名前を持たない君へ

くるっ🐤ぽ

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いぶし銀の章

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 蜘蛛の店で仕立てる着物は丈夫で上等なものばかりだが、礼装用の織物を用意するならば、第一に鶴のところに行けば間違いないだろうということで、鶴の店に向かった。鶴の主人が、いらっしゃい、と出迎えてくれた、その奥で、鶴の女房が、カタカタカタ……と悲しげな音を立てながら、糸車を回していた。クロとシロツメクサは、初めて見る店を、興味深そうに見まわしていた。
 鶴の店までは、俺だけならばクロとシロツメクサの家から一日もかからずに行けるのだが、今回はクロとシロツメクサもついてくることになったので、三日はかかった。
 糸車を回す鶴の女房を見て、おや、と思った。
「暫くぶりで来たが、羽で糸を紡がないのだな」
「へぇ……」
 鶴の主人は、長い首を丸めるようにして、頭を下げた。
「へぇ……昔は若い鶴の娘の羽を引き抜いて、それで糸を紡いだものですが、そうすると羽が少なくなって……無論、飛べぬほど引き抜くことはないのですが見目がまずくなって嫁ぎ先がなくなる、などと羽を引き抜くことを嫌がる娘が増えてきましてなぁ……今は、花から糸を紡ぐことが多いです」
「ふぅん、色は却って、良いようだが……」
「そりゃあ、良い色のものもたくさんありますが、鶴の羽には負けます。特に、若い鶴の娘の羽には」
 なるほど、と思った。そう考えると、花の繊維を引いて鮮やかな糸を紡ぐ、あの糸車の音が、カタカタカタ……と、やけに悲しく聞こえたのにも、頷けるところがあった。
 鶴の主人は、俺たちを店の奥の客間に案内すると、さっきまで糸を紡いでいた女房に言いつけて、茶と菓子を持ってこさせた。使用人は雇わず、昔から家族だけで切り盛りしている。
「それで、本日はどういったご用件で?」
「ああ、……シロは、この店に来るのは、初めてだよな。おやじさん、こいつ、シロツメクサ。長いから、大抵はシロで済ませている」
「よろしくお願いします」
 幼い頃ならもじもじして、部屋の隅にでも隠れてしまっていただろうシロツメクサは、丁寧なお辞儀をした。
「私のお嫁さんです」
 クロが、言った。
「ちゃんと結婚の申し込みが出来ないまま二十五年も経ってしまったので、婚礼の儀と、銀婚式のお祝いを、一緒にやりたいのです」
 俺が、クロの説明を補足した。
「シロは、クロの供物として捧げられた娘だった。それで、これから行う婚礼の儀と銀婚式の衣装について話に来たのだが」
「はぁ、なるほど……」
 鶴の主人は、眠る子どもでも見るような穏やかな目で、クロとシロツメクサを見比べた。それから、平素から眠っているような目を、更に細めた。柔らかな、細め方だった。
 鶴の主人は、物怖じしない、おっとりとした話し方をする。今は仕事の方は殆ど息子らに任せているというが、仕事には厳しかった。もっとも、俺はその姿を見たことがない。来るたびに、物怖じしない、おっとりした鶴という印象を受ける。
「シロは、白無垢を着て、やってきました」
 クロが、言った。
「だから、私のお嫁さんには、違いないのですが……」
「白無垢は、お武家さんの御婚礼の衣装ですなぁ」
「そうなのですか?」
「嫁ぎ先の家風に染まる、という意味がございましてなぁ……侍の時代からの、風習でございます」
「私はお侍ではありません。家風、などというものもありません。周りは山で、緑ばかりですが、時々花の色も見かけます」
「はぁ、そうですか。そういうところほど、良い所なのでございますよ」
「はい。良い所です」
「婚礼の衣装の中では白無垢が一番格式高く、それから、色打掛、引き振袖、振袖……と続きます」
「色打掛?白だけではないのですか?」
「ええ、色々……赤、金、青、黒、桃色……ご婚礼の儀は、未婚の娘さんが振袖を着られる最後の機会でもありますから、振袖でもよろしいかもしれませんなぁ……色や柄にも様々な意味があって……」
 俺は咳払いをして、クロの背中を小突いた。鈍い顔をしてこちらを見たクロに代わって、俺が口を開いた。
「実は、柄はもう決めてある」
「ああ、はい、決めています」
 クロも、漸く気が付いた様子だったが、それを言ったのは、シロツメクサだった。
「白詰草と、菫の意匠で作れますか?」
 鶴の主人は、キョトン、とした顔をした。
「白詰草と菫、ですか……」
 鶴の主人は、首を捻った。長い首がねじれて、畳の上に頭がくっつきそうだった。
「難しいですか?」
 シロツメクサが、訊いた。
「いいえ……しかし、ご婚礼で使われる衣装なら、もっと他におめでたい柄がありますがねぇ……松竹梅とか、鳳凰とか……」
「大好きな花なのです」
 クロが、突然言った。力の籠った声に、俺よりも、鶴の主人よりも、シロツメクサよりも、自分自身が、驚いているようだった。
「白詰草は、シロの名前の由来です。私の大好きな花なのです。そして、菫は……大木の根元に咲く菫だったのですが……菫は『シロの花』なのです。だから、お願いしたいのです」
 深く頭を下げるクロに、「シロの花」と言われても、鶴の主人には分からなかっただろう。しかし、鶴の主人は、穏やかに言ってくれた。
「そこまでおっしゃるのなら、こちらも心を込めて、織らせて頂きましょう」
 そう言って、鶴の主人は晴れ晴れとした目を見張って、了解の意味で頭を下げてくれた。鶴の主人は頭を下げて、まだ、クロが額を畳に擦りつけていたことに、驚いた表情をした。そして、その眼差しに温かい色をにじませた。
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