですわ」

「いや、お前が毎日欠かさず馬に乗っているからだろう」

 そう言うと、イーファは少し考えた様子を見せたあと言った。

「毎日頑張っているお前に褒美をやろう」

「ご褒美ですの?」

「そうだ。しばらく遊びに出かけていないのだろう? そうだな、乗馬服を買いに外へ行こう」

「いいんですの? 実は殿下からプレゼントされた乗馬服がだいぶ傷んでしまって」

 オルヘルスはそう言ってほころんで繕った場所を見せた。

「これだけ練習すればそうだろうな」

「ですわよね。じゃあ、約束ですわよ?」

 そう言って小指を差し出した。すると、イーファは怪訝な顔をした。

「なんだ? それは」

「指切りげんまんですわ」

 オルヘルスはそう答えると、イーファの手を取り小指を絡ませ指切りげんまんの歌を唄った。

「指切った!」

 最後にそう言って指を離すと、イーファは自分の小指を不思議そうに見つめた。

「今のは?」

「約束を破らないためのまじないみたいなものですわ」

 それを聞いて、イーファは微笑んだ。

「まだ子どもだな」

 オルヘルスはムッとしながら答える。

「子どもで結構ですわ」

「そうだな、そのままでいい。いつまでも」

 思いもよらない返答に、オルヘルスは驚いてイーファの顔を見つめた。

「お兄様、なにいってますの?! そうなったら困るのはお兄様ですのよ?」

 すると、イーファは悲しそうに微笑んだ。

 数日後、約束通りイーファはオルヘルスを買い物に連れだしてくれた。

 オルヘルスは乗馬服をオーダーメイドしてもらうついでに、乗馬服に関係ない他の細々した小物なども買ってもらい上機嫌だった。

 イーファはそんなオルヘルスを見つめると言った。

「本当は、殿下にあまりお前を外に出さないよう言われているが、これぐらいなら許されるだろう」

「殿下は色々と心配してくださってますのね」

「まあな」

 そんな会話をしながら、窓の外を眺めていると建物の隙間から海がちらりと見え、海辺に出たくなった。

「お兄様、せっかく外へ出たんですもの。このまま帰るなんてつまらないですわ。海辺に散歩に行きませんこと? 少し海岸を歩くぐらいならいいですわよね?」

 イーファは少し考えたあと答える。

「それぐらいなら構わないだろう」

 そう言うと、御者に海へ向かうように声をかける。それを見て、オルヘルスは満面の笑みをイーファに向けた。

「お兄様、ありがとう!」

 すると、イーファは少し照れ臭そうにそっぽを向いた。 

 海辺に出ると思っていたより人が少なかった。

「今日は絶好の散歩日よりですのに、あまり散歩をされているかたはいらっしゃらないですのね」

「ここに砂浜があることは、あまり知られていないからな」

 そう言いながら、イーファはオルヘルスが馬車から降りるのを手伝った。

「人がいないとはいえ私から離れるな」

「わかってますわ。早く行きましょう」

 オルヘルスはイーファの腕をつかむと、砂浜の方へ歩きだした。

 この世界の海は汚染されていないこともありとても美しかった。海岸線を歩いていても、ゴミ一つ落ちていない。

 前世の記憶があるオルヘルスは、海はもともとこんなにも美しいものだったのかと見るたびに感動した。

「綺麗ですわ」

 海を見つめそう呟くオルヘルスを見て、イーファは微笑む。

「お前は本当に海が好きだな」

「だって、美しいし見ていて飽きませんもの」

 そう言うと、五センチほどの紅貝を見つけ、イーファの腕から手を離しそこまで駆けていくと屈んでそれをつまむ。

 と、そのとき誰か女性の爪先が視界に入り恐る恐る見上げた。そこには、小馬鹿にしたようにこちらを見下ろしているアリネアの顔があった。

「ごきげんよう、オリ。こんなところで貝拾いですの?」

 オルヘルスはゆっくりと立ち上がると、驚いて尋ねる。

「アリネア様? なぜここに?!」

「あら、わたくしがここにいたら悪いかしら」

 そこへイーファが駆け寄り、オルヘルスの腕をつかむと自身の背後に隠した。

「失礼、アリネア伯爵令嬢。こんにちは、妹になにか用が?」

 アリネアはイーファの登場に目を丸くした。

「誰か護衛と一緒にいるとは思っていましたけれど、イーファ様でしたのね? ごきげんよう」

 そう答えると、アリネアは突然上目遣いになり瞳を潤ませた。

「用があるわけではありませんの。見かけたので、ご挨拶をと思いまして。それにしてもイーファ様、お久しぶりですわね。いつこちらに?」

「最近戻りました」

「そうですの、知っていたら散歩やお茶にお誘いしましたのに」

「いや、私も忙しいのでそのような時間はありません」

 すると、アリネアはイーファのうしろに隠れているオルヘルスに視線をちらりと送ると言った。

「オリと散歩する時間はありますのに?」

「オリは特別ですので」

「あらやだ、オリってばまだ兄離れができてませんのね。子どもなんだから」

 そう言うとクスクスと笑った。イーファは振り返りオルヘルスをじっと見つめ微笑むと、頭を撫でてアリネアに向き直る。

「私のほうが妹離れできていないのです」

 するとアリネアはオルヘルスに憐憫の眼差しを向けると苦笑し、イーファを見つめる。

「イーファ様はお優しいからオリを庇ってますのね。オリ、一つ忠告しますけれど、そんなふうに兄離れができないからグランツ様も離れてしまったのですわ」

 オルヘルスはなぜここでグランツの名が出るのかわからず、アリネアに訊いた。

「なぜ、殿下の話になりますの?」

「あら、隠しても無駄ですわ。最近グランツ様があなたの屋敷へ行ってないことは知ってますのよ? とうとう飽きられたのでしょう?」

 オルヘルスはムッとしながら答える。

「そんなことはありませんわ」

 すると、アリネアは我慢できないとばかりに吹き出す。

「そんな、隠さなくてもいいんですのよ。こうなるのは予想できましたもの。ふふふ」

 そこでイーファが口を挟む。

「アリネア伯爵令嬢、先ほどから聞いていて思うのだが、あまり品のないことは言わないほうがよろしいのでは? 品性を疑われます」
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